<掲示板・議事録>

「城主のたわごと」2013-08(上下毛編7・他)

     
  < こたつ城主 2013/08/28(Wed) 19:20>

題名:「城主のたわごと」2013年8月

↑アップしました(^O^)!

一ヶ月抜いたので月越え解消〜!(笑)←単に追い付くのを諦めただけ(^_^;)

宜しくお願いします!!!

※ 過去更新状況
07/05「城主のたわごと」2013年7(6)月
他、「今週のご挨拶とお知らせ」「議事録」など〜詳しくは「更新歴」を
 
     

     
  <Syoさま 2013/09/22(Sun) 18:25>

こたつ城主さま、ご無沙汰いたしておりました。
「城主のたわごと」も度々に拝読していたのですが
先の台風18号で京都市内、区内の河川が氾濫したりでバタバタしてしまい、
登城が遅れましてあいすいませんです。(^^ゞ
こたつさまの所は大事なかったでしょうか?

幸いにも私の所は水害は免れましたけど近隣は床下浸水や道路が
水没したりと初の特別警報なるものが発令されたりと
危機管理の甘さというか、平和ボケ?何もできず呆然と氾濫寸前の宇治川、桂川などを眺めるだけでした。・・・

さて、<2013年・城主のたわごと8月>
紅葉〜積雪と山間ルートを満喫されましたね。
ただ、積雪の高地をノーマルタイヤで走られたとは
まじで驚愕しましたけどヾ(≧▽≦)ノ
アイスバーンなどでスリップしませんでしたか?
もしや、ご亭主殿はA級ライセンスをお持ちとか?(^▽^;)
この時期に紅葉〜積雪の風景は涼みました。(*´ο`*)=3ホッ

雪景色を見ながら
「日光山縁起(上)」、「有宇(ありう)中将」の話も面白いです。この話は以前にも読ませていただいたと思いますが
今回も面白かったです。
上巻の最後の
>少将は中将の弟だと名乗り、これまでの事情を話し、「今一度、中将に会わせよう」と姫を馬に乗せ、旅を重ねた。これにより妻離川を、「あふくま(阿武隈)川」と呼ぶようになった。という一説がいいですね。

しかし、湯ノ湖〜戦場ヶ原の山間ルートをチェーンなしのノーマルタイヤでの走行は怖かったのではないでしょうか?
私も山間ルートをスポーツバイクで走りますが
積雪は怖いですし・・・つい写真かせ気になります。(^^ゞ

〜日光山縁起(下)〜の段は
積雪もなく白樺並木がええ感じで拝読できました。(^^ゞ
逆罪(君子・父・母・祖父・祖母を殺す罪。極刑になった)の話も凄いですね。

この世とあの世と前世と三世代に亘る荘厳な話で
猟師は有宇中将に、母は青鹿毛(馬)に生まれた。雲上(鷹)は子で、阿久多(犬)は妻だった。というのが面白いです。

「日光山縁起」小野猿丸とムカデ絡みなんですね。
俵藤太物語絵巻』の「俵藤太(藤原秀郷)」とよく似ていますね。こちらでは、大ムカデは平将門になりますが・・・

<中禅寺湖・東岸(歌ヶ浜)〜帰路>
山間の積雪が嘘のような紅葉ですね。
美味しそうなラーメン〜クリスマスツリー
そして松戸市のレストランのランチ?フルコースが美味しそうですね。(*゜▽゜)/

今回も読み応えのある力作でした。
駆け足な感想になりましたが
落ち着きましたら、またゆっくりと拝読させていただきます。
日暮れが早まり気ぜわしく感じますが
竜巻に豪雨と自然災害が半端ないですが
こたつさまもどうぞ、ご自愛でお過ごしください。



<こたつ城主 2013/09/24(Tue) 17:52>

>Syoさま

昨日はちょいと出掛けておって、返事が遅れましてm(__)m。
ナント、Syoさまの近隣が水没・浸水となってたんですね!
去年は京の水害が騒がれて随分と心配しましたが、去年が大丈夫でいらしたので、今年も大丈夫だろうと私も思ってました!

