<2005年・城主のたわごと4月>




2004年4月。今度は「日光〜沼田」。前回とは逆コース。

さても雄大なる自然・滝・湖の全容。果たしてお届けなるかっ。




     
  やっと2004年のレポに着手と思いきや、世の中はとうに2005年を迎えていたりする(^_^;)。

こういうのを「イタチごっこ」って言うんだよねぇ(←違わいっ、レポが遅れてるだけだっ)←自主ツッコミ

しかし不思議にも今回のみ壁紙と季節があっていたりする(笑)。
そう、つまりは去年(2004)のちょうど今ごろ。桜の季節である。
「沼田〜日光編」(「2004年・12月のたわごと」〜「2005年・2月のたわごと」)で課題となっていた「日光リベンジ編」が突然敢行される。

時期は4月に入ってスグ。
コースはこのあいだの「沼田〜日光」とは逆、「日光〜沼田」で行ってみた。



<日光・明智平>

この日はどこも桜が満開で、家を出てからもスグ通りに菜の花が咲いてたし、また東北自動車道に乗ってからも、周囲にチラホラと薄桃色が見られた。


前回は関越自動車道を沼田で降り、日本ロマンチック街道の金精道路を抜けて日光まで行き、帰りは宇都宮から東北自動車道で帰った。
つまり西から東に出るコースだった。
今回は逆に、いきなり北上して、はじめに東北自動車道からのコースを辿ってみる。


こうして左右に見える満開の桜も美しかったが、このあいだは夜に通っただけの東北自動車道、改めて日中に走ってみて亭主が気に入り、「このままもっと先まで行こうか」と上機嫌のうちに宇都宮に到着。
そしてこれまた前とは逆コースで一路、日光を目指したが、日光の山あいに入るや……。

ジャジャーン!
雪であるっ(笑)。

もちろんこれは残雪だが、このように土が見える所もあれば、一面が銀世界っつぅ所もあった。

また途中、チラチラと雪が舞い降りて来る所もあった。

これは空から降って来てたのか、気温はそう寒くなかったから、山に積もった雪が風で舞い降りて来てただけかもしれない。

「こないだは気が付かなかったけど、日光って、すんごい標高が高いというか……かなりの山奥なんだねぇ(^_^;)」
なんて、遅れ馳せながらしみじみ実感する。

今回は前に行った日光より西側、奥日光と言われる地域を訪れて見る。

さて、地元で見つけた地図で先に地理関係をご紹介。
右から左に進んでいく。宇都宮はもちろん、前に訪れた東照宮も、地図を外れて右(東)にある。

やがて「第一いろは坂」、「第二いろは坂」と呼ばれる2つのコースに分岐される。
どちらも曲がりカドに来るたびに「い」「ろ」「は」と標識が立っている日光でも有名なカーブの難所である。
この南側に分岐される「第二いろは坂」を通過。その先にある「明智平」にやって来る。


上のごとく、山あいの道路をクネクネと走りながらやってきた。そして後ろに振り返ると……。

明智平ロープウェイ(右の建物は「明智平パノラマレストハウス」)

左のまさに登って行くのがロープウェイ。またその背後に聳えるのが「男体山」である。
レストハウスはドライブインとロープウェイの駅を兼ねている。ちょっとここで休憩。

何か嬉しい感じのする名物(笑)「明智だんご」と「明智の湧き水」↓

このダンゴの味がなかなか良くて、夫婦上機嫌(笑)。
なのでダンゴを食いがてら、試しにお土産屋の女性に聞いてみると、やっぱり「光秀=天海説」のことはご存知で(笑)、天海僧正の像が東照宮付近に建っている、なんて事を教えて下さった。
今回はこのまま西に向かうので探す事は出来ないが、ここを明智平と名付けたのが天海僧正だという伝説があるのは確かなのだろう。

ちなみにこの日光は、天海僧正の提案によって徳川家の墓所が定まったと言われる。さっこんでは、徳川家お抱えの「風水僧侶(?笑)」としても、だいぶ有名になったように思える。
せっかくだからロープウェイに乗って、さらに高所にある「展望台」まで登ってみる。

