上記の通りであります(^_^A)。 長らく連載の「城主のたわごと」は、去年(2011年)9月に敢行の「山形〜福島〜栃木編」第6回、最終回であります! 先月より入った栃木県を引き続きまして、ついに4日目に突入。 野門の栗山東照宮を見学の後、土砂災害遭遇跡など通り(笑)、日光の山岳地を北部から東部に抜ける、野門〜川治〜鬼怒川を通り、宇都宮まで出まして、「県立博物館」「二荒山神社」、最後は「宇都宮城址公園」に参りました☆ミ 前回より二回連載の「日光山縁起」も後半に入り、縁起の背景、下野国・日光と宇都宮の中世について、いろいろ考察してみました(笑)。 宜しくご賞味下さいますよう(^^)。 次回も、だいたいこの時期あたり、出来るだけ前倒しを理想に、頑張って更新したいと思います〜♪ 06月24日 城主 |
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更新は上記の通りです(^_^A)。 19日は、スンゴイ台風でしたね(*o*)!怪我人もいっぱい出ました。 動きが急で、しかも変則的で、進路予想がドンドン東へと移り変わり、最初はツイッターで知り、途中から「?」と思い、たまたまテレビをつけていられる日だったので、中継で状況を追えましたが、とてもじゃないけど普通は、そんなに急には態勢が間に合わない……下手すると全く知らない内に、外出たら何か飛んできた!なんて事もありそうなぐらい急でした。 台風ってこんなに早く来るんだっけ……と、去年のご挨拶を振り返ると、去年は6月凄く暑かったんですね(*o*A)。。 例年より半月以上も早く梅雨明けだとか言ってます(笑)。 (古いご挨拶は、↓下からメニューに行けますよ(^^ゞ) それと湿度の高さも言ってますね μ(。。)m<閲覧 これはプールの中に居るんじゃないかと思うぐらい、湿気ってる年もありますもんね〜(>_<)。。 どうもこの季節でしたかね、今年も皮膚が弱くなって困ります! 亭主も皮膚の痒みに困ってるので、やはり気候と関係あるんでしょうね。。去年はコバエの大量発生で、始終流しに漂白剤をまいたりしたので、それもあって皮膚がメロメロになりました。 しかし今年の6月は、物凄い台風は来ましたけど、比較的には快適かもしれませんね(゚.゚)。 さすがに窓閉めっぱなしだと蒸しますけど、風を通していれば、空気もヒンヤリとして心地よいです。 思えば、久し振りに快適な日を送れてる気がします(^^ゞ。スゴイ寒かったり、猛烈な暴風雨やら竜巻やら、大きい余震があったり、この所ホントにウカウカしてられませんからねっ!(汗) ウカウカしてられないと言えば、17年間も見付からなかった、オウムの指名手配犯が、この半年ほどの間に三人次々と逮捕されましたね〜。 最後の高橋容疑者は、正直ちょっと怖かったですね(^_^;)。。家から脱出した後、どの駅の防犯カメラにも映ってないとか、日の有る内に長々タクシーに乗る客は珍しいから、顔を覚えられてしまうので、一万未満で行ける場所……とか報道してて、ウチあたりもエリア近かったんで(^^;)。。。 捕まった時、号外を受け取りながら、やはり東京近辺の人は「実はちょっと怖かった」と言ってる人が居ましたね(^_^;)。。 捕まった時の別人ぶりにも驚きました( ̄▽ ̄;)。。ああいう方、よくスーパーとかに居ますよ。 さて、前回は……大河「平清盛」の話をしてる途中……だったか、そこまでにしといたんだかでしたよね。 え〜と、今見ると……。 先月書いたののEというのが、何となく意味不明ですね(^^;)ゞ。。ちょっと切り取ってみましょう。 E摂関家や源氏が「昔日の勢いを失っている」割に活躍してる点 ↑これは、どう説明したらいいのか、私にもわかりません(^_^;)。 