<石和川中島合戦戦国絵巻・総集編レポ15>


     
  <橋を渡る前(上杉軍)>

↑のショットもお届けしましょう。

仮橋を渡っていく上杉軍兵士達を今度は背中から

こちらは未だ戦場に残っている私達(2002年)です。↓

演出部隊の惟新入道さまと一緒に

同じく殺陣の最中餡十郎さまと千姫さまも一緒に。

ようやく私達も仮橋を渡ります。こたつ城主↓
↓こたつ亭主。毎年カメラお疲れさま!

この仮橋こそが出場者と観客の境界でして、これより奥の戦場には観客は入れませんし、逆に出場者も(例の高坂隊の戦線離脱を除いて)、観客席がわには退場するまでは一切行けません。

この頃からようやく全面的に人出が空いてきます。

つまり武田軍の引き上げの頃は観客も出場者も土手に充満してますが、上杉軍の引き上げも後半に差し掛かると、兵士達がこのように引き上げて、まず戦場が空き、同時に土手も人がまばらになります。
 
     

     
  <観客席(土手)にて>

最初に観客席の様子を紹介したのは、合戦祭りが始まる前、すでにお客さんが大勢集まってる時でした。
に対して、退場して来るこの時になると、下のように本来なら芝生の土手が広がってるのが初めて見えます(^^ゞ。
かなり広くて、ここが観客で埋まる様子は、「よくこれだけの人が集まるものだ」と毎年感心します(笑)。

これは2002年、武田軍の宮下帯刀隊の人達と遭遇☆ミ
「こたつさん、こたつさん」と呼び掛けられているのに気付かず通り過ぎる無礼な私(↓)。スイマセン(^_^;) 。


ああ〜、こんな所に居たんですね〜! なんて話してる所。

そのうちにつぼや様やあき様とも……又々記念撮影!

こちらは2003年、弾正隊とこたつ隊と宮下隊の合同写真

武田軍の人でも、他の仲間に「体育館に行くのが遅れる」と言っておくなりして、こんな風に土手あたりに居残っていれば、その後で引き上げてくる上杉軍の人と会えます(^^ゞ。

観客も、記念撮影や知り合いへの挨拶や連絡に居残る一部以外は殆ど引き上げてます。隊に家族のいる地元の人などは、武田軍が引き上げれば、そろそろ行き会えてる頃合なんですね(^^ゞ。



<演出部隊>

そして最後に、後片付けで居残っていた演出部隊の皆さん。

戻って来る人、まだ残ってる人
戦姫さま
肥前守左馬之助さま

米屋繁霞さま
ぷくぷく志摩の守さま
最中餡十郎さま

いや〜〜、皆様、ホントにご苦労さまでした(^O^)! 弾けるようなステキな笑顔を拝見して満足でしたっ。

地元の方か観光客の方が最後まで居残って、参加者に記念撮影を頼んでおられる様子(^^)。

この場所は土手の最上階で、後ろには、もう道路が見えてますね(^^ゞ。

この道路を渡って、体育館に向けさらに退場して行くのです。

最初の3年ぐらいは、「合戦レポ」という事なので、だいたいこの辺りでエンドにしてたのですが、後半の4年ほどは会場を出た後のレポもお届けするようになって(^^ゞ、だんだん「城主のたわごと(旅行記)」と同じノリになりましたね(笑)。↓
 
     

     
  <体育館に向けて>

この後の位置関係は地図E(一番下が市役所・途中に南小学校・北小学校・最上部に石和温泉駅)

で、ここは笛吹市役所(^^ゞ。道路を挟んで向かいが戦場です。

←毎年、謙信守備の正苑さま。この年(2006年)は、足利常陸介さまが率いておられ、戦後はここに集結しておられました。

この年は武田軍に外部参加者が多かったので、「今年はボコボコにやられたよ〜」と言っておられましたね(笑)。

この後はパレードで通った道の裏を抜けて、体育館までまっしぐらです。ここまで来ると観客ももう居ませんから、解放感でいっぱい。一番疲れてる時間帯でもあって、
「あ〜終わっちゃった」「あ゛〜っ、喉渇いたぁ〜っ!」
などと言いながら、道路に思い切りバラバラバラ〜と散って歩きます(笑)。

