06/28〜07/08にかけて起きた西日本豪雨では、被害に遭われた方に、心よりお見舞いを申し上げます。
謹んで、亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。
前回、大阪の大地震にお見舞いを述べたばかりですが、今回の原因は、事前に少しは予知しうる大型台風でした。
川の氾濫などは、この頃では、かなり前から予測が可能らしい事が、特番のテレビ放送などで言われています。
……が、気候や地形の予測が出来ても、いざという時に、それに応じた避難態勢が整っているのか、疑問、あるいは不安があります。
特に、「何年も住んでるけど、避難した事など一度もない」などという人々の多くが被害に遭われる、今回のような災害が起こると、余計にそうです。
山の斜面だとか川や海の近くだとかに住んでる人は、日頃から防災の手立てなど知らされているのかもしれません。
今回の場合は、知らされてはいても、これまで注意を促される程に被害が起きなかったので、油断してしまった結果、逃げ遅れが多く、甚大な犠牲を生じた、という話も聞きました。
しかし災害を伝える報道番組の中では、「そうなの(・・;)?」と今頃思うような事もあります。
例えば、洪水の場合の避難場は何々小学校だが、地震による場合はどこどこ公民館など、「避難する場が違う」という話なんかそうです。
ゴミの分別に関するチラシは毎年入って来ますが、避難所の区分けアナウンスって聞いた事ありません。
マンションの理事会は町内会にも入ってて、理事会は二回もやらされたのに、そうした話は全く聞こえて来ません。
だから住民同志、勝手に「自分はどこに行こうと思う」とか言いあってるだけです。
いざという時、そこで受け入れ拒否でもされたら、と首を傾げてしまいます(-_-;)。
(さすがに大災害の中で、「受け入れ拒否」はしないでしょうけど)
……ハッ、自分は被害に遭ったわけでもないのに、己の不安がダラダラ長くなって、スイマセンm(__)m。
この災害については、最後にまた書きたいと思いますが、何しろ二次災害が出ない事、そしてツイッターなどでは時々見る(あまり報道されないんで)、沿道に積み上げられたガレキの山から察せられる深い被害の爪痕から、一日も早い復帰と、被害者の方々の御健康を切にお祈りいたします。
さて……。
既にお気づきの方もおられるかもしれませんが、実は、スゴイ久々に『作品の広場』に新作を追加してます(^O^)!
題して、『山岡荘八「徳川家康」雑記』!
う〜ん、何となく『将門雑記(風と雲と虹と)』の隣近所みたいな、いいかげんな命名ですよね(≧▽≦)。
その通り、「それほどヤル気のあるコーナーではないから」というのが正直な理由です(爆)。
入って見て頂ければおわかり頂けるかと思いますが、この「ご挨拶」で書いてた事から、山岡荘八の『徳川家康』の感想の部分だけ抜き出して、『作品の広場』にペーストしただけ……ですっっ( ̄▽ ̄;)。。
チョコチョコ作業はやり溜めてたんですが、FTPアップしたのは……更新歴によれば、07/22ですφ(。。)m
ここで書いた内容の他に、コーナートップのご挨拶と、メニュートップの「はじめに」に、それぞれご案内の文章を載せてます。
双方に「今後も続ける可能性」をあげ、特に「はじめに」の方には、「あらすじ」を書こうかと思ってるような事を書いたんですが……。
厳密に言うと、著作権どうかなぁ……という感じがあります。
山岡@家康は、『将門雑記』に比べれば、歴史解説の必要もなければ、その気も今イチです(^_^;)。
平将門は、私にとって地元でもあり、信仰や伝説の対象でもあり、演劇などとの混同も甚だしいジャンルです(^_^;)。。
だから、結構リキを入れて何冊も学術書を読んであのコーナーを書きました。
我ながら、まぎれもなく歴史解説を目的にした物でした。
そして将門については、一般の方にはイメージしにくい時代&人物ですし、伝説や演劇との区別もわかりにくい。
そうした中、『風と雲と虹と』は唯一、イメージしやすい映像でした。
