<石和川中島合戦戦国絵巻・総集編レポ02>



2006/04/16、山梨県笛吹市石和町。

午前、雨→曇り→晴、
南小学校校庭にて、武田軍集結を写す。


     
  武具には着用順序があるので、下につける武具がいい加減な着付けだと、後から全部外してやり直しになるのです。。
特に、先に甲アテ(手にはめる武具)を止めると上腕部が弛むんです。女性で特に体が小さい人の場合(^_^;)、上腕部の武具は、誰かにエイッと引っ張って貰ってる間に他の結び部分を留めると、わりと一発で上手く行きます。

こんな感じ。グッと引っ張ってあげて下さい(^^ゞ。(奥様を手伝う梵天丸亭主さま)

女の子軍団(shinさん達)と一緒になってからは、着付けの人が「講習会」みたいなノリで、みんなを集めて草鞋の履き方なんかも教えて下さり、三年目あたりから、だんだん着慣れて来ました(^^ゞ。
こたつなんか、「どっちが前だっけーー\(>o<)/」とか女の子達に教えて貰っちゃったり(笑)、みんなで手伝いあいながらやるといいですね(^^)。



よくあちこちのサイトで「My甲冑」という言葉を聞きますが、これは自前の鎧を持ち込む人の鎧です。
こうした参加者がいる場合、代表の人は一応前もって届けておく方がいいと思います(^^ゞ。
届けておいても、その人の分も貸し出し鎧は用意されてるんですが、みんながパレードや合戦に行った後や、合戦が終わって鎧を返した後、残ってる鎧や回収された鎧の数を点検すると思いますので(^^ゞ。

マイ鎧参加のぷくぷく志摩の守さま。他の兵士もドンドン準備完了へ。

月代のカツラだけ持込(笑)
お互いに着付けを助け合って

着付けは、女性の下着部分の時は、ちゃんと女性の着付けさんが来て下さるので安心です。
でも途中で「着付けがダブダブになっちゃった〜(;_;)」とか、「トイレに行ったら着られなくなった〜」という場合、その辺りにおられる男性の着付けの方に頼んでも、ちゃんとやってくれますから大丈夫ですよ〜(笑)。
 
     

     
  <北小学校=(主に)武田軍>

こっちは自分が見学の時に来たので、余裕もあって(笑)わりとちゃんと撮影(^^ゞ。

石和北小学校の校門(パノラマ2枚)

北小学校校門通り向かい側(パノラマ5枚)

周囲の温泉宿風景は旅情タップリ(^^)。
私らが最初にココを訪れた時は、初の武田軍参加の2003年で、かなりワクワクしてましたっ(笑)。

ワ〜イ武田の旗にいっぱい囲まれて超満足〜(笑)

雅之介さまが大将鎧を着用
初参加のはたこ

この年は残念ながら大将そのものではなかったんですが、鎧は立派な物でした(^^)。
「大将そのものではない」というのは、高坂弾正の隊だったからです(^^ゞ。見学するようになってから知ったのですが、高坂弾正隊は演出上かなりの大役だと思いました。
ただこの時は「武田になった」ってだけでバカ喜びして、今思えば、役柄を貰ったこと自体の感動が足りなかったような気もしますぅ(^_^;)。。
 
     

     
 
着付けて貰う梵天丸さま
梵天丸亭主さまに手伝って貰うこたつ城主
完了の前田敏郎さま

一生懸命に着付けて下さるのが高津装飾さん。時代劇などのテロップで必ず名が出ますよね(今は「高津商会」で出てるかな(^^ゞ)。

カッシャ〜ン!ノリノリの男性陣、三銃士のポーズ(笑)
←そろそろ準備完了のキャマティ
↑同じ武田だった、およね様、鍋之介さまと記念撮影する、こたつ城主

真っ赤なアマゾネス軍団のこたつ隊(爆)!
恐れをなし……じゃなくて(笑)
準備を終え、校庭に向かう信玄公

パノラマ3枚。館内は見事に赤一色!(これは南小(^^ゞ)

実は武田軍には二度招集を受けてます(^^ゞ(まさに表裏の者:笑)。
一度目は上の通り「高坂弾正忠昌信」隊でしたが、二度目は「武田刑部の少輔信廉」隊でした。

どちらも地元の方と一緒に参加です(^^)。
二度目の武田信廉隊の時、私や亭主は見学でしたが、参加した人達はこの時も高坂隊と一緒に活躍する役割を頂いてましたっ♪

武田信廉隊の時も嬉しかったですね〜(^^ゞ。
と言うのも、この信廉(信玄の弟)のお寺、石和の「逍遥院」(信廉の出家してからの号)に、ちょうどその前の年にお参りしていたからなんです。
最後「レポ15」で、このお寺の写真も出しましょう(^^)。
 
     


「校庭集合&武田記念撮影・上杉演習」

     
  さて着替えが終わると、武田・上杉ともに、さっさと体育館を出て校庭に集まります。
が、この先の段取り、武田と上杉で若干の違いがあるように感じました(^^ゞ。



<武田軍・何はともあれ記念撮影>

↑武田は先発なので、ほんの少しでしょうが時間にゆとりが無いという事かもしれません。
校庭に出るや否や、既に着替えが出来てる順から、ドンドン記念撮影が行われて行く感じがしました。