そしてこの後、体育館に戻るまでの道中、多くの兵士達が、まるで幽霊のようにフラフラと自販機を求めて彷徨い、あたかも宿を求めて断られた落ち武者のように、一つ自販機を過ぎては、その幽霊度が増していきます。

殆どが「売り切れ」だから(^^;;)。。

「渋谷は駅付近ではタクシーが拾えないのよ、だからちょっと歩いて遠ざかるの」とか、私もさすがに朦朧としてワケの判らない事を口走りながら、自分とみんなを励まして歩きます。

出場した最後の二年ぐらいは、履いてる地下足袋の中に金具か何かが出ちゃって(^_^;)、どうも2004年の雨でそんな具合になっちゃったようなんですが、それが走ってる内に足にめりこむまでになり、負傷ぎみで帰りはホントに幽気が漂ってたかも(笑)。

でも、クタクタになりながら歩いている道中でも様々な人に会います(^^)。これは2001年、謙信サマの目の前で内通した、あの葵さまとの再会。
「きゃーっ!」「会えたぁぁ〜!」(再び:笑)

この写真は、前もって葵さまに、「疲れてるハズなのに、二人とも満面の笑みですわ」と言われ、その時には「いや、まさか、そんなハズは……(^_^;)」とか思っておったのですが……。

ホントに満面の笑み(爆)

参加した皆さん、必ず「ヘトヘトで物凄い顔だった」と言うんですが、写真を後から見ると絶対にそうは見えない(笑)んですよね〜(最後はついに自分の写真で証明してしまった:汗)。

この辺りまで来ると、ようやく売り切れでない自販機に行き会え、みんな買うやむさぼるように飲み干し、「生き返った!」とばかりに、残りの行程を歩いて行きます。

「桃の花まつり」と言われるこのお祭りですが、街中では紅白の美しいハナミズキの街路樹がとても印象的です。
←なのに毎年撮りそびれるので、亭主にちょっと立って貰って撮影しました。

南小学校の体育館に戻り、着替えも終わった所。この年(2004年)は演出部隊ののりび。様(左から二番目)がご挨拶に来て下さり、梵天丸夫妻と一緒に。↓

体育館に行けば、それまでにはぐれてしまっても、同じ隊の人とまた会えます(^^)。
女性は朝と同じように、舞台裏の部屋でチョチョッと着替えるので、そこでまた他の部隊の人と「あ〜さっき見たよ〜」とか話をする事も多いです(着替え中なので写真はありませんが(^^ゞ)。

また、着替えさえ済んでしまえば衣装は返せますので(係員さんが、ドンドン回収に廻って来ます)、体育館では既に着替えてしまった他の隊の人と、ちょっと挨拶したり感想を話し合ったり、迎えの車を待ってる人とかもいて、少し馴染んでる時間もあります。



<宿に向かう>

shinさん達女性部隊とは、こうしてさんざん戦場での出来事など互いに話し、私が見学で彼女らが出場の年は、戦場での事を話して貰って、「また来年(^^)/」と体育館で解散してました。

その後、私達夫婦は残りのこたつ隊と一緒に荷物を預けた旅館に戻ります。旅館が最後の集合場所でした。

そこまで一つ二つ、石和の写真も(=^m^=)。

パノラマ2枚

↑メイン通りから入った道。右のちょうど白い車が停めてある所まで新しい道路が出来てました(゚.゚)。
奥の古い民家は道路を作るのにどけられてしまうのでしょうか。
石和も年々新しい建物や道路が増え、「前に来た時はここってどうだっけ(^^ゞ」と思う場所が増えました。

←体育館から宿に引き上げる道。ちょうど亭主が歩いてます(^^ゞ。その奥の風景が、いかにも春の風情だったので撮りました。
↓拡大

宿に戻ると、みんなで温泉に入ってくつろぎます。
この時間帯(5時ごろですか)が一番バテバテなので、戦後の温泉はまた格別!
私達が利用してた宿では、温泉を使わせてもらった後で、ちょっとした広間を貸して下さったので、そこでマッタリと「おやつタイム」が始まります(^^)。

