<掲示板・議事録>


     
  天正伊賀の乱、2


<山城甚伍さま [近畿] 2005/09/16(Fri) 11:47>

>伊賀には変わらず通っておられますか(^^)。
>筒井順慶も伊賀の乱には参加しましたか。

はいな(大笑)。
月月火水木金金(ウソです、休みの火曜日だけ)

第二次天正伊賀の乱で、嫡子・定次と一緒に参戦していま
す。石田三成がべた惚れの島左近も出陣しています。

 伊賀上野城は藤堂高虎で有名ですが、伊賀盆地にやや小
高い丘陵地の上野台地に、筒井氏の築城した筒井古城とい
うのがありまして、豊臣秀頼の大阪方に対する備えとして、家康の意を受けた藤堂高虎が大改修を施したのは、ご存知
のことと思います。
 もっとさかのぼると、伊賀の乱で伊賀土豪連が評定所と
して集会した「平楽寺」があった場所です。

ここの天守は復興天守で好きではありません。
高さ30mの高石垣や水堀は好きですけど・・。

>また「下山甲斐城」は幾つもあるのでしょうか(゚.゚)。
>イメージ図というのはスケッチ?

イエイエ、ほんの二つでございます。
良く言うと「鳥瞰イラスト図」、つっこめば「落書き」

 山城って、草木に覆われていて、堀とか土塁とかを写真
にを撮ってもほとんど分かりません。
で、いつの頃からかイラスト図を描き始めたんです。

一目瞭然だし、描いていると、その山城の構造が良く判る
利点もあり、特徴的な部分をデフォルメして強調すること
もできるんですよ。

>お話の構想を作り上げているという意味かしら?
>何か大胆な発想が必要かもしれません。
>思い切った「筋道」をつけられる事を祈っております

う〜ん、楽しいですよ。
まぁ、ベースにする「伊乱記」は軍記ものだから、歯切れ
が良いんですが、どこまで採りこむか思案しています。
史実はどうであれ、解釈はオイラの勝手(笑)

でも、エンディングの構想は出来てるんですよ。
伊賀一ノ宮神社の裏山にある国見山に登って、文字通り伊
賀の国見をするんです。

これは、「信長公記」にも記述されていて、戦いが終わっ
て信長が国見するんです。
 山頂からの眺望を撮影したいのですが、樹木で展望がき
かなかったら、パーですわ。

 ご要望の伊賀国地図も作成中ですゥ。
城砦や旧街道、峠をプロットして。

★下の娘がブログなるものをしているので、私も始めてみ
 ました。制約が多くて使いにくいけど、HP開設までの
 つなぎにすることにしました。

 http://blogs.yahoo.co.jp/jyamasiro



<こたつ城主 [関東] 2005/09/16(Fri) 22:18>

>山城甚伍さま

伊勢・伊賀攻略の過程も、殆ど知らないままですね(^^ゞ。
信長は進むだけ進んで、足元から火が出る事があるので(そういや南北朝もそうですね:笑)、地図と年表が比例しないんですよね(笑)。
信玄だとホント侵略した順に掌握して行くので、すごく判りやすいんですが(^^ゞ。

島左近は順慶に仕えてたんですよね。三成に会うまでは転職した人ですね(笑)。
藤堂高虎の修築は、そろそろ徳川が全国大名に「許可なく修築しちゃダメ」と言った時期で、当時の豊臣家にとっては脅威を与えた効果もあったのでしょうね。
しかし残念ながら、その前の伊賀の事は知りません、と言うか、あまり知られてない事なんでしょうね。
「平楽寺」というのは「寺」ですよね(^^ゞ。いま復興天守があるのは「筒井古城」の方のでしょうか?

