<掲示板・議事録>

北条氏康、武田信玄、食べ物の好き嫌い、2

     
  <東方賓従者さま [関東] 2002/05/09(Thu) 21:49>

>猛馬飼育係様
>北条氏康
>「酒は朝食の時に飲みなさい。量は3杯まで」
あー、自分もそれ学生時代にやってた事があります(笑)。
でもウォッカで(アホ)。
ある日飲んだ後、遅刻ギリギリで自転車漕いでったら授業中頭痛くなるし周りに臭がられるしで、それ以後は止めました。
やっぱり飲むなら養命酒?



<こたつ城主 [関東] 2002/05/10(Fri) 16:41>

>東方賓従者さま

>>「酒は朝食の時に飲みなさい。量は3杯まで」

これってよく考えたら、「朝から酒かいっ?!」ですね。←もっと早く気付くべきだったかも(^_^;)

>やっぱり飲むなら養命酒?

やっぱ「ういろう」でしょーーー(笑)。ういろうの成分って何だったんでしょうね。



<東方賓従者さま [関東] 2002/05/11(Sat) 00:46>

薬の「ういらう」(登録商標。薬の本来の名前は「透頂香」です。またういろうは「外郎」または「慰勞」と書きます)の成分はですね・・。
「麝香、桂皮、丁香、卑(草かんむりが付く)撥、甘草、龍脳、人参、蓬砂、薄荷脳、阿仙、縮砂」と薬のパッケージにあります(我家の常備薬です)。
私はさっぱりどんなものなんだか分かりませんが、漢方薬に近いのでしょうね。



<猛馬飼育係さま [関東] 2002/05/12(Sun) 00:23>

>うっ(^^;)、食事の仕方にウルサイ話って湯漬けだけじゃなかったんですね。

そういえばその話もありましたね(笑)。それにしても北条氏康は本当にエピソードの多い人ですね。少年時代は鉄砲の音を聞くたびに泣き出していたという話(その頃すでに中国式火砲が伝わっていたという説が有力になってきましたので、本当の話かもしれませんね)とか、氏康傷の話とか。

>大庭景平殿

>あー、自分もそれ学生時代にやってた事があります(笑)。
>でもウォッカで(アホ)。

強者でいらっしゃいますね(笑)。
自分は大学時代サークルの部室で結構飲んだ後、試験を受けたことがあります。
あと休日は朝食の時ビールを1本(500ml缶)飲んでおり、氏康の話を実践しています(でも晩酌もするので、ちょっと違いますね・笑)。

そういえば上杉影虎様の石和合戦レポートに、「大庭殿・小笠原の麦酒のお代わりの疾きこと風の如し」とありましたね(笑)。



<こたつ城主 [関東] 2002/05/13(Mon) 16:15>

>東方賓従者さま

「ういろう」の成分、ありがとうございました(^^)!
麝香、桂皮、丁香、甘草、人参は漢方薬でよく使われます。漢方はブレンドが決まってる上、同じ成分が入ってても組み合わせ方で病名や処方が全く違ってくるのですが、これらは、わりといろいろな処方によく用いられます。だいたい、咳に効く処方って感じがしますね。



<こたつ城主 [関東] 2002/05/13(Mon) 16:17>

>猛馬飼育係さま

>そういえばその話もありましたね(笑)。

これも随分長い事知らずにいて(と言っても15年ぐらい前ですが)、旅先で、私がご飯を残したり、お茶や納豆の醤油を注ぎ足したりしてるのを見た友達に「それじゃ、北条氏康に文句言われる」と指摘されて知ったのです(^_^;)。

私はこの逸話が好きだ! 普通は(何度も書いた気もするが)、
「食い物の配分も出来ないようでは家の差配も出来ないだろう、北条の世も自分の代で終わりだ」と泣くと思うのですが、これではただの「愚痴&重箱突付きジジイ」です。

そこを彼の場合は(これも何度も書いた気がする)、
1、 まず泣く(周囲は驚く)
2、 「北条は滅びる」と爆弾宣言(ますます驚く)
3、 (ここまで周りを引っ張ったあげく)飯の食い方がどうのこうの
 素晴らしい技だ! 里見氏の追い詰められる光景が目に浮かぶよう。
「氏康傷」ってのも教えて下さい。

>「大庭殿・小笠原の麦酒のお代わりの疾きこと風の如し」

そういや石和でも早かったですねぇ(笑)。
 
     

     
  <猛馬飼育係さま [関東] 2002/05/14(Tue) 22:13>

こたつ城主様のおっしゃる視点で汁飯の逸話について考えてみると、とても面白いですね(笑)。北条氏康は意表を突く行動が好きだったのかもしれませんね。
氏康疵についてお話しします。北条氏康は少年時代は泣き虫だったといわれていますが、成人した後はうって変わったように勇猛な武将になったそうです。大将自ら白兵戦に臨むこともあったようで、その時出来た疵痕を、人々は彼の武勇を褒め称える意味で"氏康疵"と呼んだそうです(頬にあったという説と脛にあったという説があります)。

自分は武田信玄と芋虫の逸話も、結構味があっていいと思います。この話、御存知ですか?

