「山岡荘八『徳川家康』雑記」(「ご挨拶」から、10)

「今週のご挨拶とお知らせ」(2018年10月で述べた事から〜

     
 
〜前略〜

前回、予測した通り、『徳川家康』は全巻読み終わりました\(^O^)/<快哉
9月中頃だったかな……φ(。。)m。

その後、前回のご挨拶に載せた分を、追加で更新(転載)しました(^_^;)。
ご興味のある方は、ちょくちょく覗いて下さい。「山岡荘八『徳川家康』雑記」です(何回見ても、手抜きに感じるタイトルwwww)

完読後の感想を書かなきゃいけないと思うんですが、すごく長い小説なので、抜けなく言えるか自信がありません(笑)。
何について「抜け」かと言うと、「伏線処理」および「期待値」をキチンと終わってるかという、重箱の隅をつつくような意地の悪いチェックをしたがってるわけです(笑)。

しかし、長ければ長い程、読んでる方もチェック項目を忘却するという、山岡荘八の謀略にはまってる気がします(^_^;)。。

それでも現在、早くも「あらすじ」書きを始めてます。
出来た「あらすじ」は、前回も申した通り、著作権を憚って、今ただちに公開は致しません。(権利が切れた頃に考えますww)

正確に言うと「再読」はしてません。「あらすじ」を書くための読み方というのは、初読が済んでればナナメ読みで充分だからです。

忘却してたあれこれを思い出すにも充分です。 *ニヤリ*
今後いろいろと思い出す事が多いのではないかと思います。

咄嗟の現在、すぐ思い出す事としては……家康の長女であり、築山殿が初産で生んだ亀姫が、築山殿の手元を離れて奥平信昌に嫁いだ辺りまでしか出て来なかったのが残念です。

というのも、亀姫は、後の宇都宮釣り天井事件の黒幕とすら言われており、並々ならぬ強気の女性として有名なのです。

大久保忠隣の失脚、これに連座した忠隣の子に、亀姫は娘を嫁がせていました。
その亀姫が、大久保一族の失脚を裏で操っていたと噂される本多正純を陥れるため、宇都宮釣り天井事件を画策したと言われています。

が、そのような家康の縁者や末裔はいっぱいいますので、それだけで後の登場を望んでいたわけではありません。

また、事件が起きた時、家康はすでにこの世の人ではありません。
家康の人生が閉じる所で終わるこの小説で、事件を描くのは無理です。
だから、事件そのものを書いて欲しかったとまでは思いません。

ただ、まず亀姫はこの小説において、奥平家に嫁ぐまでや嫁いだ直後までは、ずいぶんコッテリと描かれていました。

徳川家にいる頃の亀姫は、築山殿と大きな違いはない、気位が高くワガママで世間知らずなお姫様なんですが、奥平信昌に嫁ぐや、180度と言って良いほど変化してました。

この高天神城の攻防は、『徳川家康』の中でも特に読ませる部分で、私は作中の亀姫も奥平信昌も、特に好きなキャラクターではありませんでしたが、好き嫌いを度外視して、認めるべき点に数えたいと思うのです。

たくましい戦国女性に成長した亀姫が、その後、どのような過程を経て、本多一族に一矢報いる列女となっていったのか、読んでみたかったです。(噂通りの黒幕とするにせよ、噂を否定する全く別のキャラに描くにせよ)

そして山岡@家康において、大久保長安の事件は、ずいぶんな字数ページ数を割いて描かれていた点も、なのに亀姫の事には触れられなかった……という不公平感を催す要因なのです。

大久保長安事件の派生として現れる、家康六男・忠輝の末路や、同じ理由で、家康の次代における破綻要素として粛清された豊臣秀頼の滅亡劇は、あれほどコッテリと描いたのに、同等に大久保長安の台頭ゆえに失脚した、大久保忠隣に連座した亀姫一家の悲話が全く出て来ないのは、バランスに欠ける気がしました。