山城をイラストにしてみる、というのは本格的ですね(^^ゞ。
私も城山歩きは好きですが、ホント言うと人混みが無くて、自然のある静かな場所が好きなだけで、本気で地形や地理・構造に深い興味があるわけでもないんです(笑)。
それでも狭い場所にいつの間にか追い詰められる作りとか、急な坂や断崖を直下から見上げると「すっごい威圧感(^^;)」なんて思う事はあります。今ですら深い草木で目が騙されますから、当時はもっと目を騙す工夫があったんだろうな、なんて考えてみたりね。

国見山というのは、なんと信長が最後に山頂から国を見た、というエンディングからついた名なんですね!
おおっ、これは……幾重にもラストが思い浮かびますねぇ!!
何を言うのか、或いは言わないのか。
家康はそれを聞いて何を思ったのか(爆)。
(当然、家康は何かを知ってると思ってるという:笑)

>山頂からの眺望を撮影したいのですが、樹木で展望がき
>かなかったら、パーですわ。

あ、そうそう!(^^;)
途中からの眺めが良いもんで、さんざん期待してゼェゼェいって登ったら、山頂に限って一面の林だったりしますよねっ(笑)。そしていつの間にか下り坂になってたり。。

>ご要望の伊賀国地図も作成中ですゥ。

キャアキャア!!!(≧▽≦) こたつ待ってますネ!!
繋ぎのブログURLありがとうございました。
お、ゲストブックがある(゚.゚)。



<北畠具顕さま [関東] 2005/09/16(Fri) 22:29>

伊賀の乱。
順慶は顔見知りが多いので大分見逃してやったらしいのですが
信長にばれて叱られたらしいですねぇ。



<こたつ城主 [関東] 2005/09/18(Sun) 00:52>

>北畠具顕さま

順慶が見逃してバレて叱られた、というのは伊賀の人を?(゚.゚)
それ「叱られた」で済む事だったんだ(^^;)。
何となく伊賀については、途中から信長もだいぶ軟化した感じはありますね。



<北畠具顕さま [関東] 2005/09/18(Sun) 23:35>

>順慶が見逃してバレて叱られた、というのは伊賀の人を?
あい。結構ド顰蹙買ってたみたいですよ(笑)。



<こたつ城主 [関東] 2005/09/19(Mon) 15:36>

>北畠具顕さま

>順慶
「見逃し話」って信長の家来には付き物なのかな(笑)。
そういや第一次が荒木村重の謀反と同年ですな。それが二次では叱責のみですか(^^ゞ。翌年本能寺だしなぁ……。
 
     

     
  城主のたわごと2005-08(上州〜信州3)、1


<さま [関東] 2005/08/29(Mon) 21:19>

こたつさま、こんばんは。
旅行記拝見しました。
別所温泉や塩田平には15年ほど前に行きましたので、とても懐かしく見させて頂きました。
その時は電車で行ったのですが、別所温泉駅には『真田太平記』の中のシーンが小さな人形で再現してあるものが置いてありました。
ずいぶんと昔のことなので、今はもう無くなっているかもしれませんね。

安楽寺は雨で行けなかったようで残念ですね。
と言っても、こたつさまは何度も別所温泉を訪れているようですので、あの八角三重塔も見たことはあるのでしょうが。
あの塔は下から見ると椎茸の裏側のようなので、椎茸嫌いの友人が「やだ〜!!」と騒いだのを覚えています。(笑)

次回の更新では松代ですね。楽しみにしていますv



<石野真琴さま [関東] 2005/08/30(Tue) 07:01>

 沼田から真田へ、おおよそ百キロの距離ですね。もう七年ぐらい前に、石野真琴もこの道を辿った記憶があります。
 四百年前、真田昌幸がこの道を往来したのだと思いながら、アクセルを踏む足に力が入りました。

 あの時は沼田市の図書館、長野原市の図書館、嬬恋村の図書館、真田町の図書館を回りました。おかげでけっこうな収穫がありました。
 やはり宿泊は上田のビジネスホテル。
 翌日は長野市の図書館(県立図書館)へ行った記憶がありますね。

