<掲示板・議事録>

横須賀海軍カレー、2

     
  <畠山義綱さま [関東] 2002/10/03(Thu) 22:12>

どうも、こんばんわ。畠山義綱です。
>こたつ城主殿
>祭りの時などにもこの名はよく見掛けるので、「廃藩置県を
>拒んでる」とよく笑ってます。

凄いですね。松代の人は今でも藩政時代を慕っているのですか
ね。

横レス失礼致します

>小栗はアンチ勝海舟の人が出す名前なのかしら?

勝は政府軍に降伏し、日本を全面戦争に突入させなかった
英断者ですが、私的には幕府を生涯守ろうとした小栗の
方がカッコよく映りますね。



<朱天さま [東海] 2002/10/04(Fri) 03:38>

>畠山義綱様
>無論、私もその一人です(爆)

あ、やっぱり(笑)私も小栗の方が好きです。
でも、当時の全面戦争回避という判断は勝の方が
一段上だとも思います。

>コタツ様
>小栗はアンチ勝海舟の人が出す名前なのかしら?

そうですね。あと慶喜が嫌いという人にも人気あります。
結局幕府の新政府に対する恭順派と抗戦派どっちが好きかって
問題なんですけどね。

>上手くやったのぅ。

あんまりうまくやりすぎて、慶喜公に維新後
「長州はいいけど、薩摩は大っ嫌い」とか言われてます。
それだけ凄いって事なんですけどね。



<前田敏郎さま [関東] 2002/10/04(Fri) 04:05>

こちらでも幕末の人物に関する話題で賑わっているようですね。私が住んでいる横須賀に深く関わっている人たちに触れてもらっているのがうれしくて私も書き込みします。

朱天さま、畠山義綱さま
初めまして。たびたびお名前はお見かけしております。私も横レス、失礼します。
朱天さまが数ある小栗上野介の実績のひとつとして横須賀製鉄所を挙げてくださっているのが地元の者としてとてもうれしかったです。横須賀では小栗を「横須賀近代化の父」と呼ばれることがあります。小栗が財政難の観点から反対する意見を退けて建設に踏み切らせた横須賀製鉄所は日本が自前で軍艦を建造するための施設ですが、単に造船設備を作るだけでなく、学校を建てて将来の造船の担い手となる技術者や職工などの人材の育成も行いました。授業はフランス語で行われたと言われています。また、製鉄所の建物を建てるための建築学、工場の管理のための簿記・会計学も導入されました。これらは責任者(首長)のヴェルニーをはじめとするフランス人の技師たちから伝授されました。
慶応3年に起工された1号ドックは現在も現役で使われています。現在はアメリカ海軍横須賀基地の敷地内ですが海を挟んだ対岸のヴェルニー公園から見渡すことができます。観光ガイドとしてお客さんをご案内したことがありますが、横須賀製鉄所の建設は100年先の日本を見据えた事業だったこと、製鉄所建設を推進した小栗という人物は単に幕府の安泰ばかりでなく世界の中の日本を考えることができた人物であったということを強調しました。横須賀製鉄所は横須賀造船所と名前を変えて、さらに横須賀海軍工廠と規模を拡大しゆきます。横須賀製鉄所の建設は明治以降の横須賀が「軍都」として発展してゆくきっかけとなりました。
この小栗と横須賀での責任者ヴェルニーの実績をしのんで毎年11月に「小栗・ヴェルニー祭」という式典が行われています(今年は何日だったかな?)。
ちなみに小栗を主人公にしたドラマが来年の1月3日(鬼に笑われそう・・・)にNHKで『またの辞めたか亭主どの』というタイトルで放送されるそうです。原作は横須賀在住だった大島昌宏さん(故人)の『罪なくして斬らる』です。過去にいろいろな観点から描かれたことのある小栗ですが、ここでは横須賀製鉄所建設が大きなテーマになっていて、そのために邁進する姿を描いていて秀逸です。

畠山さまがおっしゃる
>浦賀奉行の者(名前を失念)

とは恐らく、与力の中島三郎助のことだと思います。「黒船」に乗った最初の日本人であり、「徳川氏への忠節」を尽くして箱館戦争で二人の息子と共に討死する生き様は郷土の「偉人」と言っても差し支えないでしょう。今でも浦賀には彼に関する石碑がいくつか残っています。
異国船そのものは19世紀に入ると度々三浦半島沖に姿を見せており、その度に浦賀奉行所が対応しています。ペリー来航時に見せた三郎助の対応は、それ以前の彼又は彼の父親、あるいは奉行所の先輩たちの経験の蓄積があってこそのものだったかもしれません。