はい、私は無事でしたが、本当に油断は禁物ですね。
ここ数年は激甚災害も毎年の事となって、今年の洪水・土砂崩れ・突風・竜巻にも本当に肝を冷やされました! ウチも近くの市域で激甚の竜巻被害が出ました。

竜巻の直後「今日もこれから竜巻」と言われた日、冠水で住民の退避が取り沙汰された名古屋の近くに、亭主が出張となりまして、「人が避難して来るって所に行く人いないんじゃ」と、これから出発するって時に電話したんです(^_^;)。。
幸い亭主は冠水の後に到着し、無事に一泊したんですが、その翌朝、今度はウチの方が(私一人でしたが)ホントに空が暗くなって雷が起き、微かに変な音が聞こえて来たので、廊下に布団持ってって籠ってました(>_<)。。そこしか窓が無い部屋ないんで。。
あの台風の時は、どこにいれば安全って感じじゃなかったですよね。

大変なさなか、「城主のたわごと8月」をお読み頂いて、ありがとうございました!
いや〜11月も1日2日だったもので、まだ積もる程じゃなかろうと思ったんですが、平地ならともかく、やっぱ山間でノーマルタイヤはダメですね〜(>_<)。。
降りたてだったようで、まだアイスバーン化はしてませんでしたが、車輪の下はずーーっとシャリシャリと音を発てて、マジで超怖かったですよ〜〜(*o*)。。
特に湯ノ湖が見える辺りは、冬のジャンプ競技台のように真っ逆さまに落ちそうな感じが、前面から凄く迫って来るんですよ〜〜((( ;゚Д゚)))。

ええ、今回は亭主も当時の写真を見て、「うわ〜怖さを思い出すー!」と叫んでました(笑)。
Syo様もよく雪の中をせっせと山に出掛けられてますよね。積雪の時、二輪はすこぶる危ないと聞きます(^_^;)。。気を付けて下さいね。(人の事は言えないが笑)
私は私で、レポ作りながら、「ああ涼しい(^_^A)。いつまでも雪の写真を見ていたい」と思いました。暑い時は雪の写真がいいですね(笑)。

「日光山縁起」は、「陸奥が舞台だから(^^ゞ」と去年のレポで取り上げたんですが、今回は今回で「日光を舞台に語ると、もっと話と画像がマッチしてるかも〜(#^.^#)」なんて思ったりで、我ながら楽しんで書けました(^^)。



<こたつ城主 2013/09/24(Tue) 17:54>

>Syoさま、2(続き)

>妻離川を、「あふくま(阿武隈)川」と呼ぶようになった。という一説がいいですね。

「出会いと別れ」と言いますが、一番嬉しいのは仏語や中国語でも言う通り、「再会」ですね。死別した夫が蘇生して再会するのだから、目出度い川に転じたってわけですね(^^)。 こういう地名にかけた駄洒落は、何だか江戸期の落語みたいに思えますが、室町期にもあったんですね(笑)。

今ふと、Syo様の所でしばしば取り上げられる源氏物語の宇治十帖を思い出しました。
有宇中将が都に戻って出世したって事は、朝日の姫君も都に連れて行ったんでしょうね。
宇治や東国(常陸?)から引き取られた中君や浮舟が、生い育ちに引け目を感じた事など、源氏物語からは伺えますが、そういう現実的な経過無く、孫の英雄談に展開する点、有宇中将は朝日姫君を大事にしたんだろうな〜、なんて今思いました。

そうそう、馬と鷹と犬がいつもセットで面白いです。
古くから、?退治など、武将には動物や妖怪を斃す力が信じられていたので、「秀郷=ムカデ退治」となるのでしょうが、ムカデと龍神の戦いにせよ、動物が多く出て来る点などは、恐らく都の界隈で、東国の話っぽく受け取られたモチーフだろうと思います(^^ゞ。
実際に日光では猿、赤城ではカモシカに出会いましたし……。

