<2025年・城主のたわごと7月>




2023年11月〜2024年12月に「出掛けた所」 パート2\(^O^)/

今回は4〜8月頃! 文章は24年「ご挨拶」から続き〜♪




     
  前回5月号に続いて、2024年の「ご挨拶」の

【F近況その3、今年行った所、見た番組】

に、2023年11月〜2024年12月に出掛けた所から……。
今回は4月〜8月頃までをやりたい。

一応、前回のメニューを出しておくッス。↓

〜おしながき〜
「5月のたわごと」(栃木・茨城・千葉・東京)
■2023年11月・千葉県市原市・茨城県かすみがうら市
<「里見駅」と八房と仮面ライダー>
<かすみがうにゃ>
■12月・茨城県稲敷郡・千葉県印西市
<かわちイルミネーション>
<「松虫寺」>
■2024年1月・千葉県成田市・富津市・東京都千代田区・文京区    
<助崎城跡>
<「富津みなと公園」と「明治百年記念展望塔」>
<「神田明神」と「湯島天神」>
■2月・千葉県千葉市・他
<「享徳の乱と千葉氏」展と「土気城」跡>
■3月・栃木県小山市・東京都葛飾区・茨城県稲敷市・千葉県成田市
<小山(祇園)城跡>
<水元公園>
<木原城址>
<「宗吾霊堂」>
<「宗吾旧宅」>
<「麻賀多神社」奥津宮(船形)>
<オマケ(^^ゞ「甚兵衛公園」と「水神社」>

前回もお断りした通り、濃い紅色の字で綴る文章は、ご挨拶に述べた「ですます」調になっている事を、今回も引き続きお断りしておこう(^_^;)。




■4月・千葉県松戸市・柏市
<桜巡り(#^.^#)>


去年はが大層早く咲きましたが、今年は、「もう咲く」「もう咲く」と言われながら、思いのほか遅れて(笑)、それでも例年見に回る名所を亭主が車で廻ってくれました。

まずは松戸市から(^^ゞ。

常盤平さくら通り(地図
紙敷〜松飛台さくら通り(地図

八柱霊園地図)の桜
六高台さくら通り(地図

ここは前にも一度、よく行く近所のレストランとして紹介した「シエロ」さん(イタリア国旗の色の屋根)

近頃はコロナもあるけど、食事制限も多少あって、外食は殆どしなくなって行けてないけど(>_<)。。

実はこの通りも松戸市の紹介する桜並木通りで、「八ヶ崎さくら通り」と言う。

八ヶ崎さくら通り」(地図)の先にも行ってみる♪

こちらは桜の季節によく通る道
私有地の沿道なので場所は言わないが

こちらは「今井の桜」(地図
橋の近くは特に見応えがある

ここは谷間地に流れる川辺の寒冷地なので、咲き具合は大抵一週間遅れとなる。
住宅街の桜通りで満開を見終わった次の週に来ると、再び満開桜に出会える感じ(^。^)。

桜も勿論綺麗だが
近辺の菜の花群も又スバラシイ

今井は下手賀沼に続く川筋にあり、昔は沼地だった所が田園や野原となって、自然が多く残されているので、こういう牧歌的な風景に溢れていて、特に桜の咲く週末などは、土手を散策する人が多い。



<布施弁天「東海寺」と「あけぼの山公園」の水車とチューリップ>

4月も中ごろになって、去年も行った「布施弁天」(千葉県柏市地図)に再び行ってみたら、桜がまだまだ見ごろで素晴らしかったです。

本堂
↑左脇の「総受付

一方本堂(向かって)右側には鐘楼堂(パノラマ3枚ほぼ180度)

本堂と鐘楼堂の間を入ってゆき……

振り返ると、鐘楼堂と本堂の合間に
(拡大)三重塔がキリッと立ってる

「ご挨拶」にも書いた通り、布施弁天の参拝は二度目で、最初に来た時は、後でレポ出来るよう、駐車場から山門を通って、この本堂界隈に到着までの参道坂道や、参拝後には、向かいの妙見を祀った丘にもお参りして、どれもよく撮影したが、この時はそれらは全く写さなかったので、本レポは又そのうちに出来たら……(^^ゞ

この日は外国人観光客も大勢来てて、ちょっとした有名スポットなんだなぁ〜と感心。

乳母車をひいてる若いお母さんが、赤ちゃんと桜を撮ろうと頑張ってたので、お母さんも一緒に撮ってあげたら、凄く感謝されてしまった(^_^;)ゞ

←境内にあった絵馬掛け
ハート型の珍しい絵馬。もしかすると、ガイドブックなどに「恋愛成就の神社」とか紹介されてる(笑)?

この絵馬、布施弁天の興りの赤い龍に由来するのかも。

大同2年(807年)に、大雷光と共に赤い龍が現れ、土塊でを築いた後、島の東山麓から夜な夜な光が射した。
その頃、ここの村人の夢に天女が現れ、「自分は但馬国の朝来郡筒江郷から来た、自分を探して祭れ」とお告げをした。

そこで村人が光を辿った所、三寸ほどの尊像が見つかったので、藁葺きの小祠を作って像を祀った。

この話に、弘仁14年(823年)、嵯峨天皇がいたく感心して田畑を寄進し、堂宇伽藍を建立。天皇の勅願所に指定したのが、布施弁天の始まりだとか。
本堂の向拝の回柱に「菊の紋章」が今もあるという。


