<石和川中島合戦戦国絵巻・総集編レポ09>



2000/04/16、山梨県石和町、笛吹川にて

合戦が始まると同時に、空は快晴
上杉軍、本陣より写す


     
  <武田軍の諸将達、次々と戦死>

さて戦局。
この時に武田方の武将から、信玄次弟の武田信繁、諸角豊後、山本勘助といった武将が討ち死にしてしまいます(;_;)。

山本勘助は伝説上の軍師と言われ、存在はほぼ確認されてるものの、地位の程は確かではありません。が、いずれにせよ武田方から多くの犠牲者が出たのがこの時間帯とされます。

しかし信玄は圧倒的な強さで知られる武将です。その戦上手と麾下たる武将達の強さは他の追従を許さぬ程。
その信玄の行った数多い戦の中で、名のある武将が討ち死にするような戦で有名なのは、上田原合戦とこの川中島合戦ぐらいでしょう。

武田軍には試練の時が続きます
この辺り↑の群れ(赤)に注目

この「群れ」は演出部隊ではないかと(^^ゞ。↓

拡大
戦場の手前を上下に蛇行しながら走り抜けます

これは2006年でした。ウェーブを描くような上下運動は、遠目にもよく見えました(^^)。これぐらい上下してくれないと、後方座席には全く見えません(笑)。人数は少ない方がいいですね。この時間は武田の試練の時なので。

ちなみにこの「車がかり」、古くはインドにもあるんですね(^^ゞ。戦術上の陣図より、意味合いとしての要素が強いものなのかもしれません。




<その頃、高坂隊は?!>

何しろ武田軍は激しく上杉軍の猛攻を受け、何とか御館様を守るべく必死で戦ってます。
そして先発した高坂隊が、妻女山には上杉軍がいないと気付き急ぎ戻ってさえ来れば、今度は兵力も敵を大きく上回り、しかも上杉を前後から挟み撃ちに出来るのです!
武田軍は祈るような思いで高坂隊の帰陣を待ちます! それまでの辛抱なのです!

ところで、その肝心の高坂隊が妻女山で今どうしてるかと言うと……。

わりとノンビリしてます!(しかも観客は誰一人気付いてない(^^;))

これは2005年、観客席にいた時の写真ですが(笑)、私達が高坂隊だった2003年も、わりとこんな風にノンビリ観戦させて貰ってました(^^ゞ。
それが2006年には、ちょっと事情が変わってました。↓



<武田援軍(火の軍団)移動>

↑観客の目をひく行動ではありません(^^ゞ。
この時まで橋のそばに待機していた、さっきの「火の軍団」が、ちょうどこの頃合に鵜飼橋を渡って行くのが見えました。

史実(シナリオ)に照らして言えば、この頃になって高坂隊は「妻女山に上杉軍が居ない!」と気付き、慌てて本隊の武田軍を助けに来ようと頑張ってる時間に相当しますね。

上杉軍の後ろの橋を渡って行きます(が、すご〜く小さくて写ってません(^_^;))
↓橋だけ拡大(^^ゞ↓

肉眼だとわかるんですが、写真だとかなり拡大しても人影は見えなかったです(^^ゞ。ズームが利けば写ったんでしょうが、この2006年はデジカメが故障してしまい……。
あと、そうそう、このように鵜飼橋を渡っていく高坂隊は、2006年だけの演出でした。今後も使われるバージョンかもしれません(^^ゞ。

本陣(謙信と重臣たち)の後ろに「鵜飼橋」
終わったんですかね〜。見えませんね〜。
(ここは戦場から一番遠く、一番見えにくい位置と思われます(^_^;))

鵜飼橋を渡ってる人影は、こうして上杉軍からなら見えますが、観客席からは殆ど見えません。
また、この写真には謙信の周りに上杉軍の武将達がいますが、実際には謙信以外の武将(各部隊の大将)達は、兵士とともに「車がかり」に加わってます(^^ゞ。



<「引き上げじゃあぁぁぁ〜!」>

↑というアナウンスが聞こえてきて、いよいよ最終ラウンドへ突入なのです!

なかなか勝負の決まらない両陣営に、鶴の一声が……
アナウンスの方も、もちろん甲冑姿
ちっ、勝負はお預けだな!
 
