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豊川の谷汲山美濃寺観音堂、1
<ピンクのトカゲさま
[東海] 2002/08/01(Thu) 18:45>
>こたつさま
今度の日曜日に、豊川の谷汲山美濃寺という小さな観音堂で御開帳があります。
岐阜の谷汲山華厳寺の十一面観音と同木同作だということです。
豊川のこの観音堂は、天文年間に建立されたといわれていてるから、岐阜の谷汲山と同木同作というと時代があわないんです。
このころ、この観音堂近くの東光寺という寺が廃寺になっています。
また、観音堂を管理している光明寺というのが、やはり、天文年間に創建されるんですが、光明寺が建てられる前は、豊川城があったとされています。
何かこの辺に謎があるんじゃないかと、調べ始めました。
天文年間、豊川城ということで、何かわかったら、書かせていただきます。
非常にローカルな話題になるかもしれませんが、その折には宜しくお願いします。
はなはだまとまりのない書き込みになってしまいました。
<こたつ城主 [関東]
2002/08/02(Fri) 20:01>
>ピンクのトカゲさま
豊川城ですか……。愛知県ですか? 東美濃なのかしら。どなたかご存知の方がおられると良いのですが、書籍だと……郷土出版の定本シリーズに地域別の城や寺の本が出ています。
『定本 東三河の城』15534円、高橋延年監修、名古屋郷土出版社
ココの本、内容は悪くないんだけど高いんだよね〜(^^;)。
ただ、十一面観音だと寺社方面をあたった方がいいかもしれませんね。
>岐阜の谷汲山華厳寺の十一面観音と同木同作だということです。
>豊川のこの観音堂は、天文年間に建立されたといわれていてるから、
>岐阜の谷汲山と同木同作というと時代があわないんです。
十一面観音の方が後? 前? 比較年代を出して頂けたら(私が何か知ってれば(^_^;))助かります。
<ピンクのトカゲさま
[東海] 2002/08/05(Mon) 12:35>
>こたつさま
>十一面観音の方が後? 前? 比較年代を出して頂けたら(私が何か
>知ってれば(^_^;))助かります。
すみませんでした。岐阜の谷汲山華厳寺の十一面観音は、秘仏ですから、確かなことは解らないのですが、平安時代頃の作じゃないかと思います。
一方、豊川の観音堂ができたのが、天文年間(1532〜54)ということで、その間、この観音様はどこを放浪していたかということです。
この豊川の谷汲山美濃寺の西100メートルほどのところに白山権現が鎮座するんです。 天台一実神道では、白山権現の本地仏が十一面観音ということですから、この白山権現と関係があるのではと
それと、観音堂ができたころに豊川城が廃城になっているんですが、その跡に現在、観音堂を管理している光明寺が創建されるんです。
この光明寺の作りというのが、ちょっと妙なんです。普通、寺の庫裏は、向かって右側にあるんですが、光明寺は、左なんです。また、豊川城主が引退して光明寺の住職になったとかの言い伝えもあるみたいです。
<こたつ城主 [関東]
2002/08/05(Mon) 13:10>
>ピンクのトカゲさま
平安の頃と天文年間(1532〜54)では……確かにひどく開きがありますね(^^;)。しかし同じ木という事が証明されてるのなら、間際までどこぞのお寺に保存されてたのではないでしょうかね。
戦火に遭ったりすると、寺なり観音堂なりが再建(あるいは新築)された年代だけが明記される場合もあるんじゃないでしょうか。「前は何処にあった」と記述だけが抜けてるとか。
私も最近になって白山神が天台系という事を知りましたが(爆)、住所が近いと同じ宗派ってのが……これまたそうとも言い難い感じがします(^_^;)。ただ私が知ったばかりの白山(の龍)伝説では、確かに龍に化けたのは十一面観音って事のようでした。
庫裏の右左についてはよくわかりませんが、城主が武家をやめて僧侶となり、何らかの住職を継ぐ例はわりと多いかな?
<ピンクのトカゲさま
[東海] 2002/08/06(Tue) 10:33>
>こたつさま
>しかし同じ木という事が証明されてるのなら、間際までどこぞのお寺に
>保存されてたのではないでしょうかね。
同木というのが、まだ証明されていないんです。まして、岐阜の谷汲山の方は、完全な秘仏ですからね。
言い伝えによれば、岐阜のものは、会津の榎でできているそうです。
>戦火に遭ったりすると、寺なり観音堂なりが再建(あるいは新築)された
>年代だけが明記される場合もあるんじゃないでしょうか。「前は何処に
>あった」と記述だけが抜けてるとか。
どうも再建じゃなさそうなんです。豊川城廃城がやはり一つの鍵になるのではと思っています。
>私も最近になって白山神が天台系という事を知りましたが(爆)、住所が近い
>と同じ宗派ってのが……これまたそうとも言い難い感じがします(^_^;)。
白山を開山したのが、天台宗の泰澄ということですね。で、天台一実神道(神仏習合)で白山権現の本地仏が十一面観音ということになるんです。
本地仏とは、日本の神は、仏が仮の姿で現れた(本地垂迹)というやつでして、十一面観音が日本に仮の姿を表したのが、十一面観音ということです。
>庫裏の右左についてはよくわかりませんが、城主が武家をやめて僧侶と
>なり、何らかの住職を継ぐ例はわりと多いかな?
戦国武将が隠居して入道になるって言うのありますね。庫裏の左右についてですが、木地師の里として有名な永源寺が庫裏が左にあります。
<こたつ城主 [関東]
2002/08/06(Tue) 18:09>
>ピンクのトカゲさま
秘仏となると同木の証明は簡単には出来ないのでしょうね(^_^;)。
ちょっとお聞きしますが、岐阜の谷汲山華厳寺と豊川の谷汲山美濃寺の観音堂には、どちらも十一面観音がある、という事でしょうか?
会津産かまではわかりませんが(^_^;)、檜作りで平安期の十一面観音というと、渡岸寺のを思い出します。
渡岸寺観音堂:http://www.yo.rim.or.jp/~eizo10/11men-kannon/doganji.html
(「十一面観音菩薩古寺巡礼」:
http://www.yo.rim.or.jp/~eizo10/11men-kannon/11men.htmより)
このサイトでも少し触れてますが、姉川の合戦の折、信長の侵攻に晒され、土の中に埋められて難を避けた仏像で、合戦跡地を見に行った時に知りましたが、寺の名前も仏像の種類も忘れてて、今検索して思い出した次第です(^^ゞ。時代的には同時代に近いようですね。
>白山を開山したのが、天台宗の泰澄ということですね。で、天台
>一実神道(神仏習合)で白山権現の本地仏が十一面観音
>本地仏とは、日本の神は、仏が仮の姿で現れた(本地垂迹)というやつでして、
ふむふむ(^^)。日本に古来から居る神様に仏教が相乗りして(例えば龍神さまと弁天さまが結婚したり、龍神が観音さまに変身したりして)広まった、という事でしょうか?
>戦国武将が隠居して入道になるって言うのありますね。
関東に住んでるせいか、後北条氏やその同盟下から出た話をよく聞きます(誰がどこのってのまで覚えてませんが(^_^;))。あとそちら方面では、根絶した事になっている浅井長政の男子も、実は生き延びて寺の住職になった話があるようで(母がお市の方かはハッキリしません)。
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