と言うか、陰謀論者に多い「悪役にされた人を主役」にする典型的な欠陥のようにも思います(汗)。元々「平家を正統」と描く事に無理(問題)があります(笑)。 「何となく」じゃねー、全然意味わかんねーわコレ(笑)。 言いたい事は、主人公が、長く悪役とされてきた「平清盛」なので、彼や彼を取り巻く「平家」を、悪役ではなく正統立てした視点で描こうとしています。 ある程度までは、それも正しい歴史解釈かもしれません(^^ゞ。 例えば「平家物語」では、ワガママな悪人の清盛が横暴を奮い、善人の息子・重盛が諌めたり善処するのですが、史実ではむしろ逆だったりする……そういう歴史の真実を白日の下に晒す事も、大河ドラマの持ち味の一つでしょう。 ただ、脚本家もドラマが始まる前から(大河ドラマストーリーで)白状してた通り、では、清盛を主体にすると、ドラマになりうるかと言うと……意外と、そういう感じのしない人物なんですよね(^_^;)。清盛って。 顔が見えて来ない、といったような表現だったと思います、確か脚本家が言ってたのは。 正直私も、似たような感想を持ってます(^_^;)。 そして、これまた脚本家が、大河ドラマというものは、年表作りに始まって、段どり手間暇を充分に練って構成するものと思っていたのに、まるでそんな猶予を与えられずスタートさせられた、という話でしたね。 これは、もしかしたら、昔からそういう部分があったのかもしれません(^_^;)。 この所、物事が上手く継承されない事情の一つに、後継者が育たないという事が上げられますが、どっかから先は、無理が長続きしない、という所もあるのかな、と思う事も無くは無いです。 ……「凄く多い」とも言えないですかね(^_^;)。 極端な軟弱者や社会不適合者に限って、やたらと表現者になりたがる傾向も、顕著にして問題です。現在、人手の足りない分野は、農業・医療および介護・IT技術です。大した仕事もしてない人は転職!(^O^)/ 話が逸れました。元に戻します(^_^;)。 何しろ、清盛を主人公に持って来るのに必要なイメージを、歴史の中から掘り起こす事は難しいです(^_^;)。 選択された意図、つまり企画の意義が何だったのかによりますが、ただ単に「悪役とされてるから、汚名返上」が主目的なら、清盛が英雄であるとか、平家が正義の味方、とまでするには史実的にかなり距離があります。 それでも尚……という要望なら、つまり「歴史書(この場合は吾妻鏡か平家物語か、玉葉・愚管抄あたりですか)に嘘があった。本当の歴史は、勝者あるいは利権者(つまり摂関&源氏)にとって、都合良く改竄されている!!」という、いわゆる「陰謀論」に偏らざるを得なくなります。 しかし平家にとって、一方的に都合の良かった事は、実は摂関家や源氏は昔日の勢いを失っていた……これが事実(少なくても史実)であります(^_^;)。 だから、スイスイと用意された階段を登れたんですが、そこをそう「簡単そうに」描いてしまっては、誰も主人公サイドに思い入れしませんので(^_^;)、勢いを失っているハズの人々が、なぜか大活躍(大暗躍)し、時には主人公サイドに意地悪したり、陥れたりという脚色をつけて、話を運んでいるのですね(笑)。 まず源氏の義朝が坂東に行って、何やら苦労してるのはわかります。どうもそれが父の失態が原因のような設定になってるのも理解しました。 細かい点を言うと、八幡太郎義家の晩年から、源氏の衰運は始まってました。 義家の活躍と言い、盛名と言い、人気と言い、ビッグになりすぎた事が原因だと思います(^_^;)。 それと摂関家の凋落はまた別物です。 荘園が整理され、院政が開始されて、摂関家が政治の中枢から干され、あと重要なのは、絶え間なく後宮に送り続けた中宮だとか国母(天子の母)の座が、摂関家からは欠員になってしまった事も原因です。 