 この時は、ほとんど城巡りしていないので、もう一度じっくりと行って見たいです。
 出来れば川原湯温泉、ちょっと外れて草津あたりで一泊して充分に時間をかけて・・・。



<たみいさま [東海] 2005/08/30(Tue) 20:39>

たわごと拝見致しました。
ドドッと更新、すごいわぁ・・。
いつもなら、一気に読むのですが、
昨日今日とチョイと忙しくて、半分しか見てません。

それにしても、100年づつ遡って辿ると、「なーるほど」、と思いますが、思っただけで(^^;)覚えきれません。

あの懐かしい大河を思い出させて頂きました。
しかし、北条義政(渡辺徹)は、出て居たような気はするのですが、場面の一つも覚えてないのです。

>その後も、この「極楽寺ファミリー(笑)」の中でただ一人、その名の通り平和でハッピーな人生を歩む人として描かれていた。

だから記憶に薄いんだ、(^^;)。

主たる目的の(?)「くるみおはぎ」、なる逸品、
舞台設定からして違いますねぇ。
あれだけ整えられたら、正に、「ジャーン!」でしょう。



<こたつ城主 [関東] 2005/08/30(Tue) 23:33>

>紫さま

「城主のたわごと(旅行記)」ご覧下さってありがとうございます(^^)。

紫さまも塩田平に行かれたのですね〜。別所はあるだろうな、と思ってました。いつも上田にいらっしゃるので(^^ゞ。
電車で行かれたのですね。塩田平〜別所までの道のりは、今回しみじみ「車がラク」と思いましたが(^_^;)、塩田平周辺は「歩きの方がイイ」と思いました。

今回、駅の中は見なかったので「真田太平記」の人形は見てませんが、2000年は電車でしたが、見たかなぁ〜(^^ゞ。今はもう無いかも。。
ただ泊まった旅館のロビーには、2000年もドーーン!と「真田太平記」の大きなポスターが貼ってありましたよ(笑)。

別所へはこれで4回目かな(^^ゞ。松代ほどは行ってないですが、安楽寺は3回行きました。国宝の三重塔も前に写真に撮りはしたのですが、スキャンが面倒なのと画像が多くなるので、今回は行かなかった事ですし載せるのはやめました。
雪の季節に見たいですね。横から見ると、下の段が中の段のを、中の段が上の段を余って振ってくる周りの雪だけ被るんですよね(笑)。よく写真で見ます。

松代。行くには行ったんですが……ここは〜〜。松代だけで今回(4回分)ぐらいのレポ量が必要ですね(^^ゞ。一度松代だけ長めに滞在して挑戦したいです(笑)。


>石野真琴さま

「城主のたわごと(旅行記)」ご覧下さってありがとうございます(^^)。

石野真琴さまも行かれましたか(^^)。上田〜別所なら普通でも行きそうですが、沼田〜真田は、真田ファンならでは、かもしれませんね(笑)。
地図で見ると、沼田〜別所でも60〜70キロぐらいかな。でも何しろ途中ウネってますから倍以上は走ってるんでしょうね(^_^;)。
私もこの旅行の主目的が「真田の通った道」で、あの辺り今でもいかにも情緒タップリなので、すんごい「浸れるルート」でしたっ!(>▽<)

あの辺だと図書館めぐりでも旅行気分でしょうね(笑)。
長野は史跡に関する書籍が優れている上、観光地でも売ってくれてたりしますが、群馬はどうですか。まだあまり知らないんで(^^ゞ。

上田も泊まって良かったです(^^ゞ。特にこの時はブローチ貰ったし(爆)。
私も今度、草津や川原湯あたりも足を伸ばしてみたいです……が、岩櫃に泊まってみたいな〜!



<こたつ城主 [関東] 2005/08/30(Tue) 23:34>

>たみい様

「城主のたわごと(旅行記)」ご覧下さってありがとうございます(^^)。

この所1回分が大変長いので、「まだ途中まで」って感じでお願いします(笑)。
私もダラダラやってるんで(^^;)。。また残り読んで下さったら、その時は又(^^ゞ。

塩田平や別所は、京都ほど歴史ネタがあるわけじゃないけど、かと言ってハッキリ時代の切り離しも出来ない感じがして、どう書いたらいいのか初めから迷いました(^^ゞ。
恐らく古代から間道や補給の要所として、中央まで知られた地域だったのでしょうね。
弘法大師が訪れた伝承のある所は全国各地にありますが、あの辺りは本当に何らかツテがあって長居したのかもしれません……。

義政(渡辺徹)ですが、実は「北条時宗」でも最初から「塩田北条氏」と意識して見たので、父や兄と同じになっちゃうのかな〜とハラハラしてたんです(^^;)。
でも時宗の時代になってからの一族家臣団(と言うのか)は、わりと血生臭いことが少なかったですね(^^ゞ。最後の方も義政が、北条時広(石橋蓮司)とホノボノ語り合うシーンとかありました。

「くるみおはぎ」(笑)、建物の中に入ったのも初めてなんです(^^ゞ。
「やっと屋内に入れたっ」ってカンドーもひとしおでしたっ!
 
     



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