<掲示板・議事録>

「城主のたわごと」2010-11(茨城北西編3)

     
  <こたつ城主 2010/11/24(Wed) 19:28>

題名:「城主のたわごと」2010年11月

↑更新しました〜宜しくお願いしまっす(^。^)。

※ 過去更新状況
10/26「城主のたわごと」2010年10月
他、「今週のご挨拶とお知らせ」「議事録」など〜詳しくは「更新歴」を



<北畠具顕さま 2010/11/30(Tue) 21:51>

たわごと読了。

宗尊親王尽くしでしたね(笑)

どうも大河の影響からかこの名前を見ると(笑)をつけてしまいます。



<こたつ城主 2010/12/01(Wed) 18:34>

>北畠具顕さま

「城主のたわごと11月」ありがとうございます〜♪

>宗尊親王
てゆうか、由来が各時代に分散してるんで、終わってみると、この人ばかり印象に残ってます私もっ(≧▽≦)。。
鎌倉時代の将軍って、それなり存在感があったハズなんですよ。一般的には影が濃くないかもしれないけど。
ただ大河「時宗」では……別の意味で存在感が根付いた人かもっ(笑)。



<小野寺維道さま 2010/12/04(Sat) 22:16>

どもです。

旅行記拝見しました。
月山寺は知りませんでした。
とても綺麗なお寺ですね。

雨引観音も行ったことがないんです。
よく下の街道は通り過ぎるのですが。
宗尊親王が関係しているとは是亦知らず。
姪に日本史を教えていて、先日「宗尊親王」は最初の親王将軍だから覚えておいてね。と教えてました。

もちろん宗尊親王が何をした人かは知りません(笑)
鎌倉将軍は気の毒な方が多いようです。



<右衛門太夫さま 2010/12/05(Sun) 08:47>

おはようございます

こたつ城主さまは千葉にお住まいなのですねm( )m
私も友人と千葉の椎名氏を訪ねに歩いたことがあります。
千葉は長閑なで良いところですね。

ところで、筑波山、月山寺、壮大で実に良いです。行ったこと無いですけど山岳密教の霊場のようで面白そう。天台宗ですから往時は学僧が集ったのでしょう。
美術館の「夢」の石造物も実に立派。実に達筆であります。
僕は「夢」は大好きです。
越中には天台宗は少ないです。真言宗もすくないなぁ。
蓮如という立派な方がおいでになり大きな寺院は一向一揆と争って滅亡しました。
小さな寺は仏具を隠して一向宗に改宗したと伝えています。
旅行記を読んでいると密教系の寺社はどこかロマンがあって面白いですね。
歴史を振り返ると、古代から中世は神仏の世界でしたから大規模な寺院がかなりの領地を所有していました。
戦国時代という時代の区切りがありますが、当初は武家同士の争いで公家や寺家や社家には関係ない世界の話だったのですが、織田信長が「天下布武」朱印を使い始めてから、その世界が寺社を巻き込んで戦国の世界が一気に広がり変わりましたね。
例えば出羽の羽黒山もそうですが、寺社は記録をほとんど残しませんでしたから良く判っていませんが、寺社の世界から日本の見つめ直すと日本の歴史の定説も変わって来ます。
僕はそれを追っていますが、レポートを読むと筑波山も実に面白そうな所ですよ。
今度尋ねてみます。



<こたつ城主 2010/12/06(Mon) 16:32>

>小野寺維道さま

「城主のたわごと11月」ありがとうございます(^O^)!
亭主は月山寺が気に入って、寺の前の蕎麦屋が店を開けてる時にまた行きたいと言ってたのですが、GWに閉まってるんじゃ……閉店なのかな(;_;)。

雨引観音は幹道から外れて山に入るので、なかなかね(^^ゞ。

>宗尊親王が何をした人かは知りません(笑)
こたつもっっ(≧▽≦)!!「された」事ならわかる(将軍職をリストラ:爆)。
詳しくは検索で調べて頂くとして(^^ゞ、更迭される前、鎌倉では、
@ 歌をよく詠んでた
A 鶴岡・二所への参詣
B 得宗北条家への訪問
……こんな事やってたようです。
鎌倉時代の歌を集めた「柳葉和歌集」の「柳」は、「柳営」すなわち「将軍」を指すようですが、歌の内容は、将軍の当時から「俺って傀儡だしぃ〜」みたいのが多いようで(^^;)。

ただ、武士が教養を身につけて将軍に奉公するようになったのは、親王サマが東国に下るに辺り、一流の教養人がつけられ、鎌倉の武者たちも当番で文学・音楽・スポーツなどに従事する制度が出来たから……といった文化的側面としての効能を果たしたそうです。


>右衛門太夫さま、1

はい、千葉県です。
そうそう。椎名という名を、戦国期だったか戦国前期だったか、大掛かりな事件か合戦かで見た覚えがありましたが、越中の椎名氏と繋がってるとは思いもよらず……(^^ゞ。
しかも千葉常胤の弟から出てるとは!そこまで遡る事になるとは思わなかったです(笑)。

「城主のたわごと11月」ありがとうございます(^O^)!
月山寺は天台宗ですが、南都・法相宗(奈良時代からの宗派)の徳一が開祖という伝えを持つ寺(の一つ)のようです。
徳一のいた「東国」の寺がどこかが長く疑問だったようで、概ね、会津地方(福島県)か常陸(茨城県)の筑波山など……あるいはその間を結ぶ地域って感じがしますが、どうも現在では、会津地方の慧日寺(恵日寺)が該当すると見られているように思います。
「城主のたわごと」2009年1月内<恵日寺>以降
http://takusan-saita.sakura.ne.jp/kotatu/hyo/tawagoto/2009/01.htm#d



<こたつ城主 2010/12/06(Mon) 16:34>

>右衛門太夫さま、2(続き)

>小さな寺は仏具を隠して一向宗に改宗したと伝えています
似たような……と言っていいか、天台・真言もあるにはあります(^^ゞ。
天台宗は早くから東国に布教線を拓いたため東北の多くの地域で、三代座主・円仁(慈覚大師)を開祖(あるいは中興)と見立てる寺院が多いです(^^ゞ。
が、それらの伝承の何もかもが胡散臭いのではなく、かなり古くから布教の形跡が見られるお寺も確かにあるように思います。
天台宗の宗祖・最澄が、東国で(たぶん一足先に布教線を張って)修行していた徳一に、法論(三一権実論争)を吹っかけられたりしてますが、その後、結局は南都系の布教の跡を、天台・真言が追い掛けて、塗り潰して行った感じです(^_^;)。

ただ出羽については、特に明治以後の神仏分離の影響がスゴイと言いますか、修験道が猛烈にヤラレてる感じが(^^;)。。
陸奥でも相馬系のやってた妙見なんか、かなりヤラれてるようですが。。。。

蓮如はちょっと縁遠いですが、実は親鸞が茨城県に長く住んでました(^^ゞ。
親鸞は当初、下妻に庵を結び、その跡地と伝わる所(小島の草庵)が、今回の旅程の一日目に行った「宗任神社」の近くにあります。
また、今回は月山寺の後、南下して雨引観音に行きましたが、同北緯を東進すると笠間に至り、親鸞がいた所です。西念寺とか聞いた気が……笠間はまだ行った事なくて(^_^;)。
 
     



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