が、ドラマが「そんな前段階はどうでもよい」とばかりに、スパッと省いた事を、その時点においては、むしろ好印象でした(^^ゞ。 しかしその分、保元の乱に来て、摂関&源氏が無理をする理由も、やや宙に浮いた感じがありました(^_^;)。 それと、源氏については凋落している事を理解しましたが、対して平家が上り調子にある……という点が飲み込めませんでした(^_^;)。 説明されてたのかもしれません。 清盛は不良ぶってるけど、結局はエエトコのお坊ちゃんだから、民のために正義の味方をやってるつもりなのが、実際には彼の行動が人々の暮らしを傷つけている……といった話はありました。 しかし、それは平家ぐらいの武士だと、下層の貧民階級よりは、家や家来に守られて、徹底した社会の底辺を知らないもの……という程度の理解でした(^^ゞ。 最初の頃は、義朝の源氏の方が、どうやら、もう少し状況が悪いらしい……と思ってましたが、途中から、平家だってロクな位置に無いし……という感覚で見るようになって、視点が定まりきらぬ内に、いつの間にか打ち消されました(^_^;)。 (主に)藤原頼長の登場によって、です。 清盛の弟・家盛や、父・忠盛が賎しめられ、貶められ、武士はマトモな扱いを受けない……というドラマに変化しました。(私は「変化(変容)」と感じました(^_^;)) 今振り返ると、この辺りは、何か清盛にも身分が低い事から来る悲劇を持って来ようとして、少しやりすぎだったんでしょうかね(^^ゞ? 同じく武士同志、苦境にある義朝とむしろ共感的関係とする点などは、好印象に出来てると思いますが、これも清盛が主人公だからだと思うのです。 実際は、平家ばっかりウマー(^Q^)な状態で、スッカリ損な籤を引かされた源氏は、それを根に持ち、子の代になって復讐を孕む一方で、武士ならではの世の中を作って行った……うん、やはり、こういうドラマの方がわかりやすいんだろうな、と思います(^_^;)。 ただ、どうも、平家も源氏も、「武士であるが故にロクな扱いを受けない」という解釈に、頭を切り替えて進めばいいようですね(笑)。先月は、そこがまだ何とも言えない状態でしたので(^_^;)。。 以下についても、続けて補足します。 しかし、歴史に詳しくない人が、ここで「?」となる方がむしろ正解なのに、下手に詳しいと、ついていけてる頭にならなきゃならんので、正直ちょっと苦しいです(笑)。 摂関家についてのみになりますが、鳥羽院が実力を得た時、「白河院が嫌ってたから、自分は贔屓にする」←これを摂関家の人間を近くに呼ぶたびに、重々言うしかないでしょうね(^_^;)。。歴史的にもこれ以外に理由がある気がしません。 幼稚っぽい感じはしますけど(笑)、それだけ院政の世代交替って、凄いエネルギーのいる物だったんじゃないでしょうか。 そもそも院政を張る事によって、長期政権が確保されるわけですから、時代が覆された事を世に示す必要があったと思います。 ↑白河院は摂関藤原忠実を嫌い、政界の中枢から遠ざけ、その娘(高陽院・泰子)を帝に入内させる事も禁止してました。 鳥羽院は、待賢門院(璋子)の密通の事も嫌悪してたでしょうが、藤原忠実の娘の入内についても、同情してたと思います。白河院が崩御すると、一転して忠実を政界に迎え、泰子を後宮に入れて皇后とします。 他にも、白河院の行なった政策と正反対の事を実行したり、白河院政の否定を行なった点があるようです。 じゃあ、そんな中で平家はなぜ生き残れた……のみか、前にも増して取り建てられたか。 ↑平家と源氏に自由競争させて、漁夫の利を得るためじゃないんですか(^_^;)? 私はそう思ってましたけど……鳥羽院が清盛を気に入る辺りから、正直ちょっとついてけてません(^^ゞ。 