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「城主のたわごと」2011-08(北栃木〜南福島編5)
<こたつ城主 2011/08/29(Mon)
23:30>
題名:「城主のたわごと」2011年8月
↑更新しました〜宜しくお願いしますっ!!(^^)
※ 過去更新状況
07/28「城主のたわごと」2011年7月
他、「今週のご挨拶とお知らせ」「議事録」など〜詳しくは「更新歴」を
<YORIさま 2011/09/04(Sun)
20:48>
こたつさん、こんばんは(^o^)
たわごと、面白かったです。
鶴ヶ城に対応する亀ヶ城ですね。
なるほど〜〜!
他の城でも同じような対照的な呼び名の城があるかも知れませんね(^o^)
一度調べてみようかな?笑
猪苗代城の城域(縄張り)はかなり広そうですね。
私は怖い話はめっぽう弱いのですが(笑)、こたつさんのレポートを読んでいると、怨念話も面白く思えて来て、興味が湧いてきました(^o^)
でも昔も今も、女性の怨念は恐いですね!!(笑)
気をつけなきゃ(大笑)^_^;
保科正之の生い立ち、よく分かりました(^^♪
将軍の子でありながら、自分の置かれた立場を他の誰よりも一番理解してたんでしょうね。
保科正之と言う人は、実際にはどんな人物だったんでしょう。
きっと冷静沈着な人物で、頭脳明晰な名君だったのでしょうね。
正之を主人公にした大河ドラマ、本当に見てみたいものですね♪(笑)(^o^)
それに白河小峰城。
以前友人から、「白河小峰城は行ってみるべきだよ」と言われたのに、なかなか行く時間がなくて、まだ行けてない城でした(笑)
友人の話通り、素晴らしい城ですねっ♪
目標がまた一つ出来ました(笑)(^_-)
そして、今回も見逃せないのが、郷土料理の朴葉味噌焼きと会津わっぱ飯!
美味しそうだな〜♪♪
ヘルシーそうで、それでいて、肉もあってボリューム結構ありそうですね。
こたつさん、ご馳走さまですー(笑)
(一度食べてみた〜い( ^^) _旦~~(笑))
<こたつ城主 2011/09/05(Mon)
18:19>
>YORIさま
こんにちは〜☆ミ「城主のたわごと8月」ありがとうございますー!!
江戸期のお城には縁起のイイ名前が多いけど、二城セットで「鶴」と「亀」なんて洒落てますよね〜(^^)。どういうセットなのか気になって、また会津に来たら見てみたいな〜と長い事思ってました(笑)。
本丸自体はそう広くないけど、囲んでる濠はちょっとありそうですね。
石垣が立派で、階段の流線や降り注ぐ緑が綺麗なので、「おおっ」と思いますよきっと♪
>でも昔も今も、女性の怨念は恐いですね!!(笑)
棺から裾を……って下りには、私も書いててゾクッと来ちゃいましたっ。。。
保科正之にはこういう話多い〜と思ってたら、エリア外の白河にまで女性の怨念っぽい話があるんで、今回はどうしちゃったんだろーと(≧▽≦)。。
ま、それだけ江戸時代のお城って事かもしれません(江戸時代に多いですよねっ:笑)。
保科正之を大河ドラマに……という話は、行く前もチラッと見た事あったんですが、「まぁ地元としては当然の感情だろうけど、実際やったら人物的にも時代的にも地味になりそ〜
(^^ゞ」ぐらいに突き放して、ヨソの地域の話って感じがしてました。
でも……色々知ると、大河ドラマになるために生れて来たような人です(爆)。
地元が主張すると、かえって身贔屓に見られて取り上げられないかもしれないんで、今日から私が推します(爆)。
島原の乱・由比小雪の乱・明暦の大火などの大事件や、佐倉宗吾の事件はだいぶ創作も入ってるようですが(笑)、こうした、これまでやらなかった時代の話も是非やって欲しいですが、私なら前段階もう〜んと遡って、高遠落城から描きますね。
そして後に京で、東福門院の使いで宿を訪ねて来た藤木万子を、生前の保科正直の妻(正光の母=柏心妙貞)を見知っていた老臣が、「瓜二つ」と驚くみたいなドラマにします(^。^)。
白河小峰城って、そんなに評判いいんですかっ(゚.゚)!
私らはあの通り、閉館ギリギリ、南湖公園も行きたかったからパスしましたが、バラ園もやってて、ずいぶん多種類のバラが見られるそうです!字が(今回も:笑)いっぱいになっちゃって書きそびれましたが(^^ゞ。
あと、「白河城とも呼ばれる」と書いてましたが、近くに「白河本城跡」というのもあるみたいです(^_^;)。。何が残ってるか確認してないけど。
会津料理は……前に会津と米沢に行った時から、亭主が「東北は食いモンが美味い!」と言ってたんで、いつか食べに行こうと思ってました!(笑)
あの「朴葉味噌焼き」の大きな葉は、これまたタジン鍋よろしく(笑)、湿度など保つ効果があるんでしょうか……お肉が柔らかく、味噌の味もよく出てましたよぉ〜(^。^)。
<北畠具顕さま 2011/09/05(Mon)
19:53>
たわごと読了。
保科といい、定信といい、本家に入らなかったおかげで
名君になったからいいんですよね、きっと。
山崎闇斎は自分の生きてる間に神様にされちゃった人ですね。
最後になりましたが無事に生還いたしましたです。ごしんぱいおかけいたしました。
<こたつ城主 2011/09/06(Tue)
19:32>
>北畠具顕さま
夜も豪雨に警戒!って報道が後も続き、少し気を揉みましたが、ご無事で何より(^^A)。
そんな大変な中、「城主のたわごと8月」ありがとうございます(^O^)!
>本家に入らなかったおかげで名君
とは、上手い事を言いますね〜(^。^)。確かに名君とか中興の祖と言われる人は、将軍職には届かないながら上杉鷹山にせよ、逆に本家を飛び越えて将軍となった吉宗にせよ、ヨソから養子入りで跡を継いだ人に多いですよね。
山崎闇斎も力んでいっぱい事績を選定したんだと思います(^^ゞ。
碑石を乗せた亀石が、猪苗代湖を見て水を飲みたくなり、夜、境内から這い出してしまったので、湖とは反対の北向きにした、という伝説もあるようです(^_^;)。まさに神がかり(笑)。
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