宿の人がよく地元の話なんか聞かせて下さりました(^^ゞ。隣と合併して、石和町が笛吹市になる事も宿の人に聞きました。(既に今は笛吹市となってます)。
石和の温泉宿は三箇所ぐらい泊まった事がありますが、地元の温泉客の方もすごく気さくで、お風呂で話をする事も多かったです。

この合戦に、足を怪我しながらも出た年もあり、それを話したら、地元のオバチャンたちに、
「え〜!あんな祭りに出るため怪我を押して? バッッカだねぇぇぇ〜〜〜!!!」
と声を合わせて大笑いされた事があります(笑)。
戦場でもそうですが、皆さんすごく気さくで自分の田舎に帰った気持ちになれます(^O^)。

その後、すぐ帰らないとならない人を駅まで送って行きます。
途中によく、夕空に浮かびあがる富士山を見ました。それまではそんな余裕が無いのですが、この時間になると「おおお〜富士山、富士山」と、みんなで車中から写真を撮りました(笑)。

夕空に浮かぶ富士山
そろそろ日も暮れて参りました

大抵は石和温泉駅で解散。
お土産は、駅前のお土産屋さんで買うのがいいと思います(^^)。電車だと、甲府まで行ってから買う人も多いです。
 
     


石和史跡巡り〜帰路

     
  この後は健康ランドでお風呂タイムをしたり夕飯を食べたり、主に梵天丸夫妻と一緒の事が多かったです。
一度だけ、帰りにもさらに史跡めぐりをしたのが2005年。河内判官さまとご一緒でしたね(^^ゞ。↓



<逍遥院>

武田信玄の同母弟、逍遥軒信綱(信廉)は信濃高遠城の城代を務め、1582年3月に武田家が滅亡すると、織田軍に捕らえられて相川河原で殺されました。
画家として知られ、その母、大井夫人画像(長禅寺所蔵)、父信虎画像(大泉寺所蔵)などが残ります。

この寺は、逍遥軒が生前、自邸近くに建てた向富山逍遥院(曹洞宗)に自ら彫った位牌が残り、他に、武田勝頼の寺領安堵状と禁制の高札、徳川時代の奉行や代官の文書などが保存されてます。

逍遥院山門
境内

本堂を手前左脇に行くと鳥居があり、その左手奥が墓所に「逍遥軒を祀った祠」があります。

本堂脇の鳥居と神社
逍遥軒を祀った祠

ここのお参りをしたら、翌2006年には武田信廉隊を拝命しましたっ(笑)。きっとご利益がありますよ(^^)。



<エピローグ〜♪>


夕飯を食べ終わると本格解散。あとは夫婦二人で、ひたすらドライブ(帰路)です(^_^;)。
そんな最中にも、思いがけず他の隊の人と遭遇する事がよくありました(笑)。

これは2004年、買い物が終わって、トランク整理のため石和駅前に車を停めたら、車の横をゾロゾロと見知った人々が……。
ナント、宮下帯刀隊&上杉播磨隊のご一行(゚.゚)!
ちょいと話をして、彼らはそのままお土産屋さんに入りました。 ↓(入って行く所)

毎年駅前で見掛けるお土産屋さん、懐かしいからこれも載せよう(笑)

駅から石和町へまた戻っていく。紅白ハナミズキの街路樹〜♪

最後は高速のインター(一宮御坂)を目指して、石和を出て行きます。

途中通る戦場の跡。笛吹川沿いにたなびく祭りの旗。

また、そこに到るまでに車中で爆睡して、夜になっちゃったことも多々(^_^;)。

←すると、最後の戦場風景はこんな具合に(笑)。
↑一方こちらは高速に乗ってスグ見える、「大文字焼き」風のライトアップ。

高速に乗ってからはSAで休憩。ここで最後の最後にやっぱりまだ会う人が時々います(^^ゞ。
特に2004年はバカ晴れだったので、各休憩所ごとで給水しながら帰る一行にも会いましたね(笑)。

皆々様、毎年それぞれお付き合い下さり、ありがとうございました(^^)。
石和レポはこれにて終了しますが、今後ともどこぞでお会いしたらまた宜しくお願い致します〜♪