徳川家康の布団と、加賀の鴨料理(冶部煮)
<黒龍斎さま [関東]
2001/07/02(Mon) 23:31>
>徳川家関係の話し
私が住んでいる〜ところは・・・・江戸時代は「天領」でして・・・
徳川家康もよく鷹狩や鴨猟で訪れた場所です、徳川家に縁がある〜
「某お寺」には家康が使った「布団」が残されております。
徳川家が鷹狩や鴨猟で使った場所の一部は・・・・現在「宮内庁」の
管理する国有地になって「皇室の鴨猟場」として現在も存在します。
その関係か、鴨料理も一応〜ご当地名物の料理となっております〜♪
私も仕事の宴会で何回か鴨料理店へ行った事があります。
そのお店の先代ご主人が戦前ですが・・・・皇室の鴨料理人でした。
当時〜皇室・華族の方々に供した鴨料理をベースにした本鴨の料理が
振舞われます、「鴨がネギしょって〜」という冗談抜きに「鴨」と〜
「ネギ」って本当に相性が良いのです。
炭火で焼いた本鴨だけでは脂濃いので〜ネギと本鴨と交互に食べると
あら???不思議〜あまり脂濃さを感じなくなります。
ちなみに・・・江戸時代は「肉食」は禁忌として食べられていないと思うかも知れませんが、勿論〜日常の食事ではたべられていません。
しかし、薬膳という意味合いでは時々〜食べられていました。
徳川家の歴代将軍も鴨や猪など「狩り」の折には御用料理人が調理し
た「鴨鍋」「猪鍋」など食べていたようです、忠臣蔵の大石蔵之助も
「牛肉の味噌漬」が大の好物でした。
ただ庶民では〜あまりにも高価でしたので食べられなかったようです
仮に肉を入手しても調理法も知らなかったようです。
猟師が獲った獲物を食べたりしていたようですが・・・・
長くなってしまいました〜 ご城主様が本鴨料理は食べたいですか?
<こたつ城主 [関東]
2001/07/03(Tue) 19:08>
>黒龍斎さま
鷹狩に訪れた家康の「布団」ですか〜。それはお寺としては残しておきたいでしょうね(^^)。髪の毛なんか残ってたりして?
鴨料理(*O*)! 何とタイムリーな!
ちょうどのりちゃんのトコで、前に「冶部煮」っていうのが話題に出て、私は知らなかったんですが、加賀の鴨鍋料理なんですって。これは「ネギ」ではなく、セリが入ってるようで、判官さまがのりちゃんのトコで紹介してしてくれたのは……(判官さま、ごめんね)
http://www.city.kanazawa.ishikawa.jp/bunka/taste/season/other/index.html#second
↑ここでした。甘辛味のスープ(醤油、酒、砂糖)に小麦粉をからめた鴨を入れるそうで、それをワサビで食べるんだとか……。
江戸時代にも実際には肉を食べてたでしょう(^_^;)。兎を一羽二羽と数えるのは、「鳥」に見立てたからじゃないかと思ってます。あと、猪は魚の内に数えたとか聞いた事がありました。一昨年、大河ドラマでやった大石蔵之助が肉を出して、生類哀れみの令を恐れた舅に「これはイケナイのでは?」と言われてましたね。
>ご城主様が本鴨料理は食べたいですか?
私は鴨ってフランス料理でしか食べた事がない(と思う)のですが、脂っこいんですね。でも冶部煮は食べてみたい。そいで戦国メニューに石田三成編として追加するんだ!
<黒龍斎さま [関東]
2001/07/04(Wed) 00:10>
>こたつ城主 様
>「冶部煮」
早速、拝見しました〜 ふむっ!!! これは美味しそうですね・・・
どなたか作ってみては〜私の料理の腕前では・・・ちょっと無理な
ようです。
あと、石和でもお馴染みの「甲斐の国」名物の「ほうとう汁」も
美味しいのですが・・・・中央高速のSAにて食べた事があります。
>家康の使っていた布団
これは、指定文化財になっております、展示している「お寺」も〜
その当時、家康の宿泊陣屋として何度も使用されており、何故か??
山門の門が狭く作られていたり、山門の二階部分には〜どう見ても
櫓に近いデザインがされております。
それと・・・・その「お寺」の傍には一級河川が流れており、戦前
までは「船着場」もあったようです。
私なりに推理してみると、そこは本来は「お寺」ですが、万が一に
襲撃された時には、襲撃者と一戦交える為の簡易的な陣地に変身し
たのではと思います、「船着場」も脱出用に作られたのでは???
と考えております。
家康の時代は・・・・徳川幕府が政権を握っていても一部の大名達
の中には〜「豊臣方」に知己のある者もいますので、政情不安定な
時代だったと思います。
戦国の乱世に生きた〜家康ですから、万が一に備えての守りを固め
ていても不思議ではないと推察されます。
あと、地名にも「御殿町」というのが現在もあります、図書館の〜
郷土史を調べてみたら、そこには江戸時代に「御成御殿」があった
ようです、明治期には取り壊されたそうです。
その「御成御殿」も河川に近い場所にあったそうです。
<こたつ城主 [関東]
2001/07/04(Wed) 17:10>
>黒龍斎さま
「冶部煮」、最初は「甘辛スープにワサビ?」と訝しく思ったけど、だんだんイケル味かも……と思えて来ました。鴨というのがなかなか手に入らないけど、売ってる時もあるので今度探して挑戦してみようかな(^^)。
ほうとう(^O^)! こたつの大好物です! でも甲府の「ちよだや」って定食屋で食べるのじゃなきゃダメなんです(-_-;)。最初はそんなにこだわってるつもりじゃなかったのですが、何処のを食べても「やっぱりあそこが一番!」と思うようになってしまって……でも日曜日はやってないんです。だから石和に行ったここ2年連続、食べてないんです(-_-;)。
家康は水運に着目した(江戸だから「せざるを得なかった」と言うべきか(^^;))武将ですよね。黒龍斎さまの言われるお寺の話、何だか「影武者徳川家康」のラスト付近のシーンを思い出しました。史実では息子である秀忠に実は命を狙われてて、忍者に守られて危機を脱出! 家康の運命や如何に! ……ところでそのお寺、何処にあるのですか(^_^;)。
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