|
|
|
|
<たみいさま
2007/04/19(Thu) 19:20>
旅行記より、第二弾。
米沢城と言うか、山形って覚え切れないぐらいの変遷ぶりだと、しみじみ思いました。大江広元、安達盛長、の名を見るのも意外と言えば意外であるし、、。
武藤氏、最上氏(斯波兼頼を祖とする)、伊達宗遠、晴宗、政宗(米沢城生まれ)、と、領有するにしろ勢力を伸ばすにしろ、そんなに美味しい地でも無いと思うのに入り乱れたんですねぇ。
そして、蒲生氏郷、直江兼続か、凄いよねぇ。。
>米沢に景勝が入部してから、明治2年(1869)、上杉氏14代茂憲
>が版籍奉還するまでの268年間、米沢城は上杉氏の居城として、
>政治、経済の中心であった。
気がつけば、これも凄いよね、徳川家と同じぐらいの歴史って事で。上杉鷹山の前後のややこしい系図は後回しにして、(^^;)。
でも、ケネディが鷹山を知っていたなんて、世の中、分からんもんですね。次期大統領候補のオバマ氏が小浜市を知っていた事より驚きです。(^^;)。
資料館「稽照殿」:
>「謙信が織田信長に貰った赤いマント」「謙信愛用の琵琶・朝嵐」
>「同じく・馬上杯」を、ガラス越しじゃなかった、という思うぐらい、
>肉迫して間近に見た覚えがある。
これは、見たいものばかりですね。恐らく、始めは囲いは無かったのかも知れない。それが次第に危険を感じて、(^^;)、ガードする事になったのではなかろうか。うん、当然よね、見張り番でも居ない限り。
赤穂事件と上杉氏の事は、面白そうなので、あとで又ゆっくりと読みます。
>上杉氏に、吉良上野介は実父の立場から次々と出費を強いた(^_^;)。
こういう場面、何かのドラマ(映画だったか?)で、見た気がします。後世、いかに反証が出て来ても、やっぱり、「ヤな爺ィ」、のイメージは強固、(^^;)。
<こたつ城主 2007/04/20(Fri)
20:59>
>たみい様
「たわごと」第二弾、ありがとうございますっ(^O^)。
そうそう、大江、安達って鎌倉武将の名ですもんね(^^ゞ。
鎌倉期からだと変遷は多く見えるけど、武藤氏がその時代からの流れなんだな、と私もつい最近学びました(笑)。
最上氏は斯波氏の傍流という事ですが、地名は古くからあったようです(^^ゞ。
また庄内には、大化の改新のあと国府があり(奈良時代の一時期は秋田にあったそうですが)、それも海運で都と直通だった点が、古くから重要な文化を取り入れる素地が出来た所以のようで、一度そうした基盤が出来て、しかも中央の動乱に振り回されるには遠隔でもあった、という事もあるかと思います。
鷹山は、ケネディの言葉で日本人が再認識した、という話でむしろ知られてる人かもしれません(^^ゞ。
つい最近の事はともかく、海外に紹介される日本のソースって、従来そんなに間口が広くない気もしますが、アメリカ人には特にウケがいいかもしれません。
「稽照殿」のお宝(笑)、新しく出来た博物館との兼ね合いもあるせいか、印象が前と物凄く違って感じました。
「マントに杯に琵琶」と書いたのも、前の印象からの列挙で、今回の見学では「どれかがどっかにあったような……」ぐらいしか記憶が残ってないです。。
レポでは上手く言い切れなかったのですが、確かに今回は一つ一つが「ちょっと小じんまりと見えた」のかもしれません(^_^;)。
>赤穂事件と上杉氏の事は、面白そうなので、あとで又ゆっくりと読みます。
ありがとうございます!
自分でも意外なんですが(笑)、米沢に行ったら謙信か鷹山だろー!と思ってた割に、じぇんじぇんズレた所に興味を持って帰って来たんですよ(^^ゞ。
吉良上野介は、「三河においては名君」とよく言われる点は否定しません。
その延長線で「赤穂浪士の事件で汚名を着続けた可愛そうな人」みたいな同情票を持ってた(持たされてた)所もあります。
でも、うっかり名誉挽回ブームに同調すると、思わぬ伏兵に出会うものだ、とも思いました(^_^;)。
<小野寺維道さま 2007/04/24(Tue)
22:20>
どうもです。
旅行記拝見しました。「大宝寺氏平」の記載が・・・。
わたくしごと、いま先祖の調査で明治時代の戸籍をワープロで起こしています。親類の住所を打っていたら「鶴岡市大宝寺字大宝地」などと。小字の「大宝地」は現在なくなってしまったようです。「寺」と「地」の違いは何なのでしょう?
