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「美濃から来た童」
作/久住様
三.安藤守就
ト全からの使者を美濃へ返し、人払いをすると、守就は待ちかねたように問いを発し始めた。
「今川は動くか」
「間違いなく、ここ半年の内に」
「いくさの備えが急なのは存じておるが、ここ半年と言い切れるのは」
「今川の狙いは美濃です。収穫前に尾張全域を押さえなければ、いくさの意味がございませぬ」
「織田に勝ち目はあるのか」
「上総介殿の御器量次第。それをうかがいたいのです。お会いになったことがおありと、うかがっております」
「六年前のことだ。信長から、今川の砦を攻めるときに城下を焼かれぬよう兵を貸してほしいと、亡き殿に頼みがあり、わしが千の兵を率いて那古屋城を守ることになった。亡き殿からは、隙あらば奪い取れと言われておったのだが」
「いかがでしたか」
「信長からも同じことを言われた。お望みならお取りなされ。民に危害が及ばぬよう気を配っていただければ、それでよろしゅうござる。一度奪われた城ならふたたび奪い返せばよい、されど、一度焼けた町はなかなか元には戻りませぬ、と。そこまで言われてしまっては、何もできぬ。おとなしく城を守っておったよ」
「そのようなお人でしたか。上総介殿のことは、ただのうつけ者か、そうではないのか、はっきりといたしませぬ」
「わしにもわからぬ。が、うつけであろうとも、あれは大うつけじゃ、ただのうつけではない。大愚でなければ大賢であろう」
童はうなずいたが、目に迷いの色があった。
「ただ者であれば、到底今川にはかないますまい」
「無理か」
「今川の兵は、二万五千から三万。対する織田はどうやっても七千が限界」
「それでは、籠城か」
「後詰の見込みのない籠城は内から崩れましょう」
守就は考え込んだ。籠城以外に打つ手があるのだろうか。
「それにしても数百の小勢で、よく仕掛けるものよ。ここ二、三年で何回今川といくさをしておるのだ」
「さて、何回になりますか」
「負け続けても仕掛け続ける。やはりうつけかどうかわからぬ」
「おそらくは、兵を養っているのでございましょう」
「何と?」
「大敵を前に尻込みせぬ者でなければ、いざというときの役には立ちますまい」
「恐ろしいことを考える。信長はおのれの命を的に調練をしておるのか」
「それでも今川にはかないますまい。岡崎勢がおります」
「噂には聞いておるが、それほど強いか」
「充分な弓,鉄砲を用意し、よろいを身にまとい、まともな槍を手にした二千の一向一揆がかかってきたら、いかがなさいますか」
「逃げる」
「兵二万をお持ちでも?」
「多ければなおさらこちらは崩れやすい。ぼろを身にまとい、くわや鎌、棒切れを持った五十ほどが相手でも、戦いとうはない」
「岡崎勢は、禄もなく、いかに死に働きをしようと、恩賞ももらえませぬ。大身の物頭であった者も、泥にまみれて農作業をしておりますが、今川への年貢を払うとほとんど残らぬとか」
守就はあきれたように言った。
「年貢も取り立てるとは。よくそこまでの仕打ちができるな」
「松平元康が人質になっておりますれば、岡崎勢は、駿河勢から犬、犬とさげすまれようと、ただじっと耐え忍んでおります。この世に生きるが地獄なら、生きるも死ぬも同じことになりましょう」
「死兵・・・一向一揆と同じか」
「尾張への先鋒は、岡崎勢が総出を上げてかかり、松平元康が采配を振るいます。岡崎勢、今までになき死に狂いを致すことになりましょう」
守就の体が震えた。
「おそろしい。それでも織田に勝ち目があると」
「はい。大軍なればこその弱みというものがございます。ただ」
「あのうつけにそれが読めるかどうか、か」
「わからぬ方であれば、織田に加勢する意味がございませぬ」
「わからぬようであれば、いかがいたす」
「今川の大軍が美濃に入ったころに、街道をせき止めます」
「そして、敵が弱ったころを見計らってわしらが叩けばよいか、なるほど」
「しかし、その場合、美濃は無傷ではすみませぬ。こたび、今川義元は種子島を二百丁買い入れ、密かに馬廻りに訓練させているとのこと」
「二百丁・・・」守就は絶句した。想像を絶する数である。
「それでも策の立てようはございます。ただ、確実さには欠けます」
「ト全と計り、尾張との国境は固めておく。だが、他に何をすればよいのかのう」
まだ二百丁の衝撃から覚めやらぬ様子で、守就は途方にくれたような顔をしている。
「先ほどのお使者にも申し上げましたが、今の殿に疑われぬことが肝要と存じます。金子は入り用になると考えますが、兵糧や人数は目立ちますれば」
「しかしこの程度の人数では」
「数と数とでいくさをするならば、もとより勝ち目はございませぬ。この程度の人数でも、存分に働くことができましょう」
「だが、軍勢はいつでも動かせるようにしておくぞ。そうじゃ、一鉄にも話しをしよう。なに、名前通りの者ゆえ、秘密が漏れるようなことはござらん。それと・・・菩提城であったな」
「は?」
「いや、よい、ここで今話すようなことではない。ともかくも、無理はなされるな。くれぐれもお頼み申す」
「亡き殿もそのように仰せになりました。策が整えば無茶も致しますが、無理はせぬように努めております」
「それが何よりじゃ」
守就が帰ると、童は小六を呼んだ。
「今動かせる兵数は?」
「百というところでしょう」
「できるだけ多く集めて下さい。ただ、警護の要員以外は加えぬように」
「やってみましょう。で、何をなさるので」
「野武士の頭目ということで、織田信長に会ってきて下さい。全員を馬に乗せ、なるべく軽装で、弓などは持たせぬように」
「野盗のころの装束ですな。思い出されます。して、信長の首でも取って来いとの仰せですか」
「そのぐらいの覚悟をしておいた方がよいでしょう。口上は、蜂須賀党、上総介殿に加勢仕る、の一点で押し通って下さい」
「信長が会いますかな」
「会えぬようであれば、器量が知れます。信長に天運が加勢していれば、会うことができましょう」
「何をお考えなのか、しかとはわかりませぬが、会えればよいのですな」
「会って、信長が何をしたか、何を言ったか、見聞きし、教えていただければ、道が一つに決まります」
「ふむ、やはりわかりかねますが、早々に出立致しましょう」
「木下藤吉郎という者が近江から戻る日に合わせて、清洲へ向かって下さい」
「近江からの報告に合わせて出立すればよいのですな」
「そうです。よろしく頼みます」
(三.安藤守就 了)