でも記念撮影にかかってる時間自体は、武田の方がかなり長かったようにも思えました。

これはもしかしたら、武田軍は持ち物が多いからかもしれません。
武田に配属されると軍旗は最低でも三本は担がされます(^^ゞ。風が吹いたりすると旗類が棚引いてしまうとかで、20〜30隊もで加算すれば違いが出るのかもしれませんね。

また何と言っても石和は甲府のお隣で、もちろん山梨県ですから、例えば一枚撮る所を二枚は撮るとか、念入りにやってるというような事もあるかもしれません(^^ゞ。

地元だから外部参加だからと言っても、もちろん上杉に居たからジャケンにされるとか、武田に居れば優遇されるとか、そういう事は全くありませんよ?(笑)

地元から出られる方々は、撮影や着付けの順番とか、体育館が混まないように時間調整でもされてるのか、ここへの到着もあまり早くなかった感じがします(単に家を出て来るのが遅いだけかな:笑)。

何しろこの撮影時間は長く、最初はこの場に集まって来る部隊を「おっ、山県昌景?」「あっ、真田だっ!」なんて喜んで見てますが、それでも戦士達にはわりと自由な時間があるものですから……。

こんな撮影ごっこをして遊びます(爆)。

↑この年は宮下さん達(星友さんや猛馬飼育係さん石野真琴さん)の隊、よっしー城々主さんの隊と混ざって、撮影しました(笑)。

そしてこれが二度目の武田軍参加の年!(笑)

↑この年は凄かった(^^ゞ。星友さまの隊、てんた様の隊、用宗左近さまの隊、そしてこたつ隊の合同撮影なんですが、全部入るのに何歩後ろに下がったか(笑)。

風雅な点茶兵士も!
そして呼び出され、これが正式な記念撮影(^^)

これが参加費に含まれる撮影代です。良い記念ですよね(^^)。
写真は祭りが終わって、後日郵送されて来ていたのですが、最後の年(2006年)は即日この写真を渡してくれるようになり、私からみんなに郵送する手間が省けました。年々サービスが向上してるのを感じます♪

武田軍に入れなければ撮れない写真(笑)
もう一本、山本勘助とご一緒写真♪

↑地元の英雄・高坂弾正の隊に入れて貰えた栄誉には今イチ気づいてなかった私達ですが、このように、滅多に入れない武田軍という思い入れもあって、抜け目なく絶好のチャンスを生かしてました(笑)。

←そして又チャンバラごっこなどして時間を潰すの図(笑)

時間調整でも呼び掛けられているのか、全体的に武田軍は体育館に集合の時点で、ドッと集まっているという感じでなかった気もします。
校庭でも隅っこにそれぞれ散らばってる感じで、閑散とした雰囲気とも言え、「上杉の方が断然熱気がある」という向きもあるんですが、私は静かな雰囲気の午前中も好きです(^^ゞ。
 
     

     
  <一方の上杉軍・まずはチャンバラ>

上杉軍の体育館は一定の時間にドッと人が集まってる感じで、混んでるからというのもあるんでしょうが、みんな元気いっぱいで、着替えたらさっさと校庭に飛び出てチャンバラ開始をしてる人が多い気がします(^^ゞ。

こたつ隊・女の子軍団っ♪ しの様とわんこ様・はたこ様とshinさまっ☆ミ

カッキーーーーン!!

またマイ甲冑戦士が多いのも上杉の特徴かな(^^ゞ。



<撮影ごっこ>

そして鎧や刀を振り回すのに慣れて来た頃、必然的に始まるのが撮影会(笑)。

←この年は「ラスト・サムライ」ごっこ。
そうそう、毎年必ず外国から参加の方がおられますね(^^ゞ。
日本人だってこういう格好をするのは嬉しいものですが、その喜び方はハンパじゃないです(笑)。

でも、だんだん「あ、記念撮影してる〜」という雰囲気が校庭のアチコチに広がります。

これも上杉の特徴ですかね(^^ゞ。 観光客ばかりが集まってるので、みんな抜け目なくこういう場に集まり、短い間にチョコチョコと撮影ごっこに加わります。

これは鍋之介さまの隊と一緒に

安養院役の方
征夷大将軍(相模守)太郎さま隊☆ミ

この「安養院」は、謙信の傍に控える僧侶役です。ここ数年は毎年公募でこの役を決めてるようです。謙信役が公募で選ばれた事もありましたね(^^)。
公募がある時は、前もって3月ぐらいまでに希望を出せば、抽選か何かで決まって報告が来ると思います。