     


「合戦2、三太刀(一騎討ち)」

     
  <謙信本陣、前進>

↑2000年には、それまでずっと後方にあった謙信の本陣が、前へ移動してました。現在はどうなってたかな(^^ゞ。

自らの陣を手薄にして、信玄を討とうとする謙信

妻女山に武田軍が奇襲をかけた事(きつつき戦法)を見破り、密かに川中島(八幡原)に移動してきた謙信は、明け方、信玄本陣に正面から攻撃を仕掛け、この激戦を迎えているわけですが、そろそろ妻女山の武田軍が戻ってくる時刻になってしまったのです。

謙信の上杉軍は元々武田より兵力が少ないですから、武田軍が二手に分かれてしまった今しかチャンスが無いのです。
それでこうしてわずかな時間差を利用して奇襲をかけ、少しでも武田軍に打撃を与えるしかないという、上杉は上杉で必死な状況でした。

前半有利であった上杉軍は、前述の通り次々と武田軍の名のある武将達を戦死させてます。
早い内に信玄自身をも討ち取りたかったのですが、武田軍防御の壁は厚く、戦局は、なかなか決定打を迎えません。
上杉とて高坂隊が戻ってくれば、今度は自分達の身が危ういのです。武田軍を追い詰めながら、なかなか信玄の首をあげられない事に業を煮やした謙信は、自らの本陣を前へ移すのです。

これは後方から迫り来るであろう高坂隊から、少しでも遠のくため、という事も考えられますが、それよりも、より一層、武田軍との距離を狭めて敵に圧迫を与えること、謙信自ら兵士たちに叱咤激励を飛ばす事という、謙信らしい采配にも思えます。
そのため、謙信自身の警護は大変に薄くなってます(ま、石和における謙信は常に警備が手薄なのですが:笑)。



<僧形の騎馬武者登場>

いよいよ祭りのハイライト。僧形の武者が登場します。合戦2「三太刀」です。
この後の合戦3「殺陣」、合戦4「騎馬戦」ともあわせて全部で15分ほど、兵士達はしばし休息となります。

謙信と全く同じスタイルの騎馬武者が登場。謙信の影武者のような設定。→
観客からはやや遠い、上杉軍の横合いで馬慣らし。

毎年この役は乗馬の巧みな役者さんが扮するのですが、この騎馬武者の登場の間、謙信はちょっと姿を隠すんです(笑)。

よく見てると「そろそろ隠れて下さい」と謙信役の人を迎えに来る係の方がおられます(^^ゞ。

そしてバトンタッチして現われた騎馬武者が、馬慣らしを終えていよいよ登場!
場内には「ヒヒヒヒ〜ン!!」と、ひときわ高い馬の嘶(いなな)きが響き渡ります!

「そのとき、僧形の騎馬武者が!」
「突然、信玄の本陣めがけて突撃!」

ついに一騎、狂奔する馬を駆り立て、信玄の本陣めがけてまっしぐらに走り寄ります。
このシーンは武田軍内で見た事ないので(別働隊にしか居た事がないから)、上杉軍と観客席からの視点のみでお届けしますが、さすがに一騎なので、観客席から見ると粒のように小さいです〜(^_^;)。
それでもこの一騎打ちは観客じゅうの視線を独占してます。

全員注視の中、戦場に一騎で躍り出る騎馬武者!

観客席からズームで
 
     

     
  <一騎討ち>

そして乾坤一擲の一騎討ち!

現地、長野県長野市の八幡原古戦場では、この時の「三太刀七太刀の跡」という碑があります。
これは一太刀目を信玄が咄嗟に軍配で受け、二太刀目で腕を傷付けられ、三太刀目で兜の庇(額の上)にまで傷を負い、後で軍配を調べた所、七ヶ所の刀の跡がついていた事に由来する言葉ですね(^^ゞ。

この時に、原大隈が信玄を守るためと謙信を撃つために、槍を繰り出した所、謙信をそれてその馬を刺してしまい、謙信を逃したという逸話も有名です(^^)。

この一騎打ち、有名な伝え通り、毎年3回は繰り返し行われていました。
本陣に信玄を襲い、斬りつけた騎馬武者は、瞬く間に駆け去り、戦場の中央あたりまで戻ると、また馬を旋回して、再度好機を狙います。

←興奮に猛り狂う馬を巧みに操る騎馬武者

戦国期の頃はともかく、現在私達がテレビや映画でよく見掛けるお馬サンは、戦闘用と言うよりは、走りの速さを純粋に競うため飼育された大変にデリケートなお馬サンです(^_^;)。

だからか、それとも演技か、時折ひどく抗う場面もよく見掛けるのですが、これはスンナリと進むよりも、それを尚も乗りこなして駆け寄る様子は、見ていてとても迫力を感じます。

馬首をめぐらして、再び信玄の方を振り向く騎馬武者

パカラッパカラッ!

