<石和川中島合戦戦国絵巻・総集編レポ14>



2004/04/18、山梨県石和町、笛吹き川。

こたつ隊13名+信玄公+赤忍者(進行係)さま
合戦終了直後(午後3時ごろ)、戦場にて。


     
  そうこうしてる内に、我も我もと他の隊の人達もワラワラ集まって記念撮影をしてました。

カシャッ!
よっしー城々主隊の皆様

カシャッ!
松永弾正隊の皆様

カシャッ!
そして、おめぐ隊の皆様

このように、多くの人が信玄サマや謙信サマとの記念撮影を望んでますから、順番を待ってるのもヨシ、また自分達だけで記念撮影をするチャンスでもあるので、そういうショットも撮っちゃいます(笑)。↓



まずは2004年、合戦終了直後。上杉播磨守定景(中央)隊の皆さんが全員集合の場に行き会いました〜。ちなみにこの年は「宇佐美駿河守定勝」の役だったそうです。

というわけで、わ〜い凄い鎧〜♪こたつも混ざって カシャッ

次も2004年、こたつ隊だけで記念撮影しようよ、のノリになって場所を見回した所、「武蹄式」の行われた祭壇がウマウマと目の前に……。
「ここで撮影できるなんて、滅多に無くない?」
とかいう事になり、神様のいらっしゃる場所から(バチ当たるでぇ〜)撮影。↓

神様、こたつ隊、今年も頑張りました〜☆ミ(2004年)

お次は紋次郎。隊と。途端に2倍に膨れ上がる総勢!

紋次郎。隊&こたつ隊
 
     

     
  <「鎮魂の儀」>

「激しい戦いは終わった。(中略)卯の刻より辰の刻まで上杉の勝ち、辰の刻より巳の刻までは武田の勝ちなり、と秀吉が評したこの激戦では、両軍合わせて1万5千余りの死傷者が、あるいはすでに息絶え、あるいは苦痛にもがき、戦いの悲惨さを物語っています」

というナレーションとともに、兵士達は各陣に戻り、殺陣の人たちの演技を交えて、「鎮魂の儀」へと進行します。

川付近ではまだ演技が続く
橋でも斬り合いが続行

2003年は1日雨で、この閉会の挨拶が始まる前ごろ、橋から殺陣の方が川に落ち、あっという間に流されてしまい、観客が流れて行く方を心配して見てました。

この方は救出されすぐ回復されたそうですが、この日は朝からずっと雨続きでしたから、川の水嵩も増え、水深も流れの速さも相当なものだったのでしょうね。開催前に水量を確かめたくなるのも無理ないです。

川には兵士の屍骸が幾つも横たわり、槍を頼りに傷ついた兵士が行き、河では大立ち回りと、まだしばし演出隊の演技でナレーションを盛り立てます。
が、既に戦の終了は告げられ、閉会宣言へと場は進行して行ってます。

↑一方こちらは完璧に演技です。うわ〜大変(^_^;)。。ホントにピクリとも動かないんです。



<閉会宣言・退場>

川に流れる血の痕
そして閉会宣言

↑毎年「川に赤い染料を流す」とラストにシナリオが書かれてました。芸が凝ってますよね。



<その合間もせっせと記念撮影(爆)>

この辺りになると、あまり撮影大会も気がひけるので、おとなしく列について退場を待つのが基本ですが、殺陣隊の人とか敵味方に別れた相手とは、このタイミングしか戦場での記念撮影は出来ない、というのもまた事実なのです(笑)。

こちらは2001年、惟新入道さまや、あきつぼや様、梵天丸さまと☆ミ

で、この後は「ひたすら退場」になります。
引き上げの列の組み方は、武田軍が先、上杉軍が後、入場の時と同じです。なので、武田軍の、しかも先頭の隊だと、引き上げも一番最初なので戦場に残っていられる人だけしか撮影のチャンスは無くなります(^_^;)。

だいたい信玄公と謙信公は一番最後の方になる事が多い気がしますが、戦場で取り巻かれるとか、その年の進行の仕方とかで、列のここに必ずいる、という具合じゃない気がします(^_^;)。