途中、右手に大きく男体山があらわれる。
古くから二荒山神社のご神体の山として名を知られる山だ。

左が男体山(ロープウェイ内より撮影)

男体山に登る道路。クネクネと蛇のような曲線も一望。

男体山は約一万年前の火山噴火により、溶岩や火山灰が火口の周辺に堆積し、非常に崩れやすい。また大雨でえぐられた沢(薙(なぎ))も多く、土砂を押し流して災害をおこすため、1960年から治水ダムの建設や植栽によって災害を防ぎ、緑の山に戻す努力(治山)が続けられている。


エイヤコラサとロープウェイは登ってレストハウスも遠ざかり、代わってその背景の山々が見え、やがてそれも周囲の木々に埋もれて行く。終点。

駅からさらにちょっと徒歩で展望台に昇る。


↑手すりの左側から登って来る。振り返ると……。↓

展望台(写真7枚で180度繋いでるので、実はだいぶ魚眼的:笑)

手前にある望遠鏡。↑これに100円入れて5分だったかな。
←左方向に展開する光景を見られる。……それが以下の光景。

ドーーーーン!
確かにこの光景はスゴイんだよな(^^ゞ。
何が見えてるかというと……。

まず中央手前に二本の滝。華厳の滝(中央)と白雲の滝(右下)。

さらにその奥に中禅寺湖。右が男体山の裾野。そしてその上空の雲から日光が線をなして振り注ぐオマケつき(笑)。

何か宇宙船にでも乗って、どっか別の星にでも来たような印象すらある。

ただそれより驚いたのは、東照宮でそれほど感心しなかった亭主、この望遠鏡に何個100円玉を入れただろう、って事(笑)。

右は中央部拡大の写真。
望遠鏡で見ると、もっと細部までよく見える。

スゴイな〜って感じるのは、やはり華厳の滝。
モォモォと水煙をあげてドドドドと落下する様が、このように遠くからでも勢いづいて感じ取れる。

それにしても、やっぱ男はミミチィ細工物より、このようにスケールのデカイ自然物を喜ぶのかなぁ……とか聊か不思議に思ってから、ふと気付いた。

小泉八雲の『日本瞥見記』にも、東には石仏(地蔵や馬頭観音など)が多く、西に行くにつれて石仏に代わって「宮」が増える、と表現されていた。

亭主は山陰出身、私も関西に住んであちこち行った事があったが、思えば美しい庭や穏やかな風景は西にもあれど、このように荒々しく厳しい自然風景は、あまり見なかった気がする。

私なんて、何のかんの言って関東が基盤であったから、むしろ古めかしい建造物なんかを嬉しく見るものだが、考えてみれば、自然の凄さに感動するなんて神経は、いつの間にか薄らいでいたような感じがする(^^ゞ。いや〜反省、反省。



<華厳の滝>

亭主はロープウェイを降り車にエンジンをかけると、一路「華厳の滝」に向かう(笑)。

華厳の滝は高さ97メートル。

流れ出す上部を拡大するとさらに右の写真の通りだが、これは大河ドラマ『徳川家康』のオープニングに使われた映像の場所ではなかろうか。

ここには拝観コースに無料のと有料のがある。
有料は530円。エレベーターに乗る。内部には土産屋もあるが、無料で充分かなぁ(^_^;)。

一方前述の明智平ロープウェイ〜展望台は、むろん押し押しにお薦め☆ミ 係員さんもいい雰囲気(^^)。
確かに、日光に行ってアレを見ないで帰ったら、ちょっとバカみたいかもしれない(^^ゞ。

さて、華厳の滝を下から見上げると、下の写真(左)の通り、滝を囲む岩肌に続いて、衣のヒダを織り成すような「大岩壁」がそびえる。上部から安山岩、集塊岩、石英斑岩で形成。
滝が全長97メートルもあるから、この岩壁の巨大さも相当な物である。


一方、華厳の滝の下を見ると、上の写真(右)の通り、本体を中段の細い滝々が取りまいている。これを「十二滝」と呼ぶ。
そのさらに下部。滝壷よりさらに水が流れ出して行く。


