「美濃から来た童」
作/久住様



四.清洲


 春である。冬の日々が終わり、尋常であれば、陽射しの暖かさが心を和ませてくれるだろう。
 が、今のこの俺に、和んでいる暇などない。

「木下藤吉郎、近江より戻りました」
「通せ」
「は」
 藤吉郎が、腹の底の知れぬ笑顔でやってきた。
「戻りましてございます」
「何丁手に入った」
「十丁手配できました」
「少ないな」
「近江でも堺でも品薄で手に入りませぬ」
「買占めか。今川だな」
「そのようで」
「戻りが遅かったな、何をしておった」
「兵糧を手配しておりました。今、城中にある兵糧は兵五千で三月分しかございませぬゆえ、半年分を手配してまいりました」
 勘定方としては正しい判断だが、総大将としてなら、無意味だ。
「売れ」
「何と仰せですか」
「近江で手配した米を全て売り払え。そうさな、三河に持って行けば高く売れよう」
「敵を利することになるのでは」
 少し困ったような表情を作りながら、相変わらず笑顔を浮かべている。
 この男、俺を試しているのか。
「案ずるな。今川方の腹には一粒も入らぬ」
「本当に兵糧は必要ないのですか」
 いぶかしげな表情を作るが、やはり笑っている。
「今川の大軍相手に籠城したとしてどうなるか、おぬしにも読めていよう」
「崩れますか」
「何人寝返るとみておるのだ。名前まで申さずともよい。申してみよ」
「恐れながら、御家老衆からも二,三人・・・」
「それでも籠城を勧めるか」
「勧めは致しませぬ。殿がいかがなされるか不明のゆえ、念のため手配して参りました」
 言い訳よりもたちが悪い。主の才を試しておいて、しゃあしゃあと悪びれもせずに言ってのける。
「藤吉郎、俺を試したな」
「滅相もない」
「俺が籠城すると言えば、どうするつもりであった」
「主を選ばねば、長生きはできませぬ」
「明日には逐電ということだな」
「今夜にでも」
 藤吉郎の真っ正直な開き直り具合が快く、笑いがこみあげてきた。
 命を懸けておらねば、叩けぬ軽口であろう。
「ところで、おぬしに兵糧のことをたずねた者はおるか」
「柴田様と丹羽様がおたずねになりました」
「他の者は、みずからの保身のために忙しいのであろうな」
「そこまでは・・・」
「藤吉郎、おぬしならどうする。内も外も敵ばかり、四面楚歌の状態だ。種子島すら手に入らぬ」
「よい思案も浮かびませぬ。ただ、殿の胸の中には確たる勝算があるのがわかります」
「確たるものか。薄い勝ち目をどのように厚くするか、そればかり思案しておる」
「それでも、この状況で勝ち目のある思案がおできになるのは、殿ぐらいでございましょう」
 みえすいた追従ができる余裕があるなら、これからも役に立ってくれよう。
 俺の胸の中にわずかでも勝算がある間だけだろうが。
「戻った早々ですまぬが、三河に向かえ」
「米の売り先ですか」
「三河にある今川の米蔵をすべて探し出せ。米を売りに行くならば、容易に調べられよう。織田家の勘定方の者と名乗り、籠城用に手配した米を売りたいと申せ」
 藤吉郎の顔に、本心からの笑顔が浮かんだ。
「かしこまりました。できるだけ高く売りつけてやります」
「まったく、今川には高い買い物になるであろう。ところで、犬千代は息災か」
 藤吉郎の笑顔が、消えた。
「・・・は、日々鍛錬に励んでおります」
「一年待てと伝えよ。この一年、楽しみにしておると、な」
「有難き幸せ。早速伝えます」
 藤吉郎が退出するのを待ちかねたように、小姓が飛び込んできた。
「野武士百五十騎、美濃国境から清洲に向かっております」
「どこの手の者だ」
「物見の報せでは、蜂須賀党、上総介殿に加勢仕ると、誰彼なく叫んでおるとのこと」
 蜂須賀党、この数年、妙な動きをしている野武士だ。
 商人や大名に動かされている様子でもないが、ただの野武士集団にしては、知恵が廻りすぎる。
「よし、この目で見る。城下へ招き入れよ」
「よろしいのですか」
「かまわぬ。格別の警護も無用」
「は」
「待て、長康を呼べ。長康に城下へ案内させよ」
「は」
 長康ならば、相手の殺気を読み取ることができる。
 事前に警戒すべきかどうかの判断をまかせてもよいだろう。
 それにしても、この状況で加勢に来るとは、酔狂者か、愚か者か、敵の策か、いずれにしても生半可なことではない。
 寝返りの準備に余念のない我が家中の者たちに、見せつけてやるとしよう。
 蜂須賀党、いかなる知恵者が、何を企んでいるのか。
 敵か、味方か。

 信長の顔に、知らず知らず、不敵な笑いが浮かんでいた。


(四.清洲 了)



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