雑賀孫八さん山内兵馬さん達「ゆるり隊」
並木正苑さん達「剣武隊」とご一緒に。

上のように、チャンバラごっこや撮影ごっこの写真が沢山あるのは、何と言っても上杉軍での参加が多かったからです。

実際にはこんな風に賑やかにしてる間は短く、わりとすぐに号令がかかり、校庭じゅうに整列させられます。
まぁ、こういう賑やかな連中を放っておくと、祭りの前に体力消耗するので、この辺りで無理やり静めておく方がいいかもしれません(^^ゞ。
私らも最初は余力充分で、モスバーガーに行ったり、武田の視察に行ったり、今思えば祭りの前に体力を使い切ってた気がします(爆)。
 
     

     
  <上杉軍・合同演習>

というわけで、午前10:30〜11:00ごろ、一斉点呼の開始です(笑)。最低でもこの時間までには着替え終わって、それまで校庭にバラバラに散らばってたみんなも、各部隊ごとに集合〜(^O^)/。

校庭に集まるとすぐ整列させられ、わりと長く確認時間みたいのがあったと思います。
だいぶ長く地べたに座ったり立ってる時間がありました。

ズラーーーッと並ぶ上杉軍の軍旗と部隊。

こうした整列シーンは、実際に参加してた年は撮れず(自分もこの中に入ってるから(^^ゞ)、見学で行くようになってから撮れました。

こうして隊名と代表者の名前を呼び、各々の兵士に自分の隊名を認識させます。自分の隊だけでなく、左右の人の顔をちょっと覚えておくと、行軍する時や広い戦場に行った時、迷子にならないかもしれませんね(^^ゞ。

こうして集まった所で、お決まりのセリフが毎年出ました。すなわち、
「残念ながら、ここは甲府のすぐ隣ですから、皆さん上杉軍はここでは負けて頂きます」
というもの。これを受けて、参加者全員から「ドッ」と笑いが出る、というのがお約束(^^ゞ。

やがて演習が始まり、兵士は全員参加で、これがかなり長いんですが、最後の方の3〜4年(2004〜2006年ごろ?)は、猛烈ダッシュの演習が無くなってたようです(だよね(^^ゞ)。

猛烈ダッシュというのは主に合戦祭りにおける「車懸(くるまがかり)」のリハーサルで、今やってないようだけど、一応書いておくと、ポールを地上に二本立て、その間に向かって全速力疾走。
到達したら二手に分かれ、ポールを外側に廻って駆け戻って来る、というもの。何回かかなり走らされましたね(^^ゞ。

文献に現れる「車がかりの戦法」(上杉謙信が川中島で用いたと言われる陣形)がどんな物か、ハッキリ示せる軍学家は居ないようにも思うのですが、少なくてもそれを観客にもそれっぽく体現するには、これより上手い方法は無いようにも思えます。

すなわち、広い範囲に人を並ばせ、狭い目的地に駆け抜けさせる。あたかも掃除機がゴミを吸い寄せるような具合に大勢の人を吸い込んで行くのです。
この「車がかり」については「レポ08」で本番の様子をお伝えしましょう(^^)。

この練習の時の写真だけが今でもありません。我々が見学になってからは演習はやらなかったとも聞きますし、もしやっても、この頃から観客席に行っておかないと、良い場所が取れないんですね(^_^;)。

また演習は参加者に対して説明を行ってるわけですから、あまりバシャバシャと写真を撮りに行くのも憚られます。それでも最後の年、かなり大胆に各部隊に近づき、サッと写真を撮らせて貰いました(知り合いのだけね(^^ゞ)。

一海さまの隊、足利常陸介さまの隊、柿崎和泉守さまの隊、梵天丸さまの隊を撮影

スラスラと書きましたが、実際には甲冑を着てると知ってる人でもスグには見分けがつきません(^^ゞ。
皆さん前もって参加部隊の名を教えてくれてたので、旗を目印に近寄ります(笑)。近寄ってからも、先頭の兜を被ってる人だと、顔が影になって覗き込まないと判らないです(^_^;)。

そうこうする内に、整列&着座の兵士たちの中から、アナウンスによって各大将役の人達だけが前に呼び出され、儀式の時の打ち合わせをします。
儀式というのは、午後、戦場に赴いた後、合戦が始まる前の儀式「武蹄式(五沾水の儀)」で、謙信さまからお水を頂く時のリハーサルです。

上杉諸将、全員集合(3枚パノラマ)

この時間帯、この時点から見学に来られるさまによくお会いしたので、見学の後ろ2年は殆ど一緒に廻ってましたね(^^ゞ。
見学の方には、大抵は観客席でちょっと会うか、せいぜいお昼休みに来られるのを見掛けましたが、ホント言うと、この時間帯あたりがユッタリ見られるタイミングかな〜と思いますし、参加者側からも本音を言えば、この時間なら来られても構わないな〜という所はあります(笑)。

というのも、昼休みは参加者同志で交流したり、トイレに行ったり(着付けが必ず発生します)、パレードに持って行く物を整えたり、あまり時間の余裕がありません(^_^;)。
また観客席は広すぎて、会えない確率が高いです(^^ゞ。会えても退場後は疲れてたり(喉が渇きます(^_^;))、衣服の乱れが気になってたり、他のメンバーとの連携もあり、あまり長く足止めされたくない人もいるかもしれません。