華厳の滝とそれを囲む滝の、この物凄い水量の源は、その背後の中禅寺湖にある。
この大きな湖から大尻川を流れてここに至り、ここで落下してから涅槃滝でさらに落下し、やがて鬼怒川に合流する。

下は、この華厳の滝を見上げる展望台の裏側。建物の背後からも水が溢れて渓流を作る。


華厳の滝の正面に聳える山。先ほど明智平ロープウェイで登った展望台がある辺りである。




<竜頭の滝>

この日は日光から沼田に出る予定だったから、華厳の滝を見た後は、一気に金精道路を目指して日光を遠ざかろうと、中禅寺湖の北辺を通って中ほどで北上し、さっきの地図のコースを左上に外れて行きかかったのだが、そこで「竜頭の滝」という看板を見掛ける。

華厳の滝ですっかり滝に感動した亭主(笑)、「もう一個滝を見て行こう」と車を停める。

どうやら何かのお店の敷地内らしく、お店じたいは閉店してて、でも他に地元の観光客が入って行くので、「こたつもお邪魔します(^^)」と入らせて貰った。

古風な建物の奥に滝が見える
これが「竜頭の滝

この滝の奥は散策コースのようで、ここの立て札に、奥日光の天然カラマツの北限にあたる事、龍頭観音が祀られていたことに由来して「竜頭の滝」と呼ばれる事、紅葉の名所である事などが書かれていた。
また龍頭観音については、三十六観音の一つで、水晶と巻物を持って一角龍に乗り、水を支配すると縁起が書かれていた。

再三、「竜の姿に関係なく観音にまつわる」こと、「八大龍王が釈迦の誕生に花と甘露の雨で祝福した」と仏教の由来が強調されているのに何か恐縮ではあるが(^^ゞ、やはり滝を見て、竜が頭で水を切って泳ぐ姿を連想してしまった(笑)。



<戦場ヶ原>

奥日光を背に、さらに戦場ヶ原を抜けて金精道路を目指したのだが、その先は「冬季につき通行止め」とある。

あちゃー(>_<)。
後で知ったが、ここの冬季通行止めは有名であるらしい(笑)。それも期間が長く「GWまで」と書いてあった。

仕方ないから相談するため、再び戦場ヶ原に戻り、ドライブインらしきお店の駐車場に入る。
そこで ばったりワンちゃんと出くわす。

何やらかなりヨロヨロしてるので、余り物のオヤキをあげたが、ひどくビクビクして、拾いにも来れないようなので、場を離れると、ようやく拾いに来て、遠くの木の影に持って行き、ガツガツと食べていた。

ずいぶん窮してるような(^^;)。。
と思った所でハッと気付いた。

「この辺りって確か、エサあげちゃいけない条例だか出てたんだっけ(*o*)」
後でネットで調べてみた所、どうやら正式には「餌付け禁止条例」と言い、その対象は一応「サル」だが、記事に絡んでその他の動物名も出て来て、全て「野生動物」の名になっていた。

「じゃイヌは良かったのな(ドキドキ(^^;))。イヌも野生化すればいけないんだろうな。しかしイヌの場合、野生か野生じゃないかをどう判断すれば……」
などと気を揉みつつ店に入ると、安心したのか近寄って来てリラックスしておった(笑)。

よく話しに聞き、よくテレビで見掛ける、いわゆる日光の共謀なサルとの何と言う違いだろう。
「もしかして、サルにイジメられてるのかも(;_;)」

さて、蕎麦を食べながら地図を広げ、お店の人にも道を聞いてから外に出ると……隣は梅宮辰夫の漬物屋だった(爆)。

ちょっと覗きに入る。そして店の奥に「戦場ヶ原における神戦」なる書き物を発見。内容はだいたい以下。

「二荒山神社に伝わる古事が鎌倉時代ごろから説話として伝わり、室町時代に『日光山並当社縁起』上下二巻の絵巻物として模写された。
そのうち下巻が、1330年3月に、宇都宮城主、宇都宮薩摩守豊房が下野から伊豫の守護に任じられて移ったため、今は愛媛県大洲市の宇都宮神社(二荒山の神を祀る)に現存する。
その下巻の「神戦図」に、二荒山の神と赤城山の神が中禅寺湖を巡って争った話がある」
(ちなみに宇都宮氏については、この後に行った石和で支流と伝わる八田家書院を訪れた。2004年レポ「2」

