<掲示板・議事録>


「美濃から来た名物(謎)」

     
 
<HIGE-MOKKOSU(KANI)さま [外国] 2000/09/08(Fri) 23:18>

題名:美濃から来た童

素朴な疑問なんですが、童は「わっぱ」「わらわ」「わらべ」の
どの読みなんでしょうか?



<久住さま [関東] 2000/09/09(Sat) 06:11>

>(蟹)様<蟹江ケイゾウか?>
斉藤道三に言わせてたんですが、本当は「わっぱ」でした。
でも今は「わらべ」で読んでます。
でももう十六だから童って年でもないんですが・・・。



<HIGE-MOKKOSU(KAJI)さま [外国] 2000/09/09(Sat) 07:15>

題名:オチ

秋田佐竹藩の窮乏打開策を紹介する「出羽から来たわっぱ」。
……というネタを書くために尋ねたというのは黙っておこう(爆

もし「わらわ」だったら、斎藤道三の娘帰蝶の一代記
「美濃から来た妾(わらわ)」というネタでありました(笑

だとすると「わらべ」は? ……めだかの兄弟?



<たまこさま [東海] 2000/09/09(Sat) 11:57>

HIGE-MOKKOSU(KAJI) さま、

わらわは、わっぱを作る わらべを良く見ておりました。



<こたつ城主 [関東] 2000/09/09(Sat) 14:23>

>HIGE-MOKKOSU(KAJI)様

「わっぱ」は変換で出て来なかったので(もしかして当たり前(^_^;)?)、「わらべ」で打つのだ、いつも私は。(どうでもいい話だが)

>秋田佐竹藩の窮乏打開策を紹介する「出羽から来たわっぱ」。

だ……誰か読むかな、それ(^_^;)。(略して「出っ〇」?)

>斎藤道三の娘帰蝶の一代記「美濃から来た妾(わらわ)」

よっしゃあぁぁ〜! それ、次行こうかぁ〜(^O^)!!

皆様、次作の連載も、是非お楽しみに(^_^;)。



<こたつ城主 [関東] 2000/09/09(Sat) 14:24>

>久住さま

>(蟹)様<蟹江ケイゾウか?>

ぎゃははは(^O^)! 城主も似たような事言おうとしました。
 
     

     
 
<HIGE-MOKKOSU(DARE)さま [外国] 2000/09/10(Sun) 18:59>

>こたつ城主さん
>>斎藤道三の娘帰蝶の一代記「美濃から来た妾(わらわ)」
>よっしゃあぁぁ〜! それ、次行こうかぁ〜(^O^)!!
>皆様、次作の連載も、是非お楽しみに(^_^;)。

誰が書くんですか?
わたしは名古屋弁を知らないので書けませんよ(笑
それに「二人が疎遠になったのは味噌カツのせいである」とか
大馬鹿な展開にすること間違いなしですから(爆



<HIGE-MOKKOSU(DARE)さま [外国] 2000/09/10(Sun) 19:41>

>卑下もっこす(誰)さん(ぷ
>それに「二人が疎遠になったのは味噌カツのせいである」とか
>大馬鹿な展開にすること間違いなしですから(爆

二人というのは信長と帰蝶のことっす。
ちなみに帰蝶は本能寺の変後も生き残り……、
ああっ、感動の最後を語る訳にはいかないにょ(謎



<こたつ城主 [関東] 2000/09/11(Mon) 12:44>

>髭もじゃら(ダミー)様

↑ほとんど原型をとどめてない(爆)

>誰が書くんですか?

そうです。(誰)さまが書くのでしょう(^_^;)。と言うか、もうすでに書いておられるではありませんか。初投稿、ありがとうございます。(爆)

>「二人が疎遠になったのは味噌カツのせいである」

それでは単なる「あまのじゃく珍味録」ですね。(注:「あまのじゃくの部屋」参照) やっぱ天才同士は、どっか似るんですかね。ふふっ。

>ちなみに帰蝶は本能寺の変後も生き残り……、

京都で蕎麦屋を開業。蕎麦に味噌を入れるべきか悩みぬいた挙句、ニシンの味噌漬を考案し、蕎麦とともに食膳に添えたのであった。これが後に有名なニシン蕎麦の原型であったが、名古屋の味噌はのちに家康によって否定され、こんにちに伝えられていない。(こうなりゃ、つきあいだ)



<たまこさま [東海] 2000/09/11(Mon) 17:23>

城主さま、
その後の帰蝶、面白すぎ! 天才! (本物の)。

髭もじゃら(ダミー)・・ 撃沈だね、 もう〜、天才!



