<掲示板・議事録>


     
  「城主のたわごと」2008-02(宮城〜山形編4)


<小野寺維道さま 2008/03/05(Wed) 23:03>

どうもです。

レポ拝見致しました。
「塩竈」ですね。実は行ったことがないです。
「志波彦」の対になるのは「志波姫」ですかね。この地名は宮城の栗原市にあります。「志波姫神社」も宮城県内にあるようですね。面白いです。

「東北歴史博物館」には確か、2年前に「東北と熊野信仰」という特別展を見に行きました。多賀城も見たかったんですよね。すぐ近くなのに、時間が無くて見られませんでした。こたつさんの写真で臨場感を味わってます。

遠刈田温泉も入りました。共同湯ですかね。地元の方々がたくさん入ってました。お湯が熱かった。

レポを見ているとまた東北に行きたくなってしまいますね。



<わたなべのおっさんさま 2008/03/06(Thu) 00:10>

今晩は、という時間では有りませんが、下手な小説を読むよりズーッと楽しんで居ります。

集中力・体力・ご主人の協力に、鯉口を切らずに・・・



<こたつ城主 2008/03/06(Thu) 22:00>

>小野寺維道さま

「志波彦神社」を書くのに「志波姫神社」もアチコチでよく見掛けました(^^ゞ。
「志波彦」はハッキリしないのに、「志波姫」の祭神は天鈿女(アメノウヅメ)だったり木花開耶(コノハナサクヤ)姫だったり、神話の神に相当する点が不思議な感じも……。
あと「志波彦神社」が元あったという「岩切」に、前に教えて頂いた「信太小太郎碑」(将門の子孫筋か?)があったというのも(全く関係ない可能性もあるでしょうが)、何となく不思議な符号って気もしますよね(^^ゞ。

前に話されてた「東北と熊野信仰」の展示会って、ナント「東北歴史博物館」だったんですねー!
え、もう2年前ですかっ? ついこないだ聞いた話だと思ってたです(^_^;)。
うん、博物館と多賀城、どっちか片方だけだと「ちゃんと見たかったな〜(;_;)」と思いますねぇ。あの辺りに時間を割くって発想が最初は無いものだから、そうやって何度か足を運ぶようになるのかなぁ?
私も「博物館の方もっとちゃんと見たかった〜(>_<)」と思いましたっ。

遠刈田には「神の湯」という新しっぽい共同温泉場があって、私らは宿泊したんで宿の温泉に入りましたけど。ここもわりと熱めで効きそうでしたっ。
遠刈田に着いたのが夜だったので、周囲があまり判らなかったんだけど、わりと拓けた感じで、蔵王を抜けると山形にも抜けられるんで、これからも通るかもです〜(^^)。


>わたなべのおっさん様

おおお、楽しんで頂けてるようで何よりです(^^)。
東北は主人も気に入ったようなので、また行きたいと思います。



<朝川 渉さま 2008/03/06(Thu) 23:20>

今日の新聞とテレビでは、私が見たかぎりではイージス艦「あたご」のニュースはやらなかったようです。もう賞味期限切れなのですかね。年金の問題などけろっと忘れて、マスコミはもう別の事件で、怒りが頂点に達しているのかなあ。

という世俗の話はおいといて、和歌では塩釜がずいぶん詠まれているのは、旅行記のとおりです。平安、鎌倉時代の人たちは、宮城県が大好きだったんですね。浮き名を取るという意味で「名取」もひんぱんに詠まれました。松島、雄島、宮城野も和歌で常用されました。
でも、どうして歌人は「宮城県大好き」だったのか、どうもわからないです。司馬遼太郎さんの「街道をゆく」に、ヒントが書かれているかなと想像したりしますが、調べるのが面倒で。

旅行記はとても楽しみにしています。



<こたつ城主 2008/03/08(Sat) 02:05>

題名:明日おらぬです〜

↑毎度(^^ゞ。


>朝川 渉さま

和歌に塩竈がいっぱい出て来るのを、恥ずかしながら塩竈に行ってから知りました(^^ゞ。
あと多賀城のパンフ(確か東北歴史博物館で貰ったかと)にも「歌枕」の地として、「末の松山」「野田の玉川」「浮島」「沖の井(沖の石)」「おもわくの橋」そしてレポ最後に行った「多賀城碑」の「壷の碑」など書き込まれてたのですが、自分は行かなかったので(^^ゞ、省略してしまいました〜。
ちゃんとそれらを訪れて旅行記に載せてるサイトも幾つか見付けました♪

>でも、どうして歌人は「宮城県大好き」だったのか
うん、確かにそれは思います。「これって、かなりスゴイ事では(゚.゚)」と思う事でも、現地では控えめな書き方が多く、地元贔屓な記述を見掛けない中で「都人の憧れの地だった」という事だけは強調されてたのが印象に残ってます。ちょっと誇張とは思えないです(^^ゞ。

名取……(゚.゚)。次回のレポで蔵王を巡りましたが、そこに慰霊碑のような物があって、確か「名取市」と書かれていたような……。その「名取」と関係するのでしょうね。名取などで検索すると、
熊野本宮社(宮城県名取市):http://www.sukima.com/17_sendai01_03/15hongu.htm
(「日本すきま漫遊記」:http://www.sukima.com/index.htmより)
こんな所が出て来ました(^^ゞ。平安期だと熊野詣でが盛んだったとの事ですが、これも要因の一つかなぁ?

