<マハーバーラタ・前書き>


     
  ■前書き■

これまで神話について話す折、しばしばインド神話を各所で持ち出す事のあった私でした。そのたび何度か「良い本があったら紹介して下さい」といろいろな方に言われました。

ところが私がインドの何かに詳しいかと言ったら、それは大変な間違いで(^^ゞ、私が多少でも知っていると言えるのは、インドネシアのワヤンという影絵人形芝居で演じられた『マハーバーラタ』に限定されます。

と、今までも折に触れて断って来たのですが、こう言われても何が違うのか判らない方が多いでしょうし、肝心の私も違いがよく判りません(爆)。

そんな私が、それでも紹介してみようと思った動機は、実はこのHPをやるよりさらに前、まだ小さな子供だった姪に同じ事を聞かれ、ほとほと困った覚えがあるからです(^_^;)。

当時の姪はシンガポールに住んでいたのでインドネシアはそう遠くもなく、現地でワヤンを見たようです。
「子供にもわかる本」を探す内に私は困惑しました。インド神話ならあったので、それを薦めはしたのですが、「学習用」としてならともかく、どうも豊富な面白みが伝えられる物と思えませんでした。

子供とは言え、せっかく現地のワヤンを見て興味を持った人には、やはり自分が熱中した時と同じ、「のめりこむような要素」が欲しいな〜、と思ったのでした。

そもそも私がこの話に取り付かれた原因は、たまたま仕事でジャカルタにいた父が買って来たワヤン影絵人形に始まります。父の家で住み込みのお手伝いをしてた女の子(プンバントゥ)達がこれを見て、物凄く熱狂して次々と物語の登場人物の名を連発したのです。

それはちょうど、アニメやドラマの登場人物に入れ込む現象に似て、彼女達は人形劇の人物に恋焦がれ、結婚相手を見定める材料としている感すらありました。インドネシアでは、これがためにただでさえ絶食(が宗教的に義務づけられてます)の上に、徹夜までして皆が熱狂して見ているようでした。

その熱狂ぶりは、彼女達と殆ど年齢の変わらぬまだ少女であった当時の私に伝染。すっかり引き込まれて、女同士キャアキャア喋っている間に、英語すら大の苦手だった私が、いつの間にかインドネシア語だけはおぼろながら覚え、喋っている始末でした(^^ゞ。

私はそれが、つい最近のアイドルに対してではなく、何百年も続いた伝統に根ざした対象である事に、激しい羨ましさを覚えました。
きっと日本でも、歌舞伎や浄瑠璃が主流だった時代はこうだったのでしょうね(笑)。

こういう「面白さ」となると、通りいっぺんに書かれた学習本では、ちょっと味わいにくい部分だと思います。

なのに、日本でワヤンが紹介される時は、「遠い異国の風景の一部」として、テレビのCMにチョロと影絵が出ればいい方です。

ですから、本当は皆様にも、現地でこのワヤン劇を見て頂ければ一番良いのですが、日本人にはそれも適いませんし、適った所で言葉がわかりません(^_^;)。

その上インドネシアで行われるワヤン劇になると、本来ただでさえ長い話を幾つもの短編に分けられ、その分けられた一遍について、夜中に8時間もかけて(夜から明け方まで)上演されるのです。
全編を上演したら何十時間になる事か……。そしてその時々によって解釈やお話の仕方が変わるのがワヤン劇の特徴ですので、例えば何十時間分を訳した所で、全てを網羅してるとは言えないそうです。

そこで、ときどき日本でワヤン劇を公演しておられた松本亮さんという方が、ワヤンの内容を本にまとめて下さってました。次章でご紹介しますが、この本は絶版となり、その後いちど再販された覚えがあるのですが、今またブックサービスなど検索しても出て来ません(^_^;)。。

