「美濃から来た童」
作/久住様



十六、山田新右衛門


「岡部様・・・これはいったい」
 のどから絞り出すような声をようやく発した上野介を無視するかのような態度で、元信は冷ややかに話し始めた。
「武田上野介、おぬし、城代であることを利用してさまざまにまいないを受け、財を蓄えておるそうな」
「そんな、滅相もございません」
「すでに調べはついておる。幸い、お屋形様のお耳には達しておらぬ。まだ城代を続けたいのなら、金五百両をすぐに持ってまいれ」
「いきなり何をおっしゃるのです」
「おぬしを斬ってから捜してもかまわんのだぞ。どちらを望むのだ」
「し、しばしお待ちあれ」
 元信が刀の柄に手をかけるまでもなく、上野介は、ばたばたと耳ざわりな音を立てて飛び出して行った。
 これで、松平元康に上野介の金が回ることはなかろう。
 盗むにせよ、今の元信のようにおどし取るにせよ、表ざたにできない金を岡崎で手に入れたければ、武田上野介を狙うのが、最も早道だ。ただでさえ戦費の調達に苦慮しているであろう松平元康ならば、当然気が付いているに違いない。元康が岡崎に戻ってくる前に、岡崎で不正な蓄財をしている武士たちから金銭を奪い取るのが、まいないの横行する岡崎での、元信の最初の仕事になる。上野介がおとなしく金子を差し出したという噂が広まれば、あとの小者はおどすまでもないだろう。
 それにしても、こんな夜盗のようなまねまでせねばならぬとは。元信はふっとため息をついた。ただでさえ、大軍の集結する準備には手間がかかる。新右衛門ならば、苦もなくやってのける準備であろうが、今の新右衛門には別の役目が待っている。
 何かの気配がした。
「半蔵」
 元信は、いつのまにか部屋の隅に控えていた影に言った。
「岡崎で得た金子は、すべて織田の重臣どもにばらまく。手はずを調えておけ」
「見返りは」
「今川についた証として、誓紙を出してもらう」
「柴田勝家と丹羽長秀は、誓紙を書きますまい」
「うむ。その者たちには働きかけずともよい。善照寺砦の佐久間信盛も外せ。わしが直接働きかける」
「承知いたしました。鳴海城にてお待ちします」
「ああ、頼んだぞ。それと、ついでだが、いかほどであった」
「予想外に多く、六百両ほどございました。調べが行き届かず面目ございませぬ」
「おぬしが恥じることはない。恥を知るべき者は他におる」
 遠くから、耳ざわりなばたばたという足音が聞こえてきた。
「では、これにて」
「よろしく頼む」
 影がいつのまにかいなくなると、上野介が息せき切って入ってきた。
「申し訳ございませぬ、金が、金が盗まれました。隠したわけではございませぬ。本当にないのです。ど、どうすれば・・・」
「おお、これは申し遅れた。金子はすでに受け取ってある。案ずることはない」
 状況を飲み込めず、まだおろおろしている上野介にうんざりしながら、元信は続けた。
「今後、おぬしの金を狙う者がいれば、おぬしと同罪とみなすゆえ、そのような動きがあれば、逐一わしに知らせよ。よいな」
「つ、つまり」
「おぬしは今まで通り岡崎城代のままでよい。だが、なにもかもわしの下知に従え。わしをあざむこうなどと思うなよ」
「ははあっ」
 大仰に平伏する上野介を見て、元信は急にこの部屋の空気を吸いたくなくなった。
「夜分に騒がせた。これにて御免」
 平伏したままの上野介を残し、元信は部屋を出て屋敷の外に進んでいった。
 おぼろ月が雲を照らしている。淡い光のかげに目をやりながら、元信はとりとめもなく考えていた。
 金で転ぶ者はすでに転んでいる。金を渡すのも、誓紙を書かせるのも、確認以上の意味はない。転ばない少数の者たちも、あるじと共に死ねれば本望だろう。
 お屋形様は暗殺を好まぬ。お屋形様の正義を通さねば、このいくさ、勝ったことにならぬ。
 それゆえ。
 信長には、いくさ場で死んでもらう。

