「由利党レポート」
作/二見丹波守様



第1部「由利党、その発祥」



  あくまで、こちら側からの資料での発表なので、訂正事項がありましたら書いてください。一応リクエストがあったので。
 そもそも由利党(由利十二頭)の起こりは鎌倉時代に始まって、由利郡の由里仲八郎と鳥海(とりみ・「ちょうかいさん」の大元)弥三郎の争いにさかのぼる。この争いによって由里氏が滅亡し由利郡は鳥海氏のものとなった。由里氏は信州小笠原(後に小倉藩主になった家)のもとに逃れた。
 弥三郎は統一後、南北朝の争いで戦死し、子供が跡を継ぐが二人家老の謀反によって鳥海氏は滅亡、由利郡はこの2人の分割統治となった。が、この両家老は次第に仲が険悪になり争いを起こすようになった。これによって一揆がおこり、両家老は死亡、由利郡は未踏地となる。
 100年近く未踏地の時代が続いたため、由利郡は治安が著しく低下したため、各村の総代が集まって地頭をおいてもらうよう、幕府に訴えることにした。ここで、問題があってどこに訴えたかと言うことだ。室町時代では幕府以外に鎌倉公方がいるからである。時の将軍は8代義政、鎌倉公方は没落しているが、由利からは近い。
 とにかくこれが幕府に受理され、信州小笠原の血を引く数十人が由利へ派遣された。その中には由里の血も同時に引く滝沢氏もいた。
 簡単に書き殴ってますので誤字・ミスがあるかもしれません。
 自分の気分と評判次第で続く(笑)

 
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「人質集団自殺事件」


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