観客席にも充分に近寄り……。 ドドドドォ〜ッ!

色めき立つ武田本陣! 「信玄覚悟〜っ!」
 
     

     
 
刀に手をやる武田重臣達 「皆の者! 御館様を守れっ!」

これ、一応みんな信玄を守る構えを見せますが、実際には上手く刀と軍配があってる具合になるか、結構ハラハラと気を揉んで見守ってる事でしょうね(^_^A)。
こればかりはお馬サン次第、近寄ってくれないとどうしようもありませんから。。

ガチーーーーン!!!(成功っ(^O^))

本当に太刀で斬りつけ、軍配で受け止めます

「遺恨なり十年一剣を磨くぅぅ〜」 ベベン♪

このシーンは毎年参加や見学をしていながら、なかなか決定的なシーンを撮れなかったです(^^ゞ。どちらからもかなりズームで、たまたまよく撮れた物を使いましたが、実際は、肉眼でシャッターチャンスが図れるほど近くありません。
やはりこれを一番よく見れるのは、武田本陣か、その目の前の観客席ではないかと思います。

ただ後方の観客席でも、肉迫した感じは薄いですが、舞台のお芝居を見ているようで、それはそれで美しく感じます。

去って行く謙信サン。お馬サンも名演技(^^)。
テレビにも映し出されます(^^)。

川中島合戦を軍記として、もっとも有名にした、この「一騎討ち」ですが、これは「そもそも無かった」とされてます(^^ゞ。
でも、あまりにも有名な場面ですので、1969年の大河「天と地と」、1988年の大河「武田信玄」の他、各局のドラマでも、映画「風林火山」でも(「武田信玄」や「風林火山」では、原作にこのシーンは無いにもかかわらず)、この一騎打ちを描いてます(笑)。

この石和でも「謙信が」という時もあり、「僧形の武者が」とボカす事もあり、しかし出て来る頃合としては、だいたいこの時間帯に設定してるようです。
小難しい事を言えば、謙信本人が行った場合、それは高坂隊など武田の別働隊が到着した後、今度は追われる立場となった上杉軍が、武田本陣に強行突破を試みて、という事ならありうる、という意見を言う人もいます(新田次郎さんはそう仰ってますね(^^ゞ)。
実際に信玄がこの戦で負傷したという話も伝わってますから、この激戦の中で、これに似た危ない場面があったのかもしれませんね(^^ゞ。

よく聞く「信玄隠し湯」というのは、この時の負傷にまつわる伝承が圧倒的に多いですが、信玄が温泉に入ったのは、実は持病を長く患っていたため、とも言われています(笑)。

もっとも、ここ石和においては、謙信サンに……ではなく、病気で……でもなく、主に「兵士にヤラレてる」気がしますが(爆)。
 
     


「合戦3〜4、殺陣と騎馬戦」

     
  戦場にはより立体的な構造をともなって、いよいよ炎が燃え盛り、天に届く煙を噴き上げます。


戦場でこれを大きく感じるのは当たり前なんですが、観客席から見ても、最上階にいてもかなりデカく大きな煙で、このばかデカイ戦場を、さらに縦に長く立ち上って行くのです。



<合戦(3)火縄銃・殺陣>

この辺りで、武田奉行(という声の演出があります)によって、
「武田鉄砲隊前に。上杉軍を撃ち、体勢を立て直せ、高坂隊が来るまで持ちこたえろ!」
なんて声が入ったり、ナレーションの、
「いまだ、高坂隊1万2千の軍勢は、合戦場には到着しません」とか「合戦は大乱戦となり、時は刻々と過ぎていった」とかいうナレーションが入ります。

私達が高坂隊で妻女山(観客席)にいた時は、これを聞いて、「およっ(^^;)」と焦りました(笑)。
ストーリー上の高坂弾正はこの頃、必死に妻女山から駆け下り、八幡原に向けていっせいに馬を急がせているはずなのですが、我々は観客席で高見の見物をしてたからです(汗)。

「鉄砲隊、前に〜!」の号令で弾込め開始の鉄砲隊

ドドーン!ドドーン!上杉鉄砲隊、発砲連射!
米沢(元上杉藩)稲富砲術会の皆さん

この時間帯は兵士達も休憩なので、ちょっとこうした場面を写すユトリが生まれます。

素早く弾込めをして……

ズッドォ〜ン! うひょー(*O*)と耳を塞ぐ兵士(笑)。↓