<石和川中島合戦戦国絵巻・総集編レポ13>


     
  <合戦絵巻>

↑まさにこの一言。

まずは観客席からの遠景も(^^ゞ(パノラマ2枚)

↑これまでお届けした遠景と比べてもおわかりの通り、行進やセレモニーでは、すごく広い戦場の各所に整然と(チンマリと)納まっていた軍団が、まさに戦場じゅうを使って暴れ廻り、見るからに修羅場と化すのです。

またそれを観客が、上の通り食い入るように見入っています(笑)。

最後の衝突は2〜3度で、二回で終わりの時も3回やった時もありました。
でもいずれにせよ最初の内に長々と「楽しく(笑)」戦ってると戻りが遅れます。衝突の後はすぐ駆け戻らないと、次の出撃に間に合いません。

「これが最後」という刻限は、わりとハッキリわかります。最後のこの乱戦状態はしばらく係員からのストップが入りません(最初の方のは「そろそろ」と、押し戻されます)。

ですので、「これで終わり」というのが、これは参加者も観客もよく判り、しばらく混戦状態が楽しめます(兵士も観客も:笑)。

激しく揉みあう両軍

↓そしてまさに「合戦絵巻」という感じがよく出てるので、拡大図もじっくりお楽しみ下さい。

互いに敵のエリアで長居を敢行(全体)

左拡大(戦場の中央付近)

中央拡大、武田陣中央寄り(戻って来る上杉兵士)

右拡大、武田信玄本陣(未だ混戦が続く)
 
     

     
  <混戦中の現場>

↑も行きましょう(^^ゞ。

最初に来る波とはすれ違い、次々と押し寄せる波とは渋滞し、そして最後のこの混戦を迎える頃になると「チャンバラしないと損!」と気付いて、各々敵のエリア奥まで入り込んでから、長々とチャンバラごっこを楽しんでます(笑)。

「これで終わりかっ!」と、もう走らなくていい事に気付くので、わりと立ち止まって相手を探したり、あとこれは毎年すごく多いんですが、自分の仲間とハグレてしまうんです(^^ゞ。

最初は探そうとするんですが、そうやってる内に切り込まれたりしますので(笑)、仲間探しもテキトーに、女の子でも「エイ〜ッ!」と冗談まじりに知らない人に切り込んでみたりしてます。

うぉーーーー! チャンチャンバラバラ!

もはや何も言いますまい(笑)

見よ! 子供達の、この眩しい笑顔!(爆)

旗持ちの武田軍達
「今年もこんにちは〜♪」

入り乱れて戦う者、写真を撮る者、芋洗いの戦場!(笑)

私は隊の代表者(格好は兵士だが:笑)でしたので、だいたいはハグレた仲間を探してましたが、横から刀を入れて来る人もいました(だいたい女性だと遠慮して、あまり来ないですけどね(^^ゞ)。

そんな中で印象に残ってるのは、同じようにハグレてしまった他の隊の知り合いにバッタリ出会う瞬間です!(笑)

何か運動会や修学旅行などで、うっかり仲間とハグレた時、昔の同級生とか近所の知り合いに偶然出くわすような、ホッとするようなチョット気恥ずかしいような、そんな気持ちです(^^ゞ。
特に、紋次郎。さまや紋次郎。隊の人とよく会いましたねっ(笑)。

あと、斬りつけてきた武将が居たので、「エイ!」と咄嗟に刀を出したら、当たってないのに「ヤラレた!」とのけぞり(^_^;)、私の刀に首をつけ「取られたぁ!」と叫んで下さったヒョウキンな人がいました。
地元の方だと思います。いつの間にか大将首を取らせて頂き、ありがとうございました(笑)。
こんな風に、格別に知り合いが居なくても、充分に楽しめます(^^)。