<光慶さま [関東] 2000/09/11(Mon) 21:00>

>名古屋の味噌はのちに家康によって否定され、こんにちに伝えられていない。

否定された原因は「天むす」の作り方を教える事を、「秘伝」として頑なに拒んだ
名古屋人に対する報復だったらしい・・・。
さらに、家康の臨終の言葉が「天むすを食べたかった・・・」であった事は、
あまり知られていない・・・って、誰が知ってるんだろう *壊れた*

>HIGE-MOKKOSU(DARE) さま
>わたしは名古屋弁を知らないので書けませんよ(笑

名古屋弁全開の小説なんて・・・
名古屋人以外に、誰が読む(読める)のでしょうか??
(風土記でさえも、大半は標準語訳をしているような・・・ 爆)

>それに「二人が疎遠になったのは味噌カツのせいである」とか
>大馬鹿な展開にすること間違いなしですから(爆

華燭の典では「きし麺」を共にすすっていたのに・・・(^^;;)

完全に壊れたようなので、上記の書き込みは気にしないで下さい *なははっ*



<こたつ城主 [関東] 2000/09/12(Tue) 07:39>

>たまこ様

>その後の帰蝶、面白すぎ! 天才!

ありがとうございます(^_^;)。天才……(つ、ついに仲間入りか……)。


>光慶さま

「天むす」って、名古屋だったんですね(^_^;)。アレですよね。おむすびの間に天ぷらが入ってる奴。そ……そうか、家康は天ぷらがアタッて死んだんじゃなくて、食べたくて死んだんだ。どっちの方が、よりみっともないかなぁ。 *ハッ、真剣に考えてる!*

>否定された原因は「天むす」の作り方を教える事を、「秘伝」として
>頑なに拒んだ名古屋人に対する報復だったらしい・・・。

しかし名古屋人たちにも言い分があった。それは、家康配下の寿司職人たちが、江戸前寿司の作り方を教えてくれず、これを家康に直訴した所、却下されたからであった。江戸という地名が江戸前寿司から来ていることは、意外と知られていない……って、いくら何でも、そりゃねーだろー。 *崩壊*

>>それに「二人が疎遠になったのは味噌カツのせいである」とか
>華燭の典では「きし麺」を共にすすっていたのに・・・(^^;;)

帰蝶は、油っぽい食べ物が苦手だったんでしょうかね(^_^;)。
 
     

     
 
<久住さま [関東] 2000/09/12(Tue) 15:36>

タイミング良く(悪く?)
出しちゃいました。信長さんと帰蝶さん。
しかし味噌カツや天むすとは思いもよらなかった。
名古屋コーチンの立場はどうなる?
(飛んでなさい)
アホなこと考えてて、次回に手がつかない状態です。



<こたつ城主 [関東] 2000/09/13(Wed) 16:40>

>久住さま

>名古屋コーチンの立場はどうなる?

……(^_^;;;;)。

一般的には、明治初年、尾張藩士、海部壮平・正秀兄弟が中国のバフコーチンと名古屋の地鶏を交配させ、大正8年完成、名古屋種と命名、と言われているが、これこそ闇に葬られ捏造された歴史である。

実は、信長の妹、お市の方の飼っていたニワトリを帰蝶が貰い受け、京都に連れ込んであらゆるニワトリと交配を続けた結果、完成したのが始まりであった。ちょうど北之庄落城の頃であり、お市の方は柴田勝家とともに自害。よって、帰蝶は完成したニワトリを「故、お市のニワトリ」と呼んでいた。「こおいち」→「こおち」→「コーチン」と訛っていったのである。 *く……苦しい*



<HIGE-MOJARA(DUMMY)さま [外国] 2000/09/13(Wed) 21:06>

>こたつ城主さん
>尾張藩士、海部壮平・正秀兄弟

海部元首相の先祖ですな。



<こたつ城主 [関東] 2000/09/14(Thu) 15:24>

>HIGE-MOJARA(DUMMY)様

>>尾張藩士、海部壮平・正秀兄弟
>海部元首相の先祖ですな。

え(^_^;)、そうなの? 言われてみれば何となく鶏に似てるかも。鶏の遺伝子が入っていたとは……。(そんな事、誰も言ってない!)
 
     



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