「猫天地伝」
作/こたつむり


【第1部】


〈1章〉1p

  園珪(えんけい)親子は、山あいの寒村をさらにはずれたさみしい森の中でその少年に出会った。
  園珪の娘、園慕(えんぼ)は九歳。少年二柳毛(にりゅうもう)は十歳だった。
  園珪は昔は軍医だったが、祖国を長く襲来した異民族の王朝が、そのはじめの頃は多く抱えていた軍人達をやがて経済事情から待遇を落としたため、軍医だった彼も同時に御用済みの憂き目をみた。
  園珪は物騒な各地域を流浪した。軍人や兵士の反乱、それにつれての治安の悪化、そうした中をおとずれては、病人の治療にあたり、かろうじて生計も成り立っていた。
  園珪の妻にして園慕の母はすでに亡く、父娘は互いに助けあいつつ日をおくってきたが、娘のためには、いつまでも流浪の日々をおくっているわけにもいかない。旅をしながら安住の地を求めあぐねる内、ついに南に国境を越え、この村をおとずれたのである。
  村は荒れ果ててはいなかった。園珪は平和な土地にも訪れたことはあったが、それでもわが娘以外に、ちまたを子供が一人で出歩くのをめったに見た事がなかった。
  さらに少年、二柳毛の服装や作業に、奇異をおぼえて足を止めずにはいられなかった。
  二柳毛はこの寒い時期に夏の衣類をまとい、木立の細い枝を見付けては小刀をあてて黙々とそれを切りとっていたからである。
  斧ではなく小刀である。竈の火にでもくべる薪を求めるにしては、ずいぶんと不便な道具と言えるだろう。また少年の身なりの貧しさにひきくらべると、何ともつくりの見事な小刀であったのだ。そのチグハグさに園珪は首を傾げた。
  細い幾本もの渓流に囲まれ、足をふみだすごとに底冷えが近付く。少年に声をかけ、一通りの会話を果すいとまにじれるぐらい、答えに開く少年のくちびるは紫色にふるえて正視に耐えない。
  いっそ、この場でパタリと倒れてくれれば手の施しようもあるのに、と思うころ、
「お父様。この人のお家までおくってあげましょうよ」
  幼い園慕が申し出たので、三人はそろって、ひとまず少年の家に向かった。
  渓流から半里ほど歩くと、ようやく湿気から離れた。園珪の胸をしめつけてきた旅の荒涼とした気分もようやくほどけてきた。
  が、質素を通り越して、廃屋に近い村はずれの一軒家に到着すると、またしても首を傾げた。
  覆い被さる木々に埋もれて、その奥の大きさはわかりづらかったが、中に入れば入るほど奥行きがあり、元は広い敷地に立てられた大きな屋敷の一部のように思えた。
  少年はある部屋の入口に入ると、そこにたてかけてある斧らしき一物を指さして、
「これが先ほどお話しした柄の壊れた斧です。これがこうなってしまったので、この小刀を使ってました」
  そう説明した。
  廃屋同然とはいえ人家の中である。早く荷をおろしたかったが、少年が朽ちた斧の説明を終えるまで、園珪たちは待たねばならなかった。少年は、見ず知らずの旅人に、いかにも非効率的な薪集めを見咎められた後味の悪さが隠せないようだった。その言い訳がましさの中に、園珪は、いじらしさと同時にほとばしるような知性を感じた。
  外部から訪れた者に体裁をとりつくろって見せるという気概を、園珪は流浪の生活の中で初めて見た。見た目には他の村人と大きな違いは無かったが、筋目を確認しながら話そうとする少年のきまじめな口調には、他では見ない品の良さが匂いたっていた。
 園珪は、君が言うとおり、刃こぼれの方はお宅の研ぎ石で処理するとして、問題の折れてしまった持ち手の方は、自分が使っているこの杖をとりつけて代用してはどうだろう、と薦め、刃と杖をくくりつけるに足る丈夫な紐まで荷からとりだし、さらに旅の途中であがなった衣類も遠慮がちに差し出した。
  二柳毛は目を見開いて感動し、ぜひここに泊まってほしいと嘆願した。園珪は娘のためにもよろこんで応じ、様々な品は、少年の資質と一夜の宿代に免じて失ってやろうと思いきわめた。
  道々うけた二柳毛のていねいな自己紹介から、園珪には早くも、少年の母の状態が案じられた。病に臥せっているという。二柳毛が見ず知らずの自分たちをいかにも無防備なこの屋に案内したのも、はじめに医者と名乗ったことに故あろう。
