<掲示板・議事録>


     
  南総里見八犬伝のルーツ?


<ディクタボーイさま 2007/03/05(Mon) 09:44>

こたつ城主 さま

ご無沙汰いたしましております。
その間も、こちらにはちょこちょこと覗き見いたしておりましたが、なかなか共通する話題がなくて疎遠になっておりました。
そんな中、訪問する機会を窺っていたわけです。

最近は、石橋や九州遺産に興味を持って九州各地をあちこちめぐっております。

グスクは去年探訪した石垣・竹富・小浜・伊是名・伊江などの離島の編集が終わり、やっと掲載が出来るようになりましたので、ご報告に訪れた次第です。

今日は石垣島のフルスト原遺跡です。
これからもよろしくお願い申し上げます。

先ずは、ご報告まで・・・



<こたつ城主 2007/03/05(Mon) 16:20>

>ディクタボーイさま

石垣島(゚.゚)。……あ、前に行くかも、と言ってたトコですよね。
それが……行かなくなったんですよ〜(-_-;)。。(言いましたよね(^_^;))。
うんうん共通の話題が乏しい。。沖縄かぁ〜。
いやっ、そんなコトはないどっ!ヽ(`Д´)ノ
ヤオ族:http://www.mekong.ne.jp/directory/culture/legend03.htm
(「メコンプラザ」:http://www.mekong.ne.jp/index.htmより)
「犬と女が結婚して子孫が出来た」って話を見つけました(たった今見付けた:爆)。
これこそきっと、南総里見八犬伝のルーツに違いありません!(笑)
沖縄と千葉は「犬繋がり」なのでぃす!(無茶っ)
(東南アジアと言えば「マハーバーラタ」もヨロシクです(^^))
 
     

     
  「城主のたわごと」2007-03(会津〜米沢編2)


<こたつ城主 2007/03/07(Wed) 18:25>

題名:「城主のたわごと」2007年3月

↑更新しました〜。宜しくお願いします(^^)。
他「今週のご挨拶とお知らせ」

過去更新状況
02/27「作品の広場」→「マハーバーラタ」25〜28話アップ



<林六郎光明さま 2007/03/10(Sat) 22:26>

今度こそ、「たわごと」拝見しました(笑)
とても会津に行ってみたくなりました。
流派が完成する前の茶道が残っているような気がして、麟閣、凄く行ってみたいです。
それに会津松平氏庭園「御薬園」、さすがに素晴らしい庭ですね。
見ているこちらまで、贅沢な旅してるような気がしました。



<たみいさま 2007/03/11(Sun) 19:57>

「たわごと」、拝見致しました。
盛り沢山で、自分が歩いたように足が疲れ申した、(^_^;)。

>その傍には仙台出身の土井晩翠「荒城の月」の碑があった。

これね、土井晩翠、滝廉太郎、鶴ヶ城、青葉城、竹田城(?)、と、アイデンティティが定まらなかったのですが、検索してみたりして、なんとか理解に至りました。(^_^)。

茶室麟閣:林さまも仰っていられますように、情趣に富む素晴らしい、「作品」、だと思いました。
私なんどは、茶室と言えば、ただただ、その狭さに息苦しさを覚えるだけでして、(^_^;)、お恥ずかしい事です。

時代を超えて生き延び、呼吸している、「麟閣と牡丹」、には感動しました。主家の運命とは別に、土着して世紀を重ねた家々(人々)の事を思いました。会津に限らず・・。

重陽閣:
秩父宮妃殿下は、会津松平の姫君でしたか。重陽の節句に英国でご誕生とは、さすがで御座いますね。
ご成婚に会津の人々が狂喜したと言うところでは、思わず、うるうる来てしまいました。