本堂側面、屋根の妻破風に
赤鬼っぽい彫刻が特徴的♪

今見れる本堂は、享保2年(1717年)の建立だが、中世以来の密教仏道の形式を受け継ぎつつ、彫刻や彩色などの華やかな近世技法が加わっている点が特徴的だと説明されていた。
又、布施弁天の繁栄は、水運交通の要衝に位置している事が大きい、とも書かれていた。

布施弁天のレポはここまでで……。

近くに、チューリップの咲き誇る水車の公園があって、寄り道して帰りました。
こちらには縁日っぽく屋台が立ち並んでて、家族連れの見物客が大勢来て楽しんでる様子でした。


これより出て来る写真は、布施弁天の南側に広い敷地を占める「あけぼの山公園」(地図)↓
まずは、縁日の屋台がたくさん並ぶ通りと駐車場の間の花壇から。

黄色いチューリップの群れ
続いて赤いチューリップ達

次は紫のチューリップ群
白いチューリップも寄せ合う

あけぼの山公園」の敷地に入ってみると……。

左奥に小さく見えるのは風車の塔
近づくと水辺庭園が広がっている

←風車の見える左方面に移ると、さっきの花壇よりもっと沢山のチューリップ群が出迎えてくれる(^。^)v

この「あけぼの山公園」は広大で、地図の上から指でざっと測った限り、布施弁天の15倍ぐらいある(^_^;)。

wikiによると、江戸期の布施弁天は大いに栄え、茶屋も多かったが、明治以降は水運衰退で寺運が衰え、柏市に土地を売却した。それが今「あけぼの山公園」となって市民に開放されてるという。

地図で確認する限り、布施弁天やこの公園とその周囲は建物が建てられておらず、周囲の道路には「布施弁天通り」と命名されている。
かつての繁栄や賑わいを実感する上でも、この公園の価値は高いと思う。

チューリップが円状に取り巻く一帯が特に圧巻(パノラマ3枚ほぼ180度)

この「布施」なる地名は、以前よりこの「たわごと」で何度か述べた「相馬御厨」の成り立ちに出て来る布施(郷)と考える。

相馬御厨の推定地は、手賀沼の北(柏市・我孫子市・流山市)から茨城県南部(守谷市・取手市)が該当する。



■5月・千葉県銚子市・旭市・安房郡・君津市・富津市
<犬吠埼と道の駅「季楽里あさひ」と義経伝承>


5月、GWに犬吠埼(千葉県銚子市)に行きました。
以前は、とんでもなく遠い場所に感じていたのに、近頃は、フラッと行くようになりました(^_^;)。


GWと言えば、鯉のぼりだよねっ(^O^)→

この日、銚子方面に向かう道路で見た。
真鯉・緋鯉・子鯉どころか、9尾ぐらいぶら下がって靡いてる大家族鯉だった。

ところで、「ご挨拶」では、

この時ちょっと嬉しかったのは、いつもは行かない「道の駅・季楽里あさひ」(旭市)に初めて行って
みたんですが、店内で郷土史の本が売られてた事です(≧▽≦)!

思わず三冊買っちゃいましたっ!。 。°ヾ(°≧▽≦°)ノ°。 。<キャーッ!


と、意気揚々と郷土本を手に入れた喜びを語ってるが、こうしてレポで後追いして、ふと思ったのは、
「道の駅・季楽里あさひって、閉まるの18:00だよね(^_^;)」
という事(笑)。

この「道の駅・季楽里あさひ」(地図)の写真が無いので、前後関係はウロ覚えだが、「道の駅・季楽里あさひ」があるのは旭市で、犬吠埼からは南に少し距離がある

しかしこの後、犬吠埼で暗くなるまで過ごした写真が出て来るので、もしかしたら、道の駅の方を先に訪れ、後で犬吠埼でゆっくり残り時間を過ごしたのかもしれない(^_^;)。

「道の駅・季楽里あさひ」の写真は無いが、買った書籍を家で撮影してるので、まずそれを出しておく。

どれも銚子に関する本で、

@『東総の城郭と居館跡』
A『銚子の伝説と奇談』
B『義経伝説』

こうです( ^^) _旦~~

(写真の真ん中は「道の駅・季楽里あさひ」のレジ袋だねw)

こっから先の話は、銚子市(犬吠埼)でも旭市でも大きな違いはないので続ける(^^ゞ。

特にB(『義経伝説』)が気に入ってて、実はまだ全部は読んでないんですが、多分これは銚子でなくては聞けない内容じゃないでしょうかっ。

いよいよ犬吠埼。進路右側や
前方に太平洋の海原が見えて来る

犬吠埼から海に見える「犬岩」は、義経の飼ってた犬が、義経に置いていかれて、義経を慕って吠え続ける内に、犬の姿をした岩になってしまった、という伝説があります。
他に「千騎岩」は、義経の元に千騎もの兵団が集結した場所とか、どういうわけか、犬吠埼には義経に関わる伝説が多いんです。

どういうわけか」というのは、以前「たわごと」で銚子旅行を書いた時も書きましたが、義経千葉県に来た事は無いからです(^_^;)。

来ました、この海岸を見下ろすのは
白亜の犬吠埼灯台だ!

