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「伊達政宗”白萩文書”」つづき
<功明さま [東北]
2000/07/10(Mon) 21:25>
こたつむり殿,ご無沙汰しております。
以前教えていただいた政宗の弟のことをちょっとだけ書いてある
本を見つけたので報告しにきました。
題名は「伊達家の風景」。著者は先代当主の娘さん。(というこ
とは,御当代の姉か妹)エッセイ集という形式です。
それによりますと,大悲願寺の臥龍梅は昭和47年ごろに仙台市
から贈られたとあります。五日市で全国健康会議が開かれ,時の
仙台市長が議長役で,市長に萩が贈られたお礼とか。
元になったエピソードは,秀雄(しゅうゆう)と政宗が会って,
寺の白萩が政宗に贈られたという話でした。
秀雄ですが,輝宗の末子鶴若という説があるそうですが,はっき
りしないとか。
彼はその後,中野の宝仙寺の住職になったそうです。
<こたつ城主 [関東]
2000/07/11(Tue) 15:24>
>功明さま
ご無沙汰してて、すいません(^_^;)。「伊達家の風景」ですか。φ(。。)mメモメモ。いや、知りませんでした。ありがとうございます。さすがは名探偵!
>大悲願寺の臥龍梅は昭和47年ごろに仙台市から贈られた
あ、これ、書きませんでしたっけ(^_^;)? すいません、そうなんです。何だかあちこちで書いたものですから、どこまでお伝えしたか……。私は大悲願寺で出している小冊子で知りました。
でも御当主の血筋の方が、これしか書かないと言うことは、ことさら当時(政宗の生前)も臥竜梅が贈られていた、というワケでもないんですね。私の持ってる小冊子には、「当時の出来事にちなんで昭和47年に……」と書いてあったので、政宗があげた事があるのかな〜と想像してしまいました(^_^;)。
秀雄は中野の宝仙寺の住職になったのですか。そこを調べれば、また何かわかるかもしれませんね。ちなみに大悲願寺の秀雄の前の住職、海誉と源誉は北条氏麾下、由木氏の出とあります。源誉の方は、増上寺の住職もやってます。ご存知、増上寺は家康が大事にしたお寺ですから、政宗はこの関係でこの寺とじっこんになったような気も致します。
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