<石和川中島合戦戦国絵巻・総集編レポ03>



2001/04/15、山梨県石和町、南小学校(上杉軍控え)にて。

こたつ隊、15名。
空は快晴。正午ごろ写す


正午〜午後・見学スタート「神楽舞奉納」

     
  一方、見学の場合、出来れば正午までには来ておいた方が好みの席は取りやすいです(^^ゞ。

でも私のようにレポート用の写真を撮りたいといった、特殊な要望の持ち主(笑)は別として、席は全て土手の坂にあって、前列が低く後列が高いので、前列しかよく見えないといった事はありません。
舞台はかなり大掛かりですので、相当に遠目に見ても「意外とよく見えたな」と感じる人の方が多いんじゃないかと思います(^^ゞ。
祭りは雨天決行ですが、傘で視界が遮られる心配もそんなに無さそうに感じました。

ネックになるのは車です。参加者は大抵前の日から泊り込んでいて、近くの宿に車を置かせて貰えるのですが(出掛けに一言いっといた方がいいとは思います)、見学となるとそこまで思い付かないでしょうから(^^ゞ、泊まっていても午前中に既に宿を出てしまい、この時間帯になってから来て、すでに近くが満杯になってて「あ(^_^;)」と思う人もいるかもしれません。

この土手のある所からはかなり遠いんですが、緊急の駐車場とかも一応配備されてるようです。係員の人がアチコチにいて、地図で場所を説明してくれます。土手までちょっと歩くとは思いますが、電車で来られて駅から歩いて来る人に比べれば近いですよ(^^ゞ。



<会場「笛吹川」に到着>

歩いて川べりまでやって来ると、会場の横合いから入って行きます。左に見えるのが「鵜飼橋」。地図B←駅からやってきて、鵜飼橋を渡る直前の道路と川の間の土手に入ります。
この入り方はここ数年、兵士が入場する時の通り道にもなってます。

パノラマ3枚。左が鵜飼橋。川は笛吹川、右がこれから進む土手の観客席。

そして戦場の前まで来て席を取ります。

戦場前・パノラマ5枚(180度以上・かなり魚眼)

土手の背後にはオイシイ飲み食い屋台( ̄∇ ̄)が軒を連ねています。
ここで時間を過ごす内にお昼になりますから、ここで行われる出し物を見ながら腹ごしらえをし、観戦に備えるわけです。
ほうとうが美味しいです。あと、ここのジャガバタには味噌がついてて最高です!(爆)



<神楽舞>

戦場予定地の中央におかれた演台に、静々と神楽舞の方々が進みより、おごそかに舞を披露します。


「山梨県指定無形民俗文化財、甲斐国二之宮、美和神社太々神楽」と題され、この演目は「天降舞」とされてました。



↑「天降舞」の面々は舞い終わると、やはり静々と橋を渡って退場なさいます。

代わって、次の方々が壇上に上がられ、剣舞を披露。↓


前日「山梨岡神社」に行った時、その説明書きに「久米氏にはじまった、4人による剣舞」というのがあり、こういう物かな(゚.゚)と思いました。


↑最後に、後から橋を渡って来た赤鬼が舞いに混ざります。お話は鬼退治なのでしょうか。なかなかひょうきんで楽しい舞だと思います。

最初の見学の年(2005年)には、後方の桜並木からフワフワと遅い桜の花びらが舞い散って来て、歌舞伎のよう絶妙な舞台効果となってました(^^)。

演出部隊の人が時折、戦場をウロチョロされてます。
橋を渡る前、ふと川をじっくり覗き込んでおられました→
これは、ぷくぷく志摩守さまですね。「深さを測っている!」と思わず爆笑しましたっ!

