<石和川中島合戦戦国絵巻・レポート5>
<前備・左備・右備・本陣の軍団>
続きまして、
■前備の大将
須田相模守親満/松本石見守景繁/下条薩摩守実親
■左備の大将
本庄越前守繁長/安田治部少軸長秀/長尾遠江守藤景
■右備の大将
新発田尾張守長敦/山吉孫次郎豊守/加地安芸守知綱
■本陣
高梨源太郎政頼/大河駿河守忠秀/鮎川摂津守清長/井上河内守清政/綿内内匠守広綱/村上左衛門尉義清/色部修理進勝長(軍奉行)/宇佐美駿河守定勝(軍使)
こうなります(^^)。
一海
さま達の「
須田相模守親満
」隊。
この須田親満も川中島海津城の城代となってた事があり、また、めくるめく交代した城代の中では比較的在任期間が長いので、川中島には縁のある武将と言えます(^^)。
前に川中島を訪れた「城主のたわごと2005年9月」
<松代城>内
に少し触れてます。
今年の「
鮎川摂津守清長
」隊は
梵天丸
さま達の隊。
鮎川隊はかつてこたつ隊でもやりましたので、梵天丸夫妻はナント二度目(^^)。しかもこたつ隊の時は
梵@亭
さまが大将役でしたので、今度は奥様梵天丸さまが副官との事で、ご夫妻に誼の深い武将となりましたね(笑)。
少しづつ陣容を埋める上杉軍(左・紺)、既に場を埋めている武田軍(右・赤)
<後備・後押し・小荷駄の軍団・上杉謙信>
そして後半、
■後備の大将
中条越前守藤資/古志駿河守秀景/大崎筑前守高清
と入って来ます。
最後の「
大崎筑前守高清
」隊は、
柿崎和泉守景家
さま達が勤められました。
兵士達の先頭に
飯綱武蔵守法達
さま
くないきょう
様
柿崎さまかな
兜を被って、しかもこう日が刺して来ると、知り合いでも濃い影が入ってわからない時が多いです(^^ゞ。
そして最終部隊。
■後押しの大将
甘粕近江守景持
■小荷駄の大将
直江大和守実綱
■他
安養院/丸田勘解由
と続き最後に上杉謙信サンが入場(^^)。
上杉謙信サン(左)と安養院サン(右)→
最後の、この僧形お二方も、「これで行列が終わり」とわかる強烈な目印となられてます。
<入場完了・両陣営>
かくして武田・上杉、全軍が戦場に入りました!
左・上杉軍にも最後の隊が加わって行く。
左・上杉軍。大将+武将の本陣と、タテヨコに兵士の重層な構え
右・武田軍。中央を横に展開する兵士と、大将+武将の本陣
開会〜献塩の儀〜鉄砲演武〜武田・上杉儀式
<開会>
いよいよ開会。まずは関係代表者の挨拶から。
開会の儀
まだチラホラ残る桜の花(^^)
去年は桜もえらい遅咲きで、4月の中旬を過ぎてもまだ満開の風情が濃厚でした。
今年は去年ほどではありませんが、やはりまだ飛び散る桜の花びらがあり、本当は「桃の花まつり」なんですが(^^ゞ、それなり戦場に舞う花びらには風情があります。
<献塩の儀>
そして今年も最初は「献塩の儀」。
広い戦場の左から上杉、右から武田が歩み寄り
←−−−−−こんな具合に両サイド止まってる間で、お塩を配達−−−−−→
↓中央拡大↓
上杉(紺色)が渡した手押し車(「御用塩」と書いた俵が乗ってる)を
↓
武田(赤)が「ありがとっ」と受け取って自陣に引っ張って行くのです
謙信が甲州への塩止めをしなかった、とされるのは、この永禄4年の川中島合戦より後のエピソードと思われますし、物語的には戦の後に仲直りっぽい場があるのもいいかな、と思います。
が、やっぱ最後は合戦で盛り上がる祭りですし、だいたい最後は役者達もバテバテですから、最初の方がいいですよね(^^ゞ。
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