どっちかと言うと、この犬吠埼灯台地図)の見える景色は、義経伝説というよりは、朝ドラ『澪つくし』(1985年)を彷彿とさせるが(笑)、購入した郷土本の続きを行こう。
(上に書いた「犬岩」(地図)「千騎岩」(地図)は、この灯台のある所より、少し南にある)

鎌倉に居た頃ならちょっと遊びに来たかもしれませんが、これらの伝説は皆、早くてせいぜい平家討伐戦、殆どは幕府に追われて奥州に逃げる途上の出来事のように思われます。
しかし義経が辿ったルートは、北陸と思われますから房総には来てません。


灯台下の海岸と浜辺(パノラマ4枚180度以上)

ただ私は。義経に絡む、こうした後日付会の作り話にとても強い興味を持ってます。
だからその現地で、現地由来の研究者の方が土地の伝承名残の城跡など調査して書き記してくれた本を得られた事が嬉しいのです(^^)。


←かくして暮れ行く犬吠埼海岸を眺めながら……
↑イカ焼き屋で買った串焼きイカを堪能した( ^,3^)ф´<ウマイ

他に、犬吠埼の先端の灯台に並ぶお土産屋さんでは、地酒ビールと、「勝浦タンタンメン」のレトルトカレーや柿の種、カップラーメンなんか買いましたっ。
「勝浦タンタンメン」食品は、亭主が大好物なんですw


家に帰って撮影→

他に売店のレジ袋とパンフも写ってる。

銚子にはこの後8月にも 行ったのを下でレポする。

あと、犬吠埼灯台には、コロナが始まった2020年、殆どどこにも行けない中、県内で行ける所を探して、灯台の中に入った事がある。
その時の写真もあるので、そのうちレポ出来ればいいが……。



<道の駅「保田小学校」>

5月も中ごろ、千葉県安房郡の「道の駅・保田小学校」に初めて行きました。

高速館山道鋸山を通過し
鋸南保田ICで下りた最初の交差点

ちょっと館山自動車道と、↑途中に通った鋸山の話をしたい。(写真は先に進む)

コロナ中、オミクロンとか5類とかになる頃までは、基本的に不要不急以外では、なるべく県内に限って出入りしていたので、めっきり千葉県ドライブが定着してしまった(笑)。

千葉県は館山高速道がドンドン伸びて、館山の近くまで高速で行けるようになった。

かくして「道の駅・保田小学校」(地図)に到着

初めて車で館山まで行った時は、高速が木更津南までしか伸びておらず(2001年1月号・、2003年3月号参照)、特にGW旅行では行きも帰りも大渋滞に飲まれて難儀した。

コロナ前は、そうした苦い思い出からか、単に東北道の旅が気に入り、歴史ネタ的にも課題もあって、千葉県なんぞ振り返りもしなかったという事もあるが(笑)、その後、高速がもっと先まで伸びたゲな情報を得ても、何となく無視してきた(笑)。

それが、コロナ禍となり、県内移動に制限するようになって、やっと木更津南より先の高速を走ってみた時、あの鋸山の巨岩壁に出くわして、大層ビックリした覚えがある……というお話で、話は保田小学校に移る(^^ゞ↓

一階の各教室の跡はこんな具合
教室から見る校庭跡と背景の山

(「道の駅・保田小学校」は、)ここ地元千葉県でも、あと情報系番組なんかでも、時々取り上げられるんですが、廃校再利用した各地数々の施設の中で、最も早くその取り組みに挑戦した事で知られてるようです。

一階「里山食堂
うっ、ごめんなさい、光反射でメニューが。。

この「里山食堂」のメニューが「小学校ならでは(^^)」と大層な人気を博し、お土産売り場でも、一部メニューや関連食品やグッズ類がいっぱい置いてある。(給食パンのジャムとか卒業証書とかw)

ただ残念ながら、ネット上ここの公式とかに、「里山食堂」のメニューは出ておらず、訪れた観光客やファンが自分達で撮った写真をブログなんかに出してくれてるんだけど、どうもこの窓ガラスから見れる所にしか公表されてないらしく、どれも光反射見づらい点に変わりはない(^_^;)

せめて写真から読み取れたメニューを書くと……、(現在は変わってる可能性も)

>給食
●房州アジフライ定食1200円●保田小給食1200円●からあげ給食1100円●校長のカツカレー1100円

>定食
●煮穴子丼定食1100円●やきとり丼定食1000円●かきあげ丼定食1000円●かきあげそば・うどん(温・冷)各950円

>うどん・そば
●(かけ・ざる)そば・うどん各600円(大盛+100円)

>サイドメニュー
●ミニカレー丼300円●あげぱん(数量限定)250円●単品ごはん100円

>ドリンク
●房州びわサイダー200円●房州梨サイダー200円●ラムネサイダー250円●牛乳(数量限定)200円

一方、こっちのメニューはわりとネット上でも見るので、写真のみで↓

FVDおすすめメニュー

行く前に調査がてら色々見て、そして行ってみて「ふ〜ん「・_・ )(「・_・)」と思ったのは、隣接していた幼稚園まで含めて「道の駅」化してるんですね。
保田小学校は、都周辺のマンモス校と違って、クラス数の少ない過疎小学校だったようですから、建物も小さく部屋数も少ないんですよね。


←隣接地の幼稚園
↑「FVD」食堂はコチラ。シンボルのクロワッサン君もいた♪

それでも温泉や宿泊もやってて、道の駅は17時で閉店しますが、夕食にはお弁当が届くらしいです(^^)。

小学校の二階跡、右は体育館跡かな、今は温泉(パノラマ2枚)

小学校一階、教室跡、子供達が安全に遊べる場に変身(パノラマ4枚180度以上)

