<掲示板・議事録>


     
  大河「義経」、2


<さま [関東] 2005/04/04(Mon) 21:19>

こたつさま、お久しぶりです。

>義経
丹波哲郎氏の源頼政にクラクラです〜v
あの炎を背景に平知盛(阿部寛氏)に見せた不敵な微笑み。あれでこそ丹波氏ですよ!
もったいないことに、頼政は挙兵して間もなく討死(自刃)してしまうんですよねえ・・・
でも、彼の決断によって各地の源氏が決起し平家を滅亡させることになるのだから、彼の死は『捨て石』ではなく鎌倉幕府の『礎』になったと思っています。



<たみいさま [東海] 2005/04/05(Tue) 12:16>

>では、解説をばお願い申し上げまする〜(^O^)。 *パチパチ*

そ、そんなに詳しいと言う分けでは..(ー_ー;)。
八条院は近衛天皇の姉ですが、近衛が若くして死んだので、親にすれば、可愛くてたまらない娘です。莫大な財産を相続させました。

異母兄である後白河は、ワリを食って割りと貧しかったので、卑しくなりました、(所領を欲しがる)。(^^;)。
でも、わが身に危険が及ぶと、ここに逃げ込んでいました。

八条院は結婚しなかったのですが、養子は沢山貰いました。
以仁王も、二条帝も、そうです。
この二条帝を八条館で養ったのが「丹後の局」なるツワモノ。さすがの抜擢、夏木マリ!、(笑)。彼女と後白河との間に生まれたのが男子だったらば、絶対に天皇にしていたかも〜。八条院と言うバックのデカさよ。。

丹後の局には清盛もゴマをすったし、
後には頼朝も莫大なワイロを送るハメになりました。
平家も源氏も摂関家も、この八条館から妻を貰う事こそが出世の早道でした。歌人だって同じ事、藤原定家の母も八条院に仕えて居た女性です。
そして女たちは、離婚しても、この館へ戻れば良かったのです。

嗚呼、今の世にも、あらまほしきかな。



<こたつ城主 [関東] 2005/04/05(Tue) 19:45>

>紫さま

>源頼政@丹波センセ
>平知盛(阿部寛氏)に見せた不敵な微笑み

源氏でありながら平氏に媚びる役柄。何か複雑なキャラを想像してたのですが、蓋を開けたら……(笑)。
「戦じゃっ戦じゃっ。清盛めっ、このワシを怒らせおって。領国も小さい、兵も少ないがワシも源氏だ。ヌエ退治をしたこの頼政ぞぉ〜?」
(この御仁に退治されたのかと思うと、いま初めてヌエが気の毒(^^;))



<こたつ城主 [関東] 2005/04/05(Tue) 19:46>

>たみい様

いいえ〜、私よりかはよっぽど詳しくていらっしゃいます(^^)。<バブバブ
ふむふむ(゚.゚)。いま初めて知った事。
「後白河法皇ってビンボーだったんだぁ〜!」(爆)
そっか。あの奇妙不可解な性格(行動)は、ビンボーゆえだったんですね〜!(繰り返す(^_^;))

ビンボービンボービンボー(嗚呼、人の事を言う分には悪くない響き)。

そして、なるほどなるほど(^^)。鳥羽天皇には、そんなに可愛がってる皇女がいたのですね〜。そうそう私も、長男の崇徳帝が嫌いなのは判ったけど、その他のお子さん達はどうだったんだろーとか思っておりました。
でも八条院は、どうして結婚しなかったのかな(゚.゚)。うんうん、近衛帝が養子に入ったというのは、ドラマとかで聞いた覚えがありますが、それが鳥羽帝の皇女だったんだ。

あと、そうそう丹後の局も、前に誰かに聞いた覚えが……。夏木マリのヘアスタイルがスゴイですね〜(^_^;)。ああいう髪の毛だったという記述でもあるのかな。
あの女性も八条院の後押しか何かで、ああして後白河院に仕えてるのですか?
しかも……? 頼朝がワイロを送る頃までお達者な女人なんですね(゚.゚)。

>藤原定家の母も八条院に仕えて居た女性です。
>そして女たちは、離婚しても、この館へ戻れば良かったのです。

おおっ、ゴージャス!
鳥羽帝の頃までは、すんごい財産があったんだーーー!!
 
     

     
  <朝川 渉さま [関東] 2005/04/05(Tue) 21:58>

八条院が持っていた荘園はどのくらいの面積か気になったのですが、手元にめぼしい資料は見当たりません。
でも八条院はお母さんから荘園100個所を相続しました。

ちなみに日本最大の荘園は島津荘(宮崎県都城市)で8500ヘクタールあったようです。米に換算するのは1000ヘクタール=1万石だとすれば8万5千石ですね。

八条院さんは荘園ひとつが1000ヘクタールだとして、100個所持っていたから100万石になりますな。あとで230個所に増やしたから230万石の女領主!

