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「美濃から来た童」
作/久住様
八.布石
「木下藤吉郎、動きましてございます」急を知らせてきたのは、三河の責任者だった。
「三河に入り、今川の侍と打合せをしていたと。まことか」童はいぶかしげに報告を聞いている。信長といい、藤吉郎といい、動きの読みにくさは度を越している。
「はい、連れの者がございました。名は前田孫四郎」
聞き覚えがある。四年前、信長が兄弟と戦ったときに、鬼のごとき働きをした剛の者。その者がなぜ、藤吉郎と三河に入るのか。わからない。
「続けて下さい。打合せの後どうなりました」
「木下、前田の両名、今川の手の者に案内され、吉良、矢作川下流地域を見てまわった後、実相寺に入り、さらに打合せを続けた模様」
必ず何か目的がある。その目的がわからなければ、み間違えてしまうだろう。信長と打ち合わせた直後に、寝返りの交渉など行なうわけがない。
「両名が案内を受けたのはどのようなところで、実相寺というのはどのような寺か」
「米蔵を見てまわっておりました。そういえば、実相寺もときおり、米の預かり場所として使ったことがあります」
米蔵か。考えることは同じとみえる。誰でも真っ先に思いつく手だろう。それにしては、今川の警戒が薄すぎる。
「どのような様子だったのか」
「今川の案内人は、前田に対し、下へもおかぬ扱い。一方、木下に対しては前田の従者扱いでございました」
前田を餌に今川を釣ったか。今川方も相当に油断しているようだ。岡崎勢に警備をやらせれば、こうは楽にいくまいに。
「両名の行った米蔵の場所は、わかっているのか」
「はい、何度も米を運び込んだ蔵です。両名は隠し蔵には案内されなかったようですが」
「隠し蔵を含めて、地図を作っておきなさい。あと、その近くに大きな馬場を借りられますか」
「岡崎ならば、使っていない馬場がいくつもあります。食うものがなければ畑にすればよいものを、草地のままにしてあります」
岡崎勢は馬を飼う金もないらしい。今川にとっては自業自得であろう。それでも馬場のままにしてあるのは、意地を通り越して、恐ろしくすらある。買取は無理だろう。借り受けるだけでよい。
「合わせて五百頭を飼っておけるように、何ヵ所にも分けて借りなさい。借り受けた後に少しずつ馬を行かせます。いざというときには一ヵ所に集められるよう、大きな馬場を一つ、別に借りて下さい。半年分を前払いすると言えば、大抵の者が承知するでしょう。ただし、今川方の耳には入らぬように、話を進めて下さい」
いくさの準備には、金がかかる。大きないくさになればなるほど。岡崎勢の誰もが頭を痛めているところだろう。
「では、今川の馬場ということにして話を進めます」
「大丈夫か。馬を今川に取られるということは」
「岡崎の今川勢は年貢の着服に熱心な者ばかり、幾ばくかの金子をつかませておけば、問題は起こりますまい」
「松平元康にさとられないか」
「かの者、三河では大人しくしております。特に岡崎では動きを見せませぬ。疑われぬ用心でございましょう」
今川は岡崎勢をどうするつもりなのだろう。働くだけ働かせて、用済みになれば根絶やしにでもする考えか。敵ながら、岡崎勢が気の毒に思え、反面、あらためて恐ろしさがわいてきた。
だが、付け入る隙はここにしかない。
「清洲と岡崎の間の道を全て調べなさい、馬で通れる道は全て。乗馬に慣れている者を数名選び、それらの道を馬で駆けさせ、全ておぼえ込ませて下さい」
「全ての道をおぼえさせるのですか」
「実際に馬に乗せ、おぼえさせて下さい。一ヵ月ほどで、どの道であろうと自由自在に通れるようにおぼえさせるのです」
「一ヵ月ですか。やってみます」
「必ず間に合わせるように」
「かしこまりました」
「小六殿をここへ」
「は」
小六は程なくやってきた。
「馬の手配はできましたか」
「三百ほどは手配できました。いささか値が張りますが」
「かまいません。手配を続けて下さい。馬の値が上がっているのはしかたのないことです。清洲へ行けますか」
「用意はできております」
「以前に申し上げたように、信長に直接この書状を届けたら、戻ってきて下さい」
「すぐに向かいましょう。上総介殿に書状を届けに参ったと述べればよいのですな」
「そうです。直接渡して下さい」
「では、出立致す。ごめん」
信長がこの書状でどう動くか。童にもわからなかった。だが、動き始めることだけは、間違いない。今の童に確信が持てるのは、それだけだった。あるいは、それだけで十分なのかもしれない。その先の確信を持てるかどうかは、信長に任せよう。
ふと、道三の顔が脳裏に浮かんできた。なぜだかはわからなかった。その顔は微笑んでいた。
(八.布石 了)