<YORIさま 2007/03/11(Sun) 20:27>

こたつさん、こんばんは
たわごとアップ、お疲れ様でした。今回も読み応えあり〜!!(^^♪
鶴ヶ城からの眺望、良いですね!
ここを訪れたのは随分昔なので殆ど忘れていましたが、「ああ、こんな感じだったな〜」と思い出しながら見させてもらいました。
神指城、建設途中のままになっているところがあるんですね。どんな状態で残っているんだろう。ちょっと興味が湧いてきました(笑)
そう言えば、山中城なんかも建設途中の曲輪があったな〜(^。^)

そうそう、名曲荒城の月の作詞者、土井晩翠の故郷は仙台でしたね。
作曲者の滝廉太郎の少年時代の遊びは大分県竹田市の岡城ですが、まだそちらは行ったことが無いので、今度九州遠征の時に時間があれば行ってみたいと思ってますヽ(^。^)

秋月悌次郎・・・よく知りませんでしたが、小泉八雲が神のような人と称えた人物だたんですね。

>苛烈な戦争を戦った秋月の老後は、実に温和で泰然とした人柄をもって、非常に多くの生徒に敬慕され、・・
私も出来ればこのようでありたいと心底思います。
人間、歳を取ると頑固になると言います(笑)気をつけなければ・・・^_^;
いつも思うのですが、戊辰戦争で大変な目にあった会津地方ですが、今の世でも人を惹きつける何か不思議な魅力があるように思えますね。



<こたつ城主 2007/03/12(Mon) 17:51>

>林六郎光明さま

「城主のたわごと」お読み下さってありがとうございます〜(^O^)。
(「たわごと」と「ご挨拶」、壁紙が一緒で紛らわしいですよね(^_^;))
利休の茶室って、幾つか伝わる物はあるらしいけど、現存する確かな物は京都の「待庵」だけとかっ(゚.゚)。読む物によっては、人生の最後になってやっと完成した(何をだろう)とかいうのもあるから、そんな風に考えると麟閣は貴重な茶室かもしれません。
御薬園は心字の池が広くて、角度が変わるたびに風景が楽しく、芦名時代の古い伝承まで残ってて本当に良かったです(^^)。一緒に見て廻った気分になって頂けて嬉しいです〜。


>たみい様

「城主のたわごと」お読み下さってありがとうございます〜(^O^)。
「荒城の月」は、土井晩翠が後に述懐した事によると、
荒城の月作詞者土井晩翠が語る:http://www.ne.jp/asahi/minako/watanabe/bansui.htm
(「Minako Watanabe」:http://www.ne.jp/asahi/minako/watanabe/index.htmより)
という事で、鶴ヶ城を最初にイメージしたんだとか。 青葉城や竹田城にも碑があるそうで、有名な歌なので、他にも碑が建ってる所があるかもしれませんね(^^ゞ。
作詞は破却以後でしょうが、鶴ヶ城は一日に2000もの砲弾を浴びたそうで、破却されるまでの6年もの間、ボコボコになった姿を晒してたんでしょうかね(^^;)。。

>麟閣と牡丹
私の「気になった事」、皆まで言わなかったのによく汲み取って下さって嬉しいです!
一民間人がお城の文化物を自主的に保存したってだけで充分に美談ですし、「御薬園」のあった会津ですから、薬種問屋さんにしてみれば思い入れもひとしおだっただろうと、そこも感動するんですが、それが蒲生時代から続いてたかも、と思うと、撒いた種以上の産物が土地に根付いた気がしますよね〜。
もちろん同じ姓ってだけで、土着云々も関連性もあくまで私の想像なんですが(^^ゞ、いずれにせよ城一つ無くなるって事は、そこに染み付いたありとあらゆる人の生き様まで消える事なんだな、とは思いました。。

