<石和川中島合戦戦国絵巻・総集編レポ05>



2002/04/14、山梨県石和町、笛吹き川にて。

快晴。うだるような夏日(笑)。
上杉陣より武田軍武将達を写す。


     
  <両軍・観客席ショット&戦場ショット>

まず観客席から見える戦場は、今こんな感じです。

少しづつ陣容を埋める上杉軍(左・紺)、既に場を埋めている武田軍(右・赤)

次は入場していく兵士視点で(^^ゞ。↓
土手の観客席を一通り過ぎたあたりで、上の写真でもおわかりの通り、川を渡る仮橋が設けられ、これを渡っていよいよ戦場に入ります。

土手の途中で前の列が行くのを待たされてるこたつ達
仮橋を渡る、周囲は川

いよいよ戦場入り。↓

このように既に待機している武田軍の前を通ります。

↑大きなパネルのような物が写ってますが、これは大画面テレビで、兵士の中に混じってカメラマンが写す映像が流れます。何かオリンピックみたいですね(笑)。

さらに進むと、左側の上杉軍に行く前に演出部隊の一部と遭遇します。↓

最初のセレモニー「献塩の儀」に出場するべく「御用塩」を備えて待機。(志摩守さま↓戦姫さま→)



<入場完了・両陣営>

かくして武田・上杉、全軍が戦場に入りました。

左・上杉軍。謙信+武将の本陣と、タテヨコに兵士の重層な構え

右・武田軍。中央を横に展開する兵士と、信玄+武将の本陣

展開する最左翼に上杉武将席、そこからやや中央寄りの黒い人だかりが上杉兵士達、今真ん中を割って、最後の上杉兵が続々と列を作って、その黒い人だかりに合流して行きます。
一方の武田軍は配備完了してます。中央寄りに横に広がっているのが武田軍の兵士達。最右翼に武田武将達。↓

観客席の後列から、前列と戦場を撮影

ホームページ上で見せようとすると、どうしても横のサイズが出せませんから、ただでさえ小さく見える兵士が、さらに小さくなってしまいます。
しかし、どのぐらい横に広く、また観客席から遠いかは、手前の観客の背の並び方で、およそ想像がつかれると思います。

こうして人が入って来るまでは「あ〜大きいな」ぐらいにしか感じませんが、この戦場の中でチョコマカと人が動くたびに、人と周囲の大きさが比較され、改めて「広い( ̄∇ ̄;)」と痛感しますっ。。

上の入場シーンの連続でもかなりの人の多さですが(笑)、上に載せたのは主に知り合いの隊列で「ほんの一握りの隊」です(^^ゞ。あの何十倍もの人の群れが続々と目の前を通って行った事になります。

今度は武田軍側から上杉軍の兵士達を見てみましょう。↓

改めて近くに見ると、黒々と威圧感が……(笑)。

一方、上杉軍からは武田軍はこう見えます。↓

若干ズーム(拡大撮影)を効かせてます(^^ゞ。

また同じく上杉軍から、武田とは反対方向を見ると……。↓

ドーーン!と上杉本陣の諸将達
むろん中央は上杉謙信

上杉軍兵士は、見ておわかりの通りグシャッと固まってますから、このように本陣はわりと近くに見えます。


一方の武田軍兵士達は横一列に長く距離を取って並んでますから、配置によっては武田の本陣はかなり遠いです。じゃ何がよく見えるかというと、実はド真ん前に「観客席」、つまりお客さんの顔が一人一人かなりよく見えるんです(^^ゞ。

上杉軍でも一番前にいる人は同じように観客がよく見えますが、殆どの人は前の兵士の背中(背旗など)に遮られて、横(左右)ばかり見てます(笑)。

こうして両陣営とも総大将が着座し、行進の音楽がやんで、ナレーションが祭りの開始を告げるのです(^^)。
それまで流れていた音楽の時間が長かったですから、ここで場内外ともに一瞬シーンと静まり、代わって兵士達の背旗や武将達の大きな旗が風でたなびき、その音がまた壮観な響きをともなって新鮮な感動を呼びます。(観客席にまでは残念ながら聞こえないです(^^ゞ)
 
     

開会〜上杉→武田「献塩の儀」〜演武

     
  ↑時間的には全部で15分程度だと思います。

先に述べますと、その後「砲術」「三献の儀(武田)」「武蹄式(上杉)」が25分程度。
合わせて約40分ほど、観客を楽しませながら少しづつ合戦モードに引き込みます。
一方この40分ほどの時間は、上杉兵士にとっては「お昼寝タイム」となります(笑)。



<開会の儀(開催者挨拶)>

いよいよ開会。まずは関係代表者の挨拶から。

観客席から見る「開会の儀」
まだチラホラ残る桜の花(^^)