ちなみに「大宝寺」の小字で「日本国」という地名があります。面白い。
赤穂のお話、面白く読ませていただきました。
「浅野長矩と同じく饗応役についた津和野の亀井茲親も、指南役だった上野介への刃傷に及ぼうとしたとも言われていて・・・」亀井氏は初耳です。
浅野の家臣で小野寺が参加してますが、仮に亀井氏が先に刃傷に及んでも小野寺氏が絡んでいたかも知れません。これまた面白いです。
<こたつ城主 2007/04/25(Wed)
19:23>
>小野寺維道さま
「城主のたわごと」読んで下さって、ありがとうございますっ(^O^)。
私も今そちらでの遣り取りのコピーを見て、「大泉と武藤が一緒なのはわかったけど……、あっ、そうかっ、前に大宝寺と武藤も一緒だと教わった!」と思いましたっ(笑)。
小野寺輝道の奥さんの一人が、この「大宝寺(武藤)氏」なんですよね(^^ゞ。そちらで「いいよ」って言って頂いたので出すと(笑)、これね↓。
http://kotatujo.cool.ne.jp/hyo/itiran/onodera.txt
この大宝寺氏とは違う奥さん(佐々木氏)の子だけど、義道が確か津和野でしたよね(^^ゞ。
ええ、それで行くと絡んでいたかもしれませんね(笑)。その赤穂事件。どうも亀井茲親は、浅野内匠と同門の山鹿素行系だったようですから、浅野内匠が刃傷に及んだのも、この辺りから出た思想がらみかな〜という気もチョット致します。
又この亀井氏って確か、山中鹿之助が育てた娘(尼子氏の重臣亀井氏)から出た女系子孫なんですよね(^^ゞ。だいたい「山鹿素行」って名前じたいが何か……(笑)。
>ちなみに「大宝寺」の小字で「日本国」という地名があります。面白い。
スゴイ(・・;)。。誰がつけたんでしょう。(いつからあるのかな)
「寺」が「地」になり、小字が消えて、ドンドン歴史からわかる地名が無くなってしまうんですね(^_^;)。。
<たみいさま 2007/04/26(Thu)
20:02>
旅行記感想、第三弾。(^_^)。
赤穂事件と上杉:
いやぁ、何と申しましょうか、何度読んでも複雑で頭に入らないので(ーー;)、ついに、得意の(?)、系図戦法で行きました。
んまぁ!!・・。上杉、鍋島、吉良、会津保科、加賀前田。。
いくさ場だって、こんなに入り乱れる事はありませんてば。
「ちっ!浅野め、吉良を打ち損じたか」、
ドラマに欲しかったよねぇ、こういうセリフ。(^^;)。
世継ぎが悉く早世してしまった上杉に、姻戚である会津の保科さんは、「吉良より迎えよ」、と進言した分けでしょ。上杉の家臣たちは、「会津の方が良い」、と思っていたのでしょ?。
結果を知ってるから、何とも申せませんが、、。
上杉五代吉憲、の弟が吉良義周、知りませんでした。本当にお気の毒、あの討ち入りで重症、その上、重罪人として流刑、21歳で死、あんまりじゃありませんか。
米沢駅って、何かのテーマパークみたいで素敵ですね。
米沢の林泉寺、新潟の林泉寺、米沢の上杉家廟所、どなたが何処で祀られて(眠って)いるか、複雑ですよね。
「何で武田信清、(信玄の六男だか七男)、の墓が」、と思ったら、そうですか、姉(菊姫)を頼って上杉に来てたのね。
とっても面白かったし、勉強させて頂きました。
<こたつ城主 2007/04/26(Thu)
20:09>
ごめん、レス時間重なった(また:笑)。
たみい様、明日レスするです〜(^∧^)。 |
|
|
|
|
|