逆に、この渋滞の中で知り合いと切り結びあうのは、ご覧の通り、まず会えるかって段階で至難です(^_^;)。
そういう事がしたかったら、川付近は演出部隊の邪魔になりますから、示し合わせておいて、なるべくどちらかの本陣の近くに居るといいかもしれません(^^ゞ。
一度目は本陣近くに残るとか、二度目は突っ込んで行くからそっちでやろうとか、そんな具合ですね。
 
     


「合戦終了(武田軍勝利)」

     
  <続く乱戦>

スモークが増して、モウモウと砂塵の吹き荒れる様が展開します。

互い離れずに旗をたなびかせる「風林火山」の4旗

「風林火山」各々の旗と「毘」の旗が同居する、世にも珍しい光景(笑)

旗で記憶に残るのは、入場の時に出した「寿司屋」(笑)と、あと「里見」の旗指物があった時ですね(^^ゞ。
石和に千葉県館山市から応援参加した「里見義実」公を示す物であったようです(^^)。

手前、川沿いでは演出隊の両軍が左右から対峙

この大舞台は、やっぱ劇場とかでは無理ですね(笑)

装着してる武具や足袋には慣れて来る時間帯で、二度までは全力疾走できるんですが、三度になると体育強化を終えた世代で、日頃あまり運動してない人には疲れます(笑)。
あと煙幕と砂埃と晴れていれば暑さと喉の渇き、雨が降れば寒さがかなり堪えます(^_^;)。

「車がかり」ではあまり遅れられませんが、この最後の衝突では走りが遅くても、途中でチャンバラして戻って来るのでもOKかな、と思います(^^ゞ。

あと、これは私が背が低くて体力が無いからでしょうが、疲れて来ると、敵の群れをかいくぐる時、槍や刀を通りすぎる人にぶつけそうになります。気を付けた方がいいですね(^^ゞ。
それから、若い人の近くにはあまり寄らない方がいいです(爆)。



<戦い終了>

そして合戦絵巻は滞りなく終了〜♪
(そろそろ戻るような指示が出たと思います(^^ゞ)

あ〜、終わっちゃったぁ。互いに自陣に帰って行く兵士達。

信玄さま、守備の武将方々、今年もお疲れ様でした〜!

気付いた時には、お互いの旗が「敵陣で靡いている」風景(笑)。↓

武田「真田弾正忠幸隆」の旗が上杉陣で
一方、上杉「毘」の旗が武田に

これ、どちらも「敵に取られた」と言うより「突っ込んで行ったまま」なんでしょう(笑)。
「毘」の旗を持っておられるのは、演出部隊のぷくぷく志摩の守さまですが、この年(2005年)は最終ラウンドでこれを持って走り回る姿が目立ってました!
 
     

     
  <石和に散る!>

後になってみれば、意外となかなか撮れないベストショットはズバリ「戦死」です!(笑)
チャンバラは誰でもやりますが、戦死をやるのは、ある意味勇気が要ります(^_^;)。。
偶然なのか、それともわざとなのか、戦場で見掛けた戦死シーンも最後にお届け。

戦場に自ら死に絶える武将(爆)
(亭主の証言によると、ここでピタリと動かなかったとか:笑)

おおっ?! も、もしかして……山本勘介かぁっ?!
(だとしたら、確かに正解は「ここで戦死」:爆)

そしてこれ↓、スペシャルショットだと思うんですが、亭主が帰ろうとしてふと地面を見たら……!!!