  果して二柳毛はオズオズと奥の寝台にまねきいれ、母親を紹介するにいたったが、暗がりに灯された燭台にその面をさらした病人に、園珪はおどろき、名乗りの声をふるわせた。
  美しい。
  彼女の青筋までうきたつ白い指先には、少年の品の良さがしみじみ納得できる高貴のしぐさが病にもおとろえずに息づいている。
  果して、二柳毛の母、柳女(りゅうじょ)は、病にやつれた身を起こし、自分は遠い北国の貴族の娘であった、と語りはじめたのである。柳女の幼い頃、軍人達の不満が原因で起こった反乱があり、巻き込まれた両親とは生き別れてしまった。その後、自身も暴徒に連れ去られるところを家臣に助け出されたのだった。
  この家臣によって、園珪と同じく南に国境を越えてこの地に落ちて来たが、日を過ごす内にこの家臣の妻となり二柳毛を生んだ。しかしこの夫には先に妻がおり、この正妻に厭まれてこの家に隠れ住む事となった。唯一頼りのこの夫も先年に他界し、ゆえに今もなお人目を憚りながら、国からもちだしてきた貴重な品を生活の糧に変えつつ心もとなくすごしている。
  園珪は二柳毛の持っていたあの小刀の見事な細工を思い出した。
  恐らく、あれもそうした貴重な品の一つだったのだろう。それが今となっては、小枝を一本切るのにも不便な一介の道具と成り果てていたのだ。
  柳女は息も切れ切れに話し終えると、
「もはやこの身は明日に果てようと、今日まで生きながらえた幸福をおもえば悔いはございませんが、一人息子の行く末を案じるがゆえに、この世を去るに去れません。どうか、旅をなさってこられたご経験から、何か良いお知恵をお貸し願えませんでしょうか」
  我身の治療などより、よほどにおすがりしたいことであると、柳女は細い肩をふるわせて哀願した。
「死ばかり考えては、それだけで病を重くする。が、気になって仕方のない事を無理やり向こうの隅においやるのも、なかなか出来ない事でしょう」
  そう言って園珪は、柳女の身体にかぶせられた粗末な着物の上から、やさしく彼女の肩をたたいて、
「私と結婚しませんか」
  思いもかけぬこの提案に、柳女は我が耳を疑うように目を見開いたが、園珪は重ねて柳女の肩をおさえ、
「あなたたちさえ承知してくれるなら、私が息子さんの父親となり、万が一あなたが息をひきとったあとも、この家にとどまって息子さんに医術を教え、行く末が成り立つようにしてあげましょう。息子さんがそうなれば、この家が人目を遠ざける必要もこれからは無くなるでしょう」
「そんなことをして、あなたがた父娘の為になるでしょうか」
  柳女は、園珪と園慕の顔を交互に見ながらそう聞いた。園珪はうなずきながら幼い園慕のお下げ髪に手をまわせてなでてやり、
「この子には母親がいないし、助けあえる兄弟もいない。私には妻がいないし、せっかく学んできた医術を伝える跡取りもいない。この子は女なので嫁げば嫁いだ先の事情によって、親から受け継いだものでも持続しにくいかもしれません。その上、私たち父娘は、頼れるのは医術のみで、一度故郷を捨てた経緯から親類縁者を頼る道筋を失い、安定して暮らしてゆける家というものを持っていません」
「あなたと私が結婚すれば、あなたがたは母と兄弟と、妻と跡取りとこの家のすべてが手に入るというわけですね」
「その通りです」
「そして私たちにとっても……」
  柳女はそう言いかけて、視線を園珪たちから、自分を挟んで反対がわに座っている息子、二柳毛にうつした。
  二柳毛は懇願でもするように、病身の母の手をその着物の中からさがしあて、小さな両手でにぎるのだった。
  突然やってきた放浪の医者と、毎日を横たわりがちの我が母の結婚が、どういうものなのかは二柳毛にもすぐさま想像できなかった。二柳毛にはただ、母の命をつなぎとめ得るのは医術の持主だけであり、しかもその好意を受けるか受けないかが、患者である母の判断ひとつに委ねられている、といった切羽詰まった思いのみがあった。

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