>ご成婚に会津の人々が狂喜した
私も「60年は長すぎだろっ」とホントつくづく思いました(^_^;)。。
当時なら人の一生分はゆうにある時間ですものね(汗)。。



<こたつ城主 2007/03/12(Mon) 17:51>

>YORIさま

「城主のたわごと」お読み下さって、ありがとうございます(^O^)。
鶴ヶ城は、私も最初に入った時は「ああ、こんな城だったか」と思ったんですが、見て廻る内に南走長屋と鉄門、干飯櫓の続き方が綺麗だな〜と感じるようになって、何枚も写真を撮っちゃいました(^^ゞ。

神指城は私らも行けなかったのがすごく残念(>_<)。。発掘した当時の写真が載ってるサイトと、今は公園風にしてる写真が載ってるサイトがありますが、実際に見てみたいです。
「建設途中」の姿が残ってる城跡というのは、どういう手順で作って行くのか、戦闘間際だと、通常に考えうる工法を逸脱してる部分もあるかもしれないなど、当時がリアルに窺い知れそうで興味ありますよね(笑)。

「荒城の月」は、たみい様へのレスURLに土井晩翠の述懐がある通りですが、作曲家と作詞家を生んだ土地として、仙台や竹田にも記念が建ってるそうです(^^)。

秋月悌次郎ですが……長くなりそうなので詳細は省きましたが、実は八雲が「仏でなく神」という部分には、もしかしたら「慈愛の精神だけでなく頑固さもある」みたいなトコが多少あるかも(^_^;)。
というのも、八雲にプレゼントをあげる時「このごろ不快だったのでお祝いが遅れた」と言ってて、体調の事を言ってるようにも思えるんですが、「年を取ってるからでもお宅が遠いからでもなく」とわざわざ付け足して言ってる所を見ると、何か八雲と相通じる「不快の種」を指してる感じもするんです(笑)。

会津には「ならぬことはならぬ」という言葉があり、九州にもどういうのか、そういう気質を好む土壌が残ってたと思いますし、当時の学校は男子校ですから、こういう気骨のある老人が、むしろ若い学生の目に「溜飲の下がる存在」という支持のされ方をする場合もあったかもしれません(笑)。
これは著作の時代によって多少その後に意見を変えた部分もあるかもしれないですが、八雲の晩年の「日本」においては、「神道の神への奉仕には信仰者に大変な厳しさが課せられていた」といったことが強調されてるので、私が尚更そう思うだけかもしれませんが(^^ゞ。
 
     

     
  <たみいさま 2007/03/12(Mon) 19:37>

第二弾、(^_^;)。

肝心な事なのに書き忘れました。
先ずの感動は、鶴ヶ城の敷地(と言うのか)全体の広大さと、それが美しく維持されている事です。
幹線道路やビルに画されて、「あれが城です」、と言うのとは分けが違いますね。

小倉で:
>会津の面目を保つため、1871年5月1日に切腹。16歳。

長州で:
>「死なずに済んで良かったな」と言われた途端、おもむろに切腹しようとしたという話も見掛けた事がある。

私は、下北や北海道に移った(行かされた)会津人の苦節は映像なり文字なりで少しは知っていると思ってましたが、西の方面は全く思いもしませんでした。
凍死の憂き目に遭わずとも飢餓に苦しむ事が無くても、それ以上に耐え難きを耐えた若者の気持ちを今更に思います。

小笠原長時と室と息女の墓:
>どうも謙信の死の前後、小笠原長時は放浪していたらしく(^_^;)、最後に頼ったのが芦名(村上→上杉→三好→上杉→芦名)という事らしい。

いやぁ、小笠原長時、なんで、いま、この名前が出て来るの?、と言う、驚きに似たものが御座いました。
折りも折り、昨夜、仲代信虎が言っておりました。
「中信濃の小笠原長時、そして村上義清を叩くのじゃ!」と。



<こたつ城主 2007/03/13(Tue) 18:54>

>たみい様

また「たわごと」ありがとうございます(^O^)!
会津若松は、わりと広い範囲に都会的な町並みが続くんですが、その周囲は緑が多いし山が見えるので、情緒タップリですね(^^ゞ。
景観については、現存の城となると移転は無理ですが、再建する場合は、城があった場所には石碑だけ建てといて、少し離れた場所に作るという手もありますね(^_^;)。
ただそうして広い敷地が確保できるとなると、余計な物を作ってしまいがちな気もします(笑)。