取り寄せなら可能なようなので、取り寄せるなり古本屋さんで見付けるなりしたら、是非それを読んで頂きたいと思います。

それでも尚ちょっと悩ましい事に、こうした良書でさえ、インドネシアに何らか愛着のある人や、ワヤンを見て楽しんだ人の手引書としては最適なのですが、多くの人には取っ付きにくい世界だと思いますし、そのように言われた事もありました(^_^;)。

実は私は、大学生の頃から社会人になって2〜3年ぐらいまで、ワヤンのマハーバーラタを主題にした長々しい漫画を書いていました(爆)。単行本一冊ていど出せるぐらいの量は書いたでしょうか。

どうも姪が指摘するのは、この漫画を描いて欲しいという事だったと思います。また実はこれ、上記の松本亮先生にお見せした時にも、「残りを全部書いて下さい!」と言われたのです(爆)。

しかし難病を患って以来、私は漫画を描くことを控えるようになりました。また続きを書くと言っても、思いつきで始めたからやってた事であって、全編完了させるつもりがあったかどうか、自分でも疑わしく思えます(笑)。
しかも全部となると、およそ無鉄砲な話でして、それぐらいこの話はとんでもなく長く豊富なのです。

というわけで、長年のジレンマについて書いて来ましたが、今はあらすじだけでも載せようと思います。興味を持たれた方がおられましたら、是非もっと詳しい本を探してみて下さい。

以上、至らぬ点多々ある事と思いますが、どうか宜しくお願いします。
 
     

     
  ■『マハーバーラタ』について■


●マハーバーラタの成立(インドとインドネシア)

『マハーバーラタ』は神話をまじえた戦争物語で、原産はインドです。

この前書きコーナーでは、こうしたインド神話についてもちょっと触れますが、本編では松本亮氏が記した『マハーバーラタの蔭に』と『ワヤン人形図鑑』を元に、インドネシアに伝わり、ワヤン(人形)劇として再現された物語から紹介したいと思います。

この二書のうち『ワヤン人形図鑑』は今でも配信ブックサービスで検索できますが、『マハーバーラタの蔭に』は出て来ません。ずいぶん前に絶版になった物は『めこん社』という所から出ていました。

また現在では、本屋さんで買える一般書籍ではないようですが、「ワヤン協会」の書籍一覧に(今なら)載っていて、直接取り寄せて読めるように思われます。在庫とか品切れとか、そういうのも(今なら)直接問い合わせられると思います。

ここを読んで興味を持って頂け、「より細かく詳しいものを」と思われた方は、今後も出版社とか変わっているかもしれませんので、この題名と著作名で探してみて下さい。どうか宜しくお願い致します。

さて、まず神話についてですが、紀元前1500〜1000年ごろ、インドにバラモン教のヴェーダ神話が生まれます。

それより前の事になると、インドには古くから民間信仰があったようですが、先住民の記録を辿る事は困難なようです。が、後から移住してきたアーリア人についてならもっと前に時代を遡れるそうです。

彼らがインドに来るもっと前の時代はイランにいたからで、ヴェーダにはイランのゾロアスター教の神様とよく似た名前の神々があるそうです。
が、イランの偉大な神様がヴェーダでは恐ろしい悪魔となっていたり、イランでは悪魔とされてる名が、ヴェーダでは神様の立場になっていたり、引っくり返っている事が多いそうです(^^ゞ。

何しろインドでは、そうしたヴェーダのソースがその後ヒンドゥ教でも用いられ、紀元四世紀ごろに『ラーマーヤナ」』『マハーバーラタ』の二大叙事詩が生まれるのですが、神話の観点から見ると、今度はバラモンの神がヒンドゥでは又々ずいぶん変わってしまうのだそうです(^^ゞ。
ヒンドゥではバラモンの神様がちょっと格下げ、一方下位に甘んじていた神様がいきなり出世というか……(笑)、そういう所があるようです(^^ゞ。