だから信玄サンや謙信サンとは、閉会が終わってスグ、引き上げるまでの間に「スイマセ〜ン、一枚お願いします」とやはりすかさず声を掛けます!(笑)

こちらは2004年。
赤忍者さまが信玄サマを呼び止めて下さいました。ありがとうございました。

信玄さまも「逆光が強いから、こちら向きで」などとご指示下さり、さすが朝廷以下に上洛待望された御方。威厳を持ちつつ、敵の兵士に対しても実に寛大なお心をお持ちです。

こちらは2000年。他の隊が記念撮影してた後、すかさず便乗(笑)
 
     

     
  <退場開始>

↑がそろそろ始まります。

戦場から引き上げて来る兵士達。まずは武田軍から

その合間にも、兵士達の記念撮影はせっせと続きます(爆)。

これも2004年、この年の謙信さまと安養院さんは一般参加のお二方で、こたつ達とも一緒に写って下さいました!

また、これは近年はあまり見掛けないですが、各隊の大将役の人だけ先に引き上げさせられた事もありました。
引き上げて来るのを待つしかない観客には、ちょっと痛いイレギュラーですが、進行の段取りは今後も多少異なるかもしれません(^_^;)。



<両軍兵士の和睦編(笑)>

総大将が何も命じてないのに、兵士同志が勝手に和睦してしまう2003年のシーン(笑)。
ただ実はこの年については、一応前もって運営委員の方々に撮影の許可を頂いてました(^^ゞ。

鎮魂の儀が終わってスグ、ジワジワと紋次郎隊は武田側に、こたつ隊も上杉隊へと互いににじり寄り(笑)、両軍の間を割って、紋次郎。さまと私が歩み寄り、両軍を分けている広場のど真ん中で、お互いにガッシリ握手(^^)。

和睦(勝手に)成立。

紋次郎さまの手にも私と同じように砂がたくさんついて、同じ戦場で戦ったことを改めて思いました。
(観客で出場者に握手を求める方、隣あわせに写真を撮られる方は、戦場の兵士達はかなり汚れてますので、ご注意:笑)。

←そこへ殺陣の惟新さま(中央)も。

↓両軍ともに集まって(笑)。

そうやって馴染んでいる間も、他の兵士達↓はどんどん戦場を引き上げてしまいます(笑)。

「おおっ、どんどん引き上げているぞ」
「急いで急いで」
「あ、後ろの人が写らない〜〜」
「背旗を取らないと……」
「とっ、取れないよぉ〜」

等とワイワイやってるこたつ隊&紋次郎隊↓

準備完了(笑)。はいっ、チ〜〜〜ズ! カシャッ!
(紋次郎さまと雅之介さま、大将役同志握手☆ミ)

ようやく引き上げて行くこたつ隊の女性達。
みんな頑張って、よく信玄公を守ったよね!(笑)

武田軍はこうして戦場から引き上げますが、上杉軍はまだ残っています。
 
     

     
  <土手における武田軍の退場シーン>

ここからは一部を除いて、殆どが観客席から写したシーンになります(^^ゞ。

観客席より。武田軍に続いて、上杉軍の先頭部隊も引き上げて来ます

↑ご覧の通り、橋を渡る前(戦場)までは観客は入れません。まずは橋を渡ってから先のシーンに移ります。

2005年までは、土手を完全に登り切って、会場の最上階から道路に出て退場してましたが、2006年は土手の中段の道を退場となってました。↓

2006年は以下の通り。まずはてんた様達の「横田高松」隊、引き上げ。
皆様、お疲れ様でした〜♪

お次は城田ジョウさまを先頭に「甘利虎泰」隊の皆さん。
この通り、まずは武田軍から、土手の中段の道(入場の時と同じ)を通って、観客の中を割って退場でした。

そして用宗左近さま、取扱中尉さまのおられる「小幡虎盛」隊の皆さん。→
右がわで采配を振っておられるのが用宗左近さま。

これは毎年そうなんですが、先に撤退する武田軍は皆さん引き上げが足早です。

早く立ち退かないと、後ろにはまだ上杉軍いて、つかえてしまうので(^^ゞ、あまりゆっくりは出来ません。撮影も撮れれば撮るという感じ。
それでも皆さん、気がつけば精一杯顔を向けて下さってます。お疲れの所ありがとうございましたっ。