しかし、その反面、「ああ、ここに、こう繋がって来るのか、スゴイな。考えたな」と感心した伏線処理もありました。

家康の死の直前から、死の直後にかけての二代将軍・秀忠がそうでした。

家康や徳川家のお家事情については、スキャンダラスな憶測を呼ぶ「謎」がいっぱいあります。

中でも秀忠については、家康と家光という個性的な将軍の間に挟まれているからか、「謎」が際立って感じさせられます。

大抵は「おとなしく真面目で、影が薄く人の好い二代目」という感じに描かれながら、何かの拍子に「親の七光り」「暗愚なイエスマン」「ワガママなお坊ちゃん」「聖人君子の殻を被った性悪将軍」「狡猾な権力者」といった、「裏の顔」が取りざたされます。

そのように言われるキッカケを、秀忠が作ったのではなく、家康の遺訓を、秀忠はあくまでも忠実に実行に移したからだという具合に、この小説は描いてました。

この点が、『徳川家康』という大長編小説の最終段階として、 特に秀逸に感じました。

ただメモ書き通りに従ったのではなく、家康独特の教育法に鍛えられて、ゆるぎない将軍に成長していく過程を、幾重にも練り込んで作り上げた点が良かったと思います。

将軍はどのような場合も、自分の意志を持って行動(命令)せねばならぬ立場なので、家康の死後も、心の中に家康を住ませて、問い合わせて決断に至るだろう未来とともに、僅かながら秀忠独自の感性も、そこに盛り込まれる予兆が感じられました。

家康の死後、秀忠が将軍として行った最初の指示が、弟・忠輝の住まいに兵を向け、改易・流罪・幽閉(預かり)の身とする事でした。

そのくせ秀忠が、末期の水の順序に、型を破って(家康の意志に反して)、忠輝の母・茶阿を促すシーンなどは、幾重にもそこまでに至る色々な伏線が集約された感じがしました。
お愛・朝日姫……まさに大河ドラマの最終回で、走馬灯のように、死せる者、生ける者の多くの顔があらわれては消えていく感じでしたねぇ。 *しみじみ*

……とりあえず、最終回については、こんな感じで終わります(^_^;)ゞ。
もう再読に突入してしまってますので、そっちに話を移しつつ、何か思い出したら、また最終回なり、全体評価なり、書くことがあるかもしれません。

どの巻に何日かかったかを、書かせて貰います。

1、2017/03/15 ?(28日間ぐらい?)
2、2017/03/26 11日間
3、2017/04/10 15日間
4、2017/04/25 15日間
5、2017/05/10 15日間
6、2017/05/20 10日間
7、2017/06/06 17日間
8、2017/07/02 26日間
9、2017/08/21 50日間
10、2017/09/05 15日間
11、2017/10/08 33日間
12、2017/10/21 13日間
13、2017/11/08 18日間
14、2017/11/25 17日間
15、2017/12/06 11日間
16、2017/12/28 22日間
17、2018/01/15 18日間
18、2018/01/28 13日間
19、2018/02/08 11日間
20、2018/02/25 17日間
21、2018/04/16 50日間
22、2018/05/22 36日間
23、2018/06/26 35日間
24、2018/08/05 40日間
25、2018/08/23 18日間
26、2018/09/15 23日間
平均22.19日に一冊

一巻についてだけは、何日に読み始めたのか明確に覚えてません(^_^;)。。
だいたい2月の中頃前後だったと思うのですがね……。

最初だけチラと読んで、しばらく放置して、再び手に取って……みたいな感じでした。
それがまさか継続して読むことになろうとは、思いもよらなかったです(笑)。

これよりは再読編に入りますが、その前に、閑話休題といいますか……。
実は、『徳川家康』を読んでる間も、他の本を何冊か平行して読んでましたが、やはり大長編を抱えてるので、出来る限り、家康に専念して読もうとしてました。

それゆえ、その間、読めずに溜まってた本がドッサリあります(^_^;)。。
家康を読み終わってから、そういう本を2冊読み終えました。今3冊目で、小休止です。

やはり、ちょっとフラストレーションがあったんでしょうか。家康の直後に読んだ本などは、もうフルスピードで読んでしまいました(笑)。

その中の一冊が、『豊臣秀次』です。
吉川弘文館の人物叢書です。(同じ題名で他にも何冊かあるかもしれませんので)