もう一つは、多賀城になりますが、大伴家持、藤原実方、源融など文化人が赴任した事があるようですが……。
 
     

     
  <朝川 渉さま 2008/03/11(Tue) 19:04>

>多賀城になりますが、大伴家持、藤原実方、源融など
大伴家持は征東将軍になって、任地で亡くなっていますね。要領の悪いおぼっちゃまだったから、藤原家から左遷されたんでしょう。藤原実方は宮中で喧嘩して、天皇から怒られて左遷ですな。
源融は、大阪湾から塩水をいつも運ばせて、京都で塩焼きのまねをしていた物好き、もとい文化人ですね。

そういえば以前、仙台市に行ったとき、地元のひとに「伊達政宗の子供はなんという名前ですか?」と質問したら、即座に「知らないなあ」と答えてくれました。



<こたつ城主 2008/03/12(Wed) 18:48>

>朝川 渉さま

>>大伴家持、藤原実方、源融
まるで知らないんですが(笑)、三人とも中央で問題起こして左遷組っぽいですなぁ(^_^;)。時代は全然違う人達なんですが、前二人は陸奥で死んで墓も現地にあるような……?
あと怨霊になったとかいう辺りも……(^^;)。。

>源融は、大阪湾から塩水をいつも運ばせて、京都で塩焼きのまねをしていた
塩竈と関係ある話?と思ったら、どうもそのようですねっ(゚.゚)!
自宅の庭かしら、京都で塩竈の模型庭を作ってたとか。おおおお風流〜♪

伊達政宗、子供いっぱい居ますしっ(^^;)。
次にレポする所でも「七男」とかいう人の碑があって、「わお」と(笑)。



<朝川 渉さま 2008/03/14(Fri) 18:53>

>自宅の庭かしら、京都で塩竈の模型庭を作ってたとか。
手元にある京都歴史の本をめくってみたんですが、源融ゆかりの川原院の説明は簡単すぎました。
こんなときは「平安京探偵団」さんのホームページが一番わかりやすいですね。
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/heian/heian34.html

それにしても、和歌文学の先生たちは人物の経歴について、表面的に理解すればそれで満足する傾向があるようです。だから源融がどんな人生をすごしたか、詳しくはわかりにくいです。官職をだらだら書き並べられてもおもしろくないし。

>伊達政宗、子供いっぱい居ますしっ(^^;)。
次回アップを楽しみにしています。



<こたつ城主 2008/03/15(Sat) 08:28>

題名:明日おらんです〜

↑毎度(^^ゞ。


>朝川 渉さま

へええええ(゚.゚)。塩竈を模した源融の邸宅って、ナント「源氏物語」の六条院や夕顔と源氏の逢瀬の場所のモデルなんですね〜!
六条院の方はよく出るけど、夕顔ってのは……夕顔が死んじゃうシーンかしらっ? 詳細は覚えてないですが、薄暗い無人宿みたいな、六条院とはかなり離れたイメージが……。
しかし当時の風流人には同等に憧れる邸宅だったのかなぁ。古びた貴族の館で起こるミステリー。今でもありますもんね(笑)。

和歌文学の先生は、さしづめ古典の先生かな。
そいや古典の授業って一番アクビが出ました。古典って不倫話ばっかなのに、学生相手に話せないからかな〜と思ってましたが、確かに本読んでもつまらなかった(笑)。

>次回アップを楽しみにしています。
ありがとうございます!(^O^)/
 
     

     
  「城主のたわごと」2008-03(宮城〜山形編5)


<こたつ城主 2008/03/25(Tue) 17:12>

題名:「城主のたわごと」2008年3月

↑アップしました〜。他「今週のご挨拶とお知らせ」。

※過去更新状況
02/26「城主のたわごと」2008年2月



<YORIさま 2008/03/26(Wed) 21:03>

こたつさん、こんばんは〜
ご無沙汰しておりました。
三寒四温と言うように、暖かくなったと思えばいきなり冷えたりして、体調を崩しやすい季節ですよね。
お忙しい毎日だと思いますが、お変わりございませんでしたか?(^。^)

さっそく「城主のたわごと」拝見致しました(^^♪
三階の滝ってすごく長い瀑布なんですね!!
何で三階って言うんだろうと思いましたが、途中に滝壺が三ヶ所あることから「三階の滝」って言うんですネ。
最初、マンションの三階くらいの高さがあるからかな〜?って思ってました(大笑)
不動の滝の辺りも、紅葉の季節は最高でしょうね!(^_^)/