さらに、原作は古書でも手に入りにくい程、世の中に出回ってなかったです(半泣き)。。
自己顕示的な言い方で恐縮ながら、ネットで騒がなければ、気付いて貰える存在ですらなかったのです(涙)。。
このように取り上げるべき強い根拠があり、理由も複数、重層的にあったので、迷わず題材に選びました。
比べると、徳川家康という人物は、多くの作品で映像化されてます。
その人生の後半は江戸に住まいするものの、前半は三河や駿河と、私の地元じゃありません(^_^;)。
そして、徳川家康という人物やそれを書いた山岡荘八の大長編は、時代が経ったとは言え、私ごときが宣伝しなくても、充分に知名度もあり、今後も読んでもらえそうな作品ですよ(^_^;)。。
100円にこだわるから手に入れるのが大変だっただけで、400円だとか700円だとか払えば、今でも新品のが手に入ります(笑)。
さらに、山岡@家康でやるのは、たぶん「あらすじを書くだけ」で終わる気がします(^_^;)。歴史の検証など、本腰入れてやる気は、あまりありません(笑)。
自分的に必要な記録なら、自分で書いて自分だけ「むふふ(=^m^=)」と見ればいいんだし、皆さまのお役に立つ意義があるなら、作者(山岡荘八)の死後40年が過ぎ、あと10年すれば権利は無くなるので、その後でもいいような気がします(^_^;)。
ただ、現在の所、「二度読み」の必要と意欲はあるので、「二度読み後の感想」というのは書くと思います。
感想なら権利には触れません。
感想を言おうとして「あらすじ」を書いてしまうのはどうのこうのと言ってるサイトもありますが、悪質な意図がうかがえる物でもない限り、感想レベルでそこまで言うのは、どうなのかな(^_^;)、と思います。
創作物でも、推理物やSFものなんかはともかく、歴史に関わる物ついては、検証の余地を猶予されてしかるべきです。
どの時代劇ドラマでも取り上げる解釈で、衣装・場面のデザインも一致してるのに、その根拠を調べると、当時史料に無く、伝説や古い創作物(歌舞伎・能・謡・浄瑠璃など著作権が切れてる物)で定説化された逸話にも無い……という事が時々あります。
それらの下地に、過去の小説とか時代劇ドラマ(テレビ・映画)が該当するケースを、巷に見ます(^_^;)。
誰々の作品から始まった風潮、ブーム、印象、連想など、それ自体が歴史の一要素になる以上、踏襲するにせよ、リメークするにせよ、新たに創り起こすにせよ、検証の必要が不可欠なのです。
……ま、堅苦しい話は、この辺までにしときましょう(笑)。
何しろコーナーの継続方法については、おいおい考えていく事にします(^^ゞ。
というわけで、今回も山岡荘八『徳川家康』の感想です。
現在、25巻です。
だいぶ終わりに近づいてます。全26巻なので、次に出て来る「ご挨拶」では、「読後の感想」を言ってる気がします。
大坂の陣が、冬のも夏のも終わり、真田幸村も、淀・秀頼母子も自刃。大阪落城。豊臣家は滅びました。
真田幸村が意外でした。
大河『徳川家康』における真田幸村とは、まるで違う感じがしたからですが、もう一つ意外なのは、ドラマ『真田太平記』の幸村に一番近く感じたからです。
原作の『真田太平記』よりも近く感じました(笑)。
まず大河ドラマの『徳川家康』における真田幸村がどうだったのか……。
一言で言うと、ヤル気満々の豪傑という感じ。
若林豪が演じてたので、目に熱を帯びて、どこか怒りをたぎらせ、怒りの根拠に野心のような物がチラつき、それゆえ、ちょっと脂ぎった印象すらありました。
そこにナレーションで「この世から戦が無くなるはずがないと信じる真田幸村」という紹介が被さるので、尚更、「私的感情から豊臣家を戦闘に駆り立てている張本人」のように感じました。
これは、真田幸村(信繁)という人物を悪人に仕立てあげ、家康をカッコ良く見せる必要性から……という感じがしておりました。
そう思って振り返れば、原作においても、『徳川家康』では、徳川が真田にヤラレる話は、ことごとくカットされてました。
