<石和川中島合戦戦国絵巻・総集編レポ04>
「兵士入場@新旧バージョン」
<旧バージョン・「鵜飼橋」→土手→戦場へ>
下に写ってるのは、既に戦場入りを果たした上杉軍の武将達です。
この「武将達」というのは、各隊の大将役の人で、原則的には隊の代表者という事になります。
こたつ隊みたいにメンバーの誰かに大将役を譲った場合も、「大将の格好をしてる人」が大将の役を演じますので、戦場に入ると兵士達と切り離され、この本陣にそれぞれ座らされます。
現在は橋を渡り終えて入場してくる後続の部隊(他の武将とその麾下の兵士達)を見守っている所です。
おお〜続々と入場して来るなぁ、
と見守る上杉本陣の武将達
↑武将達は今、土手を下る兵士達を見てますが、武将達の後ろに架かる自動車も渡る大きな橋が「鵜飼橋」です。
この橋を左から右に→と渡って、やがて下の土手↓に到達するので、武将達はそれを見ているわけですね。
橋を渡りきり、土手を下って来る兵士達
恐らく武将達にはこんな具合に見えてるでしょう
そして土手の途中の入口から戦場に入って来ます。
見ての通り、人が入って来る地帯にはしっかりと地面がありますが、ここは笛吹川の中にしつらえられた陸で、戦場は文字通り「川中島」になっています。
こうして観客席とは逆方向から戦場入りし、目の前に観客席がこう広がります↓。
既にいっぱいに埋まる観客席
一番奥に観客席、手前に川、その手前が戦場、そのさらに手前にも川があり、兵士たちは今、しつらえた木橋を渡って戦場に入って行くところです。↓
木橋を渡る兵士達
↑この奥にあるのが「鵜飼橋」。つまり「鵜飼橋→土手→戦場」と
コの字
に折り返して入場してくるワケです。
その後、二度ほど木橋を渡ります。
いよいよ総大将、上杉謙信の入場!
最後に入場する米沢稲富筒砲術隊
<新バージョン・「鵜飼橋」手前の陸橋→観客席へ>
一方の新バージョンでは、「鵜飼橋」を渡らず、橋の手前の道路にかかる陸橋を超えて川の手前から入場しました。
陸橋を渡る兵士達という、世にも珍しい光景(笑)
やはり新バージョンでも、この辺りから大音響の行進曲が聞こえて来ます。武者震いを感じる瞬間です(笑)。
陸橋を下りると、お馬サンはそこに待機しますが、我々はすぐに土手に出ます。
この土手は、それまでの祭りでは、我々兵士にとって川に阻まれてたいそう遠い場所だったのですが、新バージョンでは、この大勢の観客が席を占めている中を通って行きます。
左の写真の通り上の方には屋台が立ち並び、我々の通り道は、土手の上段と下段の合間あたり。下の方には前列の観客が居ます。
右の写真の通り、前列に座るお客さんの顔になると、見られるワケではありませんが、通っている道筋にいるお客さんはよく見えます。
それでは、これよりこの新バージョンにのっとって、パレード最後の「兵士入場」シーンに移りましょう(^^)。
武田軍団・入場
以後の入場シーンは2005年と2006年の見学の時に撮りました。2年合わせて編集しましたので、同じグループが違う部隊名で登場する場面もあります(^^ゞ。
またこの祭りでは随分と知り合いが増えましたので(笑)、写真を撮る時にあちこちの部隊と声を掛け合ったりして、途中でお隣のお客さんに、「地元の方ですか?」とか聞かれ、「あ、いや、え〜〜と(^^;)」と答に詰まったのが、我ながら
良い思い出
となりました(笑)。
<武田軍「風の軍団」>
各部隊が入場して来るたびに、辺り一面に武将の名がアナウンスされるのですが、「皆様にご案内」といった柔らかい雰囲気ではなく、力強い行進曲に乗って、いかめしく野太い男性の声で「何々の何々の守、入場されませ〜い!」という具合に、全てが時代劇口調で勇ましく呼び出される、というスタイルを取ってます。
音を発ててノロシが上がり、最初の部隊登場
武田軍団は「風林火山」の4部隊に編成されてます。
まずはじめの「風の軍団」は、
飯富兵部少輔虎昌/小山田左兵衛尉信茂/横田備中守高松/板垣駿河守信方/土屋右衛門尉昌次/甘利備前守虎泰
の6部隊。
これは「
横田備中守高松
」隊を務める
てんた
様達のグループです。→
この「八」の字は「横田高松」隊の隊旗。
←六番目。
城田ジョウ
さま達の「
甘利備前守虎泰
」隊が入場します。↓
この赤と白の縦縞模様が「甘利虎泰」隊の隊旗。↑
<「林の軍団」>
続いて七番目、
用宗左近将監
さま達の「
小幡山城守虎盛
」隊が入ります。
↑「小幡虎盛」隊の隊旗は、この笹の葉の旗。
「林の軍団」は、
小幡山城守虎盛/山県三郎右兵衛尉昌景/穴山玄蕃頭信君/真田弾正忠幸隆/馬場美濃守信春/武田典厩信繁
「
山県三郎右兵衛尉昌景
」隊を務める
星友
さまの隊→
中央で「え?」と聞き返しておられるは
猛馬飼育係
