<掲示板・議事録>

竹束(鉄砲の弾丸除け)を作った人

     
  <宮下帯刀さま [関東] 2001/06/10(Sun) 01:08>

 こんばんは。
 ご訪問有難うございました。
 もう梅雨ですね〜(でも今日は快晴!?)
 こたつさんは如何お過ごしでしょうか。
 私はメル友より頂いたメールを放置した
日々が続いております(笑)こたつさんを
見習わねばなりませんね。なにせレスが早い
ですから〜



<こたつ城主 [関東] 2001/06/11(Mon) 17:42>

>宮下帯刀さま

あ、およね様がいらしてたので、お声をお掛けしました(^O^)!
そちらの家臣団に加えられたとか? 「米倉」という名は、「甲陽軍鑑」にも「米倉晴継」って人が、甘利昌忠の家来として出て来ますね! こないだ、たまたま、のりび。様の所で見つけた「馬糞療法」の話を読んで思い出したのが、武田軍が上杉方の武蔵松山城を攻めた時の話でした。

いや〜、私もここんとこ何となくバテてますよ〜。梅雨時はイヤですねぇ。
メールですか〜。いやもぉ、満性的に遅れてます(^_^;)。くれぐれも、私の真似などなさいませぬように(爆)。



<宮下帯刀さま [関東] 2001/06/12(Tue) 01:41>

 こんばんは。
>「馬糞療法」
  米倉氏というとこの逸話が有名ですね。あまりかっこよくないですけど・・・また、竹束を開発したことで知られていますね〜



<こたつ城主 [関東] 2001/06/12(Tue) 16:32>

>宮下帯刀さま

まあ「馬糞」ってトコだけ抜き取るとカッチョ悪いけど(^_^;)、要はそれほど甘利昌忠に労わられた武士、とも読み取れますよね。

>竹束を開発したことで知られていますね〜

知りませ〜ん(>O<)! それって鉄砲弾避けの束? ゴロゴロ転がしてその後ろに隠れて上り道を登ってく、アレ?
 
     

     
  <宮下帯刀さま [関東] 2001/06/14(Thu) 21:36>

 こんばんは。

>鉄砲弾避けの束?
 仰る通りです。米倉丹後が開発したと言われています。



<のりび。さま [関東] 2001/06/14(Thu) 21:58>

こたつ殿
リンクを張っていただきありがとうございました。こちらもリンク
完了いたしましたので、コメント等確認して下さい。
それと、「馬糞療法」へのコメント、ページにアップさせていただ
きました。また「武士と馬」ネタがあったら教えてくださいね。
以上御礼と報告まで。



<こたつ城主 [関東] 2001/06/15(Fri) 16:55>

>宮下帯刀さま

鉄砲弾避けの束って開発者の名前が残ってるんですね! 何か嬉しい! だいたい「いつごろからか作成され」って感じですからね!



<こたつ城主 [関東] 2001/06/15(Fri) 16:56>

>のりび。さま

あ(*o*)! ごめんなさい! 「馬糞療法」の投稿、もちろんアップOKです! レスで「いいっすか」って言われてますね。今気付きました(汗)。 でも載せてくれたんですね。ありがとうございます〜〜〜!

出典は「甲陽軍鑑」です。ホントは家来思いの上司という「美談」なんですが、「馬糞」で思考が止まった私(^_^;)。



<およねさま [関東] 2001/06/15(Fri) 19:22>

こたつ城主様、過日は弊サイトをごらんくださりまことにありがとうございました。

竹束について
竹束は矢玉よけとして、広く実戦に使われ、「大阪冬の陣図屏風」には、攻城側が盛んに使用している様子が描かれています。
名和弓雄著「長篠合戦の真実」には実験を交えての竹束のことが載っております。それによると竹だけでつくられたものは、至近距離の鉄砲玉を貫通してしまうので、粘土に小石を混ぜて布で包んだものを竹でおおうそうです。
下記の新城市のHPに竹束の写真が載っております。
http://www.aft.ne.jp/hondaplas/sinsiro/nagasino.htm



<こたつ城主 [関東] 2001/06/16(Sat) 15:14>

>およね様

あ(^^)、宮下帯刀さまの所では、イキナリ失礼致しました。
米倉家を最初におよね様の所で見た時には「知らないな〜」と思ったのですが、有名な小説でも随分あちこちに出て来る家だったのですね!

そうです、そうです(^^)! 大坂冬の陣! 城主はテレビの「真田太平記」で真田丸の活躍が始まる前にこの竹束を見ました。ドラマの創作かとも思ったんですが、後になって本当に使った事を確認し、面白いと思いました。図屏風に描かれていたんですね。ナルホド!

>名和弓雄著「長篠合戦の真実」

これは当城の「作品の広場」に、かつて連載いただいた天陽さま(今は"本物の"連載に追われておられます(^^;))の小説「東海乾坤記」の参考文献とされてますが、私はまだ読んでません。

でも、竹の内側に粘土や小石を布ぐるみにした物を入れて強化する、というのは納得ですね。重さもつくでしょうし。石和の合戦でも、ワラジが藁だけで弱かったです。どうもアレは、ボロ布をともに編み込む方が頑丈のようです。これは戦時中、田舎に疎開してた母から聞いた話ですが(^_^;)。

>下記の新城市のHPに竹束の写真が載っております。
>http://www.aft.ne.jp/hondaplas/sinsiro/nagasino.htm

ありがとうございます(^^)。これは、長篠合戦祭りですかね。
 
     



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