こうやって黒板とか掛け時計靴入れ箱掃除道具入れなど、なるべく元のまま残そうとしてる点も、好評化を得ている所じゃないかな。

他の教室では、宿泊部屋に整えられてるトコもあって、「学校に泊まるなんて一度やってみたい(^。^)」と気分がそそられた。

近頃は来日観光客の間で、日本の学校に寝泊りする「アニメ体験ツアー(学園青春モノですなw)」が流行ってるそうで(みんなで制服着て、給食食べて、掃除するらしい(^_^;))、今後も廃校見込みの学校は、そういう準備をしとくのも手かも♪

ちょっと観光を意識してる撮影所と
モロ昔ながらの学校風景のコラボ

校舎の裏手なんか、給食を作ってる匂いや校庭から子供たちが駆け回る声も伝わってきそう(笑)。

付近には「頼朝桜」なる名木が残り、これは頼朝が石橋山の合戦に敗れてから、鎌倉に御所を構えるまでの間に、千葉県に滞在した事にちなんでるんでしょう。
千葉県には頼朝にちなんだ名跡が多いです(笑)。

「頼朝桜」の写真パネル→

廊下の壁に校外学習の記録として貼ってあった。
学校が無くなっても、子供を通じて教えて来た土地の歴史が消えないよう残してるんだね(^^)

張り出しメモによると、「権現橋〜天王橋周辺」に菜の花と共に咲く事。
石橋山の戦いに敗れた頼朝が小船で鋸南町竜島海岸に上陸し再起をはかった史実にちなんで、河津桜を『頼朝桜』と愛称をつけた事。
そして佐久間ダム公園周辺には、ソメイヨシノ、しだれ桜、八重桜の三種2千本の桜が咲くが、佐久間川と佐久間ダムに400本づつあるのは「頼朝桜」なのだとか。

勉強しました先生!(・0・)/



<内房なぎさライン・マザー牧場・神野寺>

↑同日つづき。
「道の駅・保田小学校」を訪れた後、内房海岸に沿って北上した。

このころから、この内房の海岸沿いの道路を行く機会が出てきました。
巨岩や漁船の見える風光明媚な風景が続き、亭主と車を降りてそぞろ歩きました。


しばらく古い街並みを通り過ぎると↓
やがて左手に内房の海が見え始める→

さらに進むと陸の巨岩や
海の奇岩(不動岩)に出会い

海岸線が続く道に入って
小船の寄せ合う港に到着

どうも「内房なぎさライン」の金谷漁港地図)近辺らしい。鋸山ロープウェイの麓あたりに位置するようだ。

漁船の向こうは海と港町が広がる(パノラマ4枚180度以上)

ちょっと船着き場を離れて、周辺を歩いてみると……、

↓釣り人が大勢並んで釣りをしていた(^^)v(パノラマ5枚180度以上)

海の向こうに夕日を浴びて浮かぶ富士山と船と舞千鳥。

絵になる風景だが、だいぶ北上してきたので、富士山はやや遠い。

館山あたりまで南下すると、富士山はかなり大きく見える。
特にこのように夕暮れ時のシルエットが素晴らしく、これもコロナ禍で千葉ドライブが増えて知った事。

この日は君津市の「鹿野山・神野寺」に、門前まで行きました。
閉まる時間が凄く早いのと、ウチらは毎度、出掛けるのが午後からなのと、何よりこの神野寺あたりとなると、流石にウチからは距離があるので(^_^;)、ちょっと予定立てて行くぐらいの事を考えないと、参拝と内部の見学は無理そうです。。

この辺りの行き来で、途中にマザー牧場富津市)を通るので、牛の群れなんか見られて、なかなか爽快です。


↑神野寺を目的に進んだので、「ご挨拶」では後に回したが、順路的にはマザー牧場地図)周辺を先に通過。

山間から突然開けた高原の牧場に出て
牛さんモーモー牛乳ありがとう!

←到着。
鹿野山・神野寺」(地図)。

この日は「道の駅・保田小学校」も見たし、内房の海なんか見てて、既に日暮れ時だったから、どうせ間に合わない、どんな所か近くから見るだけ、とは思ってたが、着いて改めて拝観時間を確認すると、
「9:00〜15:30」
とある。

3時半(((( ;゚Д゚)))

と思った。
(顔文字って便利w)

せめて出来るだけ入れるギリギリまで近づいて撮影w↓

そして「勝浦タンタンメン」ファンの亭主は、この日も、焼き肉ダレやベビースターラーメンを買ってました(笑)。


買った場所を書いてないが、「道の駅・保田小学校」」の土産売り場だと思う。この日はそこしか買い物してないから(^^ゞ
 



<「天然温泉・海辺の湯」「鹿野山九十九谷展望公園」>

内房海岸沿いの道路、二週続けて行ったようで、二度目は海辺のドライブインに入って、土産品を物色しました。

海辺ドライブイン「天然温泉・海辺の湯」(地図

このドライブインに向かって左の端に行くと、

大海原が足下に見渡せる\(^O^)/(パノラマ4枚180度以上)

同じくドライブインに向かって右の端に行っても、

海がド〜ンと広がっている\(≧▽≦)/(パノラマ3枚ほぼ180度)

遠くをユッタリ波行く船舶
ドライブインは土産店海鮮料理屋

温泉や日帰り個室なんかもあって、家族連れで大層賑わっているようでした。

どうも温泉は二階三階にあって、日帰り風呂と休憩所だけでなく、宿泊もやってるようで、和室が何部屋かあり、それぞれ温泉の壺風呂がつき、泊り客用の宴会所もあるっぽい(゚.゚)
公式サイトを乗せておこう→「天然温泉・海辺の湯