さま、私を見付けるや「なぜそこに〜〜〜!」と言われ、「今年は見学なんです〜〜〜」と答えた声が聞きづらかったようです(笑)。
そして一番後ろは
星友
さま。
「穴山信君」隊。
「真田幸隆」隊。
↑この穴山隊の中に、いわゆる「孫子の旗(風林火山)」や「風」「林」「火」「山」それぞれの旗、また「日の丸」などの大旗がドッと混ざり込んでました。
また「真田」には二隊あって、この「幸隆」隊の後に「信綱」隊が後から出て来て、同じ六文銭の旗も色で違いを出してます。
他に「小幡」「原」「武田」と同じ姓で複数の隊があるので、一瞬見えてもキチンと名前を下まで見る必要がありますね(笑)。
「
武田典厩信繁
」隊を務める
星友
さま隊のご一向。
<「火の軍団」>
特に目立った自前の旗(笑)
そして「
高坂弾正忠昌信
」隊ですっ♪
この第三軍団「火の軍団」は、2006年には、高坂隊とともに別働部隊で活躍したので、この年たまたま「武田刑部隊」に組み入れられたこたつ隊は、二度目の高坂別働隊をやらせて貰いました(^^ゞ。
この高坂隊および別働隊については、合戦がスタートしてから詳しくお見せしましょう(^^)。
尚、2006年にともに別働隊(後に援軍)として活躍した「火の軍団」の部隊は以下。
高坂弾正忠昌信/武田刑部の少輔信廉/小幡豊後守昌盛/一条右衛門大夫信竜/真田源太左衛門尉信綱/多田淡路守満頼
そして二度目の高坂援軍部隊を拝命した「
武田刑部の少輔信廉
」隊の
こたつ
隊(^^)。
2005年が最後のご出陣、
紋次郎。
さま隊
お役は「
真田源太左衛門尉信綱
」隊
<「山の軍団」>
↑は以下。
三枝勘解由左衛門尉守友/秋山伯耆守信友/原隼人佑昌胤/内藤修理亮昌豊/原美濃守虎胤/山本勘助晴幸
最後の三部隊「内藤」「原」「山本」と入って来ます。↓
山本勘助隊は立派なお揃いの陣羽織で、この衣装は信玄本陣の守りに着く方々のお召し物に似てた気がします(゚.゚)。
それとこれも2006年より新企画で、この山本勘助と信玄の会話が入ると、前もって送られた進行表にありました!
きっと今年の大河ドラマ「風林火山」を意識しての企画だと思いますので、今年も同じような企画が盛り込まれてるかもしれませんねっ♪ 行かれる方は乞うご期待っ(^^)。
上杉軍団・入場
<続いて上杉軍の入場・前半>
ひたすら華麗な武田軍に比べると、上杉軍は旗や幟も少なく色も地味ですが、その分逆に、入って来た途端「黒い!」と重量を感じさせて、そこが凄く強そうに見えます。
上杉軍の軍容は、まず前半が、
■先手の大将
柿崎和泉守景家/新発田因幡守治長/島津左京進規久
■二の見の大将
水原壱岐守隆家/斉藤下野守朝信/竹俣三河守広綱
■前備の大将
須田相模守親満/松本石見守景繁/下条薩摩守実親
■左備の大将
本庄越前守繁長/安田治部少軸長秀/長尾遠江守藤景
■右備の大将
新発田尾張守長敦/山吉孫次郎豊守/加地安芸守知綱
まずは
米沢稲富筒砲術隊
を先頭に……
筑後川
さまのおられる「
水原壱岐守隆家
」隊
↑上杉家の地元、山形県米沢から出場する米沢鉄砲隊(米沢稲富筒砲術隊)は、いつも一番最初に入場します。この祭りで唯一「鳴り物(太鼓)」を鳴らしての入場なので、遠くからでも「そろそろ上杉軍が近づいて来た」と判ります。
一方筑後川さまは2005年のこたつ隊で参加。水原隊に編入されてました。
そしてこちらは「ゆるり隊」の目印の旗と教えられた気がしますが、何しろ「
斉藤下野守朝信
」隊→
そして毎年「正苑隊」でご紹介してた、謙信守備を努めるこの一軍。この年は
足利常陸介
さまが率いられ、「
竹俣三河守広綱
」隊として入場(^^)。
正苑
さま(^^)。→
一海
さま達の「
須田相模守親満
」隊。
安田治部少輔長秀
(
相模守太郎
さま)隊、掛け声に応じ→
鍋之介
さまが振り向きっ
<上杉軍・後半>
続いて後半の部隊もご案内。
■本陣
高梨源太郎政頼/大河駿河守忠秀/鮎川摂津守清長/井上河内守清政/綿内内匠守広綱/村上左衛門尉義清/色部修理進勝長(軍奉行)/宇佐美駿河守定勝(軍使)
■後備の大将
中条越前守藤資/古志駿河守秀景/大崎筑前守高清
■後押しの大将
甘粕近江守景持
■小荷駄の大将
直江大和守実綱
■他
安養院/丸田勘解由/上杉謙信
「
鮎川摂津守清長
」隊は
梵天丸
さま達の隊。
井上河内守清政
(
荒川・並木正苑
)隊と、
村上左衛門尉義清
(
松澤佳蓮・軒猿頭
)隊
「
大崎筑前守高清
」隊は、
柿崎和泉守景家
さま達が勤められました。
そして
謙信
さまっ。最後のご入場〜♪(前には
安養院
さん)
最後の、この僧形お二方も、「これで行列が終わり」とわかる強烈な目印となられてます。
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