長くなっちまいました。地元ネタになると、頼まれてもいないのに・・・。しょうがないですねぇ、横須賀がすきなんですね、私。



<畠山義綱さま [関東] 2002/10/04(Fri) 10:21>

ここの掲示板は議論が本当に活発ですね。みていてとても
楽しいです。

>朱天様
> あ、やっぱり(笑)私も小栗の方が好きです。
やっぱり朱天様も小栗派でしたか(笑)
軍略家としても優れていて、西郷隆盛が「小栗の戦略なら
維新軍が敗れていた」なんて言った事もあったらしいですね。
さすが、小栗!

>前田敏郎様
初めまして、前田様。

>与力の中島三郎助のことだと思います。

そうですそうです。中島です。でもその後の彼の功績は知り
ませんでした。前田様に感謝!
 そう言えば、ペリーと交渉した人がもう一人いませんでし
たっけ?初日は中島が交渉したんですが、ペリー側が「もっと
上の身分の者を出さないと私は会わない」とかごねやがって、
翌日中島が「浦賀奉行で最高の身分の者を連れてきた」とか
いって連れてきた人物です。でもその人物も実は中島と同じ
与力の身分(笑)でも「ペリーは中島より身分が上に見えた」
ということで、ペリー艦隊副艦長を会わせたとか。
 やっぱり講談社の『日本の歴史』の幕末の巻買っちゃおうか
な・・・。

>横須賀がすきなんですね、私。

私も好きですよ。横須賀。一昨年には京急にのって
三笠公園に行きました。無論三笠にも乗りました。で、海軍
カレーを食べて、猿島にも行きました。いや〜、猿島はすご
かった!陸軍要塞があるとは。今に生きる歴史資料ですね。



<こたつ城主 [関東] 2002/10/04(Fri) 20:01>

>畠山義綱さま

>凄いですね。松代の人は今でも藩政時代を慕っているのですかね。

そう思います。もちろん観光事業でもあるのでしょうけど、それだけで「藩」とまでは言いませんものね(笑)。



<こたつ城主 [関東] 2002/10/04(Fri) 20:02>

>朱天さま

慶喜が嫌いな人って、わりとよく会う感じが……(^_^;)。

>あんまりうまくやりすぎて、慶喜公に維新後
>「長州はいいけど、薩摩は大っ嫌い」とか言われてます。

あ〜、何となくその辺りはドラマでも匂って来ました(笑)。西郷がメチャクチャコワモテで、何を言っても引かないという。


>前田敏郎さま

そうそう。ペリーの話が出たので、私も前田さまを思い出しました(笑)。

財政難の折、何に金を使うかは重大な問題ですよね。「小栗・ヴェルニー祭」の催しから察するに、フランスから知識を導入したのも小栗の考えなのですね。
学校を作って造船を学ばせた所というのも、横須賀製鉄所の近くなのでしょうか。

>小栗を主人公にしたドラマが来年の1月3日(鬼に笑われそう・・・)
>にNHKで『またの辞めたか亭主どの』というタイトルで放送

覚えておかなきゃ。3日か……。φ(。。)mメモメモ。
 
     

     
  <朱天さま [東海] 2002/10/04(Fri) 22:33>

>前田敏郎様
はじめまして。現在は横須賀基地内なんですね。

>小栗を主人公にしたドラマが来年の1月3日

これは良い情報をありがとうございました。
そういやちょっと前にも突然小栗がテレビで
取り上げられたりしましたよね。どっかに
「小栗は、倒産しかかった会社を懸命にささえた人というので
 不況下に人気が出る。」
とか書かれてました(苦笑)こんなとこにも小栗の哀愁が・・・

>畠山義綱様
>「小栗の戦略なら維新軍が敗れていた」

そういう意見もありますよね。
でもそうするとそれはそれで色んな問題が出てくるんですよね(笑)

>コタツ様
>慶喜が嫌いな人って、わりとよく会う感じが……(^_^;)。

あ、やっぱり。でもでも慶喜公も、ものすごく優秀な人なんですよ。
いやまじで。あの人が決断しなきゃ今の日本はなかったんですよ。
すごいんですよ。もっと評価されていいんですよ。
でも、私はあんま好きじゃないけど。おや?