このあと、また「マザー牧場」を通り抜け、

まずは又来ました牧場通り
牛さん元気に草を食べてる

神野寺」をさらに超えて先に行ってみた。到着したのは……、

鹿野山九十九谷展望公園」(地図(パノラマ3枚ほぼ180度)

↑道路から公園の敷地に入って、一番奥に進むと、このように景観を臨む展望所に達する。

思い切り正直に言うと、最初は「この景色が何なの(^_^;)」という印象しかなかった。

が、ナント、これが東山魁夷の『残照』のモデル風景だというのだ(*o*)<えっ

(これはこの公園の案内板に提示された絵を撮影したものなので、それほど原作に忠実再現ではありません。本作はネット画像検索で沢山出て来ますよ(^_^;)ゞ)→

東山魁夷(1908〜1999)は、生まれは横浜ながら、兵庫やドイツや岐阜に移り住み、戦後は千葉県市川市に苦難の日々を過ごした。

ところが、1946年、神野寺の宿坊で数日を過ごし、この九十九谷の山並風景に、甲州上越の山々の情景を重ねあわせて、この『残照』を描いた所、それまで落選していた日展に特選で入賞。
日本国政府から買い上げられたことから一躍、世評と脚光を浴びた。

以後、日展理事長への就任、文化勲章受章など画壇の階段を駆け上がり、皇居唐招提寺の壁画でも名を成し、偉大な功績を収めて、1999年の永眠においては、従三位勲一等瑞宝章の栄誉を得た。

『残照』はその生涯の一大出世作と言える。

……どんな有名な絵でも、地理の転変や人工による開発などで、絵を描いた時の風景が変わってしまう事はありそうだから、こうして描かれた時の風景を公園にして残す試みって、わりと奇特かもなぁ、とだんだん思えて来た。

公園と言っても、この風景が見られる左に案内板と、右に、このように四阿が設置されてるのみではあるが(^_^;)→

でも野花が咲いてて、のどかな風情で、お弁当が食べたくなる雰囲気が良かったなぁ(#^.^#)

この日の繋がりで行ったようにも思えるんですが、写真の日付は6月に入ってて、同じく君津市久留里まで行きました。
城跡周辺のレトロな雰囲気をたっぷり残す商店街を通りました。

(これはスイマセン、写真はあるんですが、あまり見栄えしないので控えます(^_^;))



■6月・千葉県香取市・多古町・匝瑳市・茨城県かすみがうら市
<「水郷あやめパーク」>


そして6月、今度は千葉県でも北部、香取市の「水郷佐原あやめパーク」に行きました。
これも凄く有名な観光施設なんですが、実は一度も行った事がありません(^_^;)。

水郷佐原あやめパーク」(地図)は、利根川を茨城側に超えた所にある。そこも一応千葉県なのだ(^^ゞ。

←園内図だが、これが無いと困るほど、この仕切りに意味はないので、特に上から字を入れたりしない(^_^;)。

着いて門から入って入場券を買うと、この図の左上から順路が始まる。

←これが有名なサッパ舟女船頭さん。この日の舟は終了時間だったが(^_^;)。
↑池には鯉がいっぱい餌を貰いに♪

あやめってこんなに種類が豊富なんだね!」
と驚きの声が出るほど、園内いっぱいに咲きそろってました。
季節柄、アジサイバラも園内には咲きそろって、たいそう美しかったです(#^.^#)。


咲き始めのアジサイ
中央池辺のアヤメ(花菖蒲)のコラボ♪

ええと、違いがぱっと見てわからないので、「あやめ」「アヤメ」と書いて進めるが、その内かなりの数は「花菖蒲(ハナショウブ)」である事を予めお断りしておく(^_^;)。。

←そしていよいよアヤメ(や花菖蒲)のじっくり見学スタート\(^O^)/!
↑淡い藤色が素敵(^^)

淡い薄紅や真っ白のもあれば
濃い紫や外と内で濃淡が分かれる花も

調べた所、「外皮被」3枚と「内皮被」3枚があるらしい。
アヤメは紫が多く、カキツバタは紫か白、ハナショウブは紫、白、桃、絞りがあるんだとか。

←物見台みたいなちょっと高い建物に登って撮影。
内側の水辺はパーク内の池だが、外側は「与田浦」という天然の沼で、川に繋がっている。
間の細い陸地にアジサイに囲まれた散策路が設けられていた。

この水郷あやめは、1985年朝ドラ『澪つくし』で、ヒロイン夫婦が新婚旅行に出掛けるシーンに出て来るのですが、私はこの作品を最初から最後まで見たのは、2020年の再放送で
したから、それまで馴染みが無いまま過ごしてました。
が、逆にそれだけ今も新鮮な印象があるのと、近頃の近場巡りでよく行くようになった銚子なんかでは、今もこのドラマにちなんだパネルや懐かしアイテムなんかあるので、自分的に旬なんです♪

尤も、遠からず、茨城県の「水郷潮来あやめ園」もあるので、ドラマで使われたのはそっちかもしれませんけど(^^ゞ

ちょうど半周した辺り
あの四阿に向かって回り歩く

私なんかは「スゴイスゴイ\(^O^)/」と大いに喜んで見たのだが、この年は植え替え初年で(三年に一回だか植え替えが行われるらしい)、咲き方が少ないらしい。
二年目……つまり今年(2025年)は、一番多く大きく咲くらしく(色も濃くなるんだったかな)、情報系番組で一押しスポット特集されていた(^^)v