この辺りも極めれば面白そうですが、私は詳しくありませんので宗教の話はこの程度にし、ここからインド版とインドネシア版についてお話しします。

インド・マハーバーラタの量は、ホメロスの『イリアス』『オデュセイア』を併せた8倍、二大叙事詩と並び賞される『ラーマーヤナ』の約4倍といわれる膨大な長さです。

が、物語となってる部分は全体の五分の一程度で、他は神話・伝説・説話・宗教・哲学・法制・社会制度など、「百科事典」の役割も担っていました。

インド版では、主人公パンダワの祖父アビヨソが作者とされてますが、実際には本当にあった戦争を元に、もっと多くの人の手によって、もっと古くから長い時の間に編み出された話だろうと言われています。

それに対し、インドネシアに『マハーバーラタ』が伝わったのは、10〜11世紀ごろのダルモウォンソ王の頃で(と言っても、インドとの関係はもっと古く、それまでにもインドの強い影響を受けてるそうですが)、12世紀クディリ王国のジョヨボヨ王が、『バラタユダの書』という題名で詩人に書かせました。

ですから、こちらの作者は詩人スダとパヌルとハッキリしていまして、その役割は主に「魔除けの書」あるいは「予言の書」とされたそうです。

(「予言」とされる部分には、オランダ侵攻による植民地支配、日本侵攻によるオランダ勢力駆逐、インドネシア独立の三点が揃ってるとも言われるようです。
ちなみに日本は本国の敗戦を受けてインドネシアからも撤退しました。インドネシアにとっては「独立を助け(て占領もせずに去っ)た国」ですから、現地では、インドネシアの国歌と一緒に日本の軍歌や君が代を誇らしげに歌うインドネシア人によく会いました(^^ゞ)


内容は、戦争話を「昔話」として語るもので、舞台としてしばしば「ジャワ島」が出て来るようです(^^ゞ。話の最後には、戦争から長い時間を隔てたジャワ島のジョヨボヨ王が、インドの神の子孫か何かのように出て来る作りになってます(^^ゞ。
インドからはずいぶん古くから宗教や文化の影響を受けていたので、特に違和感は無かったのでしょう。上杉謙信が「自分は毘沙門天の生まれ変わり」と自称するようなものですかね(笑)。

また10〜12世紀と言えば、ちょうど日本でも源平合戦(平家物語)〜南北朝(太平記)の時代。こうした「軍記物」が日本の外でも流行した時代なのかもしれません。

また日本では平清盛が日宋貿易を薦め、海外と情報流通があったでしょうから、何らか関わりがあるかもしれませんね(笑)。神話として古事記と比べるのも有効なら、軍記物が出た後の時代の物と見比べるのも楽しいかもしれません。

インドネシアでは、さらにその後浸透したイスラム教の影響や、ジャワ独特の人生観も色濃く、インドの原型とはかなり違う部分も多いそうです。
ちなみにイスラム教ですが、幾つか流れ(宗派)がある中でインドネシアの系統は、スフィズム(イスラム神秘主義)と言われるものです。



●インドネシア版マハーバーラタ

インド版のマハーバーラタは、前にピーター・ブルックという監督が作った劇をテレビで放映した事がありました。
私自身はそれを見てとても面白いと思いましたが、概要としては『インドの神話』という子供向けの本と殆ど変わらなかった覚えがあります。

比べると、インドネシアのワヤン(影絵人形劇)で見るマハーバーラタは、実に所々に豊富な内容を取り込んでいるようです。ただしインド原産の話とインドネシア独特の解釈の違いは、この両方をよく知ってる人でないと明確には言えないと思いますし、少なくても私にはまるで言及の余地がありません。

松本先生の解説には、インドネシアにイスラム教が入って来て、元は偉大であったヒンドゥーの神様達が、やや皮肉っぽく描かれている点があげられてます。

そう言われて私の思い浮かぶ限りでは、ほぼ全編に渡って活躍するクレスノは、どうもインドにおいては人気のある英雄であり、ひたすら崇拝される「神様」に近く思えます(^^ゞ。比べてインドネシアでは、善悪の両方を兼ね備えた人物に描かれてるのではないかと思います。

