「美濃から来た童」
作/久住様



十.織田玄蕃・佐久間大学


 鷲津砦の守将、織田玄蕃は急いでいた。急なお召しである。しかも大学とそろって登城せよということは、入念に打合せをしておかねばならぬ。ようやく身支度を整えたころ。
「佐久間大学様が御見えになりました」
「すぐに通せ」
 大学に先を越されたか、相変わらず、機を見るに敏な男。
 丸根砦の守将、佐久間大学はゆったりとした雰囲気を漂わせて歩いてきた。まるでおのれの機敏さを隠すかのように。
「こちらから丸根に出向こうとしていたのだが、先を越されたな」
「何をおっしゃる。この雨の中を山登りさせたとあっては、心苦しゅうござる」
「いや、心苦しいのはわしの方よ。ご苦労をかけた。雨でさえなければ馬を使えるのだが」
 雨音はいよいよ激しさを増している。先夜から降り続く雨は、昼過ぎになっても一向に止む気配がなかった。
「明朝登城ということは、あまり時がございませぬな」
 大学は、気を遣っている玄蕃の気分を変えるように、話を切り出した。
「うむ、今夜の内に清洲に着かねばならぬが、この雨では」
 清洲までは普通に行って半日の距離。雨中ではさらに時間がかかる。
「そうかといって、おぬしと話し合いもせずに清洲に向かっては、殿のお話がわからなくなる」
 玄蕃は腕を組んだ。玄蕃も大学も、印地打ち(石合戦)のころから信長の指図の仕方は知っている。特に今は尋常の策では勝ち目のないとき。いかなる策を出されてもよいように状況を検討しておかねばならない。
「鷲津と丸根に鉄砲上手の者どもが参りましたが、いかがお考えですか」
 大学は考え込んでいる玄蕃に向かって問いかけた。
「籠城はないということであろうか」
「なぜそう思われます」
「わが勢の鉄砲は二百というところであろう。それを清洲から遠い鷲津・丸根・中島の各砦に五十ずつ配するは、清洲ではなく、今川との境のこの地で迎え撃つ構えなのではないか。これらの砦の兵たちもこの二年ほどの数々のいくさを戦い抜いてきたつわものが多い」
「われらが砦は大高城への抑えの役しか果たせませぬ。籠城にせよ、野戦にせよ、守るならわれらの砦を捨て、丹下・善照寺の砦を固めるのがまっとうな考えではございませぬか」
「まっとうな考えでは勝ち目がないのであろう」
「ではいかなる考えがあると」
「それはわからぬ」
 玄蕃はまた考え込み、しばらくして言った。
「だが、殿は決してあきらめぬ御方。あきらめぬ代わりに引くべきときにはすぐ引く。殿が引かぬということは、何かの策があるのであろう」
 大学も信長の性質はよく知っている。しきりにうなずいていたが、やがてぽつりとつぶやいた。
「この地で決戦を挑むということであれば、いずれにせよ、われら両名は討ち死にでしょうな」
「うむ。数多の部下を殺して、将がおめおめと逃げ帰るというのは、わしの性に合わん。それに、大敵を前にして、大いくさの先陣をつとめるとは、名誉なことではないか」
「だが、ただ討ち死にでは面白くありますまい」
「それはそうだが、何か考えがあるのか」
「できることなら、敵に一矢馳走したいと思いましてな。ですが、そろそろ出立せねばなりますまい」
「お、これは気付かなんだ」
「話の続きは今夜致しましょう」
「では、苦労をかけた代わりとして、今夜はわが屋敷でもてなさせてくれ」
「これは、お心遣い、いたみいります。ところで、砦の留守はどなたに」
「四郎に任せる。よく気の付く者ゆえ、安心じゃ」
「それがしは、隼人正に任せてまいりました。では、参りましょう」