四阿の丘だけはアヤメ類ではなく
この通り薔薇も咲いてた

園内のあやめ花の種類の多さと見事さはいうに及ばず、「サッパ舟」を漕ぐ女船頭さんのスタイリッシュな衣装と言い、新郎新婦を乗せる「嫁入り船」の結婚行事と言い、そんじょそこいらの地元観光を遥かに超えたテーマパークと言える一方、園内を歩いていて、ちょっと感心したのは、数歩行くごとに『香取人物探訪』なる立て看板が出て来る事。

今度は四阿の方から振り返る
水路から中州に架かる木橋

『香取人物探訪』は、写真に撮った限りになるけど、時代順にして、

@松平家忠=弘治元年(1555)〜慶長5年(1600)、家康の家来。小見川藩の初代。

A鍋島忠茂=天正11年(1583)〜寛永元年(1624)、秀忠の小姓から下総矢作5千石に。円通寺が菩提寺。晩年は上小川で療養。

B松本幸四郎(初代)=延宝2年(1674)〜享保15年(1730)、歌舞伎役者。小見川島田家に生まれる。『平親王将門』『持統天皇却移』の他、弁慶役で大当たりする。活躍は江戸に出てからだが、墓は小見川の善光寺にある。

C楫取魚彦(かとりなひこ)=享保8年(1723)〜天明2年(1782)、歌人・国学者。伊能家世襲の佐原村名主で、絵や俳諧を学び、梅と鯉の絵を好んで描く事に秀でた。

D茂蘭上人=明和の頃(1750〜1770年代)活躍、大乗寺住職で「茂蘭」は俳号。

こんな感じ。

かくして入口付近に到達
最後に入口から園内を振り返る

帰りに入口付近で人員募集の張り紙を見た。
サッパ舟の女船頭さんの募集っぽく思え、「佐原じゃ遠すぎて通えないなぁ」と、あまりちゃんとは見なかったが、「やっぱああいう仕事は体力要るんだろうな〜」とか、いつになく真面目に検討しかけてしまった(笑)。



<「戸崎城跡」「野手浜海岸」など>

同月、茨城県かすみがうら市の「戸崎城跡」に行きましたが、ここも案内板のある辺りまで近寄っただけで、奥まで行きませんでした。
近頃は足を痛めているので、ちょっとした坂道もヤバくて、何事も大事を取って深入りを控えてます。


まだまだアジサイの季節↓
戸崎城跡」(地図)案内板→

木原城とか小山(祇園)城のような、公園化されてる城跡だと、階段などついててかなり行けるんですけどね〜(>_<)。。

でも、やっぱ基本は城跡巡りとか好きな方なんで、「ここにある」と思うと、行ける所まででも行ってみたくはあるんですねぇ(笑)。

←案内板にあった城跡の見取り図
元が凄く小さかったのと、ちょっと遠くから撮ったので、潰れて鮮明じゃなく恐縮(^_^;)ゞ

戸崎城は、小田氏の有力家臣の城でした。
1573年に佐竹氏によって宍倉城とともに落城し、その後は佐竹氏の家臣が1595年より城主となりますが、佐竹氏が秋田に転封となると廃城します。

あとは、この同日では(多分)ないんだけど、これもコロナ以降、県内ドライブでわりとよく行くコースをかいつまんでお届け。

この日は最終的に匝瑳市(千葉県)に出たのだが……、

栗源から多古に向かう途中の田園風景が
何気に凄い(この辺か→地図

多古町は、コロナ突入後、行く先に困って県内を探し回った中、道の駅で発見して以来、この周辺を出回る際の中継地点にしている。
千葉氏城跡やゆかりの寺社巡りなんかも行なった事がある。

やがて到着する野手浜海岸地図

千葉県で太平洋岸に面した市名を北から上げると、銚子市旭市匝瑳市となる。(もっと南にも連なるが取り合えず(^_^;)ゞ)
今いる「野手浜」は匝瑳市である。

海を分断するこの桟橋を歩くと、左右に展開する大波しぶきあげる様が身近に感じられ、なかなか圧巻である。

↑左側の海は、↓こんな感じに浜辺に波寄せ……

波乗り得意な人々が果敢に海に乗り出しては

巧みにサーフボードを操っている( ^O^)//<おおお〜パチパチ

一方右側の海の波は比較的に
穏やかに浜に向かって寄せていた

行く日によって波の激しさ静けさが、左右でバランスが逆になる事もあって面白い。

6〜7月、霞ヶ浦や千葉県の野手浜など、これまで書いて来た所にドライブしては、亭主がまた「勝浦タンタンメン」のポテツチップスなんか買いまして(笑)。

勝浦タンタンメンの各シリーズは、そこそこ買いつくしたかな(^^ゞ。
当初は、これもコロナ禍において県内ドライブで勝浦に行ってみたのが始まり。

勝浦タンタンメン専門店があったが、コロナで外食を控えていたため、近くのコンビニで売られていた勝浦タンタンメンのカップ麺をせめて購入し、その場でお湯を注いで車内で食した。

これがすこぶる旨かったので、以来やみつき気味になっている(^_^;)。



■7月・茨城県笠間市・龍ヶ崎市・つくば市
<笠間城跡>


7月、茨城県の笠間に行ってみました。
流石に笠間となると結構な遠さで(^_^;)、行ったはいいが、名所に立ち寄る時間は取れませんでしたが、それでも笠間稲荷門前通りの盛大さに、かなり衝撃を受けました。