(ちなみにクレスノは、インドでは「クリシュナ」です。一度ぐらい聞いた事がおありかと思います(^^ゞ。
原爆の父と言われ、初の原爆実験にたちあったオッペンハイマー博士が、このクリシュナ神の言葉を引用して原爆の様子を語ったので、恐るべき神の印象があるかもしれません。
が、インドでは、もっぱら愛すべきアイドルで(笑)、輸入雑貨店など行くと「クリシュナ・ビューティ」なるインド風のお香を見掛けたり、カレー屋さんのポスターなんかでもよく絵を見掛けます(^^ゞ)


またインドネシアは日本と同じく四方を海に囲まれ、多くの島から成り立っている国ですが、松本先生は、その中のジャワ島にも王族の揉め事があったため、悲劇を乗り越えて国作りをするために、戦争物語を逸材に国民に教訓たらしめる必要があった点をあげておられました。

さらに、このインドネシアで編纂された後も、ワヤンとしてのマハーバラタには独特の解釈が加わり、インド産、インドネシア産の違いの他に、ジャワとジョクジャカルタなど地域の差、語り手による解釈の差と、幾段階にも違いがあるようです(^^ゞ。

私が感じる違いとしては、インド・マハーバーラタでは、この戦いは「18日戦争」とし、「1日目」「2日目」と日にちを数えながら進行します。これはインドネシア・ワヤンでも、かなり短い期間の戦争である感じは伝わるのですが、インド産のような明確な日付設定より、話し手によって出来事の時間関係が多少前後する事を優先する感じがします。

例えば、カルノという武将をインドでは悪人として描くのに対し、インドネシアでは悲劇の英雄として見る違いがあるようで、インドネシア独立の父と言われたスカルノ大統領の名乗りが、このカルノに由来するそうです。

こうした、特有の人物の悲劇性や因縁を一層盛り上げるために、また、もう一つ重要なのは、国民への教訓として取り上げられたこの題材に、祖先崇拝的な要素が濃厚に織り交ざり、元の筋立てにもっともらしい挿話を加えて多くの人に親しまれて来たために、時間の制約に縛られない組み立てが必要なのではないかと愚考しています。

日本の歌舞伎でも、現政権へのあからさまな批判と見られることを避けるため、その時代の実在人物名は使わず、やや時代を古く設定して上演されました。インドネシアのワヤンでも、風刺や批判などを行なうのに、この古典題材を使うことなどよくあったようです。

あと最近知った事ですが、近現代に多難の歴史を歩んだカンボジアにおいて、これまで迫害を受けて来た影絵芝居がこのほど復活の気配を見せているようです。
インドからインドネシアに伝わる文化の過程には、こうした数々の海辺周辺の国や島々を経由したのでしょう。今は華々しい復活に至らずとも、影絵芝居は、これらの国々の歴史や伝統を彩ることに大きく貢献したであろう事を付け加えておきたいと思います。



●ラーマーヤナとの時間関係

本編では『ラーマーヤナ』との関わりについては殆ど触れません。

インドネシア人に圧倒的な人気を得ているのは『マハーバーラタ』だと松本先生は言っておられ、これは私もプンバントゥ達との会話を思い出すたびに、深〜〜〜く納得します(笑)。

が、我々外国人観光客が地元で触れる踊りなどによく使われる題材は『ラーマーヤナ』の方かな、と思いますし、二大叙事詩として有名ですので、この項においてのみ軽く触れます(^^ゞ。

ワヤンにおける『マハーバーラタ』には、『ラーマーヤナ』から繋がる因縁も出て来ます。
インドにおいても、物語によく出て来るウィスヌ(インドのヴィシュヌ)神が様々な姿に化身する過程が伝えられてます。