というのも、この川では演出部隊の人が次々と斬られて飛び込むのです。水量があっても流れが早ければ危険ですし、水量が無いのはもっとヤバイのです(^_^;)。。飛び込まなくても、それなりスゴイ感じなんですがね(^^ゞ。

 
     


「武田演習・上杉記念撮影・全軍昼食」

     
  <武田軍・演習〜昼食>

武田軍では、長い記念撮影が終わると演習はあまり長くはなく、わりとさっさと昼ご飯になった感じがしました。

演習風景。自分達では写せないので人様に頂いた一枚(^^ゞ。

演習は上杉軍とはちょっと違いました。
上杉軍は朝礼状態で校庭にまず並ばされましたが、武田では上の写真のように、校庭の奥側に横に寄せて並ばされ、この写真のさらにもっと右側に高坂本隊など、いわゆる名のある武田本隊がズラッと並び、そのさらに右に信玄公本陣、という配置です。

信玄公と補佐の武将達の前に並び替える練習をし、走ったりは一切無く、この日は雨模様で暑くなかった事もあり、わりとラクチンな演習タイムでした。

私達が武田軍に配備されたのは二度とも援軍部隊で、一度目は高坂隊、二度目は高坂隊とともに援軍部隊だった武田刑部隊でした。
一度目の時は、この時に赤忍者さんが指導に来てくれました。

実は、かつて高坂隊は戦線離脱した後、皆バラバラになってしまい、援軍に戻って来る時間に合わなかった事があったそうです(^^ゞ。

既に送られて来た資料で、ざっと高坂隊の動きは確認していたのですが、出て行く時のタイミング、観客席に入ってから誘導してくれる相手、戦場に戻って来る時の事も含めて、ちょっと打ち合わせを行いました。

そしてユッタリくつろいでお昼ご飯

パレードでは武田軍が先に入場するため、若干早めに先発しなくてはなりません。
と言うわけで、わりと早々とご飯を食べますが、武田軍の皆さんはこのスケジュールに慣れておられると見えて、ささっとお弁当を貰い、各々あちこちに散らばって行かれ、それぞれ陣取って昼食タイム♪



<上杉軍・記念撮影〜昼食>

一方の上杉軍では、演習(点呼確認みたいのと大将役の集合)の後、昼食時間を迎えてから記念撮影が始まる、という感じだったと思います。従って、武田に比べると記念撮影は一瞬で終わる感じがしました。

隊ごとに呼び出されて記念撮影をして貰い、終わった順から弁当を貰って、校庭の好きな場所に陣取り、各々お弁当を頂きます。

かくして、ワイワイガヤガヤ、お弁当〜♪

お弁当は参加費の中に含まれていて、内容はみんな一緒です。これの他に、信玄と謙信が一騎打ちをしてる絵が入った手ぬぐいがプレゼントされます。

今、我が軍は弁当中ゆえ、すぐには動けぬっ(爆)
人気殺到の自販機(^_^;)。

自販機の飲料水は、この時点で売り切れという事態にはさすがに会った事が無いですが、昼休みになるとみんなが買いに走ります(^^ゞ。

この時期(毎年4月半ば)、本来なら雨になる確率も低くはないのですが、どういうわけか、この石和のお祭りの日は晴れる確率が高いそうです。

嬉しい反面、悩ましい所でもあり(^_^;)、あまりに晴れるとかなりの乾きに悩まされますし、カメラ写りも顔に影が入ってしまうのです(特に兜を被ってる人は)。

私の出場した中では、2003年が珍しく雨で、地面に座る事の多い出場者には、かなり厳しい状況でした。
一方その翌年の2004年がすこぶる晴天……と言うか、ほぼ猛暑に近く、戦後もちろん、既にこの時間帯から参加者の幽気が漂ってました(笑)。

あ〜〜、アジィアジィ。喉渇いた。飯だ飯だ(これがその2004年:笑)
 
     

     
  <武田・先発>

武田軍は、ここまではのんびりモードですが、昼ご飯を食べ終わったら、わりとすぐに出陣(パレード開始)です。
ここまでの間、何しろ記念撮影の時間が長かったので、トイレは自由に行き放題ですから(^^ゞ、そんなに慌てるとか困るという感じではないですが、上杉軍より先に戦場に到着しなければなりませんから、食後はさっさとトイレに行って、着付け直しをして貰ったら、準備して整列となります。

用宗左近さまと取扱中尉さま
パパッと校庭に並ぶ武田軍(こたつ夫婦と梵天丸亭主さま)

ここで上杉軍では、まず観光団その他の名を呼び、各隊の陣容を確認したり、注意事項を改めて述べたりしたのですが、武田はそういう事は一切無し。順番ごとに呼ばれてドンドン先発していきます。

いよいよ出陣! あ〜お館様〜(^O^)/!