参加されてる方(特に上杉軍)には大変申し訳ないのですが、散りきらぬ花びらが、時折背後の桜並木から舞い散って来たり、また確保した屋台の食い物を落ち着いて食べる時間でもあり、この時間帯、観客にとっては大変に良い風情です(爆)。
本当は「桃の花まつり」なんですが(^^ゞ、桜でも戦場に舞う花びらには風情があります。

一方、右のは、武田軍にはじめて参加した年でして、挨拶される方は観客の方に向いてますから、武田軍には背中しか見えませんが、それでも本当に目の前です。→
荻野実行委員の開催宣言→

上杉陣営にいると、この挨拶、遠くからこだまする声が響いて来るだけで、姿形は全く見えません。



<「献塩の儀」両軍進発>

ここから会場には、「笛の音」が響き渡ります。

まず最初は「献塩の儀(本物:笑)」。これも「観客席からの視点」が一番です(^^ゞ。
と言っても、観客席から見える光景は、一人一人の登場人物がとても小さいです。
そのかわり「全容がよく見え」ます。

広い戦場の左から上杉、右から武田が歩み寄って来ます。

この儀式に登場するのは、いわゆる演出部隊の人達で、描いているのは「上杉軍から武田軍に塩(の入った俵)を献上する」シーンです。

史実の上で、こんなにハッキリと軍から軍へ「塩を送る」光景があったかは定かでないですが(笑)、これはこの先お送りする「川中島合戦」より後の永禄10年(1567年)、武田信玄が、今川義元なきあとの今川氏の駿河に侵攻を開始した頃の話です。

海の無い武田は、今川や北条、上杉といった地域からの海産物一切の流通に頼ってましたから、当然「塩」も他国から得るしかありません。
が、信玄の上洛戦を阻むため、今川氏真(義元の子)が音頭をとって、相模の北条氏と手を組み、越後の上杉にも呼びかけて、甲斐や信州など武田領地への塩止めが始まります。

しかし越後の上杉謙信は、「武田は確かに長年に何度も戦った敵だが、塩を止めれば苦しむのは領民だ」と、呼び掛けられた「塩止め」に協力しませんでした。

武田と上杉の間は、信濃の領有を巡って、長く川中島合戦が戦われていました。
その信濃は結局は武田が領有するようになってましたから、そこに塩を送れば、塩は当然武田の手元に行くわけですが、越後からはこのルートを通じて、甲斐に塩を送った事になります。甲斐と同じく海に接していない信州も困窮していましたから、越後から送られた塩に感謝して「塩市」を開いたと伝わり、また「敵に塩を送る」で有名な戦国期の美談ともなりました。

晩年の信玄は謙信の心に感じ入ったとも言われます。
後年には織田信長により滅ぼされてしまった武田ですが、その関係は信玄の娘が上杉家に嫁いで両家は和を得ました。

さて、このシーン。上杉や武田の軍からはどう見えるでしょう(^O^)。

まずは「上杉視点」。出て行く時はわりとよく見えました。

これは2002年でした。わりと目の前から進発しました。
その年によって、若干戦場の使い方に違いがあり、この年はわりと近かったです。
ただ、目の前を塞ぐように立ち込めてる紺色の旗は、実は写してる自分達の前に坐している兵士の背旗でして(^^ゞ、このように群集の合間(隙)から、ズームを効かして撮影するのがやっとです。

また、こうして進発する時までは見えますが、これが遠ざかって行くと「あ〜見えなくなっちゃったね(^^ゞ」という感じになります。
 
     

     
  <「献塩の儀」塩の引渡し・退場>

再び「観客席からの視点」に戻ります。上杉軍から出た塩俵を乗せた荷台は……。↓

←−−−−−こんな具合に両サイド止まってる間で、お塩を配達−−−−−→
↓中央拡大↓

このように、上杉(紺色)が、「御用塩」と書いた俵が乗ってる手押し車ごと、武田(赤)に引き渡すのです。

もう一度「上杉視点」に切り替えます。↓

←こっちは2004年。武田軍と遭遇する上杉兵士達。
かなりのズームなので、実際にはこんな近くには見えません。

殆どのセレモニーが私の座高が極端に低いせいで見えないので(^^ゞ、この時は、亭主が立ち上がって何とか現場に近寄り撮ってくれました☆ミ

さて、一方の「武田軍からの視点」。
こちらはかなりよく見えます(^^)。

右から上杉軍が出て、武田に塩が送られます。

いよいよお塩が引き渡されます。また「観客席視点」。↓

お塩(手押し車)を引き取った武田軍

「確かに受け取った」というアナウンスとともに塩を乗せた台車ごと引き上げ(→)