第一次神川合戦も、第二次神川合戦(秀忠が巻き込まれて、関ヶ原に遅刻した時の合戦)も、ほんの半行程度で片づけられ、大坂冬の陣における真田丸の攻防に至っては、「大坂城内外で小競り合いが散発」と書かれるのみで、幸村の陣名としては書かれますが、そこで徳川軍が大敗した話なんか全く出て来ません(汗)。。
意図的に避けてたように感じました。
だから、どの作品でも、真田幸村を無欲で冷静な好青年として描くの対し、原作の『徳川家康』では、幸村を野心的・好戦的な人物に描いてるんだろうな、と長く思ってました。
ところが、原作における真田幸村は、そういう感じじゃないです。
ドラマ『真田太平記』で幸村役を演じた草刈正雄の起用は、もしかすると、『徳川家康』のドラマ化の時から、考えられてたんじゃなかろうかと思うほどでした。
草刈正雄という人は、後にはすこぶる野心的な役や、時には悪役ですらシレッと演じ切る役者になりましたが、『風と雲と虹と』や『真田太平記』に出てた頃は、全然そんな感じじゃありませんでした。
すこぶる爽やかなイケメン俳優で、「涼しげ」とかいう表現がピッタリでした。
今だと、ディーン・フジオカなんかが近いかなぁ……。
「この世から戦が無くなるはずがないと信じる真田幸村」という解釈は、原作にも何度か書かれてるんですが、そう書かれて感じるような、悪意も家康への挑戦的態度も、全く無い人に思えました。
むしろ家康の束ねる天下を盤石な物にする手伝いをするため、とかいう山岡荘八らしい、意味難解な屁理屈が述べられてます(汗)。
最後にいくまでに、若林豪の幸村像にもっていくつもりだったのかもしれませんが、途中から、山岡荘八が幸村に惚れてしまって、果たせなかった感じがしました(笑)。
夏の陣はシッカリ描いてましたけどね……。
そうそう、大坂の陣、とくに夏の陣は、司馬遼太郎の『城塞』とは、ずいぶん違う感じがしました。
特に違いを強く感じたのは、夏の陣初盤の、塙団右衛門(直之)と木村重成の戦死に至る紀州戦あたり(塙は04/29で「樫井の戦い」と言うらしっす。重成の戦死はその後の「八尾・若江の戦い」で、05/06だとか)。
この辺だけ、特別に『城塞』を100ページほど再読しちゃいましたっ(≧▽≦)!
そうだなー。塙団右衛門に関しては、司馬遼の筆の乗り方が尋常じゃなく(笑)、敵方の浅野勢より、味方へのライバル心むき出しの様が読み応え濃厚です!
とても長い文章ですが、途中で本物の敵に出会うあたりで、戦国の老巧な武人らしい用心深さが出たり、ライバル出現に理性が吹っ飛んだり、緩急のつけかたが絶妙です。
ただ木村重成に関しては……好き嫌いが出そうな所ですが、山岡荘八の方が(良い悪いはともかく)心理面の追及が深く、よって登場も長く描かれてます。
木村重成の父って、関白秀次に連座で死んだんですね……。他の作品にも書いてあったかもしれませんが、ハッキリ印象に残ったのは、『徳川家康』が初めてでした。
印象に残る理由は、やはり、関白秀次の事件を、同じ小説の中で描いて来た流れの影響が強いと思います。 *長編の強みですね*
あと、そうそう、ドラマの『徳川家康』と『真田太平記』で、冬の陣を和睦で終わらせるについて、淀殿が諸将に対して演説(説得)をするシーンがあり、両作とも、セリフが全く同じなのに驚いた覚えがあるんですが……。
案の定、このシーンは、山岡荘八『徳川家康』が、ほぼ100%出典だと思いました。
(下地の史料が何かあるにせよ)
というのも、原作の『真田太平記』に、このシーンは丸々ありません(爆)。
脚本は『風神の門』(ドラマ)の金子成人ですが、当時のNHK時代劇は、脚本によらず、場面や音響の使いまわしがスタンダードでした(^^;)ゞ
それから……、他の作品で読むのと大きく離れ、織田有楽斎が際立って味わい深い人物として描かれていた事が印象に残ってます。
有楽斎にビックリさせられるのは、まだ茶々と呼ばれていた若い日の淀殿が、秀吉の持ってくる縁談を悉く撥ね付けるのに対し、叔父でありながら、茶々に思いを打ち明けたりする場面でした。