いつも上杉では観光客同志なんですが、こうして整列した時、地元の方々に「その瓢箪には何が入ってるの?」などと声をかけて頂きました(^^)。
ちょっとした事なんですが、地元の方と交流できて嬉しい時間でもありました♪



<上杉軍・食後のマッタリ撮影ごっこタイム(笑)>

一方の上杉軍。
こちらは昼食後トイレに行って、また着付け直して貰ったり、各隊同志で記念撮影をしたり、武田に比べれば時間はあるのですが、トイレは混んでますし、この時間帯、観戦に来られた方々ともお会いするなど、居れば居る分だけ遊んで過ごしますので(笑)、感覚的にはやはり「短い間にすぐ集合してパレードに出た」という印象が残ります(^^ゞ。

2001年、おめぐ隊とこたつ隊の合同撮影会

この時、前夜の宴会疲れが出て木陰で寝てたりする人も居ます。観光と戦の両方をやるのは体力が要りますよね(笑)。

これで校庭での時間は終わりですので(^^ゞ、最後に戦場では合戦に忙しくて、なかなか見られないお遊びシーンの数々をご紹介しましょう。



こういう仲間同士ならではのドラマ仕立てっぽい撮り方、逆に戦場ではあまり出来ないし、戻って来てからはわりとすぐ甲冑を脱いで返すので、校庭にいる内に撮っておくといいかもしれませんね(^^ゞ。

さて、上杉もそろそろ後発します。
刀は鎧を着た当初から身に付けていますが、槍はパレードに出掛けて校庭を出る間際に、一人一本づつ手渡されます。武田軍のは軽くて持ちやすいんですが、上杉軍のはかなり太くて重いです(^^ゞ。倒さないように気を付けて歩く事になります。

もう一つ言うと草鞋(ワラジ)。帰りに係の方に断れば余分のワラジを下さいます(^^ゞ。
二年目からは前に貰った草鞋を持っていって、このように括りつけてました。↓

腰に括り付けた瓢箪と草鞋(ワラジは小学校で配布されます)

ファッションとしてもイケますし、何よりも「替えの草鞋」があると、道中切れてしまった場合(わりと切れやすいです(^_^;))、何かと重宝します。

ちなみに、草鞋とともにつけてる瓢箪は完全にただのファッションです。
私がのりび様のHPで竹の水筒を見つけて欲しがったのですが、そのかわりに、じーや様&うーろん様が見つけて来て、ご用意下さったものでした(^^)。遠目からは、もしかして竹よりも目立つかも?
パレード中、沿道の見物客から「瓢箪だ、瓢箪だ」と歓声が上がったのをメンバーが聞いております。
 
     


「パレード開始」

     
  パレードの開始は、だいたい午後1時ごろです。
川(合戦会場)から遠い北小学校の方が行軍の時間はかかります。

小学校の南北は後で入れ替わる事がありましたが、武田軍から先発、上杉軍は時間を見計らって後発という設定に変わりはありませんでした。

昼休みなど、よく町内の人々に「出る時はどこから出るの? 何時ごろ? どこを歩いて行くの?」と聞かれます。
会場で戦を見る人も大勢いますが、パレードだけでも見ようという人も多いのだと思います。

そういう人にとっては、鎧軍団を見掛ける時間は一瞬で過ぎますから、「いつもどこからスタートしてるのかなぁ?」と思っておられる感じが受け取れました(笑)。

だから出来れば参加する人(が一番声を賭けやすいですよね、間違いなく関係者だと一目でわかりますから:笑)が、通る道を心得て答えてあげられると、見に来る人は予定を立てやすいかもしれません(^^ゞ。
地図C(石和北小学校・南小学校・鵜飼橋・の位置関係)



