<掲示板・議事録>

城主のたわごと2007-04(会津〜米沢)1

     
  <北畠具顕さま 2007/04/14(Sat) 21:15>

旅行記拝読。

夜のお墓は怖いっすよ・・・。



<こたつ城主 2007/04/15(Sun) 00:51>

題名:「城主のたわごと」2007年4月

↑更新しました〜。宜しくお願いします(^^)。
他「今週のご挨拶とお知らせ」

過去更新状況
03/29「石和川中島合戦戦国絵巻」レポ(2007)

明日(もう今日かっ)おらぬです〜毎度(^^ゞ。
(この頃、また土曜日も帰りが遅くて(^_^;))


>北畠具顕さま

そうそ「城主のたわごと」載せたです(^^ゞ。早速ありがと!
林泉寺ねっフラッシュで一層暗がりが増したッス(笑)。



<たみいさま 2007/04/16(Mon) 19:22>

旅行記、拝見しました。

>この桧原湖あたりは湖が多く、小野川湖、秋元湖、
>その名も「磐梯吾妻レークライン」と名付けられている。

これら湖の名前は初耳でございました。

白布温泉:
>直江兼続が、江州・泉州より鉄砲師を招き、
>約10年間ここで一千挺の鉄砲を製造させた。

これは結構おどろき。。
職能集団を一箇所に、と言うのは良く見られた事ですよね。
ふと思い出したのですが、近代においても、奥出雲の山林王と言われた、(現在も言われている?)、田部家は、製鉄に関わる人々の村を作ってしまったそうですね、(私有地内に)。

>前日は会津若松を去りがたかった亭主も、ここで朝を迎えると、
>今度は「ここにずっと居たい」と言い出す(笑)。

(^○^)。行ってみると、どこも去りがたいのよね。
見れば感動、住めば都、一つの体が口惜しや、と。

稲の干し方:
ええ、あれは割と全国的に見られる干し方じゃないですか?。
一番簡単なシステム(?)だと思うのだけど。。。
と言う私は、同じ東北とは言え、故郷では見た事がありませんでした。

では、どういうのかと言えば、建設現場の足組みのようなものを作って、(丸太と縄で)、干してました。だから上段の方はハシゴをかけて干すのです。名前は、「はさ」、と言いました。
稲干し作業の事を、「はさがけ」、と言いました。

一方、伊豆地方の一般的な干し方としては、城主さまたちが目にしたようなものの他に、物干し(洗濯の)状のものがあります、これは竹で作ります。名前は、「うし」、と言います。

「うし小屋」、と聞いて、覗いて見ると、竹が積んである。。
日本て狭くて広いわぁ。。

長くなったので、本日はこれにて、<(_ _)>。



<こたつ城主 2007/04/17(Tue) 17:40>

>たみい様

「城主のたわごと」早速ご覧下さって、ありがとうございます(^O^)。
湖は私も昔、五色沼や桧原湖に行ったきりで全部は知りません(^^ゞ。

直江兼続の鉄砲村開発の話は米沢でも見掛けましたが、「白布」と特定されてるわけではなく、他にどういう所があったのか気になってます。
でも米沢から「いかにも秘境」という奥まった所が白布温泉ですから、行ってみると納得できる雰囲気はあります(^^)。

仰せの田部家は検索して判りました(知りませんでした(^^ゞ)。
紀州から出雲に室町時代に来た、という記述が見付かりました。
製鉄はともかく、鉄砲となると、相当に深い隠れ里みたいな雰囲気を想像してしまいますので、白布にはそういう雰囲気はタップリです(笑)。

ただ正確な地名としては「関」とあり、たみい様がその後に仰った「稲干し風景」のある辺りが相当したのではないかと思います。

で、次にその「稲の干し方」ですが、実は最初に「撮ってくれ」と言われた時、「そんなに珍しい?」と私も思いました。
「ふんだんに」とは言わないけど、それなり見掛けた気がしてたんです(^^ゞ。

ところが、やはりネット上あれこれ見た所、「東北地方にある独特の風景」と言ってる人が多い気がします。
どちらかと言うと主人のように、やはり南の地方の人に多い感想に思え、それも本やテレビの感想ではなく、「こないだ東北に行ったら見た」という声に思えました。

仰せの「はさがけ」(名称を知りませんでした(^^ゞ)になると、私もちょっと珍しい風景に思えます(見た事はあります)。
「うし小屋」の方はちょっとイメージしにくいです。