凄く嬉しそうに討ち死にする、松永弾正さまっ!(爆)

自慢じゃないけど、こたつ城主もちゃんと戦死した(事になっている)のです( ̄^ ̄)<イバリ

最後の出陣となった2004年、上杉本陣で最後の最後にやっと謙信守備を果たした私は、後ろにいた赤い忍者に見咎められます。

赤忍者「あれ? アナタ、去年は確か信玄公を守ってましたよね?」
こたつ「あ!(ドキッ)」
赤忍者「今年は謙信公を?」
こたつ「あの〜そのぉ〜(しどろもどろ)」
赤忍者「この……裏切り者〜〜〜!!」シャキーン!
こたつ「キャアキャア!(≧▽≦)」

そうです! この赤忍者さん、高坂隊だった時に指導して下さった方だったんです!
覚えていて下さった事に、もぉカンドー!のあまり、こたつもココで「裏切りの果てに、忍者にフイ打ちを受けて絶命」という事にしました(笑)。

ああっ、我ながら、何と言う素晴らしいエンディング!(写真が無いのがチョー残念っ!)

様々なドラマを戦場に残しつつ、戦も幕引き〜♪(皆自分のエリアに戻ります)
↑打ち捨てられている無数の槍(爆)。

この槍は、やっぱ最後に刀で戦いたいものだから、みんな置いてっちゃうんですね〜(^^ゞ。ちゃんと自分の分を持って帰りましょう!!
あと、よく背旗が落ちてます(^_^;)。。前は抜け放題だったのですが、何年目からだったか固定されて抜け落ちにくくはなりました。でもハズレちゃった場合は、なるべく探して背中に納めましょう。

元通りの位置に整列。



<武田軍・勝鬨(かちどき)を上げる!>

援軍到着により、見事に上杉軍を打ち負かした武田軍兵士、そろって勝鬨を上げるのです(^^)!

武田軍の勝鬨「えい!えい! おぉぉぉぉ〜っっっ!!

で、2005年までは、この「勝鬨」を上げるのは武田軍のみで、これが前もって上杉軍がリハーサルで言われる「皆さんには負けて頂きます」の、唯一と言える決定的シーン(武田が勝ってるシーンでも、上杉の勢いがスゴイ事の方が多いので(^_^;))なのですが、なぜか2006年は「上杉軍っ、勝鬨!」と言ってました。。

上杉軍も勝鬨「えいっ、えいっ、おおおお〜〜〜!!

実はここって、声がそんなに聞こえて来ないんですよね(^^ゞ。みんなお喋りしてたり、そうでなくても一番ヘトヘトになってる時間なので無理もないです。
また、この後にちょっと続きますが、この頃すでに、奥ではコッソリ記念撮影タイムが始まっているのです(爆)。

ただ、私もそうでしたが、これほど感動的な話になってるとは兵士達は全然知りません(爆)。

はじめて観戦した2005年、私ははじめて「武田はこれほど長く苦しい戦いの果てに、やっと勝利を手に入れたんだなぁ〜」と感動し、半ばウルウルしてしまいました。
それほど武田が苦難を味わい、上杉のみ強い時間は長いです。

ここは武田氏の故郷なので、てっきり地元ヨイショな筋立てに沿ってる祭りとばかり思ってましたが、敵である上杉の強さを充分に称え、またどんなに苦しい時でも味方を信じて頑張ろう、という素朴にして骨太なメッセージが篭められているのを知りました。

もっとも石和の英雄、高坂弾正だけはヨイショされてますがね(爆)。
 
     


閉会式・毎度お馴染み「戦後撮影編(爆)」

     
  <記念撮影は退場の前後がツボ(爆)>

まずは合戦も終了し、ナレーションで戦の終わりが厳かに告げられます。
兵士達も両軍とも自分の陣営に戻って来て、「勝鬨」→「閉会式(鎮魂の儀)」と進み、最後は退場となります。

川に落ちた人、討死した人、大将首を取った人、ひたすら戦場を走り回った人、撮影に奔走した人、友達に会ってた人(爆)、いろんな人々の胸に「疲れた〜」「喉渇いた〜」「あちこち痛い〜」という思いがあるとともに、間違いなく「あーー! 今年ももう終わっちゃったのねぇぇ〜!」と臍を噛む時間帯でもあります(笑)。

そして最後の引き上げ(退場)。
出場者も見学者も、この時が最後にして絶好の記念撮影タイムです!(笑)