この辺りは、まだ先の展開を知らずに話してたのですが、読み返して、改めて他にも気付く点が幾つか……。 やはり頼長ですが、清盛の弟・家盛には、「お前を操っただけ。まんまと引っ掛かった」と言い、父・忠盛には「家盛を苛めたのは自分」などと、言わずに居れば恨まれずに済む事を、わざわざ教えたのは何だったのか……ちょっとわからない場面でしたね(^_^;)。 家盛も忠盛も、「悪の根源は頼長」とは清盛に言わずに死んだのですが、誰かの密告で、弟も父も、頼長のせいで死んだ(気力を亡くして死に至った)と知って、保元の乱で仇を討つのか、と思ってましたが、単に頼長というキャラクター描写に終わってました。 その手のでもう一つ。 一時は冷たくしていた鳥羽院や、激しく対立していた美福門院・得子が、待賢門院・璋子の最期に涙したり、思いを通わせる展開は、待賢門院の子である後白河帝の擁立に乗り出すステージと思ってたのですが、これも……鳥羽院や得子が崇徳院と和解したがったり、鳥羽院の死後、得子と後白河が対立してるので……変化球が多いな〜と(^_^;)。 先を読ませない展開をする……というのは、そんなに大事なんでしょうか(^_^;)。。 何のためにあるのかわからない場面を増やして、先の展開を読ませない作りをするより、先が読めてもいいから、出来るだけわかりやすい直球の方が好みではあります。 ただし、だからもう見る気がしない、という程に嫌気が差す問題には思えてませんね(^^ゞ。 まぁ相変わらず面白く見てます。 また前回、誉めたい所もいっぱいあると言いました。それも書きましょう(^^ゞ。 そうですね……。清盛に母の違う弟がいて、袂を分かつ叔父がいて、妻も前妻と後妻の二人はいて、だから子も、三男以下と、その上とでは母が違う……これって、1972年の大河『新・平家物語』でもやってましたっけ(^^ゞ? さすがに子供でしたし、この時代のは録画が一切残ってませんから、確かめる事も出来ませんが、wikiで見ると、清盛が白河院の子という設定は、1972年のも同じなんですね(^^ゞ。 「そういう噂はあるが、忠盛の子だろう」と解釈した記憶が残ってて……人の記憶なんて、いい加減なものですね(笑)。 しかし、やはり重盛の生母(今年の明子)はキャスティングには無いような……あ、中御門瑠璃子というのが居ますね。 これはウッスラ覚えてます。五十嵐淳子(五十嵐じゅん)でした。これも記憶の中で、なぜか「祇園女御」と混ざってました(笑)。 それと私の記憶では、わりと最初の方から、時子が正室として登場してた気がします(^_^;)。 しかし、上の二人の子は母が違うという点、そして、清盛自身も継母にできた弟に、実は座を脅かされていた……という点を、随分シッカリと描いてくれてるので、そういう所にかなり軍配を上げてます。 あとは前も話しましたが、頼朝の立ち位置を、最初から清盛シンパ的に描いて導入した点も、飲み込みやすいテーマ提示でした。 さらに、頼朝の子供時代って、意外とこれまで描かれなかった気がするんですが(これも私の記憶がいい加減なだけで、新平家でやってたかもしれませんが(^_^;))、ここをかなりシッカリと描いてますよね。 つまり、父親を反面教師に見据える一方で、そうした父への愛情や共感も濃厚に持つに至る、という過程ですね……ここはかなり構築が上手かったです(^^)。 この頼朝@幼少期を見た後で、続けて1979年の大河『草燃える』を見ると、もうメチャクチャ感慨ですよ!(笑) 役者の演技はどれも光ってると思います。 誰も彼も良かったですが、中でも個人的に好みなキャラは、奮闘する奥さんの、時子と由良御前です。カワイイし、応援したくなりますよね(#^.^#)。 