またこの時期ごろから観客も攻め寄せて、沿道は大勢の人で充満し始めます(^_^A)。

あと、そうそう、この時間になると、西日も増すのでしょう、日差しがすごく強くなって、撮れた写真はみな、影がとても強くなってました(^^ゞ。

暑い中お疲れ様でした〜。

武田軍さいごは星友さま達の「武田信繁」隊。そして上杉に移って→
梵天丸さま

一方その前の2005年は、土手を最上階まで上がってました。↓

飯綱武蔵守法達さま
紋次郎。さま
そして信玄さまっ

この通り会場は大きく、観客者も相当な数ですから、その波に分け入って撮りに行くだけでかなり大変(^_^;)。
急ぎ退場ルートに駆けつけたのですが、武田軍の先頭に近かった山県隊などには追い付けなかったです〜(>_<)。。

揉まれながらも、快く見学客(私も含む:笑)の記念撮影に応じる両将。↓

信玄さまはお子様連れにサービス!
謙信さまもこたつの構えるカメラにスマイル!

やはり信玄サマは一番人気で(^^ゞ、こうして土手の中段の階あたりでかなり長く足止めをされてました。

なので、一緒に撮影しそびれた出場者も、この土手で待ち構えて、観客に便乗して、「あ、ウチらも!」と入って行くのも手かも(笑)。ただ長居はしにくいので、こればかりは運ですね〜(^^ゞ。

さらに、そこで機会を逸してしまっても、道路で……という手がまだ残ってはいます(笑)。
ただ南小学校と北小学校は道が違い、お二人の行き先は途中で別れますから、そこは気をつけて下さい(^^ゞ。
 
     

     
  <同じく土手における上杉軍、退場シーン>

ちょうど武田軍の後列と上杉軍の前列が来るあたりが、一番人が充満してる頃ですか(^^ゞ。
撮影する見学客には、ここが唯一の戦場かもしれません(笑)。

私が見学してた2年とも、こたつ隊には参加者がいましたので、2005年はこの上杉軍の引き上げの時に、2006年は武田軍の引き上げの時に、それぞれ買っておいた飲み物を渡したのですが、かなりの混雑で亭主に行って貰った事もありました(ありがと(^^ゞ)。

これは2006年↓。やはり上杉も土手の中段の道を退場しました。

一海さまです。
そのお仲間「須田満親」隊の皆様とこたつ城主

さらに柿崎さま率いる「大崎」隊の皆様。
すこぶる笑顔がすがすがしく、多いに戦った後の晴れやかな気持ちが伝わって来ますネ(^^)。
皆様本当にお疲れ様でしたっ☆ミ

2006年は、武田信玄と上杉謙信は最後に引き上げて来たと思います。
どちらもスゴイ人気〜(^O^)。あっと言う間にお客さんに取り巻かれ、撮影のタイミングを逃しがちでした(^^ゞ。

信玄サマ
謙信サマと安養院さま

こちらは2005年。土手の最上階までやはり上がって来てました。
この時も、上杉軍の引き上げ以降は徐々にお客さんも減って行きますが、この後も続々と参加者の皆さんが引き上げて来ました。

その笑顔にビックリしました!
全く「作り笑顔」じゃないんですよね(^^ゞ。

どなたも口々に「ヘトヘト〜!」と言いますし、もちろん私も大いに経験あって、下手すると「うわ〜カメラは勘弁〜」って時すらあるのですが、どうも自分で思ってるほどくたびれた顔はしてないようで(^^ゞ、むしろ最高に輝いてる時だと思いました!

こちらは、松澤佳蓮さま。→
今年は村上義清役をやられてたんですね〜。

やがて相模守太郎さま隊の鍋之介さまの他、城田ジョウさま隊の方々が来られました。

鍋之介さま
相模守太郎さま
城田ジョウさま

さらに「ゆるり隊」の面々。

雑賀孫八さま
辰之進さま
河井計実さま