「美濃から来た童」
作/久住様



十一.大高城


「夜討ちではないのですか」千秋四郎はあきれたように声を上げた。
「穴を掘ってくるのだ」玄蕃は子どものような笑顔で命じた。
「幅は、ひじから手首まで、深さは、ひざからかかとまでを目安とし、大高城に通じる広い道の全てを、夜陰にまぎれて穴だらけにせよ。ここ十日ほどは、夜を徹して穴を掘り、夜明け前に戻り、朝から床につく日々になるゆえ、心しておくように。また、もし敵に出くわしたら、たいまつを捨ててすぐに逃げるように。よいな」
「百人がかりで穴を掘ってどうなるというのです」四郎は、まだ冗談にしか思えないという顔をしている。
「口で説明しても、おのが目で見るまでは、わからぬであろう。一言だけ言っておくが、この砦を守る要の大事であるから、ゆめおろそかにせぬよう、心がけよ」
「かしこまりました」四郎は狐につままれたような面持ちを残したまま、今夜の手配のため、退出した。
 工夫というものは、どんな状況ででもできるものなのだな。玄蕃は、昨夜のことを思い浮かべていた。思いついた策のあまりの単純さに、大学と腹を抱えて笑ったことを。
 大高城への敵の荷駄は、十日おきにやってくる。敵の荷駄が城に入ったことは、昼間確認できた。これから十日間が、今後のいくさの鍵を握ることになる。後は大高城の敵将がどのような判断を下すかだが。
「飯尾近江守様から御使者が参っております」
「ほう。お目にかかろう」
 殿の側近がこの捨て砦に何の用であろう。殿からの新たな命でも下ったのであろうか。
 使者は入ってくるなり、言った。
「わが主、殿の命により、兵二百を率い、明日鷲津砦到着の予定」
「援兵とは」
 殿も思い切ったことをなされる。兵二百を新たに無駄死にさせてでも、大高城の封鎖を徹底せよということか。新たな二百の兵には気の毒ではあるが、これで砦の兵の士気も上がる。敵の大軍が来るまで、思うようないくさができそうだ。
「かたじけない。近江守様にお伝え下され。玄蕃が随喜の涙を流しておったと」
 大げさな、と使者は思ったが、玄蕃は心中を素直に述べていた。

「御城代、敵の動きが妙です」
「妙とは何だ。はっきりと言え」
 今川方の大高城城代、鵜殿長照は、ここ数日、神経質になっていた。
 織田方の鷲津・丸根の両砦は、空堀を深くし、やぐらを増やし、さながら野城の感がある。清洲から砦への増援もあり、今川の大軍が動く前に、この大高城を落とそうとするのではないか、そう鵜殿が考えるのも無理はなかった。今川の大軍が動く前に前進拠点を叩く、それがこの数年の間、信長が今川と戦う上での戦術だった。
「敵が夜な夜な、この城へ通じる道に穴を掘っているとの報告が参っております」
「穴とは、どれほどのものだ」
「地面を引っかいた程度の深さで、子どもでも通れる穴です。馬も人も通行に支障ございませぬ」
「何のための穴だ。これといって邪魔になりそうにないが」
「われらを城からおびき出そうとしておるのではありますまいか」
 なるほど、城から出てきたところを伏兵で叩く策か。それなら考えられる。しかし、それだけだろうか。
「今夜も敵が穴掘りをするようなら、一当てしてみよ。だが、深追いはするな」
「は」
 せっかくの勝ちいくさの前に兵を失ない、御館様の御不興を被るわけにはいかぬ。慎重の上にも慎重を心がけねば。
 慎重さを買われて大高城の城代を命ぜられた鵜殿である。あと四,五ヵ月持ちこたえれば、準備の整った味方の大軍が尾張に殺到し、両砦はおろか、清洲城をも飲み込むというのに、自分一人だけ負けいくさの汚名を着たのでは、面目が立たなくなる。
 敵の意図がわからなければ、城にこもっておればよい。
 結局はその結論に落ち着くのが、鵜殿という人物であった。