1、魚
2、亀
3、野猪
4、人獅子
5、小人
6、パラシュラーマ(聖仙の子で傲慢な王族を征服し、バラモンの地位を確立した)
7、ラーマ(『ラーマーヤナ』の主人公で、インドネシアでは「ロモ」)
8、クリシュナ(本編『マハーバーラタ』に登場。インドネシアでは「クレスノ」)
9、ブッダ(仏陀)
10、カルキ(末法の救世主)

この番号が、そのまま時間軸を表しているかは知りません(^^ゞ。
が、8は実在したと言われる人物、9は実在、10は未来、とこの辺りは時間軸そのものでしょう。
その上で、7と8の関係を見れば、『ラーマーヤナ』が先、『マハーバーラタ』が後という事になります。

何しろワヤンにおいて『ラーマーヤナ』から続いている因縁とは、宇宙支配神グル(インドの破壊神シヴァ)と、その息子である(という事にインドネシアではなっている)維持神ウィスヌ(インドではヴィシュヌ)神が天界の安寧を目指し、それを邪魔する魔王ラウォノ(『ラーマーヤナ』に登場する悪役)の一族と対立する構図を引き継ぐ事を指します。

これらは『ラーマーヤナ』で一応の解決を見ておりますし、またインドにおいては『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』は、それぞれ独立した話とされているのですが、インドネシアでは「命題として残された要素を常に引きずっている」という考え方を根底に持つのだそうです。

ですから、『マハーバーラタ』になると、ウィスヌの化身としてクレスノという軍師が主体、アルジュノという武将がウィスヌの意思を実行すべく登場し、アルジュノを含む5人兄弟が「パンダワ」と総称され、主役級(善玉)として登場&活躍します。

一方敵対する側には、『ラーマーヤナ』のラウォノに匹敵する悪者として、ドゥルユドノが登場し、ともに強欲の象徴とされてます。
ラウォノとドゥルユドノの違いについては、ラウォノが「魔王」らしい魔力と怪力を持つのに対し、ドゥルユドノは99人という大勢の弟……つまり人数をもって力を誇示します。この合計100人の兄弟を総称して「コラワ」と呼びます。

が、「コラワ百兄弟」と総称されるのみで、また「多い」ことを示す「百」の数が重要なのであって、人物が百人とも名前ごと出て来るわけではありません(^_^;)。

ですから本編を読む上では、単に「パンダワ」対「コラワ」で覚えて下さい。



●マハーバーラタの話の特徴

戦争は神の企てたシナリオで、人間達は一方的に従わされ、そのゲームを神々が楽しむ場面すら多々あります。このように神様がちょっと意地悪な点、ややもすると軽率な点は、多神教を批判してるイスラム精神が入り込んでいるからなのかもしれません。

また、日本でも関が原や幕末の戦いといった、どうでも勢力を二分する戦いは皆そうですが、「正邪はどうでもいい、何しろ一定量(半数)の人間を淘汰する」といった、かなり「強引な戦争」である点も見逃せません(^_^;)。

中国だと『封神演義』が似てます。これもまた「365」という魂の数が重要なのであって、そんなに沢山の人物を覚える必要はない話です(^_^;)。

一方、わが日本に似た筋立てを見つけるとすれば、後で結束すべき同志がバラバラの各地に散らばり、だんだん出会って仲良くなって、共通の敵と戦い……しかしそれが最初から仕組まれた因縁であり、困った時は魔法が出てどうにかしてくれる、という所が『南総里見八犬伝』に。
また、一定の敵味方がそれぞれの族長を持ち、しかも戦いへの嘆きを無常観として捉える感覚は「平家物語」が近いでしょうか。