古く格式高そうな店が並ぶ
突き当りは「かさま歴史交流館・井筒屋」

↑門前通りは、中心に笠間稲荷への参道に続く大鳥居地図)がある

目当ては「笠間城跡」で、ここはかなりの山奥でした(*_*)。

「おおおお〜っ」と入った途端、歓声が漏れるほどの山奥

「こういう山道ゆくの久々だよね〜(^o^)」とか言いながら

道行く周りの森も鬱蒼として、城域の規模も広大そうでした。

駐車場まで行って、「わ〜凄い山奥」と又ぞろ案内板だけ撮影して山を下りた次第。


駐車場(地図)のアジサイの咲く中にあった「笠間城跡」(地図)の案内板→
(笠間城跡には登り口らしき道筋が何方向からかありそうにも思えるが、駐車場が完備されてるのはここだけなので地図を二個出した)

笠間城は1219年に築城。
笠間氏の居城でしたが、1590年に笠間氏が没落すると、

宇都宮氏の家臣が入り、1598年からは蒲生郷成が城主となって近世城郭たらしめ、以後、笠間藩(松平、小笠原、松平、永井、浅野、井上、本庄、井上、牧野)の居城となったそうです。

こちらは帰りに通った道から見えた「北山公園」(地図)の水辺風景→

こうした山奥の風情が永く続く良いコースだった(^^)

ちょっとタッチしただけだったが、笠間は以前から、「笠間焼」でもそそられ、親鸞の永く住まった地としても、何度か「行ってみたい」と思ってただけに、この日は行けたことが嬉しかった(^^)。



<「来迎院」多宝塔・釈迦像・願かけ地蔵>

同月、茨城県龍ヶ崎市の「来迎院」(地図)にお参りしました。
ここは室町時代多宝塔がありまして、いつも茨城方面に出掛ける折、途中に通る道路に、何やら文化財がある標識が出てるのがチラと見えるので、この日は亭主に頼んで、寄って貰いました。


入って来てまず( ^^)σ只<カシャッ
ちょっと進んで角度を変えて

境内の案内板に、「多宝塔室町後期の建築物」とあって、「そうなんだ(*o*)」と。
知識が偏ってて、意外とこういう基礎的な事が頭に残ってない(多分「見聞きした事」はあっただろうw)

他に、「関東以北では貴重」とも強調されてたので、wikiで「多宝塔」と打ってみたら、確かに国宝は6件で全て近畿以西
重文34件の内、ナント関東以北は茨城・埼玉・千葉に各々1件のみで、この来迎院の多宝塔がトップに書かれ、あとは中部に8件、残り23件は全て近畿以西だった。

塔は境内の中心部にドン!と聳え立っており、その背後には大きな釈迦像が横たわっており、お釈迦様の体をさすると、功徳を得られることが書き記されてました。(^人^)<南無

改めて仁王門から
本堂に進んで手を合わせる(^人^)

↑本堂の写真では、赤い幟が翻っている影に隠れて見えないが、本堂まで行ってお参りすると、階段の手前に……

←「一願成就 願かけ地蔵尊」と書かれた、こんなお地蔵さんが座っておられるのに出会った。

耳に手を当て、お願いを聞き取ろうとしている珍しいスタイルに思えた。
「遠慮しないで言ってごらん」
と励まされたような気持ちにもなれた(^人^)。

こちらは天台宗で、案内板には、天台宗について、釈迦の教えで法華経が最も優れている事、実践として、密教、禅法、戒法、念仏があり、天台宗の寺の本尊に、阿弥陀、薬師、観音、地蔵、不動がまつられる事など案内し、教義を説明していた。

この頃から猛暑でしたね(^_^A)。
立ってるだけで汗がドンドン流れる感じで、今年もまた長い夏なのかなーなんて言いながら車に戻ったのを思い出します。。


この来迎院は、道路から墓地にスイと入って来れるお寺で、大きな山門も無いので、イキナリ多宝塔から紹介となったが、墓地の合間を↓こんな風に入って来る。

奥に仁王門、右手前に多宝塔
←は明度いじりまくりで実際の写真は↓

ちょうど逆光凄まじい時間帯だったので、それで入って来た所の写真↑は後に廻した(^_^;)
この右の写真を見て、「猛暑の夏ぶり」を実感して頂ければ(笑)。



<「泊崎・七浦弁財天」と「泊崎大師堂」>

まずは「泊崎弁財天」を参拝
そのさらに先には牛久沼が広がる

牛久沼まで近づいてから、改めて振り返ると……

左が「泊崎弁財天」、右が「七浦弁財天(パノラマ2枚)

↑そして左の高台の上に見えるのが「泊崎大師堂」。

同月下旬、茨城県つくば市の「泊崎太子堂(※)をお参りしました。
ここは牛久沼に突き出す岬の高台に聳え立つお堂で、お堂自体はとても小さいですが、壮観なのは、この高台の高さです。

(※正しくは「大師堂」でした。スイマセン)

その麓には、沼に突き出すように水辺と接している平地があり、沼に向かって「泊崎弁財天」、沼から上がって来た所に「七浦弁財天」の二社(地図)が、互い違いに祀られています。
この平地部分から見上げると、う〜んと高い絶壁の上に、その「泊崎太子堂」のお堂が乗ってる様子が仰ぎ見れます。

