<甲斐の虎さま
[関東] 2000/08/28(Mon) 23:38>
>こたつ城主さま
>鈴木眞哉さんって、信長のことを書いている人でしたっけ。
信長や家康の「神話」を崩そうとしている人です。
例えば津本陽氏は『信長と信玄』なんかで「信長は大天才、信玄はそこそこ」みたいに書きます。
対して鈴木眞哉氏は「信長のやることにも前例はあるし、信玄だってなかなかの武将だ」と書きます。
まあどう感じるかはその人次第ですが……
>何だかヤケに重要証言が……(*_*)! 武田→徳川のルートは
>よく聞きますが、逆は確かにあまり聞かない。それにしても
>7人も、いっぺんに? 武田に仕えたということは天正2年
>(1574)の戦いの後? 姉川の戦いから4年後ですね。
天正二年の高天神落城の時です。
七人のうち、門奈左近右衛門は浪人、残る六人は武田家に仕えます。そりゃ必死に高天神守ってても家康は助けに行かなかったんだから、当然と言えば当然(笑)
家康もしたたかなもので、高天神から援軍を頼みに来た向坂牛之助という男を後に処刑したりとか、援軍の約束をすっぽかした「証拠」の処分には余念がありません。
姉川七本槍が後世に伝えられないのも当然ですね。
>>真柄直隆・隆基の父子が本体壊走後も奮闘して討死した
>>と伝えられていますね。
>
>これは、姉川の戦いの話ですよね(^_^;)。
姉川の合戦です。
そういえば「本体」ではなく「本隊」ですね、すいません。
<たきやんさま
[関東] 2000/08/29(Tue) 01:01>
こたつ城主さま>
朝倉家の追加武将です。
話題にのぼった真柄兄弟は、
兄 真柄 直隆
弟 真柄 直澄
直隆男 真柄 高基
でしたよね。全員討ち死にですが・・・
おまけで
前波 景当(まえばかげまさ)
この武将は、足利義昭が朝倉家を頼ったときや
織田家への引渡しのときに警護役となった人です。
以上4人ですね。
「姉川七本槍」も入ってますます好調ですね。
ジョーカーはどうしましょう?たしかに考えていませんでした。
<こたつ城主 [関東]
2000/08/29(Tue) 12:58>
>甲斐の虎さま
>例えば津本陽氏は『信長と信玄』なんかで「信長は大天才、
>信玄はそこそこ」みたいに書きます。
津本陽さんかぁ〜。何かこの人の小説って読む気がしない(-_-;)。新聞とかに掲載してたのを下手に斜め読みしたせいか……。ただ、前にテレビに出て「書きたい物を書いたことがない」と言ってるのを聞いて、ちょっとビックリ(゚.゚)! 逆に興味出て来たりして。
>天正二年の高天神落城の時です。
>七人のうち、門奈左近右衛門は浪人、残る六人は武田家に仕えます。
よほど苦しい戦いだったんでしょうね。しかもその後武田家と運命を共に……。こういう人達もいたんですねぇ。
>高天神から援軍を頼みに来た向坂牛之助という男を後に処刑したり
>とか、援軍の約束をすっぽかした「証拠」の処分には余念が
>ありません。姉川七本槍が後世に伝えられないのも当然ですね。
なるほど。裏切り者は抹消。光秀なんて、まだいろいろ残ってる方なんだなぁ……。
>たきやん様
兄 真柄 直隆→6
弟 真柄 直澄→5
直隆男 真柄 高基→3
前波 景当(まえばかげまさ)→4
にしてみようかな……と思うのですが(^_^;)。どうでしょう。全然知らないので適当なんですが。
あと、朝倉景鏡という名前をよく見かけるんですけど、義景を最後に裏切っているのでジョーカーにどうかな……とか、でも姉川の頃はそうではないし……とか。
前、朝倉家のクイーンは小宰相の局と書きましたが、この頃には死んでました(^_^;)。代わって小少将という女性が妻となっていたようです。傾国の美女と謳われたとか。
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