ここで意表をつかれたため、その後の「皮肉屋」という面が、「裏にどういう意図があるんだろう(^_^;)」とか深読みしてしまい、なかなか馴染めなかったんですが、関ヶ原の後は、家康に下るよう心を砕く、面倒見の良いオジサンになってました。
しかしその後、常真入道(織田信雄)や片桐且元など、大坂城を退去する人が続出する中、有楽斎も退去してしまい、落城に至る大坂城内の人間模様に参加しなくなるのが残念でした。
大野治長がこれまた驚きで(笑)、そもそも大坂冬の陣に至る経過が、大野治長の淀殿への妙な意地を出発点にしてるなどは、ちょっと山岡荘八でなければ書かない設定に思えました。
山岡荘八の中で、築山殿と淀殿が重なる事は、ずいぶん前から何となく予想がついてたんですが、そういう権高い女性が、必ず寵臣を閨に侍らせるという図式、悪女登場という定番は、他の時代小説でもありそうなので、特に意見は言いません(^_^;)。
ただ、こうした設定が、この小説の場合は、その時の判断をした(判断を誤った)理由づけとして、一時しのぎ的に使われてるという特徴があります。
大野治長と治房の兄弟の仲たがいは、夏の陣勃発の頃、すっかり城内の主導権を治房が握ってるという展開に発展し、これも少なからず驚きました。
読書ペースは、ここ数冊ひどく衰えてましたが、やはり大坂の陣が始まると、進み方が早かったです(笑)。
残り、一冊チョイになりました。
思ってたより長くかかったので、早く読み終えたい反面、ここ一年半ほど続いてた世界が終わると思うと、終わるのが勿体ない、という思いも交錯します。
さて、近況も少し。
この夏は実はひどく体調を崩してたのかも、と思います。
熱中症に二度ぐらいかかったような感じもします。初めは軽い内に対処できたんですが、実はつい最近、就寝前に大汗をかいてダウンしてしまう事が続きました。
テレビ番組で、余熱が体内に蓄積されて云々と、警告っぽい報道を見ました。
そう。特に日射や暑さ、湿気に多く当たったわけでもない日にそうなりました。
冷房機もどっか効きが悪く……それで、温度設定をガ〜ンと下げて、出来る限り涼しい状態で一晩寝たら、急に体調が復帰しました。
今年の夏は、暑くなるのが異常に早かったです。
7月の冒頭に、「この早い暑さで、8月に早めに秋が来るのでは……と希望的観測をアチコチで聞きますが、恐らく8月も例年通り夏が続くと思います」
と気象予報で言ってたのを思い出します。
しかし……今すごく涼しいです(^_^A)。
このまま涼しくなるのか、まだ8月半ばだから、やっぱ一度ぶり返すのか……。。
あ、それで、さっきも言った、このほどの西日本豪雨についてですが……。
避難については、各自治体の情報をよく見て対応して下さい、とかよく報道されるんですが、大雨が降っちゃったり、竜巻出そうだったりで、お前の地域は注意報だの警報だの出て、避難準備だ、弱者避難だとかで、黄色くなったり赤くなったり、全市まるごと同じ色になっちゃったりしますね。
河川の近くにだけは行かないよう気を付けるぐらいはしますが、外出も、この頃のようなあまりに長い台風や大雨だと、全く出ないわけにいきませんね。
「どうすればいいの」と思う内、幸か不幸か「解除」が出るのを繰り返してます。
災害の質やレベルによって、各自治体の判断に微妙な差も出やすい時です。
そういう時こそ、国レベルの緊急処置や判断が何が何でも必要な時。
正直言いますと……。私はむしろ、
「こんな時にこそ、安倍総理は、これまでの汚点帳消しのチャンスとばかり、陣頭で見苦しいほど采配振りまくって、支持率V字回復でも諮るんだろな〜、少なからず騙される国民も出るんだろなー」と、雨降りだしの頃から、早くもウンザリしてたぐらいでした(^o^;;)
ところが、どうでしょう(・・;)。。
安倍内閣・安倍政府の、被災者への無関心ぶり、無神経ぶりには、本当に驚愕しました!
批判対象になってるのは、自民党の飲み会だけのようですが、それについて出席者から、
「あれほどの災害になるとは予測できなかった」とかいうインタビューが出てるのを聞いて、二度ビックリ!!
