「東海乾坤記」
作/天陽様



第六話 後背狂騒


  武田軍の奇襲部隊を率いる甘利信康と浦野幸久は長篠城まで後退したあと、まず北進して、御岳山や本宮山の麓を西南方に進み、足山田を経て南下した。高原地帯を抜けて宝川を越えれば、残りの道程は三分の一ほどである。
  両将の許を訪れた昌幸は、
「牛久保城の留守居は丸毛長照と福田真久にござる。二方の手勢でも十分に落とせる程度しか配置されておりませぬゆえ、あとは道中に気を遣ってくだされ」
  と、詳しい情報を渡していった。設楽原の野城の陣容は探れなくとも、その後方は探れている。このことだけでも、武田の偵察能力の高さと、信長の野城に対する厳戒態勢がうかがえる。
「仮に道中で敵と接触した場合、全滅覚悟で突破していただきたい」
  冷たくも、昌幸はそう言った。
  両将は当惑した。そこで突破したとしても、牛久保城を攻略することは難しくなるはずである。
「この作戦の主旨は牛久保城を落とすことではござらぬ。敵をあの野城から引っ張り出すことにござる」
  つまり、両将が全滅覚悟で野城後方を攪乱することで十分なのだ。昌幸にしても心苦しい。両将に死を強要していることと同義なのだから。
「あいわかった。勝頼様には御存念なくと伝えてくれい」
  と、甘利信康は答えた。答えたものの、その顔はどこか覚悟を決めていなかった。浦野幸久も同様である。
 ――何をぬかすか、若僧め。
  両将の心底はそんなところだ。昌幸は信玄に目をかけられていたし、高坂弾正にも期待されている。勝頼も側近として重用している節があるが、それだけである。昌幸にそこまで言われる筋合いなどない。
  昌幸は訝りながらも立ち去るしかなかった。せめて、勝頼みずからが、そうでなくとも山県昌景や馬場信房くらいが使者に立って欲しかったのだ。
  さて、奇襲部隊の道中だが、道は厳しかった。
  降雨の中、梅雨期によって緩んだ地盤の山中を行軍していく。想像以上に気を遣いながら、彼らはひたすら作手高原を抜けるために進んだ。山中に、土民たちの目があったことにも気づかずに……。
「甘利どの、直に山中も抜ける。敵がいるとすれば、そのあたりかと思うが……」
「喜兵衛は気に食わぬ。聞けば、牛久保奇襲の策を立案したのも喜兵衛という。我らを死地に赴かせるとは、何様のつもりじゃ」
  甘利信康は歴とした甲斐衆である。武田軍団の中核にある甲斐衆は、信濃や上野の先方衆と呼ばれるものたちに対して差別心がある。差別心といえば言葉は悪いが、武田譜代という誇りがある。信濃先方衆である昌幸を、何するものぞという気持ちが信康を反発せしめていた。ちなみに浦野幸久も信濃先方衆である。
「どうせ野城内で怯えておる敵よ。引っ張り出さなくとも、十分に勝てるわ」
  兵数差は二倍、それでも武田の面々に突撃して敗れるという危惧はない。敵の士気がめっぽう低いということは探り出されている。美濃からここまでの大木を担がされての行軍を、武田の斥候は追従し本陣に伝えている。また、信玄が若い頃に信濃で敗れて以来、武田軍団に敗戦という敗戦はない。常勝というおごりが、一様に蔓延していた。
  奇襲部隊の両将は、自分たちの使命を軽く見ていた。
  しかし、設楽原の本陣では彼らに懸けるものたちが多かった。勝頼、四名臣の三人、逍遙軒信廉、真田兄弟などである。武田家が常勝を誇っている理由を彼らは知っていた。つまり、敵を知ることである。
  敵の全貌を戦前にあばくことにより、勝てる戦にしか挑まない。信玄が徹底してきたのはそれだった。しかし、今もって野城の詳しい陣容が探りきれない。夜が明けると同時に、大決戦に突入するとは露とも知らない彼らは、牛久保奇襲が失敗したなら威力偵察を試みることで一致している。ひとあてしなければ探り出せない、斥候による偵察が不可能との結論に達していたのだ。

  同じ頃、酒井忠次に率いられた鳶ノ巣山奇襲部隊も、深く険しい山路に悩まされながら行軍していた。
  まず、本陣から南下する。野城の後方を移動するのだが、降雨の中を一切の火を消して、私語を禁じた。豊川は広瀬橋を使って渡り、豊川の支流の大入川に沿ってさらに南下する。小藤橋、常磐橋を使って大入川を経て吉川に至る。ここまでは平坦な道程であり、まったく楽な行軍であった。
  吉川から進路を東に採り、船着山の南麓を進む。そこには松山越えという難所が待ち受けていた。
「全員に、甲冑具足を脱がせよ。小さくまとめて背負わせるのだ。両手に物を持つことを禁ずる」
  と、忠次は厳命した。松山観音堂で休憩をとり、そこで松山越えに備えて準備させた。その間にも、案内人を先にやって道を造るように命じた。
  武田軍の奇襲部隊と違って、こちらは大所帯である。また、鉄砲も装備している。そして、信長直々の厳命である。鼻から覚悟が違っていた。
  松山峠。
  日の高い昼間でも難所である。月明かりもなく、漆黒の闇の中を、傾斜するどく、落ちれば幽谷の虎が口を開けて待っている。案内人が大綱を木の根に結びつけており、これを伝ってなんとか難所を越えた。脱誤者はいなかったという。
  峠を越えた奇襲部隊は菅沼山を経て、ごぼ椎山で最後の休憩をとる。
「甲冑具足をつけよ。鉄砲隊は火薬や火縄が雨で湿らぬよう配慮せよ」
  そして、食事を取るよう命じた。
「もし奇襲に失敗したなら、ひとまず菅沼山に集結するのだ」
  酒井忠次は退路についても、事細かに命じた。このあたりの配慮は三河衆旗頭たる実力であろうか、これで奇襲部隊も少しばかりの安堵を得た。
  また、激しく降り続いていた雨も、上がる気配を見せていた。
  夜が、明けていく。


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