秀次が謀反人として歴史の中で処理され続けた背景に、豊臣氏を滅ぼした徳川政権になっても尚、秀吉や秀頼の時代に横行したであろう秀次への悪評が、払拭される事なく継続され、定着したから……と、推測されてました。

つまり、秀頼と、秀頼に後継の座を譲りたい秀吉にとっては、それを脅かす存在の秀次を、濡れ衣着せてでも謀反人とすべきだったのでしょうが、その秀頼を滅ぼした徳川なのだから、そんな遺志を引き継ぐ必要なんか無いのに、引き継いだ……という文意です。

この理由について、ハッキリ立証されるわけじゃないです(^_^;)。
政権を担う者にとって、単に「謀反は良くないよね〜」と云うための悪キャラに用いられたとか、スケープゴート的に使われたとか、そんな感じには受け取れますが……。

ただし、大抵この手の捏造は、後世だいぶ時間が経ってから創作される事が多いのですが(政治利用するなら尚更)、秀次については、既に同時代から色々と言われています。

だから、謀反の決定的証拠が残されてないからといって、ナマの秀次を見知っている同時代の人が、「あ〜あいつね。うんうん、切腹して当然」と言い切る欠点が秀次にあった可能性を、100%否定するのも無理って事です(^_^;)。。

さすがの天下人、徳川家康や秀忠にも、汚名返上してやる気になれなかった、という事もあるかもしれません。。

ただし、今、秀次が問題のある人物として描かれる事は殆どありません。
冤罪は冤罪であり、いかな悪人でも慰霊もされないのは異常でしょうし、何の罪もない妻子を処刑するのも惨すぎるからでしょう。
山岡荘八も秀次に極めて同情的な描き方をしてます。(そのぶん石田三成にかなりの責任がいってます:笑)

一つ蛇足すると、秀次はどうやら女癖が良くなかった可能性はあるようです。
すると、どこからともなく秀次の末裔なるものが現れないとも限らない。
山岡荘八は、「妻子がバラバラに散ると、後が厄介だから、まとまっている内に処刑」と書いてました。

しかしこれは、子種に薄かった秀吉にとっては当てはまる危惧ですが、徳川政権以降は、意味のない心配です。

もう一つ、これは家康と秀忠に限らず、徳川幕府の持ち味として、「一度政権の座についた系譜への悪口雑言を(世間にも)許さない」と感じる場面があります。

パッと明確に思い出せる事象として、例えば、足利尊氏を賊軍と見なす発想が、明治以後、爆発的にはびこりましたが、この前哨は江戸時代、既にあるにはありました。
しかしそれは、徳川幕府による、前政権への否定から始まったわけではありません。

幕末期、徳川将軍を揶揄せんがため、足利将軍の木像を盗み出し、首を路傍に晒す(「足利三代木像梟首事件」というらしい)という、ネトウヨみたいな事件があったんです(^_^;)。。<どうも討幕勢力って人間のクズが多いかも(苦笑)

会津松平容保が取り締まりに乗り出し、ゆくゆく新選組結党にも繋がった事件で、取り締まる理屈として、「現将軍家のあてつけ」という見解が取られたものの、社会秩序の安定や、テロ活動への対処が目的だった事は言うまでもありません。

つまり「足利=朝敵」なる発想は、幕府や徳川家が主体になってテロや差別を公然たらしめたのではなく、むしろ幕府に敵視された連中の発想であり、「徳川幕府は前政権(豊臣とか足利)に否定的ではない」ことは明確です。

ただ足利氏が徳川家にとって先祖筋であるのに対し、豊臣秀吉に憚る必要は低い点を思うと、徳川家の前に天下を司った家だから、という事だけで、素直に頷けない感じもあります。

また、足利氏は徳川家と争いあった事はありません。
それに対して、徳川は豊臣を滅ぼしてます。なおさら豊臣秀吉を持ち上げる気が知れません。

そこで、「秀次が悪い人間だった」と云うより、「徳川が滅ぼした秀頼はともかく、家康が臣従した秀吉は立派な天下人だった」←むしろ、このような主張と受け取るべきなのだろうというのが、『豊臣秀次』の解釈でした。