 明朝、雨はすっかりと上がり、気持ちのよい春の陽が射し込んでいた。
 両名を迎えた信長はいつにもまして不機嫌そうな様子だった。
 不機嫌さを隠そうとする態度がさらに不機嫌さをあおっているようにもみえる。
 これはめずらしい。迷っておられるのか。
 信長とは長い付き合いの玄蕃だが、はじめてみる信長の様子に不思議をおぼえた。
「御深慮、有難きことなれど、御気遣いは御無用に願います」
 大学がよどみなく言ってのけた。
 また、先を越された。玄蕃は大学の機敏さに舌を巻いた。
 言われた信長は一瞬、はっとした表情を浮かべたが、すぐにいつもの様子に戻った。
 ああ、これでこそ殿よ。玄蕃はほっとして言った。
「死ねと仰せであれば、死にまする。いかようにもお申し付け下され」
「すまぬ」信長はいったん言葉を切り、やがて続けた。
「おぬしらには死んでもらう」
「先陣を承るはこの上なき誉れ」大学が落ち着いた口調で答えた。
「おぬしらを喪いとうはないが、なかなかに難しき役なれば、他に安心して任せられる者がおらぬ」
 言い終わって、信長は苦虫を噛み潰したような顔をした。
 寝返りの心配などいらぬ者たちから殺していかねばならぬのか。そう考えると、不機嫌さがまた戻ってくる。
「何をすればよいか、御教え願いとうござる」玄蕃には、その不機嫌さがなぜか温かく感じられた。

「あのあたりです」大学が方向を示した。
 清洲からの帰途、二人は砦へ向かう西の海沿いの道ではなく、鎌倉街道を通って大きく東へ回り道をし、山の中に入っている。
「なるほど、これなら兵を伏せるにちょうどよい」
 あたりはうっそうと木が生い茂り、外からでは様子をうかがい知ることができない。
「今川義元が大高城に向かうとすれば、おそらくあの道を通ります」
「すると、真後ろから襲いかかることができるのか」
「こちらの目算通りに行けばですが。そうは都合よくいきますまい」
 あくまでも慎重な大学の様子を見て、玄蕃はなにやら可笑しくなってきた。
「ああ、これは上物の六文銭をいただいた。安心して三途の川を渡れようぞ」
 玄蕃のおどけた様子にも、大学は態度を崩さない。
「お喜びいただけましたか。考えた甲斐がございます」
「ここに伏せておける兵はいかほどであろうな」
「多くても二三百ほどでしょう」
「砦の守兵は合わせて千余り。選りすぐりの三百をここに伏せておこうではないか」
「敵の総攻撃前に鉄砲隊を中島砦まで引かせるとの仰せでしたが」
「われらが砦に敵をできるだけ多く引きつけよとの仰せでもあった」
 人数を減らしたことで、あまり簡単に砦が落ちては何にもならない。
 玄蕃は腕を組み、考えていたが、やがて口を開いた。
「城を作ろう」
「なんと」
「敵の大軍を迎え撃てる備えをしておけば、小勢と敵に知れることもあるまい」
「妙案ですな。工夫してみます。備えだけ固くしても、大高城封鎖に支障があってはまずいとは、難題ですが」
「それそれ、大高城封鎖も頭の痛いところよ。さ来月、五月の初めごろに城の兵糧が底をつくよう加減せよとは」
「商人上がりで算術のできる者がおりますので、計算させてみましょう」
「それにしても、兵糧攻めで城を落とすならともかく、敵の大軍が動いたのを確認した後には、封鎖を解き、城に兵糧を入れさせてよいとは、いかなるお考えか、まったくわからぬ」
「殿の胸中に策があることがわかったのです。安心して死ねるではありませんか」
「それもそうだな」
 己の死を受け入れてしまうと、かえって今までの不安などが掻き消えたような気がする。
 できることなら、殿に勝っていただきたいが。
 今はそれだけが、玄蕃には心残りだった。

(十、織田玄蕃・佐久間大学 了)



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