「東海乾坤記」
作/天陽様



第一話 諏訪四郎



 天は高く、山々が緑に映える。
 甲府盆地に《風林火山》の軍旗がひるがえっていた。躑躅ヶ崎館には《諏訪南宮上下大明神》の幟、その許を緋縅の鎧をまとった勝頼がゆっくりと進む。
 天正三年四月五日、快晴。
 勝頼は旗本衆を率いて甲府を出立、信州諏訪に入った。諏訪神社に詣で、戦勝を祈願した。
 諏訪は勝頼にとって故郷とも言える。母親は武田信玄に謀殺された大祝・諏訪頼重の娘であり、彼女は亡父の敵である信玄の子を産んだ。幼名を四郎という。信玄は四郎に諏訪家を継がせて諏訪勝頼を名乗らせ、信濃における信仰篤い諏訪神社を味方につけた。あるいは、そのために諏訪姫を娶り、子を成したのかもしれない。
(母上、これより戦地に赴きます。それがしの武運をお祈りくだされ)
 端から見れば、勝頼は信仰心篤く見えたが、この男は神頼みするほど甘い男ではない。諏訪神社に詣でたのは、家臣たち兵たちへの形式上のものである。
「出陣する」
 勝頼は長居無用とばかりに背を向けた。
「もうよろしいのですか?」
 側近の秋山光次が寄り添ってきた。
「委細はかねてのとおり、三河足助にて合流する。出陣じゃ!」
 光次が駆け去り、勝頼はゆっくり社の石段を下りていった。

 武田軍は信濃から南下してきた勝頼本隊と三河足助で合流し、二万七〇〇〇の大軍になった。武田家の主立った者のほとんどが参加する遠征先は三河長篠城、信玄の死没により離反し徳川家に付いた奥平貞能・信昌父子を征伐するためである。
 この出兵には半数近くの重臣が反対であった。特に御親族衆からだ。
一つの理由が時期である。あと一ヶ月も経てば梅雨期になる。その前に、田植えをせねばならないが、武田軍兵士のほとんどは農民兵で構成されており、戦が長引けば士気の下降や逃亡を生んでしまう。また、無理して長篠城を攻める必要もなかった。この時期、織田信長は石山本願寺との交戦が泥沼化し、各地の一向一揆に悩まされているが、浅井・朝倉を討っており落ち着いた状態にある。それでも、遠征に踏み切ったのは四人のうち三人の、宿老の賛成を得ていたからだ。
 各地から集まってきた四宿老を相手に勝頼は戦略を打ち明けている。四宿老、すなわち山県昌景・内藤昌豊・馬場信房・高坂弾正の武田四名臣と呼ばれる面々である。
 高坂弾正は諌止した。
「勝頼様、長篠城は寒狭川と大野川の合流地にそびえる堅城にござる。一ヶ月で攻略できぬとは申さぬが、ここ数年のうち当家は織田・徳川を刺激しており、本腰を入れて迎撃に出てくる可能性はなきにしもあらず」
「わしの天正来の出兵が無駄なものと申すか」
 昨年、勝頼は織田領の美濃明智城と徳川領の遠江高天神城を攻略して、信玄の遺志を継ぐ構えを見せている。
「そうではありませぬ。とにかく時期が悪い。織田の兵は専属足軽、これがどういうことかおわかりであろう」
「まあまあ、弾正どの。勝頼様とて馬鹿ではない、そのくらいのことは存じておる」
 と、馬場信房がちらっと勝頼をのぞき見た。
「左様、わざわざ我らだけを集めたのじゃ。何か含むところがおありのはず。そうですな、勝頼様」
 内藤昌豊の視線の先に凛とする勝頼が座っている。
「そのとおりじゃ。わしの戦略は、すなわち亡き御屋形様の悲願」
 ぴくりと眉を動かしたのは山県昌景だった。信玄が上洛を夢見て西上作戦を決行したのが三年前、あの時の無念は誰の胸にも残っている。
「では、ふたたび上洛作戦を行うつもりで?」
 勝頼は首を縦に振って、地図を指し示しながら答えた。
「昨年の高天神城の攻略により、三方ヶ原を越えた。織田への楔も打ち込めた。これは、わしの第一段階」
 これだけ言えば、四人は理解できた。信玄は病に敗れたとは言え、上洛に向けて、西へ西へ領土を広げていっている。勝頼も東海道に一つ一つ拠点を伸ばしていき、最終的に上洛を達成する戦略を描いていたのだ。農民兵が主体の武田軍は長期の遠征を行うことが不可能なので、信玄は少しずつ勢力図を西へ広げていたのだ。
「此度の長篠城攻めは、あくまで長篠城攻めに留めると」
「そうではない。長篠を攻め、敵を引っ張り出すのだ」
 高天神の時も、信長は援軍に駆けつけようとしていたが、勝頼が手早く陥とすとあっさり取りやめている。
「つまり、三方ヶ原を再現すると」
 山県・内藤・馬場の三名は得心し、信玄に勝ると劣らない軍略の才を再認識した。が、高坂弾正は、勝頼の戦略が信玄のそれを模倣していることに危機感を覚えた。
「亡き御屋形様は稲刈りを終えてから出兵なされた。されど、此度は田植え前にござる。なにゆえ、この時期か納得できぬ」
 すると勝頼は二通の書状を取り出して見せた。
「それは、佐久間信盛・滝川一益より届けられたもの。いずれも当家への内応を願い出ておる」
 一読した弾正は怪訝な顔をした。大事な情報が自分に伝わってないことにも腹を立てたが、それ以上に書状が怪しかった。
「佐久間・滝川と言えば、一手を預かる大物ではござらぬか。かような書状は信じられませぬぞ」
「すべて信じているわけではないが、真実かもしれぬ。そうであったならば、出兵せねば損することになる。仮に偽りだったとしても、当家は両人の内応をあてにせぬ戦い方をすればよい。この書状とて、使い方次第では長篠城を攻略できるしな」
「織田が当家を誘っているとは考えられませぬか?」
 弾正はあくまで訝った。しかし、もう勝頼が口を開く必要はなかった。
「高坂殿、それはあまりに弱気な発言でござろう」
「我ら一度たりとも亡き御屋形様の無念を忘れてはおらぬ。勝頼様がかように遺志を継ごうとしておる以上、これに従うが我らの務めではあるまいか」
 山県・馬場が反論し、内藤昌豊もうなずいている。
 結果は勝頼の満足いくものとなったが、真に満足いくのは遠征が成功してからであろう。信玄の死から三年たっても、未だ家臣たちは「勝頼様」と呼び、「御屋形様」とは呼ばない。これは勝頼が家督を継いだものの、正式な当主でないからだ。
 信玄の嫡男・義信は謀叛の容疑をかけられ自害、二男は盲目、三男は早世、こうした経緯でめぐってきた家督相続であり、今は陣代という立場でしかない。理由は、諏訪勝頼であるからだ。
 この遠征を成功させ、前年の分と併せれば、信玄の遺志を継ぐ武田の当主として迎えられるはずだ。現に、山県昌景らはそれを匂わせている。

 四月二十一日、武田軍は長篠城を囲んだ。
 天下への道を開くためではなく、「武田勝頼」になるために。
 遠くの空で、雷が一閃した。



前のページに 戻る
第二話
「二重目的」

進む