<石和川中島合戦戦国絵巻・レポート2>


「石和」

     
  甲府から石和までの道はちょっと渋滞してました。
下左の写真は石和駅なんですが、実はコレ、メンバーのいんちゃんから後で貰った物です(笑)。北側にある駅の方には出ず、南の川付近から石和町に入って来て、まっすぐ宿に入りました。
今宵の宿→
↓石和駅。(写真提供:いんちゃん様)

宿で合流する予定だったいずみくんの到着が遅れてるようだったので、荷物を置いて一休みすると、去年時間が過ぎて閉館してたため行きそびれた「八田家書院」に出掛けました。



<八田家書院>

石和町の中心部にあります。周囲は温泉街。

八田氏は八田権頭宗綱(常陸国、宇都宮氏流)の末裔とも言われるそうです。
ちょうど石和に行く半月ほど前、日光に行って、この「宇都宮氏」が愛媛に伝えている『日光山縁起』(日光の大蛇と赤城の大ムカデの戦)の伝説を知ったばかりなので、「どっかで繋がる(゚.゚)?」とか目をひきました。
が、詳細は不明だそうです。

戦国期には武田氏に仕え、家重という人の代に一宮町末木の地を拝領して、姓を「末木」に改めました。
信玄の頃は蔵前衆として、年貢の収納や兵糧の運搬を勤めたそうですが、1582年の織田軍侵攻で兵火に見舞われて、その当時の物は全て焼失。

しかし同年に徳川家に隷属し、徳川家から万力御林の材木を賜って母屋が造られました。
この母屋も1859年7月の笛吹川が洪水となった時に取り壊されたそうです。

1583年、末木政清のときに八田に復姓し、同年、弟の新左衛門尉もともに棟別の免許を受けましたが、新左衛門尉に子が無かったため、政清の次男政俊(菅太郎)が両家を相続、苗字帯刀を許され、屋敷もご朱印地として安堵されました。

伝承によると、西座敷、西蔵、中味噌蔵、文庫蔵、御方屋、酒部屋などがあったそうですが、現在は西の一画(書院)のみで、他には、笛吹川に面する北の高台に水防堤を兼ねた土塁(2m)が残ってるそうです。

正面の門
門を入ると書院に続く庭

上の門(写真左)は、1661年石和代官所を作ったとき、代官の平岡勘三郎良辰が石和陣屋の表門として作られたものを、1874年に払い下げとなり、こちらの門として移築。
また上の書院(写真右)は、1601年、徳川家より都留郡富士根の材木を賜って造られた物です。
書院の中は普通の日本間で、そう広くは無いです。
閉館まぎわだったからでしょうか、係の方が拝観料は要らないと言って下さったので、お庭の方から縁側に入らせて頂きました。

←印象的な虎の絵の襖戸。

この書院は茅入母屋造りと言って、桃山時代末期の武家書院様式ですが、東隣の願念寺より二年古い要素をとどめる一方、天井の竿縁が太いこと、数奇屋風の奥間などは17世紀後半の特徴を具えて、建築年代は特定されないそうです。
が、よく補修も施され保存性も良いという事で、昭和36年に山梨県指定の文化財となったそうです。
書院の西側
先ほどの門から外に

西から9畳の奥間、15畳の中間、8畳の三の間が並び、これに一間の入側、式台玄関などが配され、柱には栂材を用い、各間の内装は長押打ち、竿緑天井張りの書院造の造作を維持(ただし奥間のみ径4寸の杉の面皮柱を用い、付書院、肘掛窓とあわせて数奇屋風)。

古文書も多く、1569年の末木家重譲状を筆頭に、1606年家財・人別・牛馬の目録のほか、附土蔵棟札、永々日記、家政歴年誌、地相絵図面、八田村古絵図など。

この八田家書院は、ちょっとした小さな公園に取り囲まれてます。
右は公園の案内図。 →

図の右下が八田家書院の敷地。
図の左と上側は、下の写真の通り。

「桃源郷」
「殿場町」

「氾濫」
「石舞台」

「治水」
「ワインの里」

と、ここで再び宿に戻り、梵天丸夫妻やいずみくん、いんちゃん達と合流。
私とこたつ亭主は、梵天丸夫妻と一緒に、いそいそと挨拶廻りに出掛けました(^^)。
 
     


「恒例(笑)、織姫&彦星・献塩の儀(偽)・こたつ隊宴会」

     
  ↑だんだん意味不明気味になってますが(笑)、今年もコレをやるワケですわ。

まずは、恒例の紋次郎隊との密会〜。
「ちょっと出掛けるの遅くなったかな(゚.゚)」と紋次郎。さまに電話した所、あちらも「やっと宿に着いた所です」との事(笑)、こたつ達4人の方が先に着いちゃいましたっ☆ミ

「去年はアイスコーヒーだったから、今年はアイスココアにするっ」
とかワケのワカラン事を言いつつ待ってる内に……ご一行到着〜(^O^)!
わ〜い! 又々一年ぶりですね〜っ。(そう遠いワケでもないのに「年に一度」なんだよね:笑)



<織姫&彦星>

↑「なぜか年に一度の逢瀬」って事からいつとは無しについたこの名(笑)。

紋次郎。隊とこたつ隊の密会に端を発したハズでしたが、今年は上杉播磨隊からも、松永弾正隊からもご参加があって、もはや「密会」とは呼べない気がするッス(^^;)。

皆様よくお集まり下さいましたっ☆ミ
写真がちょっとブレてしまい、ごめんなさい(TOT)。。

おいでになられた方は、
上杉播磨守定景さま、碧雲斎さま、左近さま、飯綱武蔵守法達さま、紋次郎。さま、助さん様、マコさま、く乃一さま、明智日向守光秀さま、梵天丸さま、梵天丸亭主さま、こたつ亭主、こたつ城主、
……と、こう数えると、わりと多かったですね(笑)。