<前田敏郎さま [関東] 2002/10/05(Sat) 05:01>

こたつ城主さま

>ペリーの話が出たので、私も前田さまを思い出しました(笑)。

そう言っていただいてうれしいです。

畠山義綱さま

>でもその後の彼の功績は知りませんでした。

「その後」のことでもうひとつ。中島三郎助にはもうひとつ「日本初」があるんです。それは鳳凰丸という船の建造に関わっていることです。鳳凰丸は日本初の洋式軍艦と言われています。これは度重なる異国船の来航と中島の(異国船の中を見たことがあるという)経験、それを形にする技術を持った船大工の存在という浦賀ならではの条件が可能にしたものと言えるでしょう。1853年に建造が始まって9ヶ月ほどで作り上げたそうです。ペリーが羽田沖まで「黒船」で乗り付けて来たのに驚いた幕府が大船建造禁止を解いて建造させたのですね。鳳凰丸の建造は江戸湾口の防御を台場から軍艦に担わせようとした方針転換の象徴という意味があると思います。

>そう言えば、ペリーと交渉した人がもう一人いませんでしたっけ?

おっしゃる通りです。香山(かやま)栄左衛門という人です。「奉行」と詐称して交渉を行いました。私は彼の肖像を見たことは無いのですが恰幅のいい人物だったようです。そのため、アメリカ側も彼を「奉行」と信じました。印象も良かったようです。翌年、再来航したときに姿を見せない「香山はどうした?」と言われたそうです。大きなトラブルを起こすことなく交渉した香山は黒船に応対した与力の中で飛びぬけて高く評価されました。そのため、奉行所の中の雰囲気が険悪になったといいます。ただひとり禄が加増(私の覚えが正しければ倍になっています)され、江戸城勤務となりました。その後のことはよく知りませんが、浦賀には香山の顕彰碑があります。

>私も好きですよ。

うれしいことを・・・。
海軍カレーはお店によって味が違いますから、食べ比べてみるのも楽しいですよ。確かジャガイモと牛肉を使用し、牛乳とサラダを添えるという「条件」以外は味付け自由なんです。

猿島は「東京湾の自然島」と言われますが、私に言わせれば「要塞島」ですね。あそこまで山を切り崩してしまっては。せっかく、現在まで残っているわけですからコンクリートで埋めることなく、逆に補強してお客さんに自由に出入りできるようにして平和学習の場に利用した方がいいのでは?と思います。

ところで朱天さまもおっしゃってますが

>慶喜公も、ものすごく優秀な人なんですよ。

私もそう思います。徳川慶喜は自分の言葉で話し、自分の意思で行動したあの時代では珍しい「君主」でした。例えば、大政奉還から王政復古の時期における、将軍はやめても諸藩の「盟主」として政治的実権は手放すまいとする駆け引きは凄まじいです。頭の回転が速く、時勢を見る眼は確かで、弁が立つ彼は将軍でなかったら、おそらく明治政府の中でも「ステーツマン」として充分通用したと人物だったと思います。もっとも、ステーツマンには皮肉っぽいニュアンスもあるそうですが(ぼそっ)。

朱天さま
私も随分前に小栗を扱った番組を見た覚えがあります。狂言師の方が扮していたと思いましたが。小栗役にはちょっと若すぎるんじゃないかと思った記憶があります。

訂正です
ドラマのタイトル間違えました。

>『またの辞めたか亭主どの』

と書いてしまいましたが正しくは『またも辞めたか亭主どの』です。ごめんなさい。現在撮影中だそうですが小栗上野介役は岸谷五朗さん、奥方(名前を失念しました)役は稲森いずみさんだそうです。
細面で眼光鋭い小栗に岸谷さんならいい雰囲気が出せると思いますが皆さんはどう思われますか。



<畠山義綱さま [関東] 2002/10/05(Sat) 09:13>

>朱天様
>でもそうするとそれはそれで色んな問題が出てくるんで
>すよね(笑)

そうですね、歴史にIfは禁物ですが、日本は分裂して
いたかもしれませんし、その隙に外国に攻められ・・・。

>でも、私はあんま好きじゃないけど。おや?