>こちらでは、大ムカデは平将門になりますが・・・
「13804」でもお聞きした繰り返しになりますが、これはどの地域の伝承ですか(^^ゞ?内容なども詳細をお聞かせ頂ければ幸いです。
「俵藤太物語絵巻」は、6(5)月号(http://kotatu.jp/hyo/tawagoto/2013/05.htm#d)でも述べた通り、下野(栃木)は藤原秀郷の子孫が多い土地で、同じ下野の龍とムカデの神戦の話が都に伝わる過程で、秀郷の武勇譚と混同して近江の百足退治になったのだろう、と赤城神社では推測されてました。

日光の山越えの時のみ、本当に冬将軍の到来で驚きましたが、その前後は紅葉がいたく綺麗でしたっ(≧▽≦)。
本当に、あの雪の様相が嘘のように、前後の紅葉と言い、白樺林と言い、湖と言い、ゆったりと静かで豊かな風情に満ちてるんですよね。

クリスマスシーズンに混ぜてお届けした松戸のレストランですが(^^)、なぜかこの時期、時々行くお店の写真をズンチャカ撮っているんです。その後は緊縮生活に入ったので、ちょっと優雅な風情の写真を自分のレポに載せて、後で見返すのもオツです(#^.^#)。

大変なさなかにご笑覧、お書き込み賜わりまして、本当にありがとうございましたm(__)m。
Syo様も季節の変わり目、是非ともご健勝で。アンド、また来てね〜♪(^^)/~



<Syoさま 2013/09/24(Tue) 20:10>

こたつさま、再びのこんばんは。(^^ゞ

ご丁寧なお返事、お見舞いもありがとうございます。m(__)m
ご亭主殿も大変でしたね。ご無事でなによりでした。
しかし、やはり竜巻も凄く怖いですね。
京都は50年に一度とかいう豪雨に見舞われて初の特別警報なるものも発令され、市内の河川の氾濫だけでなく
これやこの 行くも帰るも 別れて 知るも知らぬも 逢坂(あふさか)の関 蝉丸(10番)でも知られる逢坂山辺りが土砂崩れのようなもので京阪電車の三条〜浜大津(滋賀・琵琶湖畔)が不通となったりと記憶にないくらいの災害になっております。

激甚災害に被災するかどーかは、運とタイミングだと痛感いたしました。すべてに言えるかも知れませんが・・・

こたつさまもご無事で何よりでございました。
私もですが、運がよかったです!(^-^)/うんうん
あっ、予談が過ぎました。(^^ゞ

>「13804」でもお聞きした繰り返しになりますが、これはどの地域の伝承ですか(^^ゞ?内容なども詳細をお聞かせ頂ければ幸いです。

そうでしたね・・・(^^ゞ
この話は、近江国(滋賀県)の草津の三上山にまつわる伝承でございます。
三上山は山容から近江富士とも呼ばれています。
こたつさまが、お書きのように
>下野の龍とムカデの神戦の話が都に伝わる過程で、秀郷の武勇譚と混同して近江の百足退治になったのだろう・・・
こたつさまのレポにも記されているのが本筋かと思います。
近江のムカデ退治にも諸説があり、秀郷が将門を追討したことに重ねて伝承された一説なのかも知れません・・・。

『Pちゃんズの近江紀行「湖都周遊編」』
http://lakugaki.web.fc2.com/nanko/nanko.htm

また平将門は実際には上洛してないと思いますが、比叡山には将門岩なるものが存在します。

>京都では比叡山四明岳(しめいがだけ)山頂付近にあるこの岩上より藤原純友(すみとも)と共に都を見おろし天下制覇の野望を謀議し天慶2年(939年)、平将門は王朝転覆を謀り反乱を起こし西国でも藤原純友の反乱が勃発し、都人を震撼させたとも伝承されています。