これは、私も同感です。
徳川時代になっても、秀吉その人については、即座にその偉業を否定された様子は無く、秀頼とて、秀次ほど貶められて云われたわけじゃなかったと思います。

恐らく、ここからなんでしょう。『徳川家康』における家康が、秀吉に心底惚れ込んで、自分の息子の忠輝を罪に陥れてまで、秀頼を自害においやった事を詫びたがった……という作りは。

その解釈から結論すると、
「秀吉が秀次の妻子に惨い処刑を与えるほど、秀次の存在を疎んだのだから、その遺志を尊重して、家康・秀忠も、特に秀次の慰霊などしなかった」
↑こういう事になるかもしれません。

秀吉が後を継がせたいと切望した秀頼を滅ぼしてしまったのは、徳川に正義があったと主張するものの、遡って秀吉に非があるとまでは主張せず、秀吉に対しては、家康も秀忠も尊敬の念を持ち続けた。

↑結局こういう事なんだと思います。そして恐らく、史実的にも相当確実なんでしょう。

それで、小説の『徳川家康』でも、家康は下手すると徳川家臣らより秀吉の方が好きだったり、家康に好かれる方の秀吉が、なるほど魅力的な人物に描かれて来たのかなぁ……という風に思いました。
これは、正直『徳川家康』によってではなく、『豊臣秀次』を読んだから納得した事なんですけどね(笑)。

正直、『徳川家康』を読んでる間じゅう、「山岡荘八って秀吉が好きなんだなぁ〜(^_^;)ゞ」と思ってました(爆)。

でも思い返せば、信長の生きてる間も秀吉はよく出て来ました。
が、それほど好ましい人物に描かれてた覚えがありません。やはり、秀吉に対する好印象は、家康と付き合う時代に入ってからのものだったと思います。

……余談が長くなりましたね(^_^;)。そろそろ再読編に移りましょう。

まず……大坂落城の前後、やたら奥山某という武士が出て来ます。柳生宗矩の親戚のようで、宗矩がいざという時、淀・秀頼・千姫を救出するよう頼んでるという設定でした。

小説のかなり初めの方、二巻かな。家康がはじめて主人公らしい一人称で初登場するシーンで、「奥山伝心」という牢人が竹千代(家康)に水泳を教える逸話が出て来る、とここでも述べました。

どうも、徳川が兵法指南に柳生流を用いる伏線だったのかもしれませんが、この人物は最後まで登場しませんでしたし、その後の柳生・奥山の登場にも、関りが説明された事はありませんでした。
少年期の家康の様子を描くために、ちょっと出て来ただけだったようです(^_^;)。

あと、はじめの頃に既に言いましたが、水野信元の事を描かず通り過ぎたのは未だに痛恨で、最初の頃に物凄く色濃く描かれたのは何だったのか……これは最後まで、わからないままでした(笑)。
大坂の陣の後半だったか、大坂城が滅んでからだったか、水野氏は急に出て来るようになりますが、家康の母方の実家である必要はなく、ただの譜代家臣の名にすぎなかったです。

それと、前に私が述べた事に、間違いがありました(^_^;)。

あくまでも創作上の架空の人物なんですが、納屋焦庵(竹ノ内波太郎)の妹・於国の孫娘「木の実」を、水野信元の孫でもあるような書き方をした事があったんですが、もう一度見返したら、於国は信元の子を産んだのではなかったです。

於国の相手の男性は、誰かわからないようです。
行きずりの男に強姦されたか、自分から誘ったかで孕んだ子がいて、木の実はそのまた娘でした。

これは家康の母・於大の兄・水野信近の知った事実として書かれる事で、於国は信元に捨てられて気がふれ、どの男性を見ても、信元と思って抱き着くようになってたのです。
なので、木の実は「信元の孫」ではありません。訂正しますm(__)m<ペコリ

今の所、こんな感じです。
再読編はまだ日も浅く、だいぶ取り留めなくてスイマセン(^^ゞ。でも今後もこんな感じだと思います。


〜後略〜

(2018年10月30日・記/2019年02月07日・掲載)

城主

 
     


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