文芸社・書籍情報「稲干しのすがた」:http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/4-286-00465-1.jsp
(文芸社:http://www.bungeisha.co.jp/より)
↑ここの→ http://www.boon-gate.com/cgi/search/tatiyomi.cgi?id=12479
これを使うと話しやすいかな(^^ゞ。

「ありふれた光景と思ってしまうと、無くなってしまうかもしれない」と改めて思い、この「稲の干し方」だけ集めた本、今度買ってみようかな(^^ゞとも思います(笑)。

>(^○^)。行ってみると、どこも去りがたいのよね。
いやぁ〜(^^ゞ、どちらも正解でホント良かったです(笑)。



<YORIさま 2007/04/18(Wed) 23:52>

こんばんは(^_^)v
たわごとアップ、お疲れ様ですっ!(^^)!
今回もボリュームたっぷりで、楽しく読ませて貰いました。
白布峠って、、、、こたつさんの貼ってくれた地図を見ると超グネグネ道でヘアピンカーブが続くすごい道路なんですね〜(゜o゜)
山菜料理の朝食もヘルシーで美味しそうです(笑)(^。^)
田舎の旅館の人の温かみがこたつさんの文章から伝わって来て、私も何だか嬉しくなりました。

東北の稲の干し方は私の実家(兵庫)の干し方とは違っていて面白いですね。
実家では「なるき(だったかな?)」と言う長い木の棒を横に長くつなげて、地面に「X状」に組んだ木の上に乗せてて、そこにズラッーと稲を干していたと思います。
それを何と呼んでいるのか?名前はあるのか?・・・
また兄に電話した時に聞いてみよ〜っと(笑)ヽ(^。^)

直江兼継続が江州と泉州から鉄砲を買い求めた話を読んで
いて、前から一度「国友村」に行こう、と思っていたのを思い出しました(^。^)
今も国友には記念館?のようなものがあるのでしょうかね。
でも滋賀は近いようで遠いですね(^^ゞ
滋賀と言えば、11月までに彦根城にもう一回行って来るつもりです。こたつさんもご存知?の「ひこにゃん」を見に行ってきます。(いい歳したおっさんがねえ…笑(^_^;)

毎日忙しい日が続いてややもすると気が滅入りがちですが、こたつさんのレポート読んで、いつも元気を貰っているように思います(^_^)v
次回の「お土産編」も楽しみにしてますが、あまりお疲れが出ないようにゆっくりとアップして行って下さいネ(笑)

それでは今日はこの辺でおやすみなさ〜い(^。^)y-.。o○



<こたつ城主 2007/04/19(Thu) 19:01>

>YORIさま

「城主のたわごと」読んで下さって、ありがとうございます(^O^)!
福島から山形に抜ける道路は、ホントにスゴイ山道でっ。
会津が名残惜しくて出るのが遅くなったから、白布温泉には「急いで行きます〜!(>o<)」と電話したんですが、宿の方は「かなりの山道ですから、気を付けてゆっくりと(^_^;)」と仰るんですよ。その通りでした(笑)。

夕飯で米沢牛を(^^)、翌朝も山菜と川魚づくしで、お風呂と言い、山奥の風情がタップリでしたわ〜☆ミ
旅館の人も、きっとスキー客の世話をされるからでしょう(^^ゞ、面倒見が自然な感じで嬉しかったです♪

「稲の干し方」
たみい様から東北と伊豆のを伺って、「他の所はどうだろう(゚.゚)」と思ってました!
やっぱり兵庫あたりとは違いますか〜(≧▽≦)。面白いですね〜!
横にズラーッと並べる干し方は、私も直にかテレビでかよく見るんですが、X字に組んだ木に乗せるというのは……多いのかしら(゚.゚)、私はあまり見た事無いような……?

>また兄に電話した時に聞いてみよ〜っと(笑)ヽ(^。^)
お願いしま〜す!!

