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<畠山義綱さま
[関東] 2002/10/01(Tue) 22:53>
一般には東京遷都の理由として「大名屋敷が省庁の建物として
利用できる」などとも言われているのですが、実際はそれほど
利用されなかったようです。やはり大江戸100万と旧幕府より
の東北地方を抑えるには、経済的にも地理的にも東京遷都の
方が現実的だったのでしょう。
でも、最近講談社が出している『日本の歴史』の幕末の巻で
見事にペリーと渡り合って交渉している幕府外交官や、欧米よ
り日本の国力が劣っていると冷静に判断し、条約を結んだ幕閣
など、まだまだ自分も偏見があるなあと思います。
<朱天さま [東海]
2002/10/02(Wed) 00:25>
横レスを(笑)
>畠山義綱様
幕末の幕閣は結構人材がそろってますよ。
小栗・阿部・勝・永井・榎本・大鳥・松平太郎・伊庭・土方等々。
もっとも長州土佐水戸は人材が死にすぎですけどね。
<朱天さま [東海]
2002/10/02(Wed) 00:28>
あ、幕閣でない人が山ほどいますね。
すいません。榎本以降は幕臣ということで。
<畠山義綱さま [関東]
2002/10/02(Wed) 07:36>
どうも、おはようございます。畠山義綱です。
>朱天様
私は幕末の幕閣大好きなんです。勘定奉行の小栗忠順や
永井尚志は本当によく活躍した幕閣ですよね。幕臣も
明治時代にかなり活躍し、「人材不足」と評される幕末
の幕府でもかなり有能な人材はいたんですよね。講談社の
『日本の歴史』では、これらの優秀とされる人物以外でも、
相応の評価をしています。
阿部正弘や安藤信正などなにかと腰抜け扱いされる
幕閣ですが、むしろオランダ風説書きなどを積極的に
利用し、当時の世界情勢に通じ、客観的且つ冷静に日本の
国力を分析し、「日本は劣等国である」という認識の下
条約を結んだというのです。この時点で言えば、薩長の
攘夷派の方が世界認識に欠けていたわけですね(情報統制が
あたりまえだった江戸時代では当然といえば当然ですが)。
私は幕末では「佐幕派」なので、講談社の同本を読んで
非常に嬉しく思いました(笑)
現代日本も究極の地方分権をするために「廃県置藩」でも
しますか(爆)
<こたつ城主 [関東]
2002/10/02(Wed) 16:40>
>畠山義綱さま
東京を首都としたのは、元が外国からの圧力で開国という流れだったので、スピーディに機能させるためではないでしょうかね。確かに江戸から東京になった時も混乱したでしょうが、では京都にしたらどうなってたか(^^;)。
幕末の事は疎いんですが、幕府側の人の方が、冷静な視点で海外との関係を見ていた人が多かったんじゃないなぁ。……とまで言うと、これまた偏りでしょうか(^^;)?
>勘定奉行の小栗忠順や永井尚志
わー、知らない(笑)。
阿部正弘は何かとドラマに出て来ますね。覚えがあるのは『翔ぶが如く(1990年)』で若林豪サンがやったんですが、13代だったかな、何しろ将軍サマに「伊勢」と呼ばれて掛け合い漫才(じゃないんだけど、それぐらい面白かった(^_^;))をやるシーン。
『徳川慶喜』では大橋吾郎サンがやってて、これもなかなか有能な幕閣として登場した覚えがありますので、腰抜け扱いされてたとは逆に知りませんでした(^_^;)。
>現代日本も究極の地方分権をするために「廃県置藩」でもしますか(爆)
信州松代には、ホントに「松代藩」ってのが現存してますよ(汗)。
<こたつ城主 [関東]
2002/10/02(Wed) 16:42>
>朱天さま
>もっとも長州土佐水戸は人材が死にすぎですけどね。
薩摩だけ残ったのか(笑)。 |
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