<先発・武田軍・パレード開始>

私達が最初の武田軍だった時は、北小学校から出ました。

各々の背旗が高坂弾正隊の九曜紋です

空模様を気にする謙信公
威風堂々の信玄公
←パレード中、謙信公と信玄公がバッタリ遭遇したそうです(笑)。

さて、ここから先が、2000〜2003年の4年と、2004〜2006年の3年では入場ルートが異なります(^^ゞ。
今の所、後ろ3年の方針が今後も継続されるのではないか、という気がしてます。
が、前の4年のルートは2000年よりも前から通っていた道筋で、長くこの祭りを知ってる人には懐かしい映像でしょうし、又いつか元に戻る事もあるかもしれないので、両方をお届けしたいと思います。地図D

まず古い行軍ルートは「鵜飼橋」を渡って笛吹川を超えてから戦場に入って行きます。
観客席は先ほどもお届けした通り、橋の手前の土手にありますから、観客の目には向こう岸から軍が入場して来るように見えます。
最初にこのルートをお届けしましょう。

それに対して新しい行軍ルートは「鵜飼橋」を渡らず、観客の人と同じ土手からイキナリ入場して来ます。
観客席の間に作られた道筋を兵士が練り歩くので、お客さんは目の前で行軍を見れます。
このルートについては、後でお届けします。



<「鵜飼橋」より見える戦場>

「鵜飼橋」を渡る時、兵士達からは戦場がこのように見られます。

ウワ〜ッ! 誰も居ない! カンドー!!!

↑この感想。武田は先発、上杉は後発ですから、それまで長い間上杉軍で出陣した私達は、上杉部隊が到着する時、この会場が既に武田兵でビッシリと真っ赤に染まっている所しか見た事ないからです。
こんなに閑散とした戦場に乗り込むのは気分イイ〜〜〜!!と思ったわけですね(笑)。

観客席は橋の渡り始めの頃通り過ぎますので、兵士達からも観客席がちょっと見えます。が、こうして橋を渡ってしまうので、観客との接触はありません。

ただ戦場じゅうを大音響の勇ましい音楽が鳴り響いてますから、この辺りに来ると、「おお〜! 祭りが始まっている!」という強い実感を得ます(^^)。
 
     

     
  <後発・上杉軍・パレード開始>

さて上杉軍は後発です。
昼食後、再び校庭に整列し、点呼確認などしてから、隊ごとに順次粛々と校庭を出て行きます。

校庭を出て行きます
通りに出て公園を抜けます

パレードは、各隊が道路横断のたびに車の交通整理をしながら行われます。各隊ごとに偏りなく行軍するため、この公園で時間調整のための待機があります。↓

こたつ隊、時間調整のため公園で少し待機

このシーンを上杉軍による渡河シーンになぞらえて、「鞭声粛々夜河を渡る」と銘打ってるサイトもありましたね(笑)。
具足、特に地下足袋に日ごろ足が慣れてない上、この長柄槍を持ち歩くのはかなり大変ですから、ちょっとストップがかかる方が兵士はラクだったりします(笑)。

また歩き出すと衣服が乱れたり、昼休みにトイレに行き損ねた人が、この公園でトイレに行ってしまうシーンも見掛けますが、すぐに出発する事もあるので、あまり列から外れない方がいいですよ(^^ゞ。

いよいよ町に出て行軍を再開する、こたつ隊!

これは信号待ちです。
こういうストップの時に前後左右の人同志で、ちょっと槍を持ってあげたり、曲がってる背旗を直してあげるなど、気を使ってあげるのが親切だと思います。
互いに嵩張った格好をしてますから、そういう時にお互いの武具類が衣服に引っ掛かるのには気を付けて下さい。

また、配布されるワラジがやわいため、このアスファルトを歩くだけで破れてしまう兵士も居るようです。皆様、くれぐれも地下足袋をお忘れなく〜。