私は鳥羽伏見の戦い前の慶喜公は好きなんですがね。
総裁制の導入などで、実質内閣のような政治期間も整えて
いたんですが・・・、いかんせん将軍になった時期が
悪かったですね。Ifは禁物と書いておいてなんなんですが、
13家定の跡目問題で一橋派が勝っていたら幕府もあのような
悲惨な負け方はしなかったのかなあなんて思います。

>前田敏郎様
>鳳凰丸という船の建造に関わっていることです。

これも初耳です。こういうことを知るのは楽しい!幕末を
もっと知りたくなりますね。

>幕府が大船建造禁止を解いて建造させた

ということですと、「鳳凰丸」は国内産の軍艦だったのです
か。明治以来の軍艦はほとんどが輸入で、大正期になっても
シーメンス事件に象徴されているように輸入軍艦を使ってい
たので、幕末に国内産軍艦があったとは驚きです。
 どんな船だったのでしょう。木造の大きい船でしょうか?

>ただひとり禄が加増(私の覚えが正しければ倍に
>なっています)され、江戸城勤務となりました。

そうでした。香山ですね。ペリーの貿易交渉を跳ね除けて、
和親条約交渉だけにさせたやり取りはみていて「なるほど」
と思うようなものでした。香山はその後江戸城にいったの
ですね。

>海軍カレーはお店によって味が違いますから、

今度色々行って見たいですね。お店で食べた後、三笠の売店
でレトルトも買いましたよ。

>私に言わせれば「要塞島」ですね。

そうですね。古くは幕末の台場、明治期には陸軍要塞、戦中
には本土決戦用要塞ですからね。トンネルや台場跡などは
生々しく残っていますよね。せっかくだから武器庫とかも
入らせて欲しかったし、陸軍の隠し波止場も見たかったです。
もったいない。まさに平和時代の私達に戦争の恐ろしさや
異常さをみせるいい機会なのですがね。
そういえば、横須賀は現首相の出身地ですね。



<こたつ城主 [関東] 2002/10/05(Sat) 15:36>

>朱天さま

うん(^^)。テレビでやる情報ってのも、新聞やネットで知っても、今イチ見ようという気がしないんだけど、こうして教えて貰えると「よ〜し」と思うのよネ☆ミ
こたつはお正月に、コタツでお屠蘇を飲みながらテレビを見るのが今から楽しみなのっ♪

>「小栗は、倒産しかかった会社を懸命にささえた人というので
> 不況下に人気が出る。」

それで今「小栗」! やっとわかった気がする(^^;)。

>でもそうするとそれはそれで色んな問題が出てくるんですよね(笑)

現在もまだ江戸時代とか(汗)。

慶喜が優秀って話もよく聞きます。『跳ぶが如く』では、何年に一度の天才だったか、家康以来のナントカだったか(かなりいい加減だぞ、おい)、何しろそう言われて出て来たのに、「薩長、出来るならやってみろ!」とキレて、すぐに大政奉還でした(汗)。


>前田敏郎さま

そうか。そうですね。造船には試験段階に地の利が条件となりますね。浦賀は適して土地だったのでしょうね。
それと、大船建造禁止という話は、黒船が来ちゃってからよく聞くのですが、いつ頃から発布されたのでしょうね。江戸期のかなり初めの頃かしら? だとしたら、本当に古い法を引きずっていたという事に……(^^;)。
それにしても交渉役が詐称まで行うというのも、異常な事態に思えますね。香山栄左衛門が再来航したアメリカ側との交渉に当たらなかったのは、すぐにお役御免になったからかしら?

実は海軍カレーの話を見た途端、昨日の晩ご飯はカレーになりました(爆)。ジャガイモと牛肉、牛乳とサラダの条件つきというのは、松戸でも七福神鍋というのがあるのですが、地元の野菜を使わないとダメとか条件があって、もしかしてそちらを真似してたり?(笑)

>将軍はやめても諸藩の「盟主」として政治的実権は手放すまいとする駆け引き

ああ、実はこの辺り『徳川慶喜』では、ちょっとガッカリしました。今一つこうした凄味みたいのが伝わらなかったんです。モックンの慶喜はそれなり良かったですが。



<こたつ城主 [関東] 2002/10/05(Sat) 15:38>

>畠山義綱さま

>日本は分裂していたかもしれませんし、

ああ、なるほど。江戸時代はどっかで終わったとして(笑)、二分したらその後に禍根を残しそうですね(^_^;)。

>13家定の跡目問題で一橋派が勝っていたら幕府もあのような

あ〜、実はこの辺りから既にわからなかったのですが、これに敗れてしまった原因は結局何だったのですか?

そう言えば、海軍カレーってどっかで見たと思ったのですが、どこぞのSAでレトルトを見たのかもしれません!
 
     



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