こういう計算をしてみましたが、違っているなら訂正して下さい。



<たみいさま [東海] 2005/04/06(Wed) 08:09>

題名:ヘアスタイル

>あと、そうそう丹後の局も、前に誰かに聞いた覚えが……。夏木マリのヘアスタイルがスゴイですね〜(^_^;)。ああいう髪の毛だったという記述でもあるのかな。

えーと。。丹後の局の本名が、「高階栄子」と言うのは分っておりましたので、タメシに検索して見ましたら。
ガーン。( ̄□ ̄;)。
恐らく、夏木マリは、これを↓見たものと思われます。。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4198605068/250-6316337-7145854



<こたつ城主 [関東] 2005/04/06(Wed) 19:48>

>朝川 渉さま

230万石! スゴイお金持ち。いえ、違ってるかどうかは判りません(^_^;)。
また、宮城県の島津荘は日本最大だったんですね(゚.゚)。ありがとうございます。
八条院 :http://homepage2.nifty.com/hpsuiren/miya/heian/hatizyou.htm
(「垂簾」:http://homepage2.nifty.com/hpsuiren/index.htmより)
こちらによると、弟の近衛帝が亡くなった時、女帝に立てる案が出た皇女だそうで。なるほど、そうなるとそれなりの遺産を相続して良さそうにも思えますが、なぜ後白河ではなく八条院に後継の話が来たのか……そこがちょっと判らなかったり(^^ゞ。
要するに生母の問題なのかな(笑)。


>たみい様

清少納言は赤毛で縮れ毛だった、とか聞いた事があるんで、もしかしてそれっぽい記述がどっかにあるのかな〜と穿ってしまいました(^^ゞ。
むは〜、漫画かぁ。いや、ありがとうございました。
でもこの絵より、何かもっとスゴかった気も……(^_^;)。
他に何か「つもり」があって、あの髪型にしてるんじゃないのかなぁ(笑)。



<たみいさま [東海] 2005/04/07(Thu) 07:55>

>むは〜、漫画かぁ。いや、ありがとうございました。

いや、すいませんでした。
考えれば、あれは商いのサイトだから、持って来ちゃイケなかったんだよね、つい感激しちゃって、以後、気をつけます。m(__)m 。

「垂簾」のURL、ありがとうございました。
私が興味を持っている女性達が並んでおりましたわ。
内容は、漢字が多過ぎて難しかった、(^^;)。



<こたつ城主 [関東] 2005/04/07(Thu) 20:48>

>たみい様

ノープロブレムではないかと。気を付けないで下さいまし(笑)。
少女漫画の歴史物は大好物です(^^)。(←食うのか?)

私もあの時代は「藤原さんが多い」と腰を抜かしがちです(笑)。
が、どうやら八条院と近衛帝の母は藤原得子皇后(美福門院)で、崇徳帝と後白河帝の母が藤原璋子という女性である事が、お陰様で頭に入りました(^^ゞ。
後者はたみい様の所で勉強させて頂いた覚えがあります。
あまり身分が高くなかったんでしょうかね(゚.゚)。
 
     

     
  NHKドラマ「真田太平記」と上田


<前田敏郎さま [関東] 2005/04/02(Sat) 03:07>

お久しぶりです。ご無沙汰しているうちに4月になってしまいました(汗)。
4月からケーブルテレビで『真田太平記』を再び1話から放送してくれるということで今からとても楽しみにしています。ウチがケーブルテレビを契約したのは去年の秋だったので、関が原の頃までの回を見ていないんです。
大坂冬の陣の後、信之が「上田に来ないか」と幸村を誘うシーンがありましたが、それに対して「心はいつも信州にあります」との台詞にジーンときたものでした。その影響かどうかはわかりませんが、久しぶりに上田へ行ってみたい誘惑に駆られています。桜の季節に行ったら綺麗だろうな、と。叶うかどうかわかりませんが・・・。



<こたつ城主 [関東] 2005/04/02(Sat) 20:37>

題名:明日はおりませぬ〜。

毎週スイマセン(^^ゞ。

えっと、前田さまの投稿見て思い出しましたが、スカパー時代劇専門chで、5日から『真田太平記』一挙放映です。
あ〜〜、これから加入の人には、もうだいぶ時間ナイですけど、最後のチャンスではないかと〜〜。


>前田敏郎さま

そうでした! 『真田太平記』ねっ!
何か言い忘れてるな〜と思ってたら……そうです、一挙放映です。(^^ゞ
うん。前田さまみたいに既に入ってるけど、途中からしか見られなかったという人には、まさに持って来いのチャンスですよねっ(#^.^#)。是非ぜひご覧下さい。

>「心はいつも信州にあります」

これね〜。私もジーンとしました。
あと大助(幸村の長男)が明日は死ぬという夜、「死ぬ事は少しも恐くないが、一度も信濃に行ってないことだけが口惜しい」と言ってて、これにも胸を打たれました。。
上州や信州は、開花が少し遅いと思います(こればかりは当たり外れがありますが(^_^;))。
そちらのお祭りが終わった後でも、間に合うんじゃないかな〜?!



<さま [関東] 2005/04/04(Mon) 21:19>

こたつさま、お久しぶりです。

>真田太平記
『真田太平記』の話題で盛り上がっていますね〜
私も幸村が信之に「私の心は、いつも信濃にございます」と言ったのを見て泣きましたよ。それに続く言葉も良かったですよね。
大助の「信州へ行ってみたかった」というセリフにも泣きました。『真田太平記』の終わりの頃は、何処を見ても泣きっぱなしでした〜
家族が誰も家にいない時、1人で総集編のビデオを見て泣きまくったことも・・・(笑)



<こたつ城主 [関東] 2005/04/05(Tue) 19:45>

>紫さま

>『真田太平記』の話題で盛り上がっていますね〜

ええ、もっと盛り上げて頂いても(爆)。
信州については、実は東軍についた信幸が地図を広げて見る場面。「太郎山、上田、別所」と現地の地名がナレで入り、野駆けする3人(信幸・幸村・角兵衛)がオーバラップするんですよね。ここで結構グッと来ました。自分も知ってる地名だから尚更というのも勿論あり(^^ゞ。
泣いたと言えば、私は左平次の討死が……。その後佐助はどうなったんだろうと思ってた所に、佐助の着物を持って大坂の農民が上田を訪れるんですよね〜。
 
     



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