ワヤンに独特なのは、常に「戦争」が全ての登場人物に共通の前提になって話が運ぶ点で、神も人間も「後で起こる戦争(バラタユダ)で」を「合言葉」とし、通用します。

また、登場人物の多くが敬虔な求道者(神を篤く崇拝し、何かというと修行する人)でありながら、同時に武士(クシャトリヤ)でもあり、彼らが山中に分け入って苦行するのは、結局の所「敵を倒すため」で、全てが「いつか来る戦争に備えて」という事になるのです。

特徴的なのは、「いつ」「どんなタイミングで」「どう決着するか(どちらが勝つか)」までは、当人達にとっても漠然としてますが、不思議なのは「誰に殺されるか」「どんな方法で殺されるか」については、かなりハッキリと前もって予告される点です。

なのに、よくある「決められた運命から逃れようと、あの手この手を尽くす」といった筋立ては殆ど無く、「ついに運命の時が来た」と潔く甘んじるのです。

ここだけ読んで済ませたい人のためにざっと書くと(笑)、

1、行き違いがあって人と人がいさかいあう。
2、負けた方が死んだり相手を恨んだりして「因縁」が出来る。
3、「後で起こる戦争(バラタユダ)の時に、この借りは返す」と負け側が言う。
4、負け側が死んだ場合は成仏せず“時間待ちの天界”という半端な天国で待つ。
5、最後の戦争でこの借りが返されたり逆返しされたりして、いっきに決着がつく。
6、対戦結果は、大まか前述のパンダワ側の勝ち、コラワ側の負け。
7、”時間待ちの天界”で相手が来るのを待ってた者がやっと成仏する。

だいたい、こんな具合かと(笑)。
この繰り返しだけがエンエンと連なって、膨大なドラマが出来ているのです。

さらに特徴的なのは、登場人物たちはやたらと「誓い」の言葉を発しますが、これは単に「約束する」という行為を超えて、誓った事は必ず実行されねばなりませんし、神やら霊やらが聞き付けて実行に移すのです(^_^;)。
そういう意味では、日本と同じ「言霊(ことだま)の世界」と言えます。

ですから、この話は先がわかりきってしまう上に、あまりにも極端な勧善懲悪であり予定調和なのですが、むしろ面白さの中心にあるのは「因縁話」と言えます。

最後に一つだけお断りしておきますと、ワヤンを見て感じる独特の重要人物と、このように「ストーリーをざっと追う」上で「筋として重要な人物」には、かなりの差が出てしまうと思います(^^ゞ。私としては出来る限り「わかりやすさ」を優先しますので、何卒お含みおき下さいませ。
 
     

     
  ■表記について■


あまりにも登場人物にせよ地名にせよ「数が多い」です(^_^;)。
入った途端ゲップが出て、先を読まずにそのまま帰りたくなります(爆)。

なので、以下の工夫をしてあります。

こたつ城主 「この1〜2話に限って出て来る」あるいは「覚える必要がない」人物名。そういう人物は実はたくさんいて(^_^;)、名前が出てくると「覚えなきゃいけない?」と思わせ、紛らわしいので、通常は名前を省略して「その男」とか「その家臣」という具合に書きますが、名前が無いと、他の登場人物と紛れてわかりにくいな、と思った場合についてのみ、このサイズで名前を出します。
こたつ城主 「後でまた出て来る」あるいは「名前だけがまた出て来る」人物名。でも「後1〜2回ね(^^ゞ」という合図と思って下さい。
こたつ城主 比較的登場の頻度が高いか、重要度が高いと思える人物名。「覚えないと、せっかく読んでもちょっと損」なレベル。
こたつ城主 「これが覚えられないなら、読むだけ徒労」なレベル(笑)。


●マハーバーラタへの入り方

この話の読み方ですが、神話の常として、最初はひたすら次々と登場人物が出て来ます。

私はとりあえず全てのお話を、だいたいの時間通りに並べてみました。
時間関係が明確にわからない話はちょっといい加減な所もあると思いますし、あまりに分断されすぎて話が見えにくい点については、適当にまとめさせて頂きます。お許し下さい。