会津のその後については私も、「単なる復讐」なのか、「徹底的に牙を抜く必要があった」のか、正直今でもよく判らないです(^_^;)。
子弟達については、その保護者が弱い立場に晒されてるわけですから、何かあっても若い者同志、自力で跳ね除けなきゃならないという無理は付きまとったと思います。

これは流刑に近い立場の大人も、他国で孤立しがちの子供もそうですが、ずいぶんデキのいい素養の持ち主が多かった、という記述はよく見掛けます。
実はウチの近くにも北海道ラーメン屋がありまして(^^ゞ、郷土の歴史について書いてあるんですが、やはり会津人の移植で町が出来た、といった所は強調されてました。

小笠原長時の墓ですが、その礼法などが会津に伝わっている、といった記述には、残念ながら寺では出会いませんでした。
今回行った所だけだと、今ひとつ芦名時代の事にあまり出会えなかったな〜(^^ゞ。

>折りも折り、昨夜、仲代信虎が言っておりました。
>「中信濃の小笠原長時、そして村上義清を叩くのじゃ!」と。

そうそう(^^)。私達も「行ったよね〜長時の墓っ」と言ってました(笑)。
同じ長野でも、林城や深志城といった地域に今イチ訪れてないんですが(^^ゞ。



<小野寺維道さま 2007/03/22(Thu) 22:28>

どうもです。旅行記拝見致しました。
先日お話にあがった会津ですね。
きれいなお城ですよね。
学生の頃、親に連れられていった記憶があります。
確か城の中に戊辰戦争の際、激しく砲弾を受けて歪んでしまった鶴ヶ城の写真があったと思います。
これを見てかなりの衝撃を受けました。

「伊東正義」
>内閣総理大臣をやった感じに思える人・・。
そうですね。自分もそう思ってました。
東北からは岩手県以外からは総理大臣が出てないんですよね。
ちばらぎもしかりです。どちらが先に出るでしょうか(笑)?←(みょーなライバル心。)
山口は一番。ちなみに現首相もそうですし。



<こたつ城主 2007/03/23(Fri) 19:56>

>小野寺維道さま

「城主のたわごと」ご覧下さってありがとうございます(^O^)。
はい、東北コトハジメのまずは会津です(笑)。

>激しく砲弾を受けて歪んでしまった鶴ヶ城の写真
あっ(゚.゚)、それお城の中の資料展にありました?
実は当地では(他の出展に紛れてか)今イチ見た覚えが薄くて、正月のスグ後でやった「白虎隊」のドラマで、最後に「こんなになりました」と出た写真を見て、CGなのか実際の写真なのか気になってました。じゃ、あれは実際の写真なんでしょうね。
でも記述としては城内で見たのをよく覚えてます。

>「伊東正義」
どうもね〜(^^ゞ。他の歴代総理はずいぶん思い出せない人がよくいるんですが、その合間にこの名がふと出てしまうんですよ(笑)。
で、資料とか見て「あ、やってないんだっけ」と(^_^;)。決して派手な人ではなかったけど存在感はありましたね〜。
そっか東北って総理が出てないのか広いのに。

>ちばらぎ
これって「下総」に限定した方がいいかもしれませんねっ(笑)。
常陸や上総・安房の人が聞いたら「何それ」と思いそう(^_^;)。



<小野寺維道さま 2007/04/09(Mon) 23:17>

城の写真は特別展示だったのかも知れません。



<こたつ城主 2007/04/10(Tue) 18:21>

>小野寺維道さま

>鶴ヶ城
衝撃的な写真なので、見れば記憶に残りそうですものね〜。
 
     



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