自民党の党員にだけニュースや気象情報が流れなかった、という事でしょうか。。。
この災害への一連の官邸や党を主とした不祥事について、首相からも関係者からも、ずいぶん長い間、反省や謝罪の言葉はおろか、それらしい態度・姿勢・表情すらあらわれなかった事にも、強い衝撃を覚えました。
「安倍首相という人の、国民に対する酷薄さたるや、終始一貫、感心するほどブレがない」と、驚きの感情がツイッター上でも、各種ブログでも、ずいぶん多く見られました。
フランスへの外遊(←必要でも緊急でもないってトコが味噌)も、「ほら、早く!」「おい、まだか!」と、一日半はツイッターで中止するよう主張する声で溢れました。
フランスから「災害への緊急事態お察しします。ご遠慮なく」と、キャンセルを促されている、というニュース記事も見ました。
それでもキャンセルのニュースが流れないまま、ドンドン時間が過ぎていきました。。。
本当に本当に、物凄く渋々、外遊キャンセルを決めた事がわかります。
しかもこの外遊、自衛隊を大勢連れていく(革命パレードに参加だとか)予定だったそうです。
あの後も、何日も行方不明者の捜索は続きました。あの時点で、これから先が長くなる事、二次災害の可能性の極めて大きい気象条件だった事、既にどこでも言われていたのです。
せめて、反論覚悟で、「フランスに連れていくのは何人、日本じゅうの災害とテロなどのために置いていくのが何人、絶対に国内の安全は護れる!」と言うべきでした。
言わなかった所を見ると、もしかすると、見殺し覚悟だったんでしょうか。 *戦慄*
後日になって、例えば今言っても、「後で急いで数字を合わせた」としか思われず(日大の記者会見のごとく)、むしろ逆効果になるので、「その時」が重要でした。
にも拘わらず、テレビなどの報道で、不自然なほど被害や実況を最小限に抑えられていた事も、すこぶる異様でした。
怖い。まるで戦時中だな……と、本気で震え上がりました。
さらに、被災地への見舞いだか陣頭指揮だか、その名目すら何だかわからなかった安倍総理の現地入りは、悲惨な程「ヤル気ありません」の映像が流れて……何かもう、涙が出そうになりましたよ。。。
あげく、捻挫したから見舞は出来なくなったの、その捻挫したと報道された足と、いつの間にかひきずる足が変わってる有様。
……そこまでサボリたいと首相に思われるなんて、被災地が可哀そうすぎます。。。
この時期、民主党時代の方がマシだった発言がネットでささやかれ始めたんですよね。
災害対策本部設置の遅さ、激甚災害指定の遅さ、どれに対しても、言い訳の余地などないのに、「今の政府だけじゃなく、前の何々災害の時でも〜〜〜」という、いかにも世耕弘成(通称・和製ゲッペルス)の指導で行われてる、事実誤認を目的とした情報ばかり拡散。。
あげくの果て、流石に協力したがる人が少なかったのか、ついに世耕弘成みずからが、ツイッター者に牙をむいて恫喝する始末。 *滝汗*
ただの一市民をコキおろす時、奴らは必ず、「あれは普通の市民じゃない」「プロ市民だから何言ってもいい」という論理を用います。
あの「こんな人たちに負けるわけにいかない」発言の時と同じ、自由に物いう国民に対するむき出しの敵意です。
以前は意気軒高だったマスコミも、この頃は政権寄りの人事に変わったとか、前は必ず報道してたような事を報道しなくなったとか、しょっちゅう聞くようになりました。
特に災害の被害を報道しない事には、不信感を持たざるを得ませんが、現場や被災者自身が政府の対応をそれほど問題にしてない、という事であれば、我々が気を揉む程の被害じゃなかった、という受け取り方で良いのでしょうか??