 深夜にもかかわらず、岡崎城の城門は開かれ、こうこうとかがり火が焚かれていた。
 山田新右衛門は居住まいを正して本丸で待っていた。
「待たせたな、新右衛門」
「岡部様。出迎えもせず、無礼をいたしました」
 元信はすでに甲冑を脱ぎ、くつろいだ服装になっている。
「いきなり武装した兵と共に乗り込んできたわしの方が、よほど無礼であろうよ。兵たちを休ませてもらい、かたじけない」
「用意はしておりましたので。よもや今夜いらっしゃるとは思いませなんだが」
「すでにいくさが始まっておるのでな。兵たちの気をひきしめる意味もある」
「では、大高城の救援に向かわれるのですか」
「いや、わしは鳴海城に入る。大高城に兵糧を入れるのは、岡崎勢の役目になろう」
「そのために岡崎へ」
「さまざまに手配りをせねばならぬ。まずは新右衛門、おぬしのことから始めよう」
「とおっしゃいますと」
「わしはここに兵三千を率いてきた。その中からおぬしの目で五百を選び、おぬしの手勢と共に駿府に向かってくれ」
「何をすればよろしいのですか」
「本陣を守ってもらいたい。お屋形様の策により、こたびのいくさ、本陣が勝敗の分かれ目になる」
「お教え下さい。いかなる策でしょうか」
「お屋形様のお考えはこうだ。
 織田方は信秀死後の内部分裂がようやく収まったばかりで、統制が取れておらず、重臣たちの大半はいざとなれば今川につこうと考えている。信長もその雰囲気を知っている以上、籠城策は取らない。
 その場合、織田に勝ち目があるとすれば、本陣を奇襲し、お屋形様の首を上げる以外にはない」
「確かに、後詰めがない以上、籠城しても勝ち目はないことは、誰の目にも明らかですな」
「そこをお屋形様は逆手に取ろうとお考えなのだ。手ごわい美濃勢とのいくさに備えて、できるだけ兵の損耗を抑え、なお時間をかけずに織田を滅ぼす策を」
「そのような策があるのですか」
「お屋形様自身が囮になり、信長の主力をわが本陣に向かわせる。信長が本陣を攻めあぐねている間に、織田方の各砦を攻撃していた部隊が反転し、信長の主力を包み込んで討ち取る、という筋書きだ」
「そのようにうまくいくのでしょうか。万が一にも本陣を崩されたら」
「そこでおぬしも関わってくる。まず、お屋形様はみはらしのよい高地に三段の陣をおしきになる。前陣には、新たに編成した鉄砲足軽二百を含む兵二千、中陣には充分に訓練を積んだ鉄砲足軽三百を含む兵千、後陣にはお屋形様と共に兵二千。前陣,中陣の鉄砲隊が、各隊の反転する時間を稼ぎ、うまくいけば信長の主力を崩す役目をする。もちろん、そのようにうまくいくとは限らぬ。ここでおぬしの出番だ。おぬしは本陣のふもとで待機し、本陣に攻め寄せてくる敵の背後に回り込み、はさみうちにするのだ。いかに窮鼠となった軍でも、前後からはさまれれば、かならず潰れる」
「よく練られた策のようですが、お屋形様を囮にするというのは不安でもあります」
「わしもそう思う。いくさには勢いがあるのでな。敵に勢いがつくと、何が起こるかわからぬ。そこで、おぬしにしてもらいたいのだが、鉄砲隊の組頭に命じ、新編の鉄砲足軽二百を徹底的に鍛えさせてくれ。本陣だけでも信長を討ち取れるようにしておけば、この策はうまくいくであろう」
「して、出陣はいつごろに」
「あと二月は欲しいが、それまで大高城がもちこたえられぬ。一月後、五月初旬には出陣できるよう、準備を整えてくれ」
「時間がございませんが、やってみましょう」
「おぬしが信長の首を上げられるかどうかに、この策の成否がかかっておる。ぬかりのないようにな」
「かしこまりました」

(十六、山田新右衛門 了)



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