「東海乾坤記」
作/天陽様



第二話 二重目的


 勝頼は長篠城の北にあたる医王寺山に本陣を構えて包囲したものの、攻撃命令は下さなかった。
 長篠城は二つの川の墨俣に築かれてあり、新たな城主として赴任してきた奥平信昌が曲輪を重ねて堅城に仕立て上げている。それでも、わずか五〇〇の守備兵が篭もっているだけである。さらに、このうち二〇〇は松平景忠の率いる目付なので、奥平麾下の兵との隙間もある。
 従軍している穴山信君や小山田信茂などが「なぜ攻撃しない」と息巻いたが、勝頼は一蹴した。と、言っても、彼ら御親類衆との関係上、あたりさわりない一蹴である。
 迎えた五月六日、武田軍は一部を長篠包囲に残して、南下をはじめた。
「此度の遠征の目的は二つ。一つは長篠城を攻略すること。もう一つは織田・徳川を野戦に引っ張り出して痛打を与えることだ。優先するのは後者である」
 と、勝頼は通達した。つまり、長篠城の攻撃などによって、岐阜の信長を三河へ導き、家康と連合したところを決戦におよぶことを第一の目的とし、それが成らなくても、最低限で長篠城は攻略しようという二重の目的を掲げたのだ。
 武田軍は、翌日には、家康が入城していた吉田城に攻撃を加えた。本格的なものではなく、あくまで挑発だ。そして、無防備に背を向けて、やってきた道を北上する。かつて、信玄が同じような手段で、度を越えて慎重な家康を城外へ引っ張り出そうとしたのだが、
「我々だけでは勝ち目はない。信長どのが来るまでひたすら篭城するのじゃ」
 城内の家康は三方ヶ原の教訓からか、一切の出撃論を退けた。「長篠城を見捨てるのか?」との問いに対しても、
「どうすることもできぬ」
 と、高天神城の時と同じく見捨てる腹を明らかにした。
 勝頼も、かたくなに小心者に徹する家康の胸中を悟ってか、早々に吉田城攻撃は一度に留めてふたたび長篠城を包囲した。
「攻囲の委細は穴山信君に任せる。各々、従うように」
 五月十一日、武田軍は長篠城攻撃を開始した。
 指揮を任せられた穴山信君は高天神城攻略でも指揮を執っている。母親は信玄の姉、妻は信玄の娘という武田家と二重の縁で結ばれた一門衆の筆頭にして、駿河江尻城主を務める家臣団の筆頭である。しかし、型通りの軍略はともかくとして、どちらかというと民政に長ずる才をもつ文官肌で、勝頼のやり方に不満を唱える一番手である。勝頼も、その辺の操縦を配慮してか、この義兄に華を持たそうと務めている。
 勝頼にとって、長篠城攻略など、どうでもいい仕事なのだ。義兄の穴山信君に最低限の目的を見させておき、自分は信長の動きだけに注目するつもりなのだ。
 信玄が存命の頃は浅井・朝倉という盟友がいた。将軍・足利義昭がいた。そして、摂津石山と伊勢長島に一向一揆がいた。今は石山以外の勢力は亡んでいる。それだけに、勝頼に課せられたものは信玄の比ではない。他をあてにすることなく、信長の勢力増長に歯止めをかけねばならない。そのための遠征である。わざわざ悪い時期を選んだのも、信長の腰を上げさせるための配慮である。
(出てこい、信長)
 灰色の空に向かう勝頼であった。

 その頃、岐阜の織田信長は即断して、三河吉田の家康の許へ使者を発していた。すなわち、みずから大軍を率いての武田軍との決戦を決めていたのだ。
「よいか、足軽たちに大木を担がせよ。途中、木を見つけても担がせよ」
 異例の命令だった。
 よく信長に諌言する丹羽長秀がたまりかねて、
「騎馬隊を止める木柵用であれば、現地で調達できまする。岐阜から担がせていっては、三河に入る頃にはへばって使い者にならないということもありえます。加えて、甲冑と大木を担いだ行軍では遅くなるは必至、後詰めが間に合わぬということも……」
 と、疑問をぶつけてみた。
 昨年の高天神城救援は失敗に終わっている。これは信長のほうに救う気がなかったとも考えられるが、今回また救援に失敗すれば徳川家との関係悪化もありうるし、長篠城の陥落は徳川家の存亡にも関わる。長秀はその点を指摘したのだ。が、信長は不気味な微笑みを浮かべ、
「だらだらした行軍となるなら、それでよい。脱落するものは捨て置け、昨年のように見捨てるつもりは毛頭ないゆえ、心配せずともよいわ」
 と、意図をつかみきれない説明をした。
「ふふふ……」
 機嫌の差が激しい信長にしては珍しく上機嫌に見えた。それもそのはずである。信玄の快進撃を為す術なく怯えていた時の教訓を生かし、対武田のための戦術を練りに練ってきたのだ。畿内の敵対勢力を駆逐していく中でも、武田軍を破るための策を練り上げ、実践するための準備を万全にしてきたのだ。あとは組み上げたパズルの集大成を見るばかりなのだ。
「五郎左」
 信長はうっとりと長秀に視線を向けてから、
「おもしろくなるぞ」
 と、やはり不気味な微笑みを浮かべるのであった。

 織田軍が岐阜を発ったのは五月十三日のことである。
 足軽の多くが肩に大木を担がされ、大量の縄も用意されていた。誰の目にも、無敵を誇る甲州騎馬軍団を怖れるがあまりの過剰な対応に見えた。甲冑だけでなく、大木を担がされた傭兵たちは次々と脱落していき、士気は著しく低下していくのだった。当然、長篠城を包囲する勝頼が放った間者に、この織田軍の状況は察知されることになる。
 いずれにせよ、織田軍が順調にいけば、勝頼の望んだとおり長篠城の後詰めに現れることはまちがいない。
 ここに、両軍決戦の幕があがった。



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