この頃、西日本……特に薩長物を大河ドラマでやる時、地元で大人気とか聞くと、ホントなのかな、と疑ってしまいがちです。
何と言うか、辻褄がテキトーで、そこそこの出来の物を作って、宥めすかしてるような感じがしてしまい……。
そうそう。今年に入ってまだ話してなかったかな。「西郷どん」。
実は……二話目で断念しかかった理由は、貧乏な少女が売られていく話で、「どっかで見たような話だな(^_^;)」と、何となく退屈なドラマに思えたからでした。
世間での評判はそれほど悪くないように受け取れたし、退屈なだけで、これと言って決定的な欠陥も無かったです。
「見続ければいいんだろうけど」とは思いつつ、今振り返れば、この「どっかで見た感」が、「毎週見よう」という気の薄まった潜在的な理由だったと思います。
もっと細かく言うと、自分の中では、このドラマは始終「浮き」と「沈み」を繰り返してました。
わりと大きく「浮き」を感じたのは、最初は「幸村の最初の嫁か(^_^;)」の印象で、ず〜んと後退させられた「糸どん」の黒木華が、西郷との恋に破れて、他の男に嫁いでいくに至るまで、かなりの演技を見せてくれ、意外と好印象になってきた辺りでした。
その後、また回を追うに従い、だんだん大きく沈んでいきました。
再び「浮いた」と感じたのは、今度は篤姫が、島津斉彬に「結婚相手の将軍は、子供が作れる相手じゃない」みたいな事を言われて、「それで自分が宛がわれたのか」と悟り、地震のドサクサで、西郷に「自分と逃げて」と言い出すあたり。
その後、また沈みました。
こう見て来ると、女性の原作家で女性の脚本家だからか、女性や恋愛(結婚)を扱う場面になると、何らかドラマ性なり盛り上がるような気がしますが……。
しかし、どうも自分の中で重要なのは、そこじゃないのかもしれません。
どちらかというと「沈み」の部分に原因がある感じがします。
いつも「沈み」に関わるのは、言いたくないけど、やはり政治史、幕末史において重要な部分を、サラッと流してしまう点なんですが、まぁ史実厨みたいな事は、今は言わないようにしましょう(ウチは幕末専門じゃありませんしね)
あくまでもドラマ(ストーリー・テーマ)本位に見ていきましょう。
この所の展開で、一番大きく沈んだのは、徳川慶喜が一気に悪人とされた所でした。
そこで西郷は、いっぱしの民主主義政治家みたいな事を言い出すんです。
「ん?」と、巨大な異様さを感じました。
徳川慶喜を「将軍に相応しい」と言ってたのは、島津斉彬でしたよね。
それなら、実は慶喜が悪人だったと知って、「斉彬の見立てが間違ってた」と認めるシーンがなぜ無いんですか?←ここ物凄く重要です
それから、島津久光と会った時、慶喜が、「斉彬は偉大な人物だったが、久光はただの田舎者」とバカにしてましたね。これも急展開すぎて異様でした。
確か慶喜は、将軍に推されるのを嫌がって、それを言い出す斉彬に悪態をついてた事しかなく、慶喜が斉彬を実は認めてたなんて記憶がありません。。
つまり篤姫の段で、大きく浮上した気持ちとは、このドラマで半ば描きかけてた、島津斉彬の暗愚さ、独善的な面に西郷が気付いた、と感じた点から来てたんだと思います。
ここで「お殿様(斉彬)は間違っていた!」とハッキリ言いきれば、その斉彬が押した慶喜が正しいハズないのは明らかです。
また、斉彬の模倣をする久光と折り合いが悪くなるのも、スッキリ説明がつきますし、被害者の篤姫を助け出す(江戸無血開城の)必要も出て来ます。
女性を三人も妻にし(かかっ)て、朝敵にされて、討ち果たされる英雄。
この図は『風と雲と虹と』における将門にソックリです。
そのせいでしょうか。「どっかで見たような」と感じるのは。
しかし『風と……』では、二人目の女性が京の皇族の女で、将門は寝取られて失恋に終わります。
奄美島に名を残す愛佳那を、『風と……』の貴子のような、ある種、悪女的な要素ある描き方が出来ない事情はわからなくありません。
しかしそれゆえに、西郷は三人の女に言い寄られ、決まってねんごろの仲になる、ひどくしまりのないデブに過ぎなくなってしまいました。。*残念*
私は、西郷がその生涯をかけて惚れたのは、篤姫一人だった、と描いてしまえば、何もかも解決したと思うんです。
この失敗は小さくなく、去年の『直虎』に大きく溝を空けてしまいました。
正直、私は西郷隆盛ってどうでもいいので、最初からそう期待してなかったんで、ダメでもそれほどショックでもありませんが、同じように井伊直虎もどうでもいい人物だったゆえに、去年のドラマに意外性を感じて楽しめた……とも思うんですよ。
結局の所、薩長に関わる事になると、何一つ譲ろうとしない姿勢。それが、薩長を描く大河ドラマの欠点であり、その背景に政権への忖度がある事は言うまでもないです。
つまり忖度ありきで造るドラマだから、面白くなるハズがない、という事です。
……さてさて、今回もこれより「城主のたわごと」に戻って続きをやります。
頑張ってこのあとスグ出したいと思います。待っててねー(^O^)/~
08月20日
城主 |