上杉は引き渡された事を確認し……

再び上杉軍へと戻って行きます。

最後に「武田視点」↓

上杉から受け取った塩を乗せて、武田陣営に持ち帰る武田兵

まぁホント目の前(^^ゞ。武田兵士達からは、このように背後の観客席もよ〜く見えます。
 
     

     
  <古式武道奉納「太刀」>

↑と進行表にはありますが、私らはだいたい「橋の上の演技」とか呼んでます(^^ゞ。
と言うのも、一番最初の2000年ごろには、煙幕の中をスゴイ殺陣シーンが戦場で展開されたような覚えがあって、これは上杉軍からも見えました。

それが今は橋の上で、何か竹の束のような物を真剣で切る演技とか、殺陣の立ち回りとかやってるようで、観客席から拍手が聞こえて来ますが、観客席でも「ごくごく一部の人」にしか見えず、このシーンについては「格段に武田軍からの視点(だけ)が良い!」と断言できます!

上杉兵士になると「あれもこれも何も見えない」という状況がそろそろ長くなり、この辺りから眠気がやって来ます(笑)。
以下は2001年の上杉軍からの視界。

観客席はあんなに遠く(^_^;)。
その前にかかっている橋で催しが始まっています


手前に並んでいる長柄槍は我々兵士たちの物ですが↑、待っている間は座っているので、このように横たえておきますが……。

「見えないぞ、見えないぞ〜」
だんだん前に寄って来る兵士たち(^_^;)

かくして、彼らが背につけた旗指物で、完全に見えなくなる私(^_^;;;;)

2002年からは「強力ズーム」の威力で(笑)、写してから後で写真を見て「こうだったのか」と知りました。↓

2004年、奇跡的に写ってた一枚(笑)

←さて、次は観客席に移ります。
2年連続(2005・2006)土手の最上階に陣取りましたが、ここも殆ど見えないです(^^ゞ。

これがわりとよく見えたのは記憶の限り、2003年の武田部隊にいた時だけ。
この写真でも、武田兵士は後方に座して目の前で見てるのがよく判ります。

しかもそれは、このセレモニー中の演技だけで、その後のは武田でも(自分達も合戦に参加するため)居ませんから、結局橋の上の演技が見れるのは、観客の中でもほんの一部かも(^_^;)。

ただ観客席なだけあって、写真だとモロ人影に阻まれてるように見えますが、動きだけは、前の観客の合間をぬってウッスラ確認できます。

そして……そう、今も言った通り、武田軍からは抜群の視点です!
↓「武田視点」スタート(笑)!

二刀流の武士&斬りかかる兵士

頭上に命中!
斬られ役も迫真の演技!

こんな具合に刀がモロ当たってるシーンを撮るとなると、結構バシャバシャ撮る必要はありますが、それにしてもよく見えます。
これも演出部隊の演技です。殺陣の練習をしてる部隊なので、一般の兵士が参加はしません(見るだけ(^^ゞ)。
 
     

米沢稲富銃砲術隊(火縄銃)

     
  <米沢稲富筒砲術隊>

実は最初の2年(2000・2001)ぐらい、この時間には「弓の演武」というのもあった気がします(^^ゞ。
ビュンと目の前に飛んで来て、「危ねー!」と言う兵士も居ましたね(笑)。距離を安全に取るためか、この頃は、ただでさえ遠い上杉軍から、セレモニー類がさらに遠ざかっていたかもしれません。

その内に弓は無くなり、その分長いセレモニーの時間が短くなったような気もします。

で、今なお続いてる「砲術」ですが、これはどこに居ても体感できます(^^ゞ。
というのも殆どの場合、初めての人がこれによって驚くのは「音」だからです。

眠ってた人も相当ボ〜ッとしてた人も、この轟音を聞いて「ハッ(*o*)」と目覚め、何が行われているのか確認して、火を噴く火縄銃とその煙を見ます。

戦場とは地続きでない観客席では「音だけ」なんですが、戦場にいる兵士には、地を伝ってその轟音が受け取れるので、その威力を思い知らされます。
これは武田も上杉もナイですね(^^ゞ。武田側から打ち込みますが、どちらにいても同じぐらいの迫力が伝わります。

まずは毎年「ドーンドンドン」という太鼓とともに入場して参ります(^^)。
上杉軍から戦場に入って来て、武田側から上杉軍に向けて発砲します。

米沢稲富銃隊の入場。上杉軍より撮影。

ドンドンド〜ン、ドンドンド〜ン、とリズミカルな太鼓の音とともに……

このように銃(つつ)を肩の上に寝かせ持って登場します。

この2002年からはデジカメ購入により(しかもまだ故障してなかったので(^^ゞ)、10倍ズームを駆使しまくって、遠い武田本陣の様子を上杉軍からもよく映しました。撮影者でも現地では殆ど見えなかった絵が撮れてます(笑)。

武田本陣から上杉の陣営に向けて発砲用意