<石和川中島合戦戦国絵巻・レポート5>
<武田軍入場・つづき>
すごぉ〜く目立ってます(笑)
今年の高坂弾正隊ですっ♪
↑この「
寿司処
」さん、戦場に入ると殆どの武将は、どんなに意匠を凝らしていても、誰が誰だか判らない小さな小さな小さ〜〜〜〜な点になってしまうんですが、この旗だけは「どこに居ても一目で判る」目立ち方でしたよっ(笑)。
入って来た時も、周囲の視線を
一身に集めて
ましたしっ(^_^;)。
もしかしてこの祭りの後、
どういうわけか寿司屋に入った
客が多かったんじゃないでしょうか?(爆)
今年が最後のご出陣、
紋次郎。
さま隊
お役は真田源太左衛門尉信綱隊
こうして兵士が次々と仮橋を渡ると、戦場は……↓。
武田兵士の赤い色でドンドン埋まって行きます
<続いて上杉軍の入場>
今年も米沢稲富筒砲術隊を先頭に……
筑後川
さまのおられる水原壱岐守隆家隊
安田治部少輔長秀(
相模守太郎
さま)隊、掛け声に応じ→
鍋之介
さまが振り向きっ
そして、「ゆるり隊」ご一行もやって来ましたっ! こたつの掛け声に……。↓
雑賀孫八
さま、「ん? どこどこ?」
辰之進
さまが気付かれて「おお〜!」と
井上河内守清政(
荒川・並木正苑
)隊
村上左衛門尉義清(
松澤佳蓮・軒猿頭
)隊
そして、今年の謙信さまっ。最後のご入場〜♪
各セレモニー
<入場完了>
上杉軍さいごの隊が入場完了すると、ガランと空いていた戦場も、おびただしい兵士で埋まり尽くします。
↑写真3枚分!(^^;)
展開する最左翼に上杉武将席、そこからやや中央寄りの黒い人だかりが上杉兵士達、今真ん中を割って、最後の上杉兵が続々と列を作って、その黒い人だかりに合流して行きます。
一方の武田軍は配備完了してます。中央寄りに横に広がっているのが武田軍の兵士達。最右翼に武田武将達。
ホームページ上で見せようとすると、どうしても横のサイズが出せませんから、ただでさえ小さく見える兵士が、さらに小さくなってしまいます。
しかし、どのぐらい横に広い物なのかは、手前のおびただしい観客の背の並び方で、およそ想像がつかれると思います。
正直こうして人が入って来るまでは、「あ〜大きいな」ぐらいにしか感じてませんでしたが、この戦場の中でチョコマカと人が動くたびに、その人と周囲の大きさが比較され、改めて「ひ、広い( ̄∇ ̄;)」と痛感しますっ。。
上の入場シーンの連続で、あまりの人の多さにゲップの出られた方も多いかと思いますが(笑)、上に載せたのは、あれでも「ほんの一握りの隊」でして(^^ゞ、
あの何十倍もの人の群れ
が続々と目の前を通って行きました。
<献塩の儀>
実行委員さんのご挨拶の後は、今年も最初はコレから。
海の無い武田は、今川や北条、上杉といった地域からの塩の流通に頼ってましたが、信玄の上洛戦を阻むため、今川が音頭をとって武田領地への塩止めが始まります。
しかし謙信は、敵地とは言えその領民を苦しめる政策を潔しとせず、逆に「敵に塩を送る」方針を取り、信玄はこれに感じ入った、という事で有名な戦国期の美談であります。
上杉軍から塩を運んで武田軍側(→)に進み、渡して戻って来ます。
「確かに受け取った」というアナウンスとともに武田軍、塩を乗せた台車ごと引き上げ(→)
<橋の上の殺陣>
最初の殺陣演技が始まっています。
ハッキリ言うと、ここ(土手の最上階)からも、殆ど見えないです(^^ゞ。
これがわりとよく見えたのは記憶の限り、2003年の武田部隊にいた時だけ。
この写真でも、武田兵士は後方に座して目の前で見てるのがよく判ります。
しかもそれは、このセレモニー中の演技だけで、その後のは武田でも(自分達も合戦に参加するため)居ませんから、結局橋の上の演技が見れるのは、観客の中でもほんの一部かも(^_^;)。
ただ観客席なだけあって、写真だとモロ人影に阻まれてるように見えますが、動きだけは、前の観客の合間をぬってウッスラ確認できます。
<米沢稲富筒砲術(火縄銃)演武>
今年もドーンドンドンという太鼓とともに入場して参ります(^^)。
両軍の間から割って入場(→)し、以下、武田陣から発砲(←)を開始。
ドーーーーーーーン!!!
ズド〜〜〜〜〜ン!!!
ま、こゆ写真はズームですわ(^^ゞ。
あの点みたいな人だらけの配置画像、動いてればかなりスゴイんですけど、静止画像で見るとホント「点」ですからね(笑)。ちょっとは拡大画像も出しつつ行きます。
ちなみに拡大映像がブレずに撮れるよう、筑後川さまが合戦に出掛ける前に、三脚ならぬ一脚を貸して下さいましたっ(ありがと!)。
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