↑高台の上まで行って↓「泊崎大師堂」(地図)に会う

ここを大師堂というのは、弘法大師・空海がこの地を訪れ、座護摩を修めたと伝わるからで、縁結び長寿にご利益があると信じられ、今では長患いせずに人生を終えられるとも言われてるそうだ。

大師像と「茨城百景・牛久沼」碑
この「駒の足跡・逆松」は……

弘法の七不思議」というのが案内板に書かれてて……
弘法大師は馬に乗って現れ、馬に乗って去った。訪れた時、小川の石についた蹄の跡を「@駒の足跡」、川を渡って去った「A法越(のっこし)」と呼ぶようになった地には、藻が生えなくなった。

弘法が通った山道の「B木瓜」は実をつけなくなり、弘法が持って来た松が根付いて地を這う「C逆松」。

弘法が墨をすった湧き水を使って字を練習すると上達する「D硯水」。

大師堂にあった藤の節々が独鈷に似ていたので「E独鈷藤」、杉の葉が五枚あったので「F五葉杉

駒の足跡」は@、「逆松」はCが該当する。
他は昔はあったが、今は無くなってしまったり、どこか判らなくなってる伝承地もあるようだ。

アジサイの咲き残る中をさらに登って
「大師堂」に到着(^_^A)

丘の上は横長の敷地が右に広がっていて、

お堂の側面側にはベンチもあり
さらに先の端には五輪塔が

ベンチの他には、石碑とか地元の俳諧に関する案内などがあったと思う。
ここでの情景を句に詠んだりする文化土壌がありそうに思えた。

と言うのも、石碑や堂の張り板に、
「牛久沼八景」「牛久十二景」が書かれていたから。→
牛久沼八景
一松秋月
   雁台晴嵐
仏崎暮雪
   鶴舞夕照
金龍寺晩鐘
   八間帰帆
苗寄落雁
   八崎夜雨
牛久十二景

古城鹿鳴 浅間朝鴉
金龍晩鐘 江門添蛍
長堤帰童 細見晴嵐
泊崎逆松 湖上月明
仏崎蓮華 岩崎山荘
筑波晩霞 芙蓉写水

お堂の裏手は、上の写真からもわかる通り、牛久沼が眼下に広がってて、裏手に回って臨めるようなスペースとベンチがある。

絶景かな牛久沼「^。^ )(「^。^)(パノラマ3枚ほぼ180度)

逆にお堂から、この二社のある平地を見下ろすと、「わ〜!下見ると沼に落っこいちゃいそう\(>o<)/!」と思うほど(ちゃんと柵がついてますw)、前面見渡す限り、牛久沼が広がってるのです。
案の定、「牛久沼十二景」など、お堂に張り出されてました。
水辺だからか、「弘法の七不思議」などの言い伝えも書かれてました。



この通りさっきの「泊崎弁財天」「七浦弁財天」が見える→

ここも晴れた日に、お茶とおにぎり持ってきて食べたい場所だった
( ^,_^)φ″<鰻重でもいいわね♪



■8月・千葉県銚子市・長柄町・他
<犬吠埼アゲイン>


そうこうする内に8月。
またまた犬吠埼(千葉県銚子市)に行ったようです(笑)。


5月のレポでは、犬吠埼に入って最初に海が見えた道からの写真を出したので、今度はその先の、犬吠埼灯台に向かう道から見える海風景を。

ここも急に目前に海が現れ
「おおおお〜っ」と感動する道(^^)v

以前は凄く遠く感じてましたが、近頃は「道の駅・水の郷さわら」まで一息に行くものですから、そこからさらに一息という感じで、スイスイ行くようになりました(^^ゞ
佐原(香取市)から銚子までは、途中に通る東庄町などが、すこぶる景観の良い街並みなので、そうストレスも無く、行ってしまえるんですよね(^^ゞ。


到着。「犬吠埼灯台」まで並ぶ土産・宿・飲食店(パノラマ3枚)

↑から後ろを振り返ると↓大海原が一望\(^O^)/(パノラマ4枚180度以上)

↑の真ん中あたりから、海岸まで下りていけるよう、手すりや下り坂が整備されていて、

下ってゆくにつれて
波打つ海辺が近づき

銚子グランドホテル(地図
岩に打ち付ける波しぶき(拡大)

真っ暗になると、あの銚子グランドホテルのネオンと、ここ犬吠埼灯台(地図)から天を伝って回りゆく灯りと、黒い海原にレール状に照らす月光の反射が、何とも幻想的な夜景を届けてくれる。



<オマケ「真夏の風景」入道雲・夕焼け・花火など>

だいたい7〜8月の夏の風景から。

←入道雲ムクムク高く(鎌ヶ谷あたり)
↑早くも黄金色に実りだす稲田(茂原あたり)

同じく8月、千葉県の長柄町あたりにいったようです。

長柄川大橋地図
ここもたまに行く所になっている

続けて翌週は、その近くの長生郡に行き、「笠森観音」にたどり着きました。
夜の写真が残ってます。勿論参拝はかないませんでしたが、ここも長年、「一度は行かないと」と言ってる千葉県の名所旧跡ではあり、神野寺と並んで、何とか日中に再度挑戦したい所です。


笠森観音の周辺の写真は、真っ暗なので割愛(^_^;)ゞ

代わりに利根川の夕焼けと
千葉から茨城に県境を越える橋

夏はやっぱり打ち上げ花火っ\(^O^)/<た〜まや〜♪

次回も「ご挨拶」からの引用路線で続きをやろうと思いますー!

2025年07月22日

<つづく>
 
     





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