>そういや石和でも早かったですねぇ(笑)。

おっしゃる通りですね(笑)。



<こたつ城主 [関東] 2002/05/15(Wed) 14:51>

>猛馬飼育係さま

北条氏康も子供の頃は弱かったんですね。長宗我部元親もそうだったとか。それが長じて名将になるという逸話、戦国期には少なくないですね(^^)。用心深い性格が作戦を練る時などに功を奏するんでしょうか。
でも、氏康が自ら白兵戦に挑む時代があったんですよねぇ! それで受けた傷が肖像画に描かれてないせいか、あの穏やかな表情からは、キチンと想像できないですが。 もっとも肖像画ってのはアテになりませんけど(^^;)。伊達政宗も「目が無いのは親への不忠」と、目を描かせたと聞きますから。

>自分は武田信玄と芋虫の逸話も、結構味があっていいと思います。
>この話、御存知ですか?

わ〜い♪ はじまりはじまり〜\(^O^)/。



<猛馬飼育係さま [関東] 2002/05/19(Sun) 00:12>

>用心深い性格が作戦を練る時などに功を奏するんでしょうか。

おっしゃる通りでしょうね。猪突猛進タイプより慎重なタイプの方が戦国大名に向いていたのでしょうね。

>わ〜い♪ はじまりはじまり〜\(^O^)/。

では不肖小笠原、語らせていただきます(笑)。
武田信玄は芋虫・毛虫が大嫌いだったといわれています。ある時馬場信春はこの性格を直そうと、手のひらに芋虫をのせて信玄に見せ、「芋虫も触れぬとは御屋形様は臆病者ですな」と言って挑発したのです。すると負けん気の強い信玄は芋虫に触るのですが、その時顔はおろか指先まで真っ青になっていたというのです。



<こたつ城主 [関東] 2002/05/20(Mon) 12:01>

>猛馬飼育係さま

>すると負けん気の強い信玄は芋虫に触るのですが、
>その時顔はおろか指先まで真っ青になっていたというのです。

わー、馬場信春イジメっ子!(笑)
う〜ん、すると、信玄の急死の原因に芋虫の大量発生の可能性は無いだろうか。←また一つ増やしちゃった



<猛馬飼育係さま [関東] 2002/05/21(Tue) 22:13>

>信玄の急死の原因に芋虫の大量発生の可能性は無いだろうか。

家康方の忍びが、信玄の座所に大量の芋虫をぶちまけたのでしょうか(笑)。



<こたつ城主 [関東] 2002/05/22(Wed) 18:40>

>猛馬飼育係さま

>家康方の忍びが、信玄の座所に大量の芋虫をぶちまけたのでしょうか(笑)。

ではきっと、服部半蔵の仕業ですね!(笑)
 
     

     
  <猛馬飼育係さま [関東] 2002/05/25(Sat) 21:21>

>ではきっと、服部半蔵の仕業ですね!(笑)

半蔵許すまじ!(笑)。



<こたつ城主 [関東] 2002/05/27(Mon) 16:16>

>猛馬飼育係さま

>半蔵許すまじ!(笑)。

しかし、そもそも御館様の命を縮めたのは、馬場信春だったような(^^;)。



<猛馬飼育係さま [関東] 2002/05/29(Wed) 21:25>

>しかし、そもそも御館様の命を縮めたのは、馬場信春だったような(^^;)。

馬場信春曰く「少々やりすぎたずら・・(反省)」



<こたつ城主 [関東] 2002/05/30(Thu) 15:22>

>猛馬飼育係さま

>馬場信春曰く「少々やりすぎたずら・・(反省)」

信玄「ワシの死後、命を返上しろ!」→到る長篠(爆)。



<猛馬飼育係さま [関東] 2002/06/02(Sun) 05:57>

>信玄「ワシの死後、命を返上しろ!」→到る長篠(爆)。

馬場信春「冥土でもお旦那に芋虫を触らせるじゃん」



<こたつ城主 [関東] 2002/06/02(Sun) 16:03>

>猛馬飼育係さま

>馬場信春「冥土でもお旦那に芋虫を触らせるじゃん」

かくして信春の遺体は、手にぎょうさんの芋虫を握っていたぁぁ〜!
 
     



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