この話、たびたび各所で聞いた事があったと思い、興味深く読んでから、「どうせ一度バックしなきゃならないから、その途中でもあるし、ちょっと中禅寺湖にも行ってみよう」と話は落ち着いた♪(「神戦」の続きも↓で)



<中禅寺湖>

というわけで中禅寺湖に戻る
湖畔に下りてみる
亭主である(笑)

ご覧の通り、だいぶ日も暮れて来た。
中禅寺湖をバックに、先ほどの「神戦」の内容(概略)を話そう。
 

「二荒山の神(男体権現)は中禅寺湖の領有について赤城山の神と争った。
二荒山神の后である滝尾神社の神は、金の星のある鹿に化身し、岩代国(福島県)と陸奥国(宮城県)の堺にある熱借山に行き、そこで狩をしていた弓の名人、小野猿丸太夫(男体権現の孫)に加勢を求めた。
(これが、常陸の鹿島神の仲裁あるいは入れ知恵とされてる説も後で見たが、ここには出てなかったので(^^ゞ)
二荒山の神は大蛇に化身し、赤城山の神が大百足に化身して戦っている所に、猿丸太夫が強弓を射て、大百足を敗退させた。
以後、願望成就の神として、二荒山神社には遠路からも参拝に来る者が多く繁栄が今に続いている」

この猿丸太夫を「孫」というからには、その親は何なのかなぁ、と後で調べたら、二荒山神社の祭神である三神「大己貴命・田心姫命(妃神)・味耜高彦根命(御子神)」が相当する、という話を見付けた。
「大己貴命」が二荒山の神(男体権現)、その后神の「田心姫命」は瀬尾または朝日姫、子供の「味耜高彦根命」は馬王といって、猿丸太夫の父にあたる人を指すのだとか(゚.゚)。


給油の必要を感じ「いろは坂」をさらに戻り、日が暮れる中をいちど日光方面まで戻ったが、スタンドが無かったので夜道を足尾方面に向かう。



<日光〜足尾〜沼田>

沼田に行く別ルートは、「いろは坂」〜日光の途中で南下。足尾方面に向かう国道122号線を使う事になった。

今回の、明智平〜華厳の滝〜中禅寺湖〜竜頭滝〜戦場ヶ原のルート、亭主にはかなり満足であったようで、やっぱり古くから山をご神体とするだけあって、この辺り一帯の、山・湖・滝を見ない事には、日光を堪能したとは言えないんだろうね〜、なんて言いながら、足尾をさらに南下すると、ここより群馬県に入る。やがて右折、赤城山を左側にしながら通り抜け沼田に向かう。

途中、足尾あたりだったか、何頭かの鹿と遭遇(爆)。

それも道路の途中にボーと突っ立ってるんだなぁ(^_^;)。プッと軽く警笛を鳴らすと、「チッ」って感じでやっと道を空ける(笑)。
あるいはガードレール脇にいきなり立っていたり、こちらも初めての道だし、暗い中をクネクネと曲がるものだから、曲がった所に立っていたりされると、結構ギョッとするんだが、あちらはいたってマイペース(笑)。

地理的には北東から南西に向かって、男体山・中禅寺湖・足尾(以上栃木)・赤城山(群馬)、と並んでるような具合なので、男体山と赤城山が、湖を取り合ったり、使者に鹿を使ったりする話というのは、まさに自然の様相から生まれた話なんだろうなぁ、なんて後になるほどボンヤリ思えて来た(笑)。

また、赤城山の神が二荒山の神に敗れ怪我をして入ったという事で、この辺りで有名な老神温泉の伝説もあり、こちらはこちらで「瀕死の怪我も治せる温泉」というのがウリ(^^)v。

