<石和川中島合戦戦国絵巻・レポート8>


     
  <合戦は続く(笑)>

もはや何も言いますまい(笑)

見よ! 子供達の、この眩しい笑顔!(爆)

旗持ちの武田軍達
「今年もこんにちは〜♪」

入り乱れて戦う者、写真を撮る者、芋洗いの戦場!(笑)

かなり乱れて見えますが(笑)、今年は去年に比べてあまりバラバラにならなかったです。恐らく整列が上手く行ったからでしょう。私も大よそ写真と同じで、みな行き会う場所場所で、思い思いに敵を求めてはチャンバラします(^^)。

しかし、この辺りから、私もいよいよ血走って来て(笑)、亭主とはハグレこたつ隊とも別れて、いよいよ本番、武田陣に突入を敢行!
 
     

     
  <この時こたつ城主は……>

3度の突入の内、二度までは全力疾走しておりました。真面目に三度やっても私のような軌跡を辿っても、それ以上は足が死にますので、体育教科を終えた世代で本気でやった人なら、それなり疲れる事は前もってお断りしておきましょう。装着してる武具や足袋には慣れて来る時間帯ですが。

二度目だったか……すれ違い様に横から刀を入れて来た武将が居ました。咄嗟に刀を出したら、当たってないのに「ヤラレた!」とのけぞり(^_^;)、私の刀に首をつけ「取られたぁ!」と叫んで下さいました。その時は旗の名前を覚えてたのに、後で忘れてしまいました!
何処のどなたか存じませんが、いつの間にか大将首を取らせて頂き、ありがとうございました(笑)。

また敵の群れをかいくぐる時、勢い余って後発の武田兵士の群れに体当たりに近い形で刀をガツンとぶつけ、「おおっ」と危なそうに避けた人も居ました。スイマセン(^^ゞ。実はもうそろそろ時間が無かったので、少し焦っておりました。

一度目はともかく、二度目はかなり深入りして武田本陣まで行きました。走行距離が伸びるので、老体に鞭打たないとなりません(汗)。

本陣で遭遇したのが武田軍に居た宮下隊です。ナント、アドリブで信玄の守備を申し出られたとか! オッケーして下さった係員の方、お蔭で斬り合う事が適いました。宮下隊の皆様も本当にありがとうございました!見付けあった時はお互い喜びましたね〜!(笑)

武田の人達とはイキナリ本番で出会うしか無いので、皆さんから前もって聞いていた各々の目印をこの目で確認できたのも嬉しかったです!
私は東方賓従者さまに槍をつけました。一番槍は相模守太郎さまだったようで、私は二番槍となりました。

ここで長々と「楽しく(笑)」戦ってると戻りが遅れます。武田軍と衝突の後はすぐ駆け戻らないと、次の出撃に間に合いません。
私もおめぐ様(も上杉軍)もかなり深入りした方で、私も途中まではおめぐ様の後方に控えてたのですが、やがて見放し(爆)、上杉に戻ろうとした瞬間、3度目の突入が開始されてしまいました。

その辺りで体力尽きました(ううっ、情けない)。 煙幕と砂埃と夏日の暑さで喉をヤラレて咳き込んでしまいました。マジでかなり苦しかったです(来年は喉飴を持参しよう)。

突入に遅れを取った事だし……と、前からやりたい(と言うより「やらなきゃ」と思っていた)上杉本陣の謙信の守備に向かいました。これには更に奥に走り戻らねばなりません。まさに戦場の端から端に全力疾走!

走りながら振り向くと、攻めて来る武田軍の先頭に「里見」の旗指物が見えました。今年、石和に応援参加した千葉県館山市の里見義実公であったようですね(^^)。この時は前を塞ぐ上杉軍の人だかりで「里見」までしか確認できませんでしたが、後日東方賓従者さまから頂いた写真で義実公と知りました。



そして……戦場に自ら死に絶える武将(爆)
(亭主の証言によると、ここでピタリと動かなかったとか:笑)

おおっ?! も、もしかして……山本勘介かぁっ?!
(だとしたら、確かに正解は「ここで戦死」:爆)

あるいは山県昌景? 山本勘介であって欲しいですね。一昨年の戦の後、森田丹波守さまが「山本勘介の戦死をやったらいいのに」と話されていた事を思い出します(2000年議事録参照)。
 
     

     
  <謙信の守備>

「皆の者、よく戦った」。
相変わらず守りに薄い謙信公。今年は米沢からおいででした。
(「史実によると、あの死体は山本勘介か左典厩信繁か」と黒忍者が説明してるかは不明:笑)

手薄の上杉本陣に攻めて来てしまう武田軍兵士達(汗)

おお〜、謙信だ、謙信だ!