『都富士「比叡越え:延暦寺・ガーデンミュージアム比叡散策」』
http://lakugaki.web.fc2.com/miyakofuji/miyakofuji.htm

よろしければ関連コラムのリンク2点させていただきましたので一参考として、お気軽にご覧ください。長々と失礼いたしました。m(__)m

台風20号が接近しております。
こたつさまもどうぞご自愛で・・・ご健勝で!
Good luck!(*゜▽゜)/

Ps.こたつさま、連書きをご容赦を



<こたつ城主 2013/09/25(Wed) 21:04>

>Syoさま

おおっ、早速のご来場&お返事ありがとうございます!!
亭主も名古屋や大阪などの出張は多いので、夏〜秋の台風の季節もしょっちゅう行ってるんですが、今回のようなのは初めてでした。
増して日頃から頻繁に使う路線が災被害による不通となると、身近な問題ですもんね。
こちらの竜巻も、シートで覆われてる所など見ると、凄く身に迫って感じますよ。。
いつ避難勧告が来てもおかしくないと思います。
今はともあれ、互いの無事を神さま仏さまに感謝するのが精いっぱいですね。

で……そうそう、この「将門=ムカデ」の話は、ネットでも見聞きした事があって、「何それ(゚.゚)」と前から常々思っていたのですが、知り合いで詳しい人が居なかったので、直に確かめるのは、Syoさまが初めてなんです。
それで「教えて〜〜\(>o<)/」とうるさくしつこく、言い募ってやまなかったのです!(笑)

で、お示し頂いたSyo様のレポを拝見\(^O^)/!!!!
ふむふむ、何々……?φ(。。)m。おおおお!

@赤城山には元々ムカデはおらず、龍神同志の戦いだった。
A上州の沼田・高平「うつぶしの森(白佐波神社)」では「新田義宗(義貞三男)が敵の矢に右眼を射抜かれた」
B日光の神戦には、急にムカデが登場し、「小野猿丸がムカデの片目を射抜いた」

↑ここまで、こたつのレポでした(^^)。そして……

C「近江の伝説」では、「俵藤太がムカデを弓矢で斃した」、その後日「将門の乱で、将門の片目を射抜いた」
……と、こうなるわけですね(^^ゞ。

では「将門がムカデ」というのは、私の書いた「新田氏ゆかり話」で言うと、「ムカデに相当するのは……」という、Syoさま流の比喩でありますな!(笑)
やっとハッキリして大変ありがたい事です。ありがとうございましたm(__)m。

ちなみに、将門の斃され方は原典「将門記」には、「弓が当たった」とのみあって、誰の射た矢とも、どこに当たった、ともないようですが、多くの書物の中で「将門記」に準じて古い「扶桑略記」には、矢を射たのは貞盛(将門の従兄弟)で、首を掻き切ったのが藤原秀郷と書かれてるようです。

比叡山の将門岩の件も、ありがとうございます(^^)。
この岩の存在を最初に知ったのは、海音寺潮五郎が「平将門」か「海と風と虹と」(←は将門の乱と同時に西に挙兵したため共謀犯と噂された、藤原純友の話)のどっちかの後書きに、「そういうものがあると知って、比叡山までそれを見るためだけに登ったが、創作の時に削り落した」と書いてるのを読んで……です(^^ゞ。

海音寺氏の口ぶりでは「史実とは思い難かったから」という感じでしたが、他にも、史実というより伝説だろうと思う逸話を豊富に盛り込んでるので、まぁ話の中に取り込みにくかっただけだろうと思います(笑)。

わざわざのお運びとお書き込みのお手間とともに、Syo様ご自身のレポとは言え、膨大な量のレポをお持ちですから、その中から探して下さったのは、ずいぶんな労力だったと思います。
にも関わらず、迅速にお答え下さって、本当にありがとうございましたm(__)m。
幾重にも重ねてお礼申し上げます。m(__)mm(__)mm(__)mこたつ城主・多数分身感謝の術(笑)
 
     



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