さてだいぶ遅くなったが、沼田にいたる手前で突然、日帰り温泉の施設を発見(゚.゚)。
「もう閉まってるかな〜?」
「いや、何かやってそうじゃない?」
8時半は過ぎていたのだが、何となくフラフラと入る(笑)。
一人500円。が……、

「いいですよ、9時で終了ですから、あまり入れないでしょうし、二人で一人分という事で(^^ゞ」
とこれまたえらくフロントが愛想よく応じてくれ、そのままフラフラと風呂に直行(笑)。
何しろちょっと入ってすぐ出てしまい、今となっては住所も定かではないが、後で色々調べてみた結果、どうやら「昭和村総合福祉センター 昭和の湯」という所ではないかと思う(群馬県利根郡昭和村大字糸井624)。

ヌクヌクと温まった我々、そのあと沼田に向かいつつ、「やっぱ群馬、いい所だよね〜」と、ここで群馬票が前にも増してアップする(笑)。



<沼田城(公園)>

さて、前と逆コースを辿ってみようというだけの計画で、特に沼田に来たら何をしようという予定も無いので、あとは高速に乗って帰るだけなんだが、「ま、せっかくだし、ちょっとお城の近くまで(^^ゞ」と、沼田城に何となく向かう。


↑沼田城の西北方面、運動場の駐車場にやって来ると……「おおおお(゚.゚)?」。
上のごとく、暗がりの中に点滅するのは提灯の列である。

「明日、お祭りでもやるのかな?」
とか言いながら、正門に廻ってみると……。


例によって、かなり魚眼的パノラマ(笑)。真ん中が正門。右が駐車場。左がテニスコートだっただろうか。
何しろ、提灯の灯りがエンエンと横に繋がっている。夜10時にはなってたハズだ。


振り返って、正門から入って来た方面。これもかなり魚眼(笑)だが、左が駐車場。中央が二手に道が分かれる。この左側の道に入ってみる。

ダンダラ状に続く提灯の道案内
やがて前にも来た「鐘楼」に到達

ここで提灯は途切れ、月の光が鐘楼を照らす。


確かここで、古くから伝わる桜が満開に咲くのをライトアップされてて、それを写した覚えがあるのだが、写真がナイ。スパークしてしまったのかも(涙)。。


もう一隅の敷地に移る。またエンエンと続く提灯が遠くまでご案内。

前は田園や市街が見下ろせた辺り。街のネオンが遠くに揺らめく。

この夜は他にもチラホラ……いや、かなり居たかな(^^ゞ、提灯を頼りにお城を散策に来てる人がいた。

桜まつりでもあったのかもしれない。何しろ思わぬ幸運に預かった気分で、さらに好感度アップ(笑)。

そろそろ帰らねばならない。翌日も休日だったが、その日は地元の「桜まつり」が控えてる(爆)。
が、さっきはガソリンが無かったが、今度は金が無くなっている(爆爆)。
「下通って帰ろうか」という話も出たが(笑)、それは無謀なので近くのコンビニでキャッシュコーナーのありそうな店などを一応当たってみる。

若い店員さんが「月夜野に出れば一件ありますよ(^^ゞ」と教えてくれる。

いかにもバカ都会人の呆けた要求(笑)にも、邪険のそぶりを全く見せない。うぅ〜ん。好感度さらにアップ。

本気で帰る気があるのか無いのか(笑)、何かにつけ夜の道をあっちにこっちに行き来してる内に、前はウロ覚えだった沼田の地理にだいぶ詳しくなった気もする。

しかしやがて渋々インターにやって来る(笑)。乗る。そして料金所で気付く。
「カードでも乗れたんだね(爆)」



<エピロ〜グ〜♪>

この後、日光には行ってないが、沼田にはさらに二回来た(爆)。
その理由はこの4月から、スカパー時代劇専門chで『真田太平記』が始まったからではないかと思う(笑)。
まぁ又それは、遠からずお届けとなる。


↑最後の一枚はどこのPAだっただろう(^^ゞ。
仮眠のために入った関越自動車道のどこかである。この満開の桜を見て、再び「ああ、世の中は春の盛りであったか」と思い出したのであった(笑)。

2005年04月08日
 
     






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