 闇夜の渡河など、今夜で終わりにしたいものだ。
 穴掘りもこれで五日目。そろそろ大高城でも警戒しはじめるだろう。
 月は雲に隠れている。暗闇の中、たいまつの明かりを頼りに、四郎は今川方には知られていない渡河点の一つを渡っていた。率いる人数は百五十名。玄蕃様の人選だが、いずれ劣らぬ剛の者たちであるのは、彼らに気の毒だった。確かに腕力には問題のない者たちばかりだが、この者たちに穴掘りなどをさせるなど、もってのほかではないか。その不満を出発前に玄蕃にぶつけると、玄蕃はつまらなそうに言った。
「この砦を守る要の大事であると、言わなかったか?」
「うかがっております。ですが」
「おのが目で見るまでは、わからぬであろう。同じことを何度も言わせるな」
「ですが、この者たちに穴掘りをさせるなど」
「先のことも考えての人選だが、その話は穴掘りの結果をみてからだ。おぬしの将としての器量を計る意味もあるのでな。川向こうは今夜で掘り終えるのか」
「はい。明晩からは砦のそばの道になります」
「今夜はもちろんだが、明日からも油断するな」
「心得ております」
 川を渡り終えた四郎は、昼間に用意しておいたかがり火に火をつけると振りかえり、配下の者たちが川を渡る様子を見た。
 配下の者たちは十人ずつ十五組に分かれている。十人は一本の長い縄を手に持ち、先頭と最後尾が縄の端を持ってたいまつを掲げている。縄は、はぐれぬ用心だが、はぐれたとしても、勝手知ったる土地ゆえ、川まで戻り、川沿いに渡河点の目印のかがり火を探すもよし、安全なところで夜明けを待つもよし、問題はないのだが、はぐれないに越したことはない。全員が川を渡り終えたのを確認して、四郎は川沿いに大高城の方へ進んでいった。かがり火の番をする者を一人残して、十五組、三十本のたいまつが後に続く。やがて、石で組んだ目印を見つけた四郎は、その目印の示す方向へ向きを変え、さらに進んでいった。
 見えた。
 一群の穴を見つけた四郎は立ち止まって振りかえり、たいまつを高く掲げ、左右にゆっくり三度振った。十五組のたいまつが左右に広がっていき、止まった。穴を掘る忙しい音が聞こえてきた。掘り終えた組から、徐々に遠ざかっていく。
 さて、おとなしく寝ていてくれるであろうか。
 四郎は大高城の方向を振り返った。ただ、何もない闇を、四郎はしばらく見つめていた。すると、突然おびただしいたいまつの火が湧き出てきた。いよいよきたか。もう少しの間寝ていてくれればいいものを。虫のよいことを考えながら、四郎はたいまつを高く掲げた。三十本のたいまつが上下に動くのを見て、四郎はたいまつをすばやく二度振った。三十本のたいまつが、ばらばらに宙を舞い、消えた。自分もたいまつを投げ捨て、四郎は川に向かった。あとは各組それぞれに川を渡り、渡河点で集合する。渡河点に敵がいるようなら、各組が直接砦を目指す。そのような手はずになっている。先頭と最後尾にはなるべく夜目のきく者を選んである。迷う心配はないだろう。それにしても、もう少しで予定通り終わったのだが。
 しばらくして敵のたいまつの火が止まった。先ほどまで穴を掘っていた場所を見つけたようだ。やがてひとかたまりのまま、川とは別の方向へ進んでいった。分かれて探せば見つかるかもしれぬに、愚かなことだ。あるいは川に向かおうとして、方角を間違えたか。川沿いに進みながら、四郎は遠ざかるたいまつの群れを見ていた。
 明日もこの川を渡るのだな。待ち伏せを避けるには、もうかがり火は用意できまい。
 明日は川沿いの警戒が厳重になるだろう。明日の思案をしている間に、渡河点のかがり火が見えてきた。敵の気配はまったくない。
 川を渡ると、全組がすでに川を渡り終えていた。はぐれた者がいないことを確認して、向こう岸のかがり火を片付けにかかったころ。
「無用心だな」
 聞きおぼえのある声がした。
「これは、隼人正様。突然ですな。小豆坂の豪傑が穴掘りですか」
 丸根砦からも穴掘り部隊が出ているという話は聞いていたが、まさか佐々隼人正が率いているとは。
「昔の話はよい。わしが相手であれば、おぬしはとうに首を取られておる」
 確かに、たいまつが見えないことで油断していたのは事実だった。
「たいまつはお使いにならないのですか」
「夜目のきく者がおれば、縄を使うだけで充分であろう。わざわざ敵に場所を知らせるようなまねをするとは、考えが浅いぞ」
「恐れ入りました」
「今後は気を付けるのだな。いくさ場では、どんなに考え尽くしても、これでいい、ということはない」
「肝に銘じておきます」
「おぬしらが掘り残した分は掘っておいた。敵はおぬしよりもさらに考えが浅いとみえる」
「かたじけのうございます」
 隼人正は四郎に答えず、右手を高く上げ、前に振り下ろした。
 闇の中から人の群れが湧き出てきた。

(十一、大高城 了)



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