直江兼続が呼んだ鉄砲職人も「国友村」とありました。
直江の時代だと、あの国友村ですよねぇ(^^ゞ。私も彦根城に行った時、看板で「国友」って字を見掛けて「近いのかな」と思った事がありました。
あと確か「お灸」(せんねん灸)の工場を見掛けた覚えが(爆)。
↑「太平記」で後醍醐天皇が通る時に、道誉がお灸をあげた話を後で知った(笑)。

いや〜この所、忙しい波がちょくちょく間を置いて訪れる、ってパターンが多くて(^_^;)、もう年なので、休みながらの方が助かりはするんですが、合間にちょっと没頭する事があっても、それを継続できない事が多くて(苦笑)。
ありがとうございますっ。頑張ります(^^)。
 
     

     
  <たみいさま 2007/04/19(Thu) 19:20>

旅行記より、第二弾。

米沢城と言うか、山形って覚え切れないぐらいの変遷ぶりだと、しみじみ思いました。大江広元、安達盛長、の名を見るのも意外と言えば意外であるし、、。

武藤氏、最上氏(斯波兼頼を祖とする)、伊達宗遠、晴宗、政宗(米沢城生まれ)、と、領有するにしろ勢力を伸ばすにしろ、そんなに美味しい地でも無いと思うのに入り乱れたんですねぇ。
そして、蒲生氏郷、直江兼続か、凄いよねぇ。。

>米沢に景勝が入部してから、明治2年(1869)、上杉氏14代茂憲
>が版籍奉還するまでの268年間、米沢城は上杉氏の居城として、
>政治、経済の中心であった。

気がつけば、これも凄いよね、徳川家と同じぐらいの歴史って事で。上杉鷹山の前後のややこしい系図は後回しにして、(^^;)。
でも、ケネディが鷹山を知っていたなんて、世の中、分からんもんですね。次期大統領候補のオバマ氏が小浜市を知っていた事より驚きです。(^^;)。

資料館「稽照殿」:
>「謙信が織田信長に貰った赤いマント」「謙信愛用の琵琶・朝嵐」
>「同じく・馬上杯」を、ガラス越しじゃなかった、という思うぐらい、
>肉迫して間近に見た覚えがある。

これは、見たいものばかりですね。恐らく、始めは囲いは無かったのかも知れない。それが次第に危険を感じて、(^^;)、ガードする事になったのではなかろうか。うん、当然よね、見張り番でも居ない限り。

赤穂事件と上杉氏の事は、面白そうなので、あとで又ゆっくりと読みます。

>上杉氏に、吉良上野介は実父の立場から次々と出費を強いた(^_^;)。

こういう場面、何かのドラマ(映画だったか?)で、見た気がします。後世、いかに反証が出て来ても、やっぱり、「ヤな爺ィ」、のイメージは強固、(^^;)。



<こたつ城主 2007/04/20(Fri) 20:59>

>たみい様

「たわごと」第二弾、ありがとうございますっ(^O^)。

そうそう、大江、安達って鎌倉武将の名ですもんね(^^ゞ。
鎌倉期からだと変遷は多く見えるけど、武藤氏がその時代からの流れなんだな、と私もつい最近学びました(笑)。

最上氏は斯波氏の傍流という事ですが、地名は古くからあったようです(^^ゞ。
また庄内には、大化の改新のあと国府があり(奈良時代の一時期は秋田にあったそうですが)、それも海運で都と直通だった点が、古くから重要な文化を取り入れる素地が出来た所以のようで、一度そうした基盤が出来て、しかも中央の動乱に振り回されるには遠隔でもあった、という事もあるかと思います。

鷹山は、ケネディの言葉で日本人が再認識した、という話でむしろ知られてる人かもしれません(^^ゞ。
つい最近の事はともかく、海外に紹介される日本のソースって、従来そんなに間口が広くない気もしますが、アメリカ人には特にウケがいいかもしれません。

「稽照殿」のお宝(笑)、新しく出来た博物館との兼ね合いもあるせいか、印象が前と物凄く違って感じました。
「マントに杯に琵琶」と書いたのも、前の印象からの列挙で、今回の見学では「どれかがどっかにあったような……」ぐらいしか記憶が残ってないです。。
レポでは上手く言い切れなかったのですが、確かに今回は一つ一つが「ちょっと小じんまりと見えた」のかもしれません(^_^;)。

>赤穂事件と上杉氏の事は、面白そうなので、あとで又ゆっくりと読みます。
ありがとうございます!
自分でも意外なんですが(笑)、米沢に行ったら謙信か鷹山だろー!と思ってた割に、じぇんじぇんズレた所に興味を持って帰って来たんですよ(^^ゞ。