何しろ多くの人が出て来るので、最初の頃は甚だ気分的に入りにくいと思います。せっかく覚えた人物がすぐに出てこなくなったり、かなり時間が経ってから出てきて、その頃には前の話を覚えてなかったり。

ビモアルジュノクレスノといった主役、ビスモサルヨカルノドゥルユドノドゥルノといった敵方武将達が出て来る頃からは、比較的登場人物が一定してきますので、それまでは「最初だけは我慢」と思って頂くしかありません。ご了承下さい。

また、同一人物でも旅に出たり、偽装や変身したり、成長したり人格が変わったり、結婚したり死んで魂だけになったりするたびに、異名別名の嵐になりますが、そのたびに変えるのでは混乱の元ですので、ここでは一人について全て一つに統一した名前を出していきます。

源氏物語に例えると、「夕霧」を通称として知られる源氏の息子が、まだ「夕霧に見舞われて歌を詠む段階」に達していない内から、「夕霧」という名で登場させるのに似ています。



●用語

●「カリモソドの書」
イスラム教の聖句「カリマ・シャハダド」のジャワ訛りであるようです。「アラー以外の神は存在しない。モハマドが神の使者たるを信じる」と記されます。イスラム教以後の聖典なので、元のマハーバーラタには存在しません。

●「ガルダ」
怪鳥。インドネシアに行くと、あちこちの門や門構え風の飾りとして、よくこれの彫像が見られます(^^ゞ。
カラス天狗のような顔をして、大抵クワッと口を開け、背の翼をドワッと広げています。
ちなみにインドネシアの国際便の飛行機を「ガルーダ・インドネシア」といって、神話に登場するこの怪鳥にあやかっている名です(^^ゞ。

これは大抵ヘビをこらしめるために登場します。
蛇は人間に力を貸す時もあり、また蛇神はいちおう崇拝対象とされてますが、毒が強すぎる危険な動物と見られる事が多く、人間をこの毒蛇から庇うのはガルダ鳥と相場が決まっているようです。『ラーマーヤナ」』を扱った物語で、バリ島の有名な「ケチャ・ダンス」にも出て来ます。

●「時間待ちの天界」
ワヤン独特の場所設定らしいです。
成仏しきれない死に方をした者が、その原因を作った相手が死んでやって来るのを待っている場所で、天国でも地獄でもないそうです。

死んだ原因とは、直接的には「殺された」って事ですが、自分を殺した相手を恨んでいるとは限らず、むしろ「愛=煩悩」といった執着の形で現れる事が多いです。原因であるべき殺戮は「殺意が無い」或いは「少なくても計画的ではない」(過失かせいぜい衝動的殺人)が多く、自分を殺して悲しんでいる相手を、一緒に天国に行くまで待っている「魂の待ち合わせ控え室」という感じが多いです。

ちなみに天国は出て来ませんが、天界という言葉はよく出て来て、そこには多くの神様がそれぞれの住所を作って住んでいるようです。

人間には特に住所までは与えられませんが、神様に近い場所に行けるらしく、火葬した時に死体が焼けて消えるのが天界に行けるシルシであり、逆にちゃんと燃え尽きず残った場合は、神様が「来てもいい」と言わなかったシルシです。(が、地獄に行くという表現も特に無いです)

●「ジタブソロの書」
クレスノのアンチョコ(爆)。これを見ながら「え〜っと次は誰を死なせるんだっけ」と彼は策謀を練るのです(笑)。
人間は「因縁」を作って死ぬので、すんなりと成仏せず、「時間待ちの天界」で因縁が消化されるのを待っています。そこで神様達が「”A”vs”B”」という具合に対戦表を作り、クレスノがこれを地上の人間どもに実行させ、人間どもに入り込んだ霊魂達が無事に成仏する、という仕組みです。

