<石和川中島合戦戦国絵巻・レポート7>
<「火の軍団」離脱、つづき>
二番手のこたつ隊も……
一生懸命に後を追って走ります
武田菱の旗(信廉隊旗)に続くこたつ隊。がんばれ〜(^O^)/
この離脱劇は大人数で行う方が感動的な感じがしますね。
と言うのも、この高坂隊(今年は火の軍団)の離脱と来援(戻って来る)のストーリーって、正直はじめに出場した頃はじぇんじぇん知らなかったんです(^^ゞ。
上杉軍からだと見えませんし(これは背の低い人になると、今でも見えないかも(^_^;))、やはり少人数だと「何かチマチマとやってるけど、ま、セレモニーの一つかな」ぐらいにしか思えないんですよね(笑)。
そこを大人数だと「大きな移動」として見せられるだけでなく、居なくなるのが全体の四分の一に当たりますか……それぐらいの大人数が抜けると、いかにも「武田は手薄になった」と実感し、この後の武田がピンチが伝わってハラハラさせ、そこも良いと思いました。
走りは遅くても大丈夫です(^^ゞ。その方が長く目に留まりますし、大量に感じます(笑)。何より隊列の間が空かないのがいいですね。
合戦1、上杉(車懸り)×武田(鶴翼)
<「車がかり」の攻撃>
高坂隊など「火の軍団」の抜けた武田軍を、「今だ」とばかりに謙信が総動員で攻めて来ます。
この時に武田方の武将から、信玄の次弟、武田信繁、原大隈、山本勘助といった武将が討ち死にしてしまいます。
山本勘助は伝説上の軍師と言われ、存在はほぼ確認されてるものの、地位の程は確かではありません。が、いずれにせよ武田方から多くの犠牲者が出たのがこの時間帯とされます。
しかし信玄は、国内的には民政の父と謳われつつ、国外的には何と言っても圧倒的な強さで知られる武将です。その戦上手と麾下たる武将達の強さは他の追従を許さぬ程。
その信玄の行った数多い戦の中で、名のある武将が討ち死にするような戦で有名なのは、上田原合戦とこの川中島合戦ぐらいでしょう。
左・上杉、右・武田。その間でまずは鉄砲戦が行なわれます。
↑中央に「テレビ画面」があるのに注目(^^ゞ。戦場は広いので(笑)。
そして上杉軍、まさに獲物を狙う獣のごとく突進。「
うぉぉぉ〜!
」
↑テレビ画面
さらに攻めかかり、今まさに武田軍が目の前に!
↑テレビ画面
ちょっと拡大しましょう(^^ゞ。この大きさが限界ですが……↓
そして赤い軍団を抜けて→本陣に到達します↓
この辺り↑の群れ(赤)に注目
↑この「群れ」、去年は今イチ撮影しきれませんでしたが、演出部隊ではないかと(^^ゞ。↓
拡大
戦場の手前を上下に蛇行しながら走り抜けます
このウェーブを描くような上下運動は、私の位置からもよく見えました(^^)。これぐらい上下してくれないと、後方座席には全く見えませんので(笑)。人数は少ない方がいいですね。この時間は武田の試練の時なので。
さてさて、しばらくは上杉軍団の「車がかり」をお見せしましょう(^^)。
去年も書きましたが、これって兵士達にとってはただの「かけっこ」で(笑)、「今、自分達は勝っている」という自覚は殆どナイです(爆)。 ……にも関わらず、この凄まじい猛攻(笑)。
↓一部拡大↓
攻め入る隊(奥)と、攻め終わって戻る隊(手前)の「はせ違い」の様子。
このように、「はせ違う」様子が「車輪から次々と繰り出される」と描写される攻撃図を上手く表現できてると思います。
ちなみにこの「車がかり」、古くはインドにもあるんですね(^^ゞ。戦術上の陣図より、意味合いとしての要素が強いものなのかもしれません。
<武田援軍(火の軍団)移動>
↑観客の目をひく行動ではありません(^^ゞ。
この時まで橋のそばに待機していた、さっきの「火の軍団」が、ちょうどこの頃合に鵜飼橋を渡って行くのが見えました。
上杉軍の後ろの橋を渡って行きます(が、すご〜く小さくて写ってません(^_^;))
↓橋だけ拡大(^^ゞ↓
肉眼だとわかるんですが、写真だとかなり拡大しても人影は見えなかったです(^^ゞ。ズームが利けば写ったんでしょうが……。
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