吉良上野介は、「三河においては名君」とよく言われる点は否定しません。
その延長線で「赤穂浪士の事件で汚名を着続けた可愛そうな人」みたいな同情票を持ってた(持たされてた)所もあります。
でも、うっかり名誉挽回ブームに同調すると、思わぬ伏兵に出会うものだ、とも思いました(^_^;)。



<小野寺維道さま 2007/04/24(Tue) 22:20>

どうもです。
旅行記拝見しました。「大宝寺氏平」の記載が・・・。
わたくしごと、いま先祖の調査で明治時代の戸籍をワープロで起こしています。親類の住所を打っていたら「鶴岡市大宝寺字大宝地」などと。小字の「大宝地」は現在なくなってしまったようです。「寺」と「地」の違いは何なのでしょう?
ちなみに「大宝寺」の小字で「日本国」という地名があります。面白い。

赤穂のお話、面白く読ませていただきました。
「浅野長矩と同じく饗応役についた津和野の亀井茲親も、指南役だった上野介への刃傷に及ぼうとしたとも言われていて・・・」亀井氏は初耳です。
浅野の家臣で小野寺が参加してますが、仮に亀井氏が先に刃傷に及んでも小野寺氏が絡んでいたかも知れません。これまた面白いです。



<こたつ城主 2007/04/25(Wed) 19:23>

>小野寺維道さま

「城主のたわごと」読んで下さって、ありがとうございますっ(^O^)。
私も今そちらでの遣り取りのコピーを見て、「大泉と武藤が一緒なのはわかったけど……、あっ、そうかっ、前に大宝寺と武藤も一緒だと教わった!」と思いましたっ(笑)。
小野寺輝道の奥さんの一人が、この「大宝寺(武藤)氏」なんですよね(^^ゞ。そちらで「いいよ」って言って頂いたので出すと(笑)、これね↓。
http://kotatujo.cool.ne.jp/hyo/itiran/onodera.txt
この大宝寺氏とは違う奥さん(佐々木氏)の子だけど、義道が確か津和野でしたよね(^^ゞ。
ええ、それで行くと絡んでいたかもしれませんね(笑)。その赤穂事件。どうも亀井茲親は、浅野内匠と同門の山鹿素行系だったようですから、浅野内匠が刃傷に及んだのも、この辺りから出た思想がらみかな〜という気もチョット致します。
又この亀井氏って確か、山中鹿之助が育てた娘(尼子氏の重臣亀井氏)から出た女系子孫なんですよね(^^ゞ。だいたい「山鹿素行」って名前じたいが何か……(笑)。

>ちなみに「大宝寺」の小字で「日本国」という地名があります。面白い。
スゴイ(・・;)。。誰がつけたんでしょう。(いつからあるのかな)
「寺」が「地」になり、小字が消えて、ドンドン歴史からわかる地名が無くなってしまうんですね(^_^;)。。



<たみいさま 2007/04/26(Thu) 20:02>

旅行記感想、第三弾。(^_^)。

赤穂事件と上杉:
いやぁ、何と申しましょうか、何度読んでも複雑で頭に入らないので(ーー;)、ついに、得意の(?)、系図戦法で行きました。
んまぁ!!・・。上杉、鍋島、吉良、会津保科、加賀前田。。
いくさ場だって、こんなに入り乱れる事はありませんてば。

「ちっ!浅野め、吉良を打ち損じたか」、
ドラマに欲しかったよねぇ、こういうセリフ。(^^;)。

世継ぎが悉く早世してしまった上杉に、姻戚である会津の保科さんは、「吉良より迎えよ」、と進言した分けでしょ。上杉の家臣たちは、「会津の方が良い」、と思っていたのでしょ?。 結果を知ってるから、何とも申せませんが、、。

上杉五代吉憲、の弟が吉良義周、知りませんでした。本当にお気の毒、あの討ち入りで重症、その上、重罪人として流刑、21歳で死、あんまりじゃありませんか。

米沢駅って、何かのテーマパークみたいで素敵ですね。
米沢の林泉寺、新潟の林泉寺、米沢の上杉家廟所、どなたが何処で祀られて(眠って)いるか、複雑ですよね。
「何で武田信清、(信玄の六男だか七男)、の墓が」、と思ったら、そうですか、姉(菊姫)を頼って上杉に来てたのね。
とっても面白かったし、勉強させて頂きました。



<こたつ城主 2007/04/26(Thu) 20:09>

ごめん、レス時間重なった(また:笑)。
たみい様、明日レスするです〜(^∧^)。
 
     



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