<石和川中島合戦戦国絵巻・レポート2>
今度は南西からいちど石和に戻り、石和の市外を抜けて、いっきに北に出ます(^^)。
石和に戻る笛吹川沿い、桃の花畑→
石和中心部から北上「石和温泉駅」に↓
駅の北側に出ると山。手前を右折して東に→
やがて左折、橋を渡って山に入る↓
<山梨岡神社>
今度は石和の北方面の寺社巡りです。最初は「山梨岡神社」。上の写真(右)の山に入って行きます。
この神社も由緒古く、天然記念物のフジ、古くから伝わる神楽舞、そして神楽舞の舞台とおぼしき建物に通じる長廊下が印象的な神社でした。
山に入って行くと「山梨岡神社」に入ります。
天然記念物とされてるフジは残念ながら時期外れで咲いてませんでしたが(だったよね(^^ゞ)、この日は境内の枝垂桜がたいそうな華やぎを見せてくれ、また池の様子などとても風情があって、ここで何枚も写真を撮ってしまいました(笑)。
こちらの由緒書きには「崇神天皇の頃(先史)」とありましたが、何しろ疫病の流行と災害の頻発を封じるため、勅命によって御室(みむろ)山頂に築かれたのが創建だそうです。
成務天皇の頃に「梨の樹」を切り開いて神戸を遷し、「山梨岡神社」とされて以来、現在の「やまなし」の語源発祥の地で、住所の「春日居町大字鎮目」にある「鎮目」も往古軍団が屯した名残を留める地名だそです。
←本殿に向かって左側
池の水面にしだれ桜の花びらが舞い散って、たいそう良い風情でございました(^^)。
↓右側。こっちの桜は殆ど散ってましたが、大きな鯉が泳いでましたね。
そして本殿の隣に建ってるのが、下の「神楽殿」。
この「神楽殿」、社伝では「
武田信玄出陣の神楽
」とも別名され、出陣に際し、勝利を祈願して奉納されたそうです。
実は最初にここに来た理由は、これを見たかったから(=^m^=)。
神楽舞は「太々神楽(だいだいかぐら)」と呼ばれ、24種の舞があり、舞う順序も決まっていて、全て「天の岩戸」の故事にちなみ、出雲神楽の系統に属するそうです。
舞は昼夜2日にわたって執り行われ、順序はまず「四方舞」で始まり、正午に「天の岩戸」、20番目に「四剣の舞」といって、これの別名を「久米の舞」というそうですが、神武天皇が大和の宇陀で勝利の祝宴をした際、久米氏の兵士たちが天皇の詩歌を歌いながら、四人が片手で剣を持って、最初はゆるやかで雅に、後ろにいくと剣を振るって勇ましく舞ったことに由来するそうです。
そして最後は祭神である「大山祇(おおやまず)命の舞」で終了します。
実は……ですね(^^ゞ、翌日の合戦祭りの時、兵士たちが入場して来る前に、長いあいだ神楽舞いが披露されたのです。
その中に、4人による剣舞があったので、「あら、昨日あの神社で見た由緒に関係するのかしら?」と思いました。その時は、神社の名を「ミワ神社」とか言ってたので、違うのかもしれませんが。
さて、元来た道路に引き返します。
戻りぎわ橋を渡る際に、また桃の花畑をカシャッ♪
ちょっと早い鯉幟り
<大蔵経寺>
↑2003年のレポを見て下さった方は覚えておられるかもしれません。一昨年、雅之介さまと一緒に行ったのと同じ所なんですね(^^ゞ。(参照:
2003レポ「1」内「
大蔵経寺と物部神社
」
)
今回その前に行った「山梨岡神社」は、この大蔵経寺より東(塩山寄り)にあります。だからこの行程は、だんだん石和の宿に向かって、戻って来る道のりにもう入ってます。
一昨年「大蔵経寺」は閉まってて中に入れなかったので、今回も閉まってるだろうと思ってたのですが、「いや、開いてまっせ」と判官さまが
斥候
して下さり(笑)、本当に開いてたので入らせて頂きましたっ♪
同じですね同じですね、一昨年と(笑)
一番奥の戸からお邪魔〜っ♪
一番奥から入ってしまったので、順路は端から本堂(手前)方向に進むです。
七福神巡りの寿老人さま
パイナップルとハートの燈篭♪
弁天さま? 琵琶をひく菩薩さま
こたつはディズニーランドに来ちゃった気分っ(^O^)。
何でこんなに
バタ臭い絵柄
なのかはよく判らないけど(寿老人さまを見た時、一瞬「白雪姫と7人の小人」を思い出しちゃった:笑)、お寺の雰囲気じたいは清楚で静かなので、とっても気に入ってしまいました♪
それとお気付きの方もおられるでしょうが、石和も「七福神巡り」をやってるんですね〜♪
既に大黒さまを拝んで来てるんですよっ。さぁどこのお寺だったでしょ〜(^^)?
ちなみに他の神様は、
恵比寿=常徳寺・布袋=常在寺・弁天=蓮朝寺・毘沙門=恵法寺・福禄寿=佛陀禅寺
大蔵経寺とその隣の「物部神社」の間には、下の通り、山々を背景にお墓が並んでいます。
実は今年会うなりノリノリで史跡巡りが始まり、ここまでにも色々お喋りして来ました。
ここを通る時も、やはり「前来た時にねっ」という話なんかするわけです。
で、ここの墓地に並ぶお墓が、どれもこれも有名な武将のおウチの名が並んでいるのに最初に目をつけたのは、一昨年ご一緒した雅之介さまでした(笑)。
主にやはり、武田家家臣として見る名の家が多いです。
個人のお墓でしょうから、それを紹介しちゃうのも……とその時は言ってたのですが、そんな一昨年の話をしながら発見してしまったのが……
これ
↓
ちゃんと菊水の紋が入っていて、判官さまも感動なさり、みんなでお参りさせて頂きました。
<物部神社>
ここは一昨年も紹介できた所なので、写真だけ(^^ゞ。
階段と鳥居
前回ブレて写せなかった本殿の奥
「更新終了」
まで
戻る
レポート3
に
進む
石和川中島合戦
戦国絵巻
まで
戻る