まずは出場者。
引き上げる前に撮っておくのもコツの一つです。最後の最後まで出場者は「役者」ですから、引き上げが開始されると、会場を抜けるまでは列から外れた行動はしにくいです。

同じ隊の人とは、体育館で会えますから、校庭で改めて撮り直し、というのも不可能ではありませんが、その予定の場合は、事前にメンバーに告知しておく方がいいと思います。

というのも、原則としては同じ隊の人とは同じ列で引き上げるのですが、会場を抜けた跡はバラバラになりやすいからです。
途中で飲み物を買うとか、観客に頼まれて撮影に付き合わされるとか、他の隊の人(特に敵軍)と会えるのもこれが最後だからです。

また、衣服の乱れを直しながら歩くとか、持ち物を落としそうになって立ち止まるとか、足袋に足が合わない、草鞋が切れてしまった、怪我や疲れ、旗指物や刀などを損じそう(気を付けていても、乱戦でそうなる事もあります)、一刻も早くトイレに行きたい、逆に一刻も早く体育館に戻りたいなど、各自歩きの速さに違いが生じやすいです。

あと、もちろん各々無理の無い範囲でいいとは思いますが、鎧などは出来るだけ早く脱いで返してあげないと、これらを管理してる方々がご苦労されます。

何しろ物凄く出場者の数が多いですから、あまり帰りの道中でたむろする人が多いと、通行者の迷惑になるので、やはり基本的に決め手は「引き上げ前」と心得ておくのが無難だと思います。

一方の見学者。こちらは戦場には入れませんから、逆に「引き上げ前」は不可能です。
あまり大勢がこれをやると問題なのですが(^_^;)、引き上げてくる途中の「土手」付近で待機して、来た人に一言かけ、サッと撮らせて貰うか、引き上げ開始された途端、急いで会場を出て、道路あたりで待ち構え、同じく声を掛けて撮るのが良いと思います。

道路に出てしまってからは、前述の通り、出場者たちは途端にバラバラ行動に入りますから、一人一人しか撮れない(まとまった隊として撮るのは不可能)ですが、撮るタイミングとしては、もう後ろから来る人の邪魔にはならないので、わりとゆっくり撮れるかもしれません。

いずれにしても、長々と出場者を引き止めないように心掛けた方は良いと思いますが、「一言声をかける」方が正面から上手く撮れるとも思います。ちょっと勇気が要ります(笑)。



<まずは戦場にて>

以後は、合戦が終わってからの時間にだいたい沿ってお届けしましょう。
また、ここでの写真も多くの方々から頂いた物がかなり入ってます(^^ゞ。特に2001年は、カメラ(旧式)をこの後でドブに落として中身をダメにしてしまったので、皆様に頂いた写真が重宝しました。ありがとうございました〜♪

まずは、時間的には少し遡り、「合戦がたった今終わった」という時間帯から(^^ゞ。

この辺りで一度、信玄公や謙信公と一緒に撮影できそうなタイミングがあります(^^)。が、こちらはお二方しかいらっしゃいませんので、多くの隊の人が記念撮影したがると、なかなか順番が廻って来ません(^^ゞ。

そこで、合戦が終わった途端……つまり閉会式が始まる前に、「スイマセ〜ン、撮らせて頂いていいですか?」とすかさず声を掛け、サッと撮らせて貰うというのが一つの手(^。^)。

↓こちらは2000年、最後の突撃から戻って来た直後ぐらい。森田丹波守さまが謙信公の隣でデンと槍を構えておられたので、ふと便乗して(笑)。

丹波さんの手柄に、みんな便乗!
謙信さんは、地元の青年団の会長さん(^^)。

さらに加わるこたつ亭主(謙信の横)

そしてこれは2002年のこたつ隊(^^ゞ

↑まだ戦場に居残ってる人もいたので、集まれるメンバーだけでササッと(^^ゞ。