●「ラクササ」
「羅刹」の事です。
全編に渡って大変登場の多い存在で、怪異な容貌を持ち、森林の奥深くに住む、一種の怪物と言えます。
女性のラクササを「ラクスシ」 と呼ぶのですが、ここでは「ラクササ女」と表記します。

性格や能力は様々で、ラクササは元々山や森林に住む事が多いので、修行などにより聖人の域に達している者もいますし、そうした徳を持つラクササには、たいてい超能力が備わってます。
逆に、ただ単に欲深い乱暴者である事も多く、美女をむやみに追い回したり、ヒドイのになると人を食う者もいます。
大抵は聖人でもなく、乱暴者でもなく、単に「ブサイクゆえに女にフラレる」という役回りが多いです(^_^;)。。
又、そうしたシリアス版ばかりでなく、中にはおどけたり、道化の役回りとして、次々とつまらぬ冗談を連発して人を笑わせるようなのも沢山出て来ます。

ワヤンは影絵芝居なので、マハーバーラタのような何百と登場人物の出る話になると、人形の個体差を形だけで示すのは困難でしょうし、こうした凄く形の変わった人形を使って、見た目にキャラクタ分けを行うという手法もあると思われますが、そうした中で「ラクササ」のビックリするような容貌が出て来ると、「色んな人形があるな〜」と何しろ目に楽しい存在となってくれます。



●インドとインドネシアの登場人物名・発音差異

インドネシア版だと、ネット検索しても出て来ないか、上がって来る物が多くないので、インド版の表記もあげておきます。ご利用下さい。
ただキリもないし、類例をたくさん知りませんので、限られた登場人部だけで済ませます(^_^;)。。

インド
インドネシア
シヴァ
グル
ヴィシュヌ
ウィスヌ
クリシュナ
クレスノ
バララーマ
ボロデウォ
王女
スバドラー
スムボドロ
ハスティナープラ
アスティノ
王妃
サティヤヴァティー
サティヨワティ
王(仙)
パラーシャラ
ポロソロ
王(仙)
ヴィヤーサ
アビヨソ
シャーンタヌ
スンタヌ
武将
ビーシュマ
ビスモ
王女
アンバー
オンボ
ドリタラーシュトラ
ダストロストロ
王妃
ガーンダーリー
グンダリ
百王子総称
カウラヴァ
コラワ
王・王子
ドゥルヨーダナ
ドゥルユドノ
王子
ドゥフシャーサナ
ドゥルソソノ
パーンドゥ
パンドゥ
クンティー
クンティ
太陽神
スールヤ
スルヨ
英雄
カルナ
カルノ
アンガ
アウォンゴ
五王子総称
パーンダヴァ
パンダワ
国(首都)
インドラプラスタ
インドロプロスト
ダルマ
ダルモ
王子
ユディシュティラ
ユディスティロ
インドラ
インドロ
王子
アルジュナ
アルジュノ
ヴァーユ
バユ
王子
ビーマ
ビモ
戦士
ジャヤドラタ
ジョヨジョトロ
マドラ
モンドロコ
シャリヤ
サルヨ
マードリー
マドリム
双神
アシュヴィン
アスウィン
王子
ナクラ
ナクロ
王子
サハデーヴァ
サデウォ
ヴィドゥラ
ヨモウィドロ
パンチャーラ
パンチョロ
ドゥルパダ
ドルポド
戦士
ドリシュタディユムナ
ドルストジュムノ
王女
ドラウパディー
ドルパディ
王女(王子)
シカンディ
スリカンディ
宰相
シャクニ
スンクニ
マツヤ国
ウィロト国
ヴィラータ
マツウォパティ
軍師
ドローナ
ドゥルノ
戦士
アシュヴァターマン
アスウォトモ
パリクシッド
パリクシト
死神
ヤマ
ヨモディパティ
 
     



01〜04

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