「賽の河原」は北海道の奥尻島に行った時もありましたね(^。^)
やはり参拝者(観光客)の人達が、亡くなった子供や水子の供養の為に石を積んで帰るので、あちこちに石ころの塔がいっぱいありました。

「絶壁」には私も・・・・お、お、お、お!!!!と唸ってしまいました(爆)
特に崖のような、周りに何も持つものがないような高所には弱いんです(大笑)^_^;

「御釜」の写真は、綺麗に撮れたんですね〜!!
水面に映った雲の動きも素敵でしょうねヽ(^。^)ノ
私も現場に居たらきっと。「うっ」とか「おっ」とか言ってるでしょうね(^。^)
宮城〜山形の道筋の景色も最高〜〜〜\(^o^)/
心が洗濯出来そうです(笑)

最後に、千葉の香取神社って行ったことがないんですが、とっても有名ですよね。どんな感じの所なのかな?
来月も忙しいと思いますが、アップ楽しみにしておりまっす♪(*^^)v



<こたつ城主 2008/03/27(Thu) 21:19>

>YORIさま

こんばんは、でちゅ〜(^^)。
暖かくなって首や腰が緩んだのか、急に筋肉痛みたくなってた所に、風邪っぽく熱が出たりして、その後もそんな状態が続いてます。。
そうなんです(>_<)。ちょうど忙しくなった時だったから、ちょっと慌てちゃいました。。

「城主のたわごと」早速ありがとうございます〜(^O^)。

>マンションの三階くらいの高さがあるからかな〜?
さすがYORIさま! 私もそこまでは思い付かなかったですっ!!!(笑)
私はてっきり「あっちの滝もこっちの滝も、三個いっぺんに見れる場所って意味かな!」とか思ってて(爆)。
現地では「おおおお(゚.゚)!」と感動して見たものの、今イチ案内版に書いてある事も頭に入らず、レポする時になって初めて「滝壷が三ヶ所かっ(≧▽≦)」と知ったのです(笑)。
「名瀑」ってのも最初「名爆」と読んじゃったりしてっ(恥!)。

YORI様は奥尻まで行かれてるんですね〜(゚.゚)。
いいなぁ〜。今回つくづく「さらに北の方に行ってみたい」と思いましたっ。
そうそう、賽の河原。現地ではそんなに意識して見なかったのですが、帰って来て、家でしみじみと写真を見たら、つくづく多いな〜と改めて思いました!
家にいると他の所で撮った風景と比較するので、特徴的な光景だったと気付くんでしょうね。パノラマにすると、1個1個の写真が小さくなっちゃうんで、あまりお見せ出来なかったけど……。

「御釜」は、ホント亭主が気に入っちゃって(^^ゞ。
絶壁の風景とか、切り立った岩場を落ちる滝とか、あと「御釜」みたいに雲の動きが地面にいて実感できるような、亭主はそういう風景が大好きで、行くとしばらくその場を動かないんですが、「ちょっと怖いな〜」って場所もありますね(笑)。
でも「御釜」は晴れてて本当に綺麗でした(#^.^#)。
今みたい車でやっと登れる高山って、昔は人がよほどじゃないと行かない場所だったでしょうから、史跡とかあまり無いけど、それでも必ず山岳修行の霊場とかで名を知られた痕跡があるから、昔の人ってスゴイな〜!と。

はい、次は香取に(^^)……、あっ、そうだ!
前にYORI様に「行って来て〜」と言われた麻賀多神社も行ったんですよ(゚.゚)!
香取やる時、一緒にレポしますね〜!!!



<小野寺維道さま 2008/04/03(Thu) 23:00>

千葉もさくらは満開ですかね。

旅行記拝見しました。
お釜はいいですね。2度ほど行きましたが、何回見ても感動です。飽きませんね。
晴れてると思ったら、急に雲がかかり強風が吹く。
お釜の天気は変わりやすいですね。



<こたつ城主 2008/04/04(Fri) 21:19>

題名:明日と明後日

↑おらぬかと〜。毎度(^^ゞ。


>小野寺維道さま

桜っ、先週末もう7〜8部咲きぐらいでビックリでした!
ちょうど月末&年度末なので(^_^;)、ゆっくり見る暇も無く〜〜。。
もう満開は過ぎちゃったかなぁ。。

「城主のたわごと」ありがとうございます(^O^)!
小野寺さまも「御釜」に行かれてるんですねー!
私は学生の頃に東北旅行を試みて、初日が御釜でした。やっぱスゴイ晴れてて、一緒に行った友達が「緑色だっ」と言ってました(笑)。
湖みたいな緑に包まれた所と違って、御釜は周囲がバーン!と広大で、ゴツゴツ岩肌が剥き出してるんで、ホント「どっかの惑星の上」みたく壮大に感じるんですよねぇ(^^ゞ。
そうそう、風が強いので、雲の早い流れが刻々と体で感じられますよね。
 
     



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