<掲示板・議事録>


「こたつ、信州旅行2」

     
  <あき@不識庵庵主「へちかん」さま [関東] 2000/07/26(Wed) 21:43>

 お帰りなさいませ。有意義だったようで、祝着至極!
役場へ行ったのですか〜。親切ですね。わたしも山梨の竜王町
へ手紙を出したとき、丁寧な説明の手紙が返ってきたときは
感激いたしました。
 村上義清についてもっと調べておけばよかったです。
お疲れさまでした。レポート提出は・・・
 そうそう、安楽寺に小幡信貞のお墓、ありましたでしょうか?



<木造関白さま [近畿] 2000/07/26(Wed) 23:56>

城主様>お帰りなさいませ。信州はよろしかったようでなによりです。



<こたつ城主 [関東] 2000/07/27(Thu) 13:24>

>あき@不識庵庵主「へちかん」さま

役場に行った最後の一日は、旅行気分と言うより、自分ンチの周辺でやってる図書館めぐりとかと変わらなくなっちゃって(^_^;)、同道してくれた主人には悪かったです。でも「次はいつ来れるかわからない!」という鬼気迫る表情が手伝ったのか(^_^;;)、車に乗せてもらったり、チラシとか本を探してもらえる、なんて言うのは、さすが旅先ならでは……と思えて、「やっぱり、旅行だよね、旅行!」と私(^_^;;;)。

>わたしも山梨の竜王町へ手紙を出したとき、丁寧な説明の手紙が
>返ってきたときは感激いたしました。

やはり、どこか文面が「鬼気迫って」おられたのでは(^_^;;;;)?

>安楽寺に小幡信貞のお墓、ありましたでしょうか?

小幡信貞のお墓があるんですか(゚.゚)? 知らなかったです。この日は二日目で、あくまでも、まだ旅行気分だった(^_^;)。



<こたつ城主 [関東] 2000/07/27(Thu) 13:26>

>木造関白さま

ただいま(^O^)!



<たまこさま [東海] 2000/07/27(Thu) 22:22>

小幡信貞 って 甲陽軍鑑を 書いた小幡さんの ナニかですか、



<ルンソ城代(仮)さま [地球外] 2000/07/27(Thu) 23:28>

>たまこさん
>小幡信貞 って 甲陽軍鑑を 書いた小幡さんの ナニかですか、
小幡信貞は上州小幡氏。後者の小幡(景憲)は遠州小幡氏。
苗字が同じというだけです。



<こたつ城主 [関東] 2000/07/28(Fri) 14:43>

>ルンソ城代(仮)さま

>>小幡信貞 って 甲陽軍鑑を 書いた小幡さんの ナニかですか、
>小幡信貞は上州小幡氏。後者の小幡(景憲)は遠州小幡氏。
>苗字が同じというだけです。

そうなんですか(^_^;)。私も関係あると思っちゃった。
 
     

     
  <あき@不識庵庵主「へちかん」さま [関東] 2000/07/29(Sat) 09:39>

 信長公記?

 小幡信貞って信長公記では織田方に討取られ、設楽原にもお墓まであるのです。ちゃんと「小幡上総介信貞」って書いてあります!でも本当は武田家滅亡後まで生きて、信州真田家に仕えたのです。御子孫は松代藩の家老職。幕府にも仕えた系統が残っています。まあ、一族の誰かが亡くなったのでしょうね。信貞の実子っていなくて、全部弟の子供なのです。弟達の息子を養子にして真田家に仕えさせたり、幕府に仕官させたりして、自分自身は信濃に隠棲してしまったようです。旧友の真田昌幸のもとで・・・武田二十四将の生き残りなのに、ちょっと寂しいです(ToT)。

 信長公記には山県昌景の首も取ったと書いてありますが、首自体は従者の志村又右衛門が甲州に持って帰っているのです(確証はありませんが、史料的にその説が定説のような)。

 よって信長公記の太田牛一って本当に右筆であったのか?だって、戦場では、一番首など、右筆が書き留めておいて、あとで首実検したはずなのになぜ間違うのかちょっと・・・まあ、非番でまた聞きだったのでしょうね(^o^)。
 長くてすいません。



<こたつ城主 [関東] 2000/07/29(Sat) 15:45>

>あき@不識庵庵主「へちかん」さま

小幡という名前は、確か司馬遼太郎さんの「城塞」でも、主人公(ほとんど出て来ないけど)がそんな名前だった(確か勘兵衛だったような)。武田家臣の生き残りという設定だったような気も。するとこっちが、甲陽軍鑑の作者かな……。

信長公記では、長篠合戦で死んだ事になってて、現地に墓まであるけど、生き長らえて真田家に仕えてる……? しかも……↓

>信長公記には山県昌景の首も取ったと書いてありますが、首自体は
>従者の志村又右衛門が甲州に持って帰っているのです
>(確証はありませんが、史料的にその説が定説のような)。
>まあ、非番でまた聞きだったのでしょうね(^o^)。

と言うより、そ……そりゃ、なんかあったんですな(^_^;)。陰謀とまでは言わないけど、何やら裏事情くさい匂いを感じるのは私だけ?

それにしても別所に信貞の墓があるならお参りすれば良かった(-_-;)。あき様の所を今見てみたら、確かにそう書いてありますね。失敗したなぁ〜。 *だんだん、悔しくなってきた〜*

>御子孫は松代藩の家老職。

松代には、小幡という姓が確かに見られました。真田はいろんな生き残り名家を吸収してますよね。幸村の側室に高梨内記の娘っちゅうのが居るんですが、実は片倉家に嫁いだ幸村の娘は、この側室の子供でして、正室(大谷刑部の娘)の子ではないんですね。

高梨家も、かつては北信濃一帯の大豪族でしたし、真田十勇士に名を連ねてる海野氏も佐久地方の名家でしたね。幸隆(幸村のじいちゃん)は海野氏の娘を妻にしたんでしたっけ?



<ルンソ城代(仮)さま [地球外] 2000/07/29(Sat) 17:58>

>こたつ城主さん
>小幡という名前は、確か司馬遼太郎さんの「城塞」でも、主人公
>(ほとんど出て来ないけど)がそんな名前だった(確か勘兵衛だったような)。
小幡勘兵衛景憲ですな。
『甲陽軍鑑』の著者なのか、加筆修正した人なのか知りませんが。

>幸隆(幸村のじいちゃん)は海野氏の娘を妻にしたんでしたっけ?
海野氏の娘を妻にしたのはその父親。一徳斎の妻は河原隆正の娘。



<こたつ城主 [関東] 2000/07/30(Sun) 15:46>

>ルンソ城代(仮)さま

>小幡勘兵衛景憲ですな。
>『甲陽軍鑑』の著者なのか、加筆修正した人なのか知りませんが。

確か、新田次郎さんは、山本勘介の子孫が書いた、というような小説を書いてたような……(『武田三代』だったかしら)。違ったかしら。違うかも(^_^;)。

>海野氏の娘を妻にしたのはその父親。一徳斎の妻は河原隆正の娘。

えへっ、間違えちゃった(^_^;)。



<こたつ城主 [関東] 2000/07/31(Mon) 16:40>

信州旅行記(?)は、「城主のたわごと」に載せました。サーバー割当量の残りが不安なので、画像を載せるのは見合わせてしまったぁ〜(^_^;)。でも、そのうち載せるかも……。            
 
     



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