個人的には、右に行くと思わせておいて、結論は左に行く……といった変化球の多さは、病的バーチャルを好む現代型うつ病風で、ちょっと辟易しなくもないですが(^_^;)、白河・鳥羽・崇徳・後白河といった、院の面々の中では……そうですね、後白河が一番自分の想像から遠いです(笑)。 そろそろ人格のほぼ全容が出て来た感があるので、もう少し時間経ったら、詳しく書こうかと思います(^^ゞ。 一方、清盛は、ようやく自分も印象する清盛に近付いて来ました☆ミ それほど間を置かず平治の乱になるようですね(^^ゞ。 そうそう、その辺りについては、もう一昨年のになりますが……(^^ゞ、 「城主のたわごと」2010年5月<5、源義親騒動@(1117〜1118)> 以後、色のついてる所で、 <7、源義親騒動A(1129〜1130)>が源氏の衰退。 院の近臣の藤原信頼がそろそろ平治の乱でヤラレるけど、信頼の兄弟が奥州の基成だったり、摂関家の事も絡んだりするので、さらに先いって、<9、摂関家との関係(1148〜1152)> あとはご存知(^^ゞ、<11、ちょっと保元・平治の乱(^^ゞ> さらに、2010年6月<2、藤原基成と摂関近衛家と平清盛> には、保元の乱後〜平治の乱にいたる、平家の華麗なる上昇経歴(笑)も書いてあるよ!(^O^)/ ふぅふぅ(A^,3^)=3、清盛ネタだけで、又だいぶ行っちゃいました(笑)。 今月は、ここ数年の定番となりつつありますが、ちょいと忙しいんですね(^_^;)。変な時期に。 なので、テレビは殆ど見てません。。今それほど溜めてないというのもありますか。いや、溜めてるのはあるんですが……。 ニュースも、マトメ見になるんで、時事に追い付きません(*_*)! 今何やってるでしょ。あ、消費税と電気代。うんうん、ま、しょうがないでしょ(笑)。 あと、テレビと言えば……そうそう! 時代劇専門でいつ頃でしたか、わりと最近? 古い大河ドラマの総集編ばかりやってました。 録ったんですが、見てる余裕が無くて……(^_^;)。 あと総集編は、いつも大河が終わってから編集されたのを見ると、「あれもカットされた! これもカットされた!」というのばかり気になる事が多く、どうも全話やるのに比べると、リキ入れて見ようという気になりません。 それが……ひょんな拍子に、1977年の『花神』を見ましてねっ(゚.゚)! いや〜、これは良かったですわー(≧▽≦)。 勿論これも、この当時に見たら、「本編はこんなもんじゃなかった!あれもカットされた!これもカットされた!」とクソミソに言ったに違いないんですが(笑)、それでも『花神』の総集編は凄く長いんですよ(^^ゞ。 五話あって、全体の4分の1ほどの時間を使って作った総集編なんですよ(^。^)。 なので、だいぶ本編に近い形で出来てると思いますし、見てて、総集編特有の「話を端折ってる」という感じがあまり無いです。 あ〜これの感想も書きたかったけど……長くなったし、たわごとも書かなきゃならんので、又そのうち(^^ゞ。 梅雨は……どうでしょうか(^_^;)。先日の台風で水量が足りて、この先は余裕で夏を乗り切れるぐらいになったでしょうか?ちょっと流石にそこまでは満たされてないかしら。。 夏日とか言ってましたが、どうもウチあたりは涼しいです(゚.゚A)。できればこのまま涼しく(^_^A)過ごしたいものですが、そろそろ熱中症への呼び掛けも聞きますので、帽子や濡れタオル、ジェル入りグッズなど、今年も多様して、暑さに備えましょう(^O^)/ というわけで、又そろそろ、「城主のたわごと」の更新作業に戻りたいと思います(^_^A)。 これより、又間もなく出せると思いますので、お茶でも召しあがって、ちょぉ〜っと待ってて下さいね〜(^O^)/~ 06月21日 城主 |
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