「東海乾坤記」
作/天陽様




第九話 硝煙突撃


  花が散り、
  鳥が去り、
  風がやみ、
  月は隠れる。

  設楽原はかつて誰も、見たことも聞いたこともない様子になっていた。
  三〇〇〇挺の鉄砲が火を吹くという光景は想像に絶するものであった。立案した信長でさえも、圧倒された。本陣から眺める信長はまだしも、実際に鉄砲を撃っている付近では、隣の人の声さえ聞こえなかっただろう。
  織田・徳川の鉄砲隊は部隊ごとに役割を分担した。四人一組で、鉄砲が四挺。射手を中心にして、弾込めに三人を要する。一人は銃口から弾と火薬を込めて次に手渡す、次の一人は火皿に口薬を塗って火蓋をかぶせて次に手渡す、次の一人は点火している火縄を火縄ばさみに取り付けて射手に手渡す、射手は引鉄を落として発射する。この四行程に分業することにより、わずか四秒から五秒の間隔で、装填に時間のかかる火縄銃を撃つことができた。
  この方法は、信長が考案したわけではない。紀州雑賀衆の間では広く使われていた方法だが、大量の鉄砲を投入したという点では信長が初めてといえる。
  織田軍の足軽が鉄砲慣れしているとはいっても、三万の兵すべてというわけにはかない。その中の限られた者が射手となるのが自然であろう。信長は四人一組に割った上で、これを五つにわけてそれぞれに指揮官をつけた。佐々成政・前田利家・福富定次・原田直政・野々村幸勝が抜擢され、軍監に丹羽氏次と徳山則秀が任命された。したがって、佐久間信盛・羽柴秀吉・丹羽長秀・徳川家康らの軍団長格の将領、信忠・信雄など連枝衆が揃いながらも、実戦指揮はこれら七名によって統制よく行われたことになる。

  五月二十一日が晴天になったことは述べた。
  加えて、無風であった。
  設楽原は溝状の低湿地帯であるから、風がなければ銃撃時に吹き出す白煙は流れることなく一帯に留まり続ける。これが、まず武田軍に悲劇を呼び込んだ。
  武田軍の一番手は山県昌景。
  信玄によって見出され、謀殺された兄・飯富虎昌の跡を継いで以来、ほとんどの戦場で有名を馳せている百戦錬磨の猛将である。
  左翼を受け持つ昌景は騎馬で一歩踏み込んだ途端に、冷や汗をかいた。馬の脚が泥濘に取られて止まったのだ。
「この泥濘では騎馬隊は役に立たぬ。徒歩で、突き進めい!」
  とても、《疾きこと風の如し》と称される面影はこの戦場で一度も見られなかった。
「金堀衆を先行させよ。連吾川に浮き橋を架けさせる」
  斥候による偵察は最後まで叶わなかったが、地形はある程度わかっている。あれだけの雨が降っていたので、馬防柵前を流れる連吾川が、徒歩で渡れぬくらい増水していると予想されていた。
  山県昌景は自軍の後方で指揮を執っているが、折からの濃霧に加え、硝煙が立ち込めはじめると視界がなくなっていく。山県隊と相対する敵右翼には徳川家の大久保忠世が受け持っている。この作戦が信長立案のものであれば、一番の弱点は盟友である徳川軍になる。家康も、信長を真似て専従足軽を雇い、鉄砲を買い入れていたが、織田軍には遠くおよばない。
  ――左翼が勝負をわける。
  気負う昌景だが、うすれゆく視界の向こう側を知らないでいた。
  梯子状の架橋を担いだ金堀衆が多くの犠牲を出しながらも連吾川にいくつか道を開くと、そこへ向かって山県隊は突撃する。股のあたりまで泥濘に沈むため、一歩一歩がひどく緩慢になる上、当然の事ながら槍や太刀などの武器を手に持ち、甲冑具足を着込んでいる。これでは、とても射撃間隔四秒の的から逃れる術はない。
「うしに隠れ、単独で前進するな!」
  戦前に戒められていたことを実践していても、轟音の恐怖が山県隊の統制を乱し続けた。『うし』とは、竹筒を幾重にも束ねて縛り弾よけの楯にしたもので、鉄砲が戦闘に投入されるようになってから、それを防ぐ手立てとして有効とされている。
  足軽隊が屍体を乗り越え前進していく最前線には、武田家が誇る金堀衆の姿がある。彼らは鉱山職人であるが、信玄はその特殊技術を軍事面に応用した。架橋や陣地構築などはむしろ副職と言うべきで、城外から城内へ向けて坑道を掘ることに成功し、攻城戦の主役になったことさえある特殊工作部隊である。
  その金堀衆の連吾川架橋に続く目的は馬防柵の撤去であった。武田本陣から確認できる馬防柵はひどく貧弱であった。丸太を縦横に交差させているだけで、それ以外の工夫はされていない。また、地盤がやわらかくなっているので、容易に突破できる。誰もがそう思っていた。
  熊手のついた縄を投げつけて馬防柵を捕らえ、引き剥がす。さすがに手馴れたもので、次々と馬防柵を引き抜いて道を開いた。彼らは二、三〇メートルの距離から投熊手でもって、工作を成功させたという。
  これで、山県隊に所属する金堀衆の出番は終わる。あとは騎馬隊が使えないので、足軽隊による突撃あるのみだった。ところが、足軽隊はことごとく倒れた。いや、落ちた。
「戦況はどうなっている?」
  帰還してきた金堀衆に、山県昌景が問う。
「なんとも……」
  どうも芳しくないようだが、実態はつかみかねていた。
  ――どうなっているというのだ。
  百戦錬磨の山県昌景が嫌な予感を胸に、首をかしげていた頃、第二番手が動いた。
  二番手、武田逍遙軒信廉。
  言わずと知れた信玄の弟である。かの川中島の戦いでは影武者を務めるなど、戦場では信玄の傍にいることが多かった。信廉は中央から馬防柵めがけて突撃を開始する。
  さらに三番手、小幡信貞。
  上野先方衆の筆頭ともいうべき小幡隊も、中央から信廉隊に続いた。そして、この小幡隊こそ【赤い稲妻】と称された飯富虎昌の赤備えを受け継いだ騎馬隊の秀逸である。が、自慢の騎馬隊は使えない。それでも信貞は徒歩による突撃を行っている。
  四番手は武田典厩信豊。
  信玄の弟で、川中島で戦死した信繁の子である。信豊隊も中央からの突撃である。
  いずれの突撃も、金堀衆を先頭に立てて連吾川を渡り、馬防柵を引き剥がした。しかしその後を、銃撃をかいくぐって突撃した兵たちは落ちた。馬防柵の全面に掘られた、竹槍の埋め込まれた空堀にである。これが信長の仕掛けた罠だった。見せかけの馬防柵に気を取られていたが、真の狙いは空堀と土塁にあった。貧弱な馬防柵は武田軍の矜持を煽るためのハリボテに過ぎない。敵を空堀に誘い込み、土塁に開けた銃眼から射撃する。
  この野城の真の狙いを覆い隠すため、信長は厳戒態勢を敷いて武田方の斥候を近寄らせなかったのだ。仮に、一人でも偵察に成功していたのなら、武田軍は別の作戦を採ったであろう。が、今となっては詮なきことである。

  悲劇はさらに続く。
  山県昌景の戦死である。
  信長の真の狙いを知らない昌景は、硝煙のために戦況が把握できず、みずから前線に出た。経験からいって、すでに三段ある馬防柵のうち一段目は突破していると予想した。
  しかし、実際は泥濘に足を取られ、金堀衆が退いているために空堀を越える術を持たない山県隊は次々と銃撃の餌食になっていた。したがって、昌景がすでに射程外と思って踏み込んでいた地帯は、まだまだ四秒射撃の真っ只中であった。
  銃声が木霊しているが、まさか自分が死地に踏み込んでいるとは思いもよらなかっただろう。ぼやっとした土塁の輪郭を確認したと同時に、山県昌景の身体を数発の弾丸が貫いていた。付き従っていた者たちも多くが倒れた。
  数多の死を見つめてきた男である。あっけないほどの己の死さえも、即座に悟った。だが、
  ――まだ、死ねぬ。
  土塁の向こう側にいる敵兵、空堀の中に突っ伏す味方の兵、昌景は最期に的確な指示を飛ばした。
「よいか、このこと本陣にお伝えいたせ」
  倒れた昌景の側に、無事だった数名が寄り添った。「このこと」とは土塁と空堀である。
「わしの身柄はあとでよい。どうせ、敵はあそこから出てこぬ。それよりも、金堀衆を……ぐふぉ」
  吐血が、口元を朱に染めた。
「……勝頼様に……いや…御屋形様に伝えよ。……不忠な昌景を許されよ…と…」
  先に逝くことをか。それとも、この合戦を諫めることのできなかったことをか。死に臨むまで武田家当主と認めてやれなかったことか。
  まだ動く指が泥をかいた。
(……おやか…たさ…ま……)
  その